【近況その1】
失われた26年からようやく解放された妹 その1
元夫のせいでどれだけ周囲が迷惑した事か・・・




画像1 離婚届。紙きれ1枚で人生は大きく変わる(画像 『鈴鹿市HP』より)

 ブログ主には2学年下の妹がいる。幼い頃よりブログ主よりも勉強がよく出来て、両親の自慢の娘だった。妹は国立大学の付属小学校からそのままエスカレーター式で高校まで進み、現役で福沢諭吉大学に、一方のブログ主は劣等生で地元の公立の小学校、中学校、区内のそこそこ賢い公立高校に進学し、大学は一浪してようやくおバカな左翼が多いあほ~せい大学に進学するというダメぶりだった。そんな超優秀な妹だが周囲が絶対に理解出来ない性癖(?)がある。それは、男を見る目がないというか、ダメンズ(ダメな男)を好むのだ。それも、その辺の男をランダムに100人以上集めても、他の追随を許さないくらいのハイパーロースペックな男を若い頃から好む。直接の離婚原因は元夫の2度目の浮気発覚である。1度目の浮気は、今から12年前、ブログ主家族が正月に実家に帰省していた時だった。当時はブログ主も喫煙者だったので、タバコを吸いに屋外に出た。するとこの大嫌いな妹の元夫が、すかさずやって来た。『こいつウザイな』と内心思いながら、タバコを吸っていると何を思ったのか武勇伝を語るように『実は私、今浮気をして外に女がいるんですよ』と語り始めた。後で妹と母親に告げ口してやろうと思い、誘導尋問をすると馬鹿なので、相手の名前、年齢、住所、職場の部署などありとあらゆる情報を教えてくれた。先に吸い終わったので、いち早く居間に戻り妹と母に『〇〇さん、浮気しているらしいぞ』と言い、聞いた情報全て妹に伝えた。5分後、その元夫が居間に戻ると鬼の形相で妹が立ち上がり、『あなた、よくもそんな顔で浮気なんかできたものね』と罵り元夫に近づきいきなりビンタを食らわした。その後は、元旦早々実家は修羅場と化し、中々の余興になった(笑)。ブログ主は大笑いを堪えるのに必死だった。他人の不幸話は本当に蜜の味だ。本人曰く『男が浮気をするの当たり前で甲斐性のうちだ』と嘯くが、そんなに威張るのであれば、『妻を養える給料を貰って吐け』と思ったりする。この時は2度としないことで妹と母の許しを得たが、元夫の両親もさすがこのろくでなしの親だけあって、『嫁なんだから、むしろモテる夫を誇りに思え』と息子を怒るどころか妹を責める始末だった。それから約12年、2度目の浮気が露呈して遂に離婚となった。通常、浮気調査は、興信所に依頼して慎重に調査して証拠を掴むものだが、さすが馬鹿だけあって最近、部屋で長時間スマホをいじり始め、結婚後一度もしたことがない友達と旅行に行くなどと言って外泊するようになり、怪しいと疑うようになったらしい。風呂に入っている隙に元夫のスマホを覗くと、浮気相手とのホテルでのベット上でのツーショット画像などが100枚近くあり、LINEでの仲睦まじいやり取りも数多くあり、全て妹のスマホやプライベートPCに送り、労せずして証拠を掴んだ。元夫は18年に妹と同じ某地元百貨店に勤務していたが18年にリストラに遭い、その後は派遣社員として、働いていた。相手は30代後半の2人の子どもがいる既婚女性で、同じ派遣会社で同じ派遣元で働いていたらしい。そして、妹は相手の住所を元夫から聞き出し、画像とLINEのやりとりをプリントして浮気相手の家にまで送付したらしい。自宅電話番号も押さえていたらしいので、逃げようがなく、双方ともに離婚の話し合いを弁護士を通じて、行われた。慰謝料は、元夫と浮気相手の女性に合計600万円請求し認めさせた。子どもが居ないので養育費はなし。財産分与は、殆どなく妹は元々、亡き父が他界した時に相続した現金遺産、妹の個人の預貯金しかなかったのでこれもなし。元夫は、これを半分寄越せと足掻いたが、無駄になった。で、実はこの元夫、人間的に非常に問題が多い人物だった。


画像2 妊娠14周目(4か月)頃の胎児の様子(画像 『All About』より)

1 妹の最低元夫のトラブル一覧 その1
①『謎の学歴マウント事件』 96年6月
 ブログ主と元夫との出逢い(笑)は、96年6月だった。妹が結婚すると聞き、当時住んでいた東京から帰省をして挙式に家族として参加することになった。前日に実家に戻ったが、挙式前日なのに稲の空気があまりよくない。まだ、元気だった父は終始不機嫌で母もあまり嬉しそうではない。父とブログ主は犬猿の仲なので母にそれとなく聞くと、妹の結婚相手に不服があるようだ。前日になっても『あの男は、〇〇に災いしかもたらさない』と父が言っているとかと聞いた。俄然、相手に興味が湧いた。で、1時間後妹と元夫がやって来た。初めて見て驚いた。外見は人間と両生類のハーフ。身長は160㌢前後とかなり小柄。180㌢のブログ主からは頭のてっぺんがよく見えた。すると30歳になったばかりなのに、毛髪が河童状態、しかも小太りで、40代に見えた。『なにこいつ?』が正直な感想だった。『あいつもゲテモノ好きだな』と思った。たまたま2人きりになる状況になり、会話をした。すると自慢話が始まり、『自分は幼い頃から勉強がよく出来た』だの、『仕事には自信がある』『僕は名門百貨店勤務ですから』と言う。内心『どうせ、地元の国立大学卒の輩で、世界で一番優秀と勘違いしているのだろう』『いるよな。こんな『井戸の中の蛙、大海知らず』
馬鹿が』と内心思ったが、話が進むうちに驚愕の事実が明らかになる。彼は大学卒ではなく、専門学校卒だった。で、『お兄さんは、勉強があまり出来なかったのでしょう?』と聞かれ、答えるのもばかばかしくなったが、『一応、あほ~せい大学法学部卒で、現在は都市銀行の〇〇銀行の本店勤務です』と水戸黄門の印籠代わりに言ったのだが、出身大学もその銀行名も知らず、世にも奇妙な表情をしていた。その会話の後、両親に『あれ、結婚したらすぐに離婚させた方が〇〇の幸せになる』に両親に言うと、妙に頷ていた。

