関連記事1 かつての広島地下鉄計画
関連記事2
 リメイク版 広島の都市交通歴史年表


【シリーズ前章】
シリーズ記事を書き直しするに当たり


画像1 新白島駅付近の掘削区間を走行する94年開業の新交通システムことアストラムライン(画像 アンドビルド広島より)

 ブログ記事ネタ探しに困っている。困るのは今に始まったことではないが、最近特に酷い。色々とアイデアを頭を捻り考えたが、妙案が浮かばない(笑)。そこで思い出したのが過去記事で、シリーズ途中でほぼ放置したものがある。続きをそのまま書こうと思ったが、2年以上も間隔が空いており、いきなりその文章世界に入れるものでもないので最初から書き直したい。そうそう、その過去記事だが『並行・if世界 広島市に地下鉄が実現していたら‥‥』である。当時、if世界&並行世界に少し興味が湧き、書き始めた(気がする・・・)。他の記事更新が忙しくなり、書くのが面倒になり放置したのかも知れない(よく覚えていない・・・)。この種の記事と言うのは、他の記事以上の文才らしきものが求められ、しかもアイデアはそれ以上求められる。書いているうちに思い出したが、封入体筋炎に侵されている現状を今更恨む気持ちはないが、もし発症していなければどうなっていただろう?とふと思ったことがきっかけだった。そんな現実逃避のif世界を妄想しても、現実世界を変える力はないのだが、その感情に100%支配されない限りにおいては、暇つぶしネタとしては面白いと言えば面白い。その妄想を広島市のまちづくりに当てはめると、いの一番に『広島市の地下鉄が実現していたら・・・』が上がるだろう。広島人の地下鉄に対する憧憬は、持たざる者特有のやっかみもあり諦めてはいるが、まだ根強いものがある。うろ覚えで恐縮だが、4年前の広島市長選挙の地元民放局の世論調査では、アストラムラインの地下線(旧東西線と同南北線)の賛否は、『反対』が60%程度、『慎重に』と『別の方法で実現が』が計20%前後、『賛成』は10%前後だったと記憶している。賢い広島市民の証左とホッとしている。15年策定の『公共交通体系づくりの基本計画』(広島市HP)では、デルタ内と都心部区間のアストラムラインの従前の計画を大幅に削減し、都心線と改称して形ばかり残しているが、国が計画を認可していない事実や低過ぎる費用対効果、導入の是非を議論すると言われる30年代以降に超縮小社会(超高齢化+大幅人口減)に入ることを思えば、可能性は0に等しく、広島市では地下鉄が実現しなかったと断言して差し支えない。仮に財政にゆとりがあり、費用対効果の概念などなく、市民の多くが実現を望み、能力値が高い市長がこの時期にいて、広電も建設に協力したとする歴史ifが存在したらどんな世界線になっていただろうか?四地方中枢都市の中で、最も劣っている中枢性が飛躍的に改善して、今以上の都市に発展していたのか?それとも、さして変わり映えのない広島市になっていたのか?その視点から、書きたい。登場人物は、実在した人物を参考にし、名前を微妙に変えて登場させ架空の人物も設定したい。

【歴史if世界その1】
苦悩するうえき市長 その1
地下鉄を巡る複雑な市民世論とHATSⅡ案賛成一辺倒の議会


画像2 史実世界の
『広島都市交通研究会』(市主導)提言のHATSⅡ路線図一覧(画像 ウィキペディアより)
 
