シリーズ記事 広島都心部地区の再生を考える 
カテゴリー記事 広島の都市問題 都心部活性化

【考察その14】
ブログ主が考える(妄想する)理想の広島市都心部地区 その6
都心部地区の再生先導プロジェクト一覧



画像2 紙屋町地区及び都心部地区衰退の象徴として取り上げられることが多い旧市民球場跡地(以下 跡地) 跡地利用の遅れは問題の本質ではない(画像 アンドビルド広島より)


 完全に考察という名の元のブログ主の妄想記事になり果てた感があるこのシリーズだが、今回を最後としたい。今日は都心部地区再生の先導事業と郊外大型商業施設の実質規制などに触れたい。


画像3 広島中央公園の公共施設群の立地図(画像 広島市HPより)

【提案その7】
 中央公園の再整備-老朽施設の集約と建て替え(含む跡地整備)
 
各エリアは上記画像3を参照
 ▼エリアごとの施設配置
  エリア1
  こども文化科学館-出島地区の市有地に移転させる
  こども図書館-エリア5の中央図書館と映像文化ライブラリーに集約させる 
  青少年センター-地区内から移転させる。その際には、現在の機能を分散・縮小して単体施設
          としての移転ではなく、おりづるタワーのようなビルにテナントとして入居
          させる 
  商工会議所などの民間施設-基町環境護岸の遊歩道拡幅用地、小広場の整備
  エリア2

  跡地 屋根なしでのイベント広場整備 ~旧市民球場跡地の空間づくりのイメージ
~(広島市
  HP) 文化・芸術施設の検討
  エリア3
  ファミリープール-こども文化科学館同様に都心地区立地の必要性がないので、出島地区の市
           有地に移転させる。跡地には大型遊具、親水池、小休憩所、簡単な飲食施
           設を整備する
  エリア4 広島グリーンアリーナはそのまま
  エリア5

  
中央図書館     
-こども図書館とも合わせて集約。敷地内で建て替える。アニメの展示
  映像文化ライブラリー 
施設導入も検討する
  エリア6
  中央庭球場-広域公園などで機能強化を図るので、廃止する。
  中央バレーボール場-必要性がないので、廃止
               
  エリア7-提案その8で後述
  エリア8(中央公園自由広場)
  サッカー専用スタジアム-建設する場合は、『都市公園特区』及び『スタジアム・アリーナ特区
              』としてMICE(展示)施設との多機能・複合施設を目指す。その
              際には広島市中小企業会館は廃止
  エリア9・10
  県営基町中層住宅-18年度機能停止  市営基町中層住宅(1~16号棟)-2030年代半
           ば機能停止により 現在の芝生広場を合わせ新広場化(広域防災拠点化)
 ▼回遊性について
 公園敷地内を東西南北に遮る城南・鯉城通りは共に車線減少、歩道の拡幅がなされ、自動車交通量
 そのものが大幅に減る。この2通りで公園が四分割されて、一体感に乏しい現状を劇的に変えられ
 ると考える。一体感を演出する案内サインの見直しも同時に進め、平和記念公園を起点とした『緑
 の回遊ネットワーク』の南北軸を構築する。

【提案その8】
 広島城本丸の完全復元 
3期に分けた復元計画(計画全体で15年程度)
 

 第1期-本丸主要建築物の復元
 中・裏御門、多門櫓など各櫓、南・東小天守閣など。護国神社は移転しない。よってここの敷地の
 復元は行わない。
 第2期-本丸御殿の復元
 玄関、式台、広間、小広間、書院、能舞台、役所、台所、長局など当時の姿を忠実に再現する
 ~本丸御殿縄張り図~(知ろうや広島城)
 第3期-大天守閣の木造復元
 現在の鉄筋コンクリート製の大天守閣を原爆投下前の姿に、木造復元する

【その他の
再生先導プロジェクト
 都心部地区歩行空間の再配分 ~掲載記事 広島都心部地区の再生を考える 4~
 500㍍スクエア(モール区間)の導入 ~掲載記事 広島都心部地区の再生を考える 4~
 路面電車の疑似LRT化 ~掲載記事 広島都心部地区の再生を考える 5~
 バスの疑似BRT化 
~掲載記事 広島都心部地区の再生を考える 5~


