シリーズ記事 交通需要マネジメントについて 

【考察その5】
欧州都市で最も公共交通が利用されているチューリッヒの事例


画像1 スイス最大の都市で国際金融都市のチューリッヒの様子(画像 ユーチューブ画面撮影より)

 前回までの2回の記事で、交通需要マネジメント(TDM)の需要調整策が基幹公共交通整備や主要幹線道路のBP、環状道路整備などの容量拡大策といったハード施策とセットではないと実効が上がらないことを指摘した。高規格道路整備は、都市計画決定から開通まで優に20年以上はかかり、基幹公共交通整備にしても財政難や日本特有の都市交通事業の独立採算性の高い壁があり、導入路線は限定され思うような整備が図れないのが実情だ。フル規格地下鉄、地下式LRTなどの地下式鉄・軌道系公共交通を整備することなく、既存トラムやバス路線のLRT、高度化されたバス路線へ昇華させることで都市交通問題をほぼ解決して、高度成長期から都市の成長管理施策を採用し拡散都市化を未然に防いでいるスイスのチューリッヒの事例を紹介したい。スイス最大の都市チューリッヒは、市域人口は37.6万人で都市圏人口は200万人を数える欧州定義の大都市(人口10万人以上)である。2016年の『世界都市総合力ランキング』では、第16位、17年の調査だと国際金融センターランキングでは、第11位と世界に冠たる国際都市だ。スイスの国民一人当たりのGDPは世界2位(1位はルクセンブルグ)で、その中でもチューリッヒの水準は国内都市よりも群を抜いて高い。06~08年にかけ世界で最も居住に適した都市(ウィキペディア)の中でも高評価を受けている。


画像2 チューリッヒの市街地を別の角度から見た姿(画像 ウィキペディアより)

 チューリッヒでは市域全体に厳しい建物の高さ規制が敷かれている。新市街地にあるアルシュテッテン、エリコンといった産業・業務地区ですら特例として80㍍、隣接地区では40㍍としており、他の地区ではそれ以下となっている。世界に冠たる金融センターでありながら、こうした厳しい規制を敷く理由は、都市のアイデンティティ-個性、チューリッヒらしい都市景観の保全-が大前提としてあり、開発を抑制することで都市の価値を高め、人間重視のまちづくりで居住環境を整備して国内、欧州は元より世界中からの投資を集めようとするしたたかな戦術が窺える。この姿勢は60年代の高度成長期以降、不変のもので都市交通分野においても如何なく発揮されている。下記の指標をまずは、ご覧頂きたい。

1 欧州の都市交通先進国の都市の各移動手段の分担率
 ◎人口100万人以上  徒歩   二輪車    公共交通   自動車
  ミュウヘン※注1    24   15     25     36
  ハンブルグ
注1    22   12     21     45
 ◎人口
50~100万人 徒歩   二輪車    公共交通   自動車
  ブレーメン
注2    21   22     17     40
  ハノーバー
注3    23   16     22     39
 ◎人口30~50万人  徒歩   二輪車    公共交通   自動車
  フライブルグ
注2     24   18     17     41
  チューリッヒ
※注2   28   07     37     28
 ※注1フル規格地下鉄が複数あり 注2路面走行式のLRTのみ 注3地下式LRT(シュタッ
   トバーン)あり

2 日本の地方大都市の移動手段の分担率
 ◎人口70万人台   徒歩   二輪車  公共交通  自動車
   熊本市
注2   15.7 14.1  05.9  64.5
   岡山市注2   19.6 13.8  06.5  59.5 

 ◎人口100万人以上 徒歩   二輪車  公共交通  自動車
   仙台市※注1   13.7 19.8  16.5  44.7
   広島市
注3   19.0 17.1  16.0  47.6
   福岡市
※注1   18.6 15.6  23.5  42.2
 ◎人口200万人以上 徒歩   二輪車  公共交通  自動車
   大阪市
※注1    24.0 25.3  37.7  12.8
  東京23区
※注1  23.0 15.9  50.5  10.9
 ※注1フル規格地下鉄複数あり 注2路面走行式のLRTのみ 注3地下式LRT(シュタッ
   トバーン)あり