 時は1975年、広島市役所にある市長室にてこの年の2月に3度目の市長選の挑戦で初当選を果たしたうえき市長は、広島市が抱える都市問題に思いを馳せ、頭を悩ませていた。暗礁に乗り上げていた国道2号線西広島BP高架延伸、段原再開発。そして広島駅前再開発、渋滞の域を超え交通麻痺にまで発展した国道54号線の市北西部の都市交通問題など、課題は山積どころか山積の三乗だった。中でも鉄・軌道系公共交通の問題は、考えない日はないくらいだった。と言うのは、うえき市長が就任する2年前の73年、計6年の長き議論を経て、
『広島都市交通研究会』が最終案としてHATSⅡを提言した。~かつての広島地下鉄計画~(➂参照) ライバル都市(当時)である福岡市は、71年、都市交通審議会が『福岡市および北九州市を中心とする北部九州都市圏における旅客輸送力の整備増強に関する基本的計画について』(答申第12号)が運輸大臣に答申され、その後速やかに建設に向けた準備を進めていた。74年、1号線 姪浜~博多間9.8㌔、2号線 中洲川端~貝塚間4.7㌔の申請を行い、認可された。そして75年に着工した。その動向は広島市にも伝わり、市の関係者を慌てさせた。弟分(当時)だった仙台市でも75年、運輸省仙台陸運局の仙台地方陸上交通審議会が、大量高速輸送機関(ルート:七北田周辺~仙台駅付近~長町周辺)の整備を急ぐべきと答申し、事実上、国から地下鉄南北線建設の認可を得た。広島市もHATSⅡの鯉城線が緊急整備路線として、『中国地方陸上交通審議会答申』にて、可部線の高架・複線化、芸備線の電化・複線化して地下鉄・鯉城線と一体的に整備することが盛り込まれた。


画像3 本記事の『うえき市長』のモデルとなる過去の広島市長の在りし日の姿

 ただ、福岡、仙台の両市が路面電車廃止の方針-地下鉄とバスの置き換え-を打ち出し市民からは反対がなかったのに対し、71年広島市では愛着度の相違から地下鉄導入議論中からの猛烈な反対運動が起きていた。当事者の広島電鉄(以下 広電)も代替え交通機関の未整備を理由に、当初の全廃方針を転換し存続に切り替えた。他都市では軌道敷内の自動車乗り入れ可を広島市では再度不可にするなど、県警が理解を示し後押しした。反対勢力は『広島の路面電車を守る会』なるものを立ち上げ、左巻き政党が介入し組織的な反対運動を繰り返し、75年の広島市長選では独自候補を立てた。うえき市長は、ひだりつばさ思想の右寄り政党推薦で立候補したが、保守政党公認候補など4人の有力候補者が乱立し、2度の市長選立候補で知名度に勝ったうえき市長が僅差で当選した。争点は地下鉄導入の是非で4人の候補者はのうち2人は導入賛成、1人は反対、残るうえき市長は立場を明確にせず『慎重論』を掲げた。事前の安芸新聞の世論調査でも『HATSⅡ案に賛成』25%、『広電を取り込む形での地下鉄実現(計画の見直し)』20%、『地下鉄建設自体に反対』23%、『どちらでもない』が30%となり、市民世論は掴みにくい状況となった。『どちらでもない』の支持が多かった理由に、
『広島の路面電車を守る会』が反対運動で盛んに喧伝した『広島市はデルタ地質なので地下鉄は掘れない』との真偽のほどが定かではない説がマスコミを通じて、市民に浸透したことが大きい。事実は『デルタ地質でも技術的には可能だが、コスト高になる』だが、情報が乏しいこの時代ではそこまでの理解に達している市民は少なかった。市長選の結果の2位以下は、2位『広島の路面電車を守る会』が擁立した候補者が、3位と4位に保守系候補者が続いた。市長選後も、地下鉄議論は収まるどころか沸騰し続けている。曖昧な先送りなど許されない状況で、身の処し方を誤れば賛成と反対の双方の陣営から政治責任を問われる。ただでさえ、市長選当時から『うえきさんは人柄は立派じゃが、東大出とは思えんほど仕事が出来ん人』(by 広島弁)、と政治能力についてうえき市長を疑問視する声が一部にあった。こんな発言をした連中の忌々しい表情が今でも忘れられない。見返したい気持ちが心のどこかにあった。

【歴史if世界その2】
苦悩するうえき市長 その2
しかし解決のヒントが舞い込んできた



画像4 上記のHATSⅡ案の地下鉄部分を鮮明にしたもの(画像 乗り物ニュースより)

