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【述懐その1】
封入体筋炎を発症して丸12年 その1
思えば、あっという間の12年だった



画像1 筋ジストロフィーデュシェンヌ型の進行レベルの障害分類 拡大図 封入体筋炎と進行状況が似ているので参考として用いる。20年現在のブログ主はこの表のステージⅣ、ただし条件付きで椅子からの起立は可能(画像 『国試塾リハビリアカデミー』中島塾長のブログより)

 19~20年冬シーズンも数年来の暖冬で鬼門の筋肉の硬直、関節拘縮など特有の現象が殆ど見られなかった。特に酷かった2年前シーズンを思い返すと夢のようだ。体調の状態がメンタルの健康に影響を受けやすい身の上なので、本当に結構なことだ。ないとは思うが、来シーズンもつい期待してしまう。今年の1月から、中国の武漢市で発祥した新型コロナウイルスの猛威が日本全土を席巻している。生物兵器を使用されたかのダメージで、国の経済はズタズタに引き裂かれている。現時点では特効薬はないらしいが、未知なるウイルスに一喜一憂している様の健常者たちを見ていると、湿った悦を感じる自分がいる。典型的な屈折思考で忌むべきことだが、自然に湧く感情なので抑えようがない。他言は時節柄絶対に出来ないが、心のどこかで『いい気味』&『ざまぁ、見ろ』とほくそ笑んでいるところがある。他人の不幸は最大の快楽だという人がいるが全くその通りだ。多くを書くのもあれなので割愛する。今年の4月で筋疾患発症13年目、丸12年が経過した。当時7歳だった息子が、今や4月から大学2年生になる。月日の経過は本当に早い。40.5歳での若年発症で封入体筋炎の平均発症年齢64.4歳(50歳以上の説もあり)を考えると随分と若い時の発症になる。こんな年齢で発症して本当に困るのが、子育て(発症時息子は7歳)と終活(人生の最後に向けた諸準備)をほぼ同時進行でせざる負えないことだ。子どもは人生の選択肢が多く増えるであろうそこそこのレベルの4年制大学に入学させ、卒業させてそこそこの企業に就職させ、生産性の高い人間に育てないといけない。この疾患発症で残された時間が平均20~25年、寝たきり生活が15年程度なので就労可能な時間は、最短で5年、最長で10年前後と勝手に逆算し、預貯金計画を立てた。60歳で死去すると家内はまだ52歳、65歳でも57歳で家内世代の女性が、高齢者になるであろう2050~60年代には、平均寿命が90歳の大台に乗るので、ブログ主の死後33~38年は生きる計算になる。因みにブログ主と過ごした時間よりも少し長くなる計算だ。


画像2 父親のアドバイスをよく聞く男の子
(画像 かわいいフリー素材集いらすとやより)

 試算と言っても厳密なものではなく、単身女性の月々の生活費を25~30万円必要としてブログ主の厚生年金の遺族年金(厚生年金の約75%)をまず計算。その後、現行の支給水準の80%、60%、40%に引き下げられた3パターンで試算した。遺族年金以外の収入として、実家絡みの不動産収入と結婚当初から掛けている民間金融機関の個人年金(終身年金)も加味して、差額で必要となる金額の合算額の1.2倍程度を就労が不可能になるまで貯蓄しようと当時は考えていた。元々、同世代のサラリーマンでは考えられない金額の預貯金額を既に持ってはいたが、『備えあれば憂いなし』『金は人生の終盤まで持っていた者勝ち』が信念なので、ストイックに極めようと考えた。基本生活費は全収入額の30%以上、40%以下に抑えそれ以外は全て預貯金に回した。多くの選択肢がある中で進んで低所得者の人たち並みの生活をするのと、選択肢がない状況でのそれとは精神的な余裕がまるで違う。『貧すれば鈍する』が一番怖い。途中で障害年金受給というラッキーなアクシデントもあり、計画は2年前倒しで達成した。しかも途中で上方修正してだ。20年3月時点でも就労し、終活時代の貯蓄計画並みの金額が勝手に残っている。退職しても何の問題もないが、将来の遺族年金の増額のためとやることがなくなるので、それで就労を続けている。子育ても同じぐらい大事だった。正直なところ自虐視点ではないが父親の役割を冷静に俯瞰すると、生誕当初から小学校低学年ぐらいまではあまり重要ではないと思う。母親との関係性が深過ぎて父親は、給料配達人&お出かけの際の運転手と荷物係ぐらいしか役に立たないと思う。しかし、子どもが十代に差し掛かると父親の存在が俄かに大きくなる。子どもの精神的な成長に大きく係ると考えるのだ。父親は仕事で子どもは学校、学習塾、スポーツ少年団などで忙しく触れ合う時間は減ると思うが、反発しながらも父親の生きざまを見て育つものだ。それを何となくだが分かっていたので、闘病生活で毅然と振る舞う強い父親を息子の前では演じようと決めた。少なくとも息子の前では泣き言や弱音は吐かない、を実行した。今現在もそれは続けている。その成果は定かではないが、反抗期のエネルギーはブログ主へは全く向かず、息子を深く愛して止まない家内に向けられていた(笑)。

【述懐その2】
封入体筋炎を発症して丸12年 その2


画像3 いきなり転落人生に落ちた男性(画像 かわいいフリー素材集いらすとやより)