 市域内の移動手段の各分担率の内訳だが、欧州の都市は都市規模関係なく公共交通分担率が高く、自動車の分担率が総じて低い。一方の日本は、大都市では同様の現象だが、地方都市でしかも地方中枢都市未満では公共交通分担率は低く、自動車分担率の高さが際立っている。一概には言えない部分もあるが、公共交通の分担率の低さは公共交通移需要が低いこととなり、低密度な市街地が郊外に拡散している証左になる。欧州都市のそれは、都市のスプロール化がある程度抑制され、強い都心部地区があり高い公共交通移動需要があると言える。その中でも、チューリッヒの高い公共交通分担率が際立っている。市域人口のみの比較だと、県庁所在地~中核都市のカテゴリーに属する都市規模だが、日本の都市だと公共交通分担率は5~6%、自動車分担率が60~70%の都市が多い。大阪市にも匹敵する公共交通分担率を誇るが、スイスの国民一人当たりのGDPは世界2位、日本は22位であり所得の関係で自動車の保有が難しいわけではない。しかも、かつて広島人が願ってやまなかった地下式鉄・軌道系公共交通はこの都市には存在しない。広島市同様にトラム(路面電車)、バス、都市近距離鉄道(Sバーン)中心の公共交通網である。チューリッヒには、広島市が抱える都市交通問題解決のヒントがふんだんにある。そして、今後超縮小社会(超高齢化+大幅人口減)を本格到来を前にして進むべき指針を示している。そのチューリッヒの現在も脈々とつながる『市場経済論理をまちづくりにあえて反映させないことが、結果的に都市に繁栄をもたらし豊かな生活を送ることが出来る』との法則の端緒となったのが20年以上にもわたる地下鉄論争である。

【考察その6】

チューリッヒ市民の選択
20年以上にもわたった地下鉄論争


画像3 トランジット-モール区間を走行するトラムの様子(画像 ユーチューブ画面撮影より)

 チューリッヒも他の欧州都市同様に1950年代より高度成長の産物であるモーターリゼーションの大波に晒された。
当時『チューリッヒで幹線道路を走ったり駐車場を見つけたりするのは、らくだを針の穴に通すより難しい』と揶揄され、伝統ある街並みの旧市街地は、自動車が溢れかえり、交通マヒを起こしていた。当然、トラムやバスは走行環境が劇的に悪化して旅行速度の低下を招き、自動車の利用をさらに誘引、そしてまた走行環境が悪化するという負のスパイラルに陥った。そこで50年代、最初の地下式鉄・軌道系公共交通である『Tiefbahnプラン』が立案された。これは今でいうところの地下式LRTで、都心部地区のトラム路線を地下化するものだった。この当時、西ドイツのシュタットバーンやベルギーのプレメトロ同様にフル規格地下鉄を導入する程の需要がない都市や、フル規格地下鉄に移行するまでの過渡期的処置として、都市交通問題解決の手段として一部の国で注目されていた。雛形は、1897~98年に開業したボストンのグリーンラインである。このプランは住民投票(62年)にかけられたが、61.1%の反対票にて否決された。その次に、Uバーン(フル規格地下鉄)とSバーン-都心部地区を地下化した都市近距離鉄道-からなる長距離はSバーン、中距離はUバーン、短距離はトラムやバスという三層交通ネットワークを念頭に置いたU/Sバーンプランを代替え案をまとめ、73年度再度賛否を問う住民投票にかけた。論点として、さらなる国際金融センター都市として飛躍-Uバーン案、そちらは志向せず飽くまでの人間性重視の都市を指向する-トラム存続案、と言った対立軸になったが、これも反対票57%により否決された。

 反対運動の中心となったのは、野党である社会民党や労働組合だった。ただ彼らは、単純なネガティブキャンペーンを張るだけではなく、その後都市交通専門家や学生を加え、
公共交通促進のための市民戦略』なる計画を立て代替え案を提示した。その内容は、大規模な新規投資を良しとせず、トラムやバスの改良提案中心、現在の路面走行式のLRT、BRTへの昇華を指向したものだった。この案に対して行政、特に経済界が猛反発した。さながら行政と経済界が推すUバーン案と社会民主党と労働組合、学生などが推す『トラム改良案』の市を二分する対立構造が鮮明となる。そして三度目の住民投票が77年に実施され、トラム改良案が賛成51.25%の支持を受け、20年以上にもわたった地下鉄論争は一応の決着をみた。三度目の住民投票の結果を受け、78年には、連邦発議により、 チューリヒのトラムとバス輸送の拡張に対して、2億スイスフラン(約220億円)の予算が組まれた。これを受けて、チューリッヒ市議会は79年10月に公共交通を私的交通(自動車)より最優先させるという決議を採択 した。この決議は交通計画のみならず、全ての都市計画全般に当てはめられる一般概念になった。当時の社会情勢-二度の石油危機があり、モーターリゼーションに迎合した都市計画の行き詰まりがあったにせよ、ここまで方向性を明確に打ち出した都市はそう多くはない。当時はまだ、公共交通整備と道路整備の両論併記のような都市計画がまだまだ幅を利かせていた。住民投票にて、トラム改良案を支持した市民は、トラムへの愛着やこれ以上の発展を望まない意思があったのだろうが生活環境を大きく変わることなく、結果的に理想以上の豊かな都市が実現したというのは卓見ではなく歴史の皮肉だろう。市場経済論理を意図的に排除することで、人口30万人台の都市でありながら人間性重視の都市を実現し都市ブランド力を向上させ、世界中の富を集め市民に還現するという好循環を生み出している。