 うえき市長は就任早々、『広島都市交通研究会』提言のHATSⅡを見直す『広島市基幹公共交通検討会(以下 検討会)を立ち上げた。委員に国、県、国鉄の関係者、都市交通の専門家、経済界、労働組合、市民団体の代表など各界のオールスターメンバーとも言えるそうそうたる面々を揃えた。初回から議論は紛糾して収拾がつかなくなった。経済界は広島百年の大計を以てフル規格地下鉄の必要性を声高々に論じ、労働組合と市民団体代表はフル規格地下鉄の非を叫び、路面電車を存続させ高速化させた西ドイツ(当時)やベルギーのシュタットバーン&プレメトロの事例を引き合いに出し、身の丈を超えていると反論した。市長選の熱気をそのまま、投影したかの姿がそこにはあった。検討会の会合は5回を予定されていたが、基幹公共交通(地下鉄など)の整備自体は是として、選定機種の在り方の方向性を決めることを最終答申とし、それを土台に新たな検討協議会を立ち上げ具体的な計画を作り直す腹案を持っていた。福岡、仙台市よりも随分と遅れるがここまで議論が紛糾すると、少々の遅れは止む無しと諦めていた。4年後の市長選まである程度の目途が立てば、問題なしとしていた。その一方で、HATSⅡ案を中国地方陸上交通審議会に上申し認可させたり、導入されたばかりの都市モノレール整備の促進に関する法律』(衆議院HP)にAGTシステムが適用されてことを受け、その可能性についても調査していた。あるゆる事態に備え、布石は打っていたのである。立場上、声を出すことは憚られたが、市長就任後、HATSⅡ案を完全に覚えるほど見たが、その実現性に疑問を持っていた。市交通局が受け持つであろう鯉城線は努力すれば建設は十分可能と考えた。問題は郊外線区間を受け持つ国鉄線(当時)だった。可部線の高架・複線化、芸備線の電化・複線化、そして中筋線を新設し可部、芸備両線を結び環状線にする。まずは頼みの国鉄が、大赤字で地方都市でしかない広島市に果たして投資する価値を見出す、いや投資可能な状況なのか?正直、疑わしい。しかも可部線は現在地では高架・複線化する余地がないので、まだ建設もされていない市道長束八木線へ移設するのである。実現するには、論理的な説明よりも市の窮状を総理経験がある地元選出の超大物代議士に訴え、天の声として運輸省(当時)と国鉄に無理やり認めさせるしか術はない。しかし、その超大物代議士肝煎りの候補者を破り当選したうえき市長には出来ない相談だった。建設費も概算では、鯉城線399.9億円、可部線と芸備線の改造費77.3憶円の計477.2憶円と弾かれてはいるが、その金額で本当に収まるのか?1.5倍は優にかかり、広島市の財政が破たんするのではないか?反対も相変わらず強く、市の財政が傾くかも知れない莫大な投資を市民が許すのか、そんな不安が根底にあった。


動画1 オランダのアムステルダムのトラム-5系統(低床車両)とシュネルトラム-51系統(高床車両)の乗り入れ動画(動画 ユーチューブ動画より)

 『反対者たちは路面電車の高速化させると息巻いているが、国の補助制度がなく(当時)市の単独事業で行えというのか?』と無責任に自己主張する連中に腹が立った。75年市人口は85.3万人で、一時の爆発的な増加ではなくなったが五日市町との合併も控え、100万人都市を見据えると路面電車並みの輸送能力で現在と将来の都市交通問題の解決につながるのか?この点も
路面電車の高速化だけでは、対応が不可能と感じていた。密かに調査しているAGTシステムも一長一短で、市北西部の交通渋滞には効果はあるが、広島の百年の大計を考えると、デルタ内&都心部の路線形成を疎かにしていていいものかの疑問が払拭出来ない。どの案も一長二~三短で、高い買い物に見合う効果が実に怪しい。うえき市長は就任から半年以上経過した今日でも、こんな自問自答を繰り返していた。3回目の検討会で、参考資料として西ドイツのケルンとシュトゥットガルトのシュタットバーン(今でいう地下式LRT)とオランダの都市アムステルダムで建設中のシュネルトラム(快速トラム 上記動画1参照)の事例を紹介された。シュタットバーンは、既存のトラム路線のネットワークを取り込む形で、鉄道&軌道線の相互乗り入れ例、シュネルトラムは完全新線の片乗り入れ-トラムシュネルトラム区間の乗り入れ-の、鉄道&軌道線の相互乗り入れ例の一つとして現地調査をした市の職員が説明した。路面電車は決して社会的役割を終えたものではなく、時代のニーズに合わせ再生すれば都市交通の中心をまだままだ担えること、地下鉄などの鉄道線との共存も十分可能なことを殊更強調した。職員の調査もうえき市長が就任直後に派遣したもので、調査都市も意図的に人口60~100万都市を選んだ。人口規模が少ない都市では、広島市の場合『論ずるに値しない』『小都市の事例では参考にならない』と一蹴される可能性があったからだ。後半に国鉄線の可部線と芸備線に関しての報告が国鉄関係者からとある報告があった。『同時の複線化が国民の厳しい視線もあり、財政的に非常に難しい』で、中筋線の新設も同様との事だった。『可部線について極力、要望に沿う形で協力したい』との言質を得た。