画像3 広島城復興天守閣と本丸、内堀の様子(画像 ひろたびより)


画像4 広島城本丸と二の丸の復元図 築城当時は豊臣大坂城や聚楽第に次ぐ規模を誇っていた

【考察その15】
ブログ主が考える(妄想する)理想の広島市都心部地区 その6
都心部地区の商業機能回復を政策面から後押しする


画像5 4月27日に西風新都石内東地区に開業したイオン系の『ジ・アウトレット広島』(画像 アンドビルド広島より)


画像6 都心部地区商業機能低下の発端となったイオンモール広島府中店(04年3月開業) 画像 ユーチューブ動画撮影より

【提案その9】
 郊外大型商業施設の実質規制
 【導入目的】
 都心部機能は、行政、業務、商業、飲食、宿泊、文化・芸術・スポーツなどの趣味・余暇、学術・
 研究などの高次都市機能が集中立地して、その都市の富(経済)の中心を形成する場所だ。その中
 でも行政、業務、商業の3機能は『3トップ』というべき存在で、何れも強い都心部を造る上では
 絶対に欠かせない。大店立地法-正式名称:大規模小売店舗立地法-の施行後(99年度~)、自
 動車アクセス至便の地に郊外大型商業施設の立地が相次いだ。その余波を思いっきり受け、老舗の
 百貨店は苦戦を余儀なくされ、撤退したところも多い。アーケード商店街は、シャッター街と化
 し、かっての賑わいは確実に失われた。広島市に限れば、都市・都市圏規模が大きいのでそこまで
 の惨状ではない。中国新聞社の広島市広域商圏調査で見ると、02年都心部3地区の支持率-計7 
 5%だったものが、17年には半分以下の34.9%まで落ち込み、明らかに商業機能の低下を示
 している。都心部の求心力低下を示す指標として次の2点を見てほしい。まずは、公共利用者数
 広島市内 要拡大)だ。94年の67.6万人から、12年には55.6万人と20%以上も減
 少。次は、移動利用手段の推移(要拡大)では自動車分担率が、87年-39.0%が08年-4 
 7.6%と拡大している。買い物目的の自動車利用率の急騰が背景にある。自動車利用の高騰は、
 持属的な都市の成長を促す大きな障害となり、看過出来ない問題だ。都心部地区の弱体化を示す指
 標だ。あらゆる再開発や跡地利用計画、公共交通整備などが行われても、郊外大型商業施設の問題
 を放置したままでは、効果は少なく限定的なものとなる。今以上の新規立地を規制して、ゆっくり
 と都心部地区の商業機能の回復を図ることを最大の目的とする。


画像7 広島市が『広島市都市計画マスタープラン』にて定める、楕円形の都心部地区と4カ所の広域拠点、8ヵ所の地域拠点の立地図 拡大画像(要拡大) 画像 広島市HPより

【手法その1】
 静岡市の『静岡市良好な商業環境の形成に関する条例』(静岡市HP)のように、地区ごとの商
 業施設面積の上限を条例にて定める。静岡市の例だと、
都心型商業環境形成ゾーン』-特に定め
 なし、
 『地域拠点型商業環境形成ゾーン』-5,000~8,000平方㍍、『 特化型商業環境形成
 ゾーン』-3,000~5,000平方㍍、『
近隣生活型商業環境形成ゾーン 』-1,000~8,0
 00平方㍍などとしている。この条例を参考に模写すると、楕円形の都心を形成する-紙屋町・八
 丁堀・広島駅周辺を
都心型商業環境形成ゾーン』-特に定めなし、4広域拠点が『地域拠点型商
 業環境形成ゾーン』-5,000~8,000平方㍍、8地域拠点が
 近隣生活型商業環境形成ゾー
 ン
 』-1,000~8,000平方㍍になる。静岡市の条例の秀逸なのは、ゾーン設定していない地
 域の大型商業施設の立地を原則、禁止している点だ。日本で最も厳しい立地規制と言える。条例制
 定の過程で、様々な反対勢力からの圧力などもあったと容易に想像できるが、よくぞまあ、骨抜き
 案にならずに日の目を見たものだ。この案の唯一無二で、最大の欠点は、当たり前の話だが対象を
 静岡市のみとしている点だ。隣接する自治体に、立地した場合、市域在住の消費者がそちらに流れ
 るリスクも大きく、諸刃の剣の側面もある。県の音頭の元、静岡市を中心とした同都市圏の各自治
 体が足並みを揃え、導入してれば大きな効果があっただろう。フランスのような都市圏全体の行政
 を司る『都市共同体』(ウィキペディア)がないのが残念だ。導入を検討する場合、県と相談して
 都市圏の自治体を巻き込んだ議論をしないと片手落ちとなる。