【考察その7】
世界初の高度公共交通優先システム(SESAM)の導入


画像4 
トランジットモール区間のBahnhofstrasseを走る11系統トラム(画像 ユーチューブ画面撮影より)

 当ブログ記事などでもよく紹介するものにPTPS(公共車両優先システム)がある。日本においては、90年代半ばよりバス路線に導入され、路面電車では08年に広島電鉄市内軌道線江波線の一部区間で社会実験が行われ、10年度より熊本市電で路線の42.5%となる5.1㌔区間に導入され、約14%の運行時間が短縮する効果をあげている。PTPS方式は、対象の公共車両が通行する道路に光ビーコンを埋設、設置し、車載装置を搭載した車両が光ビーコン上(下)を通過すると瞬時に通過情報が警察の管理センターに届き、交差点上の信号機を公共車両を優先通行するように制御するシステムを指す。海外LRT導入都市の事例だと、設置区間にもよるが旅行速度の1.5~2.0km/hの向上がみられている。日本においては、熊本市電以外、大々的な設置は自動車交通への配慮からなされず部分的な設置に留まっている。海外だと新規LRT導入線での全区間設置はもちろんの事、既存線への設置など安易に高架や地下区間を建設しないのは、このシステムがあるからだ。優先信号システム自体は60年代後半から、トロリーコンタクター方式(以下 トロコン方式)でのそれはあった。このシステムの欠点は、設置区間の交通信号の通行の最優先権を公共車両に無条件に渡すことだった。システムとしては俊逸かも知れないが、弾力的な運用がシステム的に不可能で、その結果設置区間も限定された。それに引き換え、PTPS方式は対象の道路の流れの観点からの制御が可能で、弾力的運用もできる点がトロコン方式よりも秀でていた。そしてこのシステムを世界で初めて開発したのが、チューリッヒである。79年に公共交通を自動車交通よりも最優先させる採択したが、具体的な公共交通整備に当たり次の施策を取った。 ①道路容量を犠牲にした島式停留所の整備 ②トラム路線と並行する道路での左折、横断、Uターン禁止(スイスは右側通行) ➂公共車両(トラム、バス)の優先通行を保証する一般車両車線の削減 ④狭隘な都心部地区の道路の歩行者戦用道路化の推進と一方通行化 ⑤路面軌道の準専用化(センター・サイドリザベーションの採用) ⑥歩行者専用道路以外での歩道拡幅や、優先策の実施 ⑦都心部地区の駐車場の半減 ⑧公共車両を優先走行させる信号システムの開発と導入
 以上8点である。


画像5 PTPS(公共車両優先システム)の概要

 いかに並行する道路の車線を削減して、自動車走行を不便なものにしても肝心のトラムが遅いままではあまり意味がない。そこで道路容量を削減する走行環境の整備策と共に新しい信号システムの開発に乗り出した。
75年開発され、82年より本格導入に至った。開発と設置コストは当時のフル規格地下鉄500㍍建設程度(100億円未満)と試算された。当時はトロコン方式の電車優先信号が主流だった。チューリッヒで開発されたシステムは、現在の主流のPTPS(公共車優先システム)の雛形になっている。SESAMシステムと呼ばれるものだが、市内の主要な約 400の交差点の各車線の地中には、約3,000の感知器(光ビーコン)が設置されている(カバー率90%以上)。トラムやバスには車載装置が搭載され感知器で得た通行車両のデータが中央情報センターに送られる。このデータを基に、中央情報センターの大型計算機は、各交差点の通過車両数と速度を推定し、次いでこれらの推定値をもとに、オペレーターのプログラムに沿ってリアルタイムで交差点のサイクル長やフェ ーズを調整する。さらには、SESAMシステムの応用で、①個別交差点信号のリアルタイム制御 ②4~8交差点の信号グループによるミクロセル制御 ➂市内7グループによるマクロセル制御 と言った三層構造による制御方式を採用している。マクロセル制御では、郊外及び市域外から流入する道路の主要交差点20か所にも設置して意図的に、赤信号の延長制御による実質的な自動車の乗り入れ規制を行っている。数多くのトラムを含めた公共交通車両の優先環境を創出させ、トラムの旅行速度は16.42km/hを実現し、市内の自動車走行速度を2km/h程度上回っている。新規開業LRTは大体18~22km/h(路面走行中心の場合)ぐらいが目安なので、多少物足りないと思うかも知れないが線形が旧態然とした構造、平均停留所間隔が約350㍍毎と短いなどの点を踏まえると驚きの数字だ。十分LRTと呼ぶにふさわしい。因みに新規開業LRTの平均停留所間隔は500~700㍍程度で、チューリッヒの1.4~2.0倍程度の間隔だ。短い停留所間隔は速度低下の原因にもなるのだが、そのハンディを感じさせない走行環境がある事の証左になる。あえて停留所の統廃合をしない理由は、容易なアクセス性の保持だそうだ。


