20年度広島市当初予算案について 

【考察その8】
被爆・平和関連の諸政策について


画像1 中区平和記念公園内にあるレストハウス。1929年に大正呉服店として開業した(ひろたびより)

平和記念公園レストハウスの改修3億9,609万円(被爆75周年記念事業) 
 
平和記念公園にあるレストハウスは18年2月を以って回収のために閉館していたが、20年7月1日の再オープンを目指し、改修の仕上げに入る。公園一帯に原爆投下前まで広がっていた繁華街・旧中島地区の町並みを再現した模型(下記画像2参照)や映像、写真などを3階に展示する予定。レストハウスは、1929年『大正屋呉服店』としてオープンし、43年末閉店した。原爆投下まで、広島県燃料配給統制組合として利用されていた。被爆後も戦前同様の使い方をされていたが、57年には広島市に買収されて『東部復興事務所』となった。さらに82年に改装されて市観光協会の事務所となり、『レストハウス』と名称を改め現在に至っている。旧日銀広島支店同様に被爆前、被爆当時の姿を原形のままとどめている。94年に『老朽化が進行し現状保存ではレストハウスとして使用できない』とする調査結果が出たことから、当時の平岡市長は、地上部分を取り壊しレストハウスを新築、地下室のみを保存するという構想を打ち出した。市民団体は一斉に反対したが、平岡市長は方針を変えなかった。さらにユネスコ文化庁も改修に反対。特にユネスコは、レストハウスを含めた平和公園一帯は世界遺産である原爆ドームの緩衝地帯であるため現状保存させるべきと意見し、更には建て替えるのなら原爆ドームを世界遺産登録から外すと仄めかした。平岡市長は99年までの計画延期を発表した。その後、市の財政難や観光資源として活用すべきの意見が主流となり、計画そのものが立ち消えた。ブログ主は、これについてはユネスコや文化庁の意見が尤もだと考える。こうも簡単に歴史的遺構物を破壊する感性が理解出来ない。とにかく財政難が幸いして破壊が免れて良かったと思う次第だ。


画像2 被爆前の旧中島町(現平和記念公園)の様子(画像 ウィキペディアより)

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画像3(左) 世界遺産の原爆ドーム周辺のバッファーゾーン(建物高さ制限)図
画像4(右) 拡大図 平和記念資料館と原爆死没者慰霊碑を視点場とした視野角18度の眺望景観範囲(オレンジ色部分) 画像3と4共に広島市HPより

②景観行政の推進 事業費 1,926万円
 これは、原爆ドーム及び平和記念公園周辺の南北軸線上の眺望景観(上記画像4、下記画像5参照)の保全・形成を目的とした規制誘導制度の導入に向けた取り組みのことだ。
眺望景観とは、ある視点場(景観を見る地点、展望台など)から視対象(眺められる対象物、山や海など)を眺望したとき視覚で捉えられる景観をいう。 通常はかなり広い範囲が眺望の対象で、遠景(遠くに見える景観)、中景(遠景と近景の中間に位置する景観)、近景(視点場の近くに見られる景観)から構成される。都市景観に関して日本とは比較にならないほど厳しい欧州の都市では、古くから着目され数多くの都市で、眺望景観保全を目的とした景観計画が導入されてきた歴史がある。近年、日本でも都市景観も都市インフラの一つ、都市のブランディングに有効との考えが浸透し始めた。確かに画像5の角度での景観は醜悪な広島商工会議所ビルなどがあり、台無しにしている感がある。ブログ主が旧市民球場跡地にスタジアムは必要ないと考えるのはこれも理由の一つだ。これはカープの場合も同様だ。『都市景観では経済が発展しない』などの考えは、高度&安定成長期のエコノミックアニマルそのものの発想で、民度の程度が疑われる。それとこれは別の問題なのだから。で、20年度は規制に向けた準備をするらしい。広島商工会議所は、市営基町駐車・駐輪場跡地一帯再開発ビルへの移転を表明しているが、例の教団ビルや護国神社の駐車場ビルなどがまだ残る。時間をかけ、立ち退き交渉をするのかも知れない。都市景観は一度壊すと、最低でも数十年は元に戻らない。そして今の世代だけではなく、次世代にも継承する義務がある。その時代だけの都合だけで壊してよいものではない。都市の顔にも相当する場所なので、慎重に取り扱ってもらいたいものだ。

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画像5 広島商工会議所ビルなどを取り除き、平和記念資料館本館下からの視野角18度の眺望景観図(画像 広島市HPより)

【考察その9】
社会保障費や障害者政策など



画像6 数十年後には本当にこんな時代が来るのだろうか?(画像 かわいいフリー素材集いらすとやより)