 
【手法その2】
 現行の大店立地法では、かっての大店法とは大きく異なり、出店予定の商業施設の面積規模の調整
 機能は全く働かず、出店後の地域の環境面の影響(道路の渋滞など)を重視している。実際には、
 審査自体が形骸化しており、ほぼ無審査で認可されるケースが殆ど。その審査する組織を市中心に
 立ち上げ、市のマスタープランに沿ったものであれば認め、沿っていない場合は認可しないと言う
 形にすれば、一定の抑止効果が働くだろう。その提言を参考に自治体が判断する。これが一番、現
 実的ではと思う。余程のことがない限り、『自由な経済競争の阻害』を楯に取り民事訴訟に発展す
 ることはないと思われる。

【考察その16】
ブログ主のシリーズ記事総括
『活力が乏しい都心部地区=停滞・衰退都市の象徴』の過ち


画像8 ドイツの都市ブレーメンの代表的な広場-マルクト広場の様子(画像 ブレーメン公式HPより)
 
 日本も90年代初頭のバブル経済崩壊後、90年代半ばより『失われた20年』に突入した。日本の社会全体が閉塞感に覆われ、何とも言えない澱んだ空気が支配した。01年の小泉内閣の誕生で、実感なき景気回復とバブルの負の遺産の清算が進み、多少の日が差した。デフレ時代の脱却にまでは至らず、07年のサブプライムローン問題、翌08年のリーマンショックでどん底まで落ちた。この間の広島市を見るとアジア大会開催後の財政悪化、マツダの経営難に代表される自動車産業の不況、市場縮小やIT化進行(本社・本店機能強化)による支店経済のぐらつき、財政非常事態宣言(03年)が立て続いて他都市に大きく後れを取った。この間の停滞期間を歴代為政者の失政にする向きもあるが、それは完全に間違いで大きな社会情勢の変化の中では、一自治体の長が取れる策など限られ財政難の制約もあった。二度目の財政健全化計画が終了(07年)して、これからという時に翌年、リーマンショックが起きて再浮上のきっかけを掴めなかった。ここ数年、活況を呈している都市開発は07年以降の秋葉市政時に協議会や委員会として立ち上げ、その後具体化したものが多い。結果的に経済無策に近かった旧民主党政権が終わり、自民党安倍政権が誕生(12年)。アベノミクスによる景気回復、インバウンド需要の高騰が、広島市にも強い追い風となり反転攻勢の空気を醸成している。完全に停滞感から脱却した。天井知らずの社会保障費に吸い取られているが、市税は伸びている。アベノミクスの恩恵を受ける階層とそうではない階層と二極分化されているので、消費の伸びは言われるほどではないが広島市全体で見れば停滞都市ではなく、活況に入りつつある都市と言える。


画像9 ドイツの都市ミュウヘンのトランジットモールの様子(画像 MVG公式HPより)