 筋疾患発症当時の08年春~秋にかけてこんな割り切った考えにはまだ至っていなかった。降ってわいた大災難、夢でも見ないような信じ難い現実を受け入れるのに必死だった。それまでは会社の健康診断でも検査項目の異常はなかったし、インフルエンザはおろか風邪一つひいたことはなかったのだから。親類縁者に筋疾患患者は当然いないし、神経難病患者すらおらず宝くじの上位賞に当たるぐらいの確率でこの厄介な疾患を発症した。気分的にはいきなり、漫画の世界でよくあるような地面にいきなり穴が現れ谷底の突き落とされた感じだった。未練なく現実を完全に受け入れ、前を向いて人生の再設計をしようと決断したのは、08年末~09年初頭だった。それまでの自分のことばかりを考えていたことを恥じたのである。そこに至るまでは、メンタルを壊れそうになり健康を害する2~3歩手前まで追い込まれたり、大学卒業後から追いかけていた自分の夢を断念するのに抵抗を感じたり、死の恐怖など色々と複雑な思いが強く残り駆け巡ったが、未練は一切絶った。同じ筋委縮を伴う別系統の疾患のALS(筋萎縮性側索硬化症)やステージⅢ以降の癌などよりは進行自体、緩やかで時間は割と残っているとポジティブに考え直した。さすがに闘病生活前半期での進行を感じた時の恐怖感は例えようがないくらいのものだったが、それも数度続くと克服ではなく慣れた。それまでは、家族サービスも限られた時間で心掛けていたが、さらに心掛けるようにした。寝たきり後の将来に備えての下心も多少あるが、仕事一辺倒だった人生を見つめ直した。結局、人間が帰る先は自分で築いた家族の元しかない。自分でいうのもあれだが、家内と息子との関係性を見ても実家でのそれよりも何倍も良い。幼少期の頃を思い出すと、如何に父親と子どもとの関係性が大きいのかがこの点からもよく分かる。時折、厄介な疾患発症などで家族関係が壊れた話を聞く。それは疾患発症が直接の原因でそうなったのではなく、以前から表面化しない火種がくすぶり続け、疾患発症がきっかけとなりその火種が大きくなっただけと考える。ある意味、因果応報だろう。


画像4 08年から通院している広島大学病院(画像 ブログ主撮影)

 担当医曰く若年発症ということも手伝い進行はかなり緩やかとのことだが、この12年で進行して日常生活障害も増えた。最初はミトコンドリア脳筋症という疾患名だったが、発症4年目(11年)冬に現在の封入体筋炎(難病情報センター)に変わった。その翌年の2月に体幹機能障害5級の身体障害者になった。13年夏にはさらに進み同障害3級になった。発症当初の障害は今考えると、当時は悩みの種だったが軽微なものだった。この1~2年は小康状態とはいえ、整えられた生活空間でしか生活できなくなった。考えも健常者時代、嫌健康体時代と基本的には変わらないつもりだが、『人間のコアの部分は健全な頭脳とメンタルであり、これが人たらしめている。身体の障害など大きな問題ではない』とも思うようになった。確かに健常者のカテゴリーから障害者カテゴリーへとランクダウンした感は本音では否めないが、世間平均以上の経済力と
人間のコアの部分である健全な頭脳とメンタルさえ維持できれば、必要としない同情も差別も受けることはまずない。そして、個人及び家族の尊厳は守られる。この2つのうち1つでも欠ければ、表向きの言葉や態度は別としても内心では軽侮されるに違いない。これを現在の状態-重度障害数歩手前-で、維持し続けるにはかなりの努力が必要だ。上から目線になるが、人並み以上の能力や運、そして家族のアシストも必要になる。この維持がブログ主の闘病生活の中心でもある。肝心の疾患は、残念ながら未だに完治させる特効薬もなければ、進行を止める薬もない。無の状態から治験を経て、患者に届くまで最低10年はかかる治療薬の開発は現時点では皆無だ。可能性もほぼゼロと見ていいだろう。諦めの境地かも知れないが、淡い希望的観測のような感情論ではなく、論理的思考を駆使すれば結論はそうなる。同病患者の99.9%はそう思っている筈だ。現状維持をどれだけ延長できるのか?これが現実的な選択肢だ。特にこれだという術はないのだが、そこに主眼を置かざる負えない。逆算すれば、順調(?)に進めば残り15年程度、進行が遅いことを考慮すれば20年程度の残された闘病生活をどのように過ごすのか?ブログ主の大きな課題だ。金銭的な終活も終わり、息子もそれなりのコースに乗った。この2点は余ほどのことがない限り、揺るがない。ようやく、ブログ主の闘病生活に専念できる環境が整った。発症~ラストまでの全体を俯瞰すれば、闘病生活は中盤戦~後半戦に差し掛かっている。これからが本番だ。いかなる状況に追い込まれても揺るがない信念を持ち続け、対処したいと考えている。肉体は封入体筋炎のせいで人よりも早く滅んでも、近親者の心の中で生き続けることは十分可能だ。その生き続けるためには、生前のたゆまない努力が求められる。自己陶酔の世界の話になるが、その挑戦にかつての夢よりも大きな興奮を覚え、やる気になっている自分を褒め称えたいと思う。そんな人生の大きなテーマと比べ、日本や広島の将来など些事というかそよ風程度の出来事でしかないと思う。ブログ記事などは所詮、ネット内でのネタでしかないし今日の記事がブログ主の正真正銘の本音だったりする。

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