画像6 河川沿いの区間を走行するトラムの様子(画像 VBZ公式HPより)

          1970年              2015年 
       市域人口  DID面積     市域人口        DID面積
札幌市   101.0  88.3    195.2(1.9倍) 235.5(2.7倍)
仙台市    59.9  53.0    108.2(1.8倍) 149.1(2.8倍)
広島市    90.7  63.9    119.4(1.3倍) 134.0(2.1倍)
福岡市    87.2  82.0    153.9(1.8倍) 154.4(1.9倍)
県庁所在地  27.4  19.8     34.3(1.3倍)  45.0(2.3倍)
(政令外)

 
チューリッヒのSESAMシステムは自動車移動を不便なものにすることで、TDM施策の需要調整-自動車利用の減少-、容量の拡大-公共交通の整備と相反した問題を同時に解決した。これはSESAMシステムだけの功績ではないが、他の多くの改良コスト-初期分約220億円-も含めても当時のフル規格地下鉄2㌔相当の建設分でしかなく、費用対効果の観点では文句のつけようがない。日本の開発思考だと複数のBP整備や他の基幹公共交通の新規採択などになり、総事業費は優に数千億円を超え、同等の公共交通分担率を実現したかと言うと答えは『否』になる。その差は歴然だ。ややもすると、既存の都市交通インフラを原資とした大幅な改良による施設昇華案は、その地味さぶりから『小手先の解決案だ』『問題に正面から向き合っていない』などと逃げの姿勢に映り、批判を受けやすい。将来の需要予測や、持続可能なシステムであるかの冷静な検証がなされた上での相当の新規投資なら問題はないが、そうではない場合は費用対効果や経済効率を重視するべきだ。チューリッヒの人間性重視のコンパクトシティのこれまでの成果を考えてみる。上記の指標は、地方中枢都市と政令市以外の県庁所在地のDID地区(人口集中地区)の面積と人口の拡大ぶりを比較したものだ。人口増加率との比較で拡散都市ぶりがお分かりだろう。これはあくまでも人口集中地区であり、水準以下の地区は含まれていない。その点を踏まえると、日本の都市のモーターリゼーションに迎合した都市計画無策の乱開発ぶりが数字の上でも明らかだ。人口増化率とDID面積拡大率がイコールとなるのが理想ではあるが、多少のかい離があっても仕方がないのは理解出来る。ただかい離幅が大き過ぎる。


画像7 チューリッヒのトラムの様子。トラムとバスの専用通行路、自転車道が確保され、自動車は一方通行となっている(画像 VBZ公式HPより)

 そこでチューリッヒの登場だ。驚いたことにこの都市は、1990年を境にDID面積が微減傾向にある。都市の衰退と受け捉えがちだがそうではなく、毎年人口は増加しており30年人口は、現行の37.6万人から約20%増の44.2万人が予測されている。安定成長期さながらの人口増加率でありながら、DID面積は逆に減り続けているという究極のコンパクトシティである。人口増加分-6.6万人のうち約5万人の移動需要は公共交通にて吸収する予定だ。 ~チューリッヒライン2030~(VBZ公式HP) チューリッヒの人口1,000人当りの自動車保有率は、379台で、日本-591台、ドイツ-572台、フランス-578台と群を抜いてい低い。この40年程度でほぼ倍増しているのに対し、チューリッヒのそれの増加率は低い。要は、拡散都市化(スプロール化)が進まず、人口増加による移動需要増加は公共交通で吸収し、自動車を持つ必要がない市民が多いとなる。因みにチューリッヒは、コンパクトシティの本場である欧州でも各国のモデルケースとされ、人間性重視のまちづくりが、結果的に都市の持続的な成長に大きく寄与することを見事に証明した。都心部地区やその近隣には無粋な都市高速道路もなく、天を衝く高層ビル、高架や地下を走る大量輸送機関(地下鉄)など何一つない。一見、古ぼけた時代から取り残された街並みが広がっているが、そこに住む人たちは皆奢ることなく、幸せに満ちた表情で生活している。見せかけだけの繁栄を享受している日本を含めたアジアの先進諸国とは雲泥の差があると思うのはブログ主だけだろうか?真の豊かさとは何かを、考えさせられる次第だ。それを実現したのは、突き詰めれば
SESAMシステムになるかも知れない。

その4へ続く

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