 問題としては、その活況に入りつつある状況が都心部地区のにぎわい性向上に必ずしも反映されていないことだ。現在の都心部地区の求心力低下のみを理由に衰退都市-広島市とするには、論拠が弱い。本来あるべき姿のにぎわい性が郊外を含めて分散しているだけ、とブログ主はそう考える。広島市が本当の衰退都市であれば、他の政令指定都市よりも10%以上も高い高齢化率を記録し、人口の社会減-流出人口超過、人口全体の大幅減になっている筈だ。その論点から立脚して、このシリーズ記事を書いた。全体的に欧州都市の模写とした殆ど妄想世界の話だが、都心部地区の都市空間の再配分-自動車利用の制限と歩行環境の大改善中心とした内容としたが、欧米のコンパクトシティの成功都市の事例を参考にさせてもらった。世界で見れば、自動車中心の都市計画で成功した都市は皆無に等しい。広島は自動車メーカーのマツダの本社と工場があるので、自動車中心の都市計画に基づきモーターリゼーション融合の都市を造れは、暴論に過ぎない。国内市場を中心としていた30年前ならいざ知らず、グローバル化が進んだ今日では、意味をなさない。ボルボの本社があるスウェーデンのヨーテボリの自動車移動分担率は30%台半ば、
ダイムラーやポルシェの本社があるドイツのシュツットガルトも同様の水準。BMWの本社があるミュウヘンでは都心部地区の約15㌔ものモール区間(歩行者専用道路)がある。それを本当に実践した(させられた)イタリアのトリノ(フィアットの本社あり)は今、膨大なフィアットの工場跡地などの処理に苦慮して、フィアットに配慮した長年の歪な都市計画の負の遺産に今なお苦しんでいる。


画像10 自動車メーカーボルボがあるスウェーデン第2の都市-ヨーテボリの
イェータ運河沿いのトランジットモール区間。ヨーテボリのトラムは、表定速度22.5km/h。70年代にコストの問題からフル規格地下鉄計画を破棄して、トラムの延伸と高速化に政策転換をした。都心部(旧市街地)には数多くのモール(歩行者専用道路)やトランジットモールがあり、信号さえない(画像 ユーチューブ動画撮影より)

 日本は完全に高齢化・人口減時代に突入した。現在の最新の統計値では2045年人口-1億642万人、2065年人口-8,808万人。高齢化率は2065年には38.4%という高齢化を超えた超高齢化時代が到来する。広島市の場合だと、2030年頃から本格人口減局面に入り、2060年人口が93.3万人(高齢化率35.2%)が推定最低値とされている。実際には100万人前後辺りで落ちつくだろうが、大きな流れは変わらない。これは人口の自然増減で、減少超過-死亡者数が出生者数が大きく上回る-問題で、都市施策云々ではない。少子・高齢化による人口減は、先進国病だ。こうした社会情勢下でも、持続的な都市の成長を促す施策としてコンパクトシティが掲げらている。全ての都市で成功しているとは言い難いが、上手くいっていない都市の場合、取り組みの甘さなどが問題で、方向性自体は決して間違っていない。それ以上の成功都市の数が、それを証明してあまりある。日本に目を移すと従来通りの都市施策では、30~40年後、スーパーエースの東京23区及び首都圏の大都市のみ栄え、足手まといの地方を扶養するという構図となる。さらに加速すると、現在考えられている都市域内の集約化の流れが国内全体の集約(首都圏中心)の話に発展しかねない。広島市に話を戻すと、産業ではマツダを頂点とした自動車産業の趨勢と、観光とMICE都市としての成長などが将来の鍵を握る。特に後者は、国外交流人口の拡大で消費を喚起して都市経済活性化につながる。それにはにぎわい性があり、強い都心部地区が必要不可欠となる。その意味合いでも日本版コンパクトシティ-集約都市への転換は、至上命題だ。ブログ主の主観というか好みに偏った部分は多いが、基本思想自体は間違っていない、と思う。下記画像11は2000年以降の人口流出、流入超過の推移(人口の社会増減)を示している。これを見ても広島市が衰退・停滞都市ではない事は明らかだ。


画像11 広島市の2000年以降の人口流出、流入超過の推移(人口の社会増減)。03年以降、流入超過に転じている(画像 広島市HPより)

終わり

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