③障害者の雇用促進事業 事業費9,485万円
 市長部局や本市の関係公益的法人等において知的障害者や精神障害者を会計年度任用職員として雇用し、働く場を確保するとともに、ジョブコーチによる就労支援を行う、としている。なぜ、知的&精神障害者だけが対象なのか?と思うかも知れないが、身体障害者と比べ低い就業率と低賃金に喘いでいる現状がある。現在、国が定める障害者の法定雇用率は、一定規模の民間企業では2.2%、国と地方公共団体2.5%。21年度からはさらに0.1%ずつ上がる予定だ。障害者をざっくりと区分すると、身体、精神、知能の3種に分けられる。2.2~2.5%の枠を障害内容ごとに割り振っているのではないので、障害者雇用の中心は軽度で障害固定の身体障害者に偏る。雇用されやすい理由として、戦力として最低限の計算が出来ることがある(と思う)。逆に精神&知能障害者が敬遠される理由としては、まずは根強い偏見、コミュニケーション能力の欠如(雇用側の判断)が根底にある。これは差別というよりは障害内容の根幹に係る問題かつ、労働の本質の問題とも密接にシンクロしているので難しい問題だ。国が必要と認める合理的な配慮が雇用側の不利益とがイコールになる場合が多い。綺麗ごとを語っても現実はそんなものだ。ただ、共生社会の実現の大きな支障にはなる。結局、就労機会が少ないと生活保護などにたどり着くしかない。20年度当初予算案では、市長部局や本市の関係公益的法人での職員として採用やジョブコーチによる就労支援が予算化された。ブログ主はバラマキ型の福祉政策よりも職業訓練などの支援を行う形の政策の方が、回り道だが精神&知能障害者の利益につながると考える。結果的に障害者全体の社会的地位向上にも浴する。他には就労セミナーを回数を増やしたり、法定雇用率を厳守していない企業に雇用を働きかけるなど積極的に取り入れて欲しいものだ。


画像7 各障害者の雇用形態別の月額賃金(画像 内閣府HPより)

④障害者差別解消に向けた取組 事業費682万円
 ブログ主は障害者歴が丸7年、8年目に突入した。ネット世界では、おバカなアンチ的なブログコメント者に差別的発言をされたことは過去に何度かあったが、現実世界では一度もない。例の難病のせいで障害者になったのは残念ではあるが、割り切れば良い時代に障害者になったのかも知れない。差別も受け取り側の問題も大きく、露骨なものを除けばその定義が割と難しい。ネットの世界を俯瞰すると、差別がなくなっていない現状を当事者発信で垣間見てしまうが、その大半は受け取り側の問題だと考える。はっきり言えば、受け取り側の被害者意識が過剰なのである。そんなブログ主でも、少しイラっとしてストレスが溜まることがある。それは、相手側は(差別主義者のレッテル回避のため)、過剰な言葉の装飾と言い回しをするケースだ。度を越すと何が言いたいのかが分からなくなる。ここまでの話は、あくまでも表向きのことで本音レベルではどう思っているのか分かったものではない。究極の差別がない世界とは、今説明したことをお互いに自然の状態でしないことが理想だ。まあ、数十年後にそんな時代が来れば言うことはない。20年度当初予算案では、『市民・事業者への周知・啓発』『職員研修の実施』『障害者差別解消支援地域協議会の運営』『相談窓口の運営』の個別事業が予算化されている。さすがに人権意識が高まった21世紀のこの時代に、露骨なものはない。ないが、理解不足による小さなものはまだまだ多く、完全になくなったとは言い難いのかも知れない。差別解消の歴史は人種(民族)、身分(階級)、女性(性別)がありそれぞれ取り組んできた。完全になくなることは、絶対にないと思うがほぼ解消された(と思う)。障害が後に続き、現在解消の過程にある。人の心に埋め込まれたものはそうは容易くは消せないが、啓蒙活動などで差別解消の努力を率先して続けることは大事だと思う。

⑤生活困窮者の自立支援 事業費2億2,014万円

 生活困窮者とは、ワーキングプア(非正規就労就労者など)や、傷病者(障害者など)ホームレスを一般的には指す。年収の括りでは『0~200万円台』を指すのだろうか?ブログ主の感覚では、心身共に健康な状態で真面目に頑張って、中年以上でこの収入なのは正直驚きで支援の必要性を強く疑うが、現実には一定数存在し将来の『8050問題予備軍』『生活保護予備軍』だったりするので、将来の社会保障費高騰の憂いを減らすための事業の一環だと思っている。国の事業(厚生労働省HP)の追認政策だが、市負担も8,243万円と決して少なくはない。8050問題で言わせてもらうと、いじめ問題に端を発したなか中~高年者の引き籠りと定義している。これは、例えば引き籠りでなくても未婚で自宅住み-パラサイトシングル-で、就労している場合もこの問題に直面する。父親の介護は年齢的に母親がする(自宅介護の場合)だろうが、最後に残った母親の介護はパラサイトの子どもがする。となると、就労先をやめざる負えなくなり、さらに困窮する構図になる。既に他界した父親の遺族年金だけが唯一の収入源となるからだ。こうした家庭の場合、貧困の世襲ではないが介護施設に入居させるほどの余裕がなく選択肢が殆どない。ここの部分だけをクローズアップすると、行政の救いを差し伸べる必要性を感じなくもない。ただ、冷静に考えてほしい。そもそも論として彼らが窮地に陥ったのは自己責任だ。制度そのものはセーフティーネットとして必要だと思うが、対象者をもう少し絞った方が良い。重い障害を持つ故に健常者と同じスタートラインに立てない人々の支援や、制度は違うが貧困家庭に生まれ就学の場が大きく制限される子どもたちの救済-給付型奨学金制度の拡充など-に充てた方が、費用対効果も高く、将来の生産性の高い労働者の発掘にもなる。言いたいのは上を向いて生きようと努力する人たちの支援に限定するべきだということだ。努力しても全く報われない社会は、閉塞感のみ漂い、国力を失う。

終わり

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