動画2 ケルンのシュタットバーン(ウィキペディア)の様子。68年からトラムの都心部地区の地下化(シュタットバーン)が始まり、路線㌔数245.7㌔、233駅(停留所)、12系統、1日平均利用者数57.0万人を誇る。車両はLRV車両だが、高床と低床の2種あり路線も区別して運用されている

 議論の途中、都市交通専門家の大学教授からある提案があった。それは、当面国鉄線の相互乗り入れを
可部線に絞り、路面電車に対する市民感情に配慮して基幹公共交通路線に乗り入れることを検討してはどうだろうか?である。実例として市の職員が紹介した資料として手渡されていた委員は、聞き入る様に耳を傾けた。フル規格地下鉄のHATSⅡ案と路面電車の高速化を旨とする主張との折衷案で落としどころとしては、最適なもので第3の案としては俊逸だった。この委員は、アメリカやイギリス、フランスといった路面電車を全廃した国々の都市交通政策にも精通していたが、同時に廃止にせず高規格中量輸送機関として昇華させたドイツやベルギー、オランダの都市交通政策にも精通していた。これを範とすることで、広島市の都市交通問題を解決を図るべきと力説した。この論説に労働組合、市民団体の代表は諸手を挙げ賛同し、経済界代表も賛同こそしなかったが沈黙した。行政の代表は、賛否は表明こそしなかったが表情を窺う限りでは、賛意を表明しているかに見えた。検討会の空気はこの回を契機に、方向性の指針らしきものが示されそれに流れていくこととなる。当時の都市交通モデルは日本国内では東京と大阪。海外ではニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、パリ。巨大都市クラスを参考にして広島市の需要に沿ったものが構築出来るのか、との疑問も投げかけられた。2000年人口を130万人とした場合、地下式鉄・軌道系公共交通に必要性は論ずる必要がないほどだが、導入可能な路線は限られより多くの郊外路線を地下鉄区間に取り込み、効率性の高いシステムの確立が求められた。この大学教授こそ、うえき市長の意を汲み含まされて検討会の世論を誘導する役目を担い、マリオネットになるべく送り込まれたヒットマンだった。日本の都市交通事情しか知らない多くの委員は、路面電車が地下区間を走行する姿を見せられ、度肝を抜かれていた。デザイン性に優れ自動車に邪魔されず、快適に走行する姿は初めて見る側には頭をトンカチで殴られたほどの衝撃だった。中国運輸局の担当者もその場にいたので、それに対するデモンストレーションの意味合いも当然あった。あちらの国々では、モーターリゼーションで苦境に追い込まれた路面電車(トラム)を、使い物にならくなったとしては日本の都市のように廃棄し新しいシステムをゼロから構築するのではなく、どうすれば使うに値するものになるのかを考えた。そもそもの発想点が違った。この検討会の様子を逐一、報告されていたうえき市長は『我が意を得たり』とばかりにほくそ笑んだ。75年の秋の出来事で、『昼行燈』と議会の保守系議員や一部市民と職員から小馬鹿にされていたうえき市長が、徐々に隠していた爪を見せ始めていた。この男は虫も殺せぬ風貌ながらも、したたかな一面も併せ持っていた。
 
その2へ続く

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