②『不妊事件』98年頃
 妹夫婦は、世の夫婦同様に結婚2年目から子作りを始めた。しかし半年たっても妊娠の兆候はなかった。初めて1年経ってもまだ妊娠しない。その辺りから元夫とその両親の妹への風当たりが酷くなる。あろうことか、3人セットで妹を責め始めた。『いくら美人で、仕事が出来ても子どもを産めない女など欠陥品だ』と言葉汚く罵り始めた。差別用語の『石女(うまずめ)』も使った。そして元夫の両親がブログ主の実家まで押しかけ『そんな欠陥女をよくも嫁にくれたな』と怒鳴り込んでくる事態にまで発展、土下座と慰謝料の理不尽な要求までしてきた。妹は少しメンタルを病みかけたが、やはり賢かった。自分の親族には父方も母方も結婚して子どもがいない夫婦が居なかった。しかし元夫側には多くはないが居た。そこで嫌がる元夫を産婦人科医院に連れて行き、2人して検査を受けた。すると妹には何の問題もなく、元夫は無精子症であることが判明、診断書を2部書いてもらい、元夫の実家に送り付けた。そして次の日、元夫を家から追い出し実家に返品した。母と妹の怒りは凄まじく、あちらの謝罪を完全拒否。冷戦状態になる。1か月後に元夫とその両親が土下座して謝罪、そして妹が離婚届けを書き、妹側の証人は母とし、その場で元夫にも書かせ、元夫側の証人は父親として『次にこのような事があればすぐに提出します』と脅し、騒動は収まった。その後、その元夫の事を隠語で『勘違い種なし野郎』と呼ばれるようになった。

③『自分の分も寄越せ事件』 99年8月頃
 妹の結婚が96年6月ぐらいで、父は97年前半に持病の糖尿病の悪化、複数の合併症を発症し、98年頃からほぼ寝たきりになった。父の介護は母1人でやり、同居している妹夫婦は家事と介護は全て母任せ。さすがに妹は休みの日は家事をしていたが、元夫は男尊女卑思想が強く一度座ったら、トイレと風呂の時にしか立ち上がらない。脱いだ服はそのまま放置。休みの日でも父が病院通院日であっても、何一つ手伝わない。母が応援要請をしても完全無視。『なんで男の僕がそんなことをしないといけないんですか?』と不貞腐れる始末。母が『あなた暇でしょ?』と声を荒げると、『更年期障害ですか?』と半笑いで嫌味を言う。地獄の閻魔大王よりも怖い父が寝たきりで障害者になり、自由を得た元夫はマスオさん状態の分際で一家の主のように振る舞い始めた。元夫は学習能力が極めて低く、半年もすれば過去の事件を忘れる。99年8月に父は危篤に陥った。父は正常な判断が可能な96年後半ごろに既に遺言書を作成し、預貯金や株式、経営していたアパートの配分を取り決めていた。妹にも当然父が定めた比率での配分を妹名義の口座に振り込む手筈していた。ただし書きで『〇〇の口座には絶対に入れない事』の一文があった。金に汚い元夫の本性を父は見抜いていた。そして勝手に書き換えられないように金庫に保管、その管理を母にさせた。その経緯は元夫は知らない。父の危篤を知りブログ主も急遽、広島に戻った。他界するまで10日ぐらい時間がかかったが、毎日父の病室に行き最後に備えた。父がベットに横たわる状況で、元夫は信じられないことを口にした。『お兄さんはずるく、お金に汚いですよ。これまで病気のお父さんを助けていたのは自分です。よって、お兄さんは相続放棄をして、その分を僕に寄越すのが当然です』と言ったのだ。ブログ主はブチ切れ、気が付くと殴りかかっていた。母と妹に剥がされことで収まったが、元夫は恐怖で失禁し、涙を流し試合後のボクサーのような顔で『ゴメンなさい』ばかりを繰り返した。父は、会話が出来る状態ではなかったが、耳はまだ聞こえている。まだ生きている父の横でそんな話をすること自体不謹慎で、あり得ない。妹が機転を利かせ、『分かっていると思うけど、警察に被害届を出したら即離婚ね。ホント欲だけは人の何倍もあるのね』の一言を言ってくれた。その後しばらくは、元夫は借りてきた猫のように威張らなくなった。因みに元夫には相続権など法律上、存在しない。法律で定められた割合も、遺言書のそれが優先される。


画像3 遺産相続の争いは、いつの時代も変わらない
(画像 『かわいいフリー素材集いらすとやより』より)

【近況その2】
失われた26年からようやく解放された妹 その2
まだまだ続く・・・


画像4 人生最大の至福の時(画像 『著作権フリー画像素材集』より)

2 妹の最低元夫のトラブル一覧 その2
④『御祝儀2万円事件』 00年9月頃
 00年2月、ブログ主は広島にUターンした。再就職した広島の金融機関本店で妻と出逢い、妻の言うところの『運命の出逢い』、ブログ主は『運命の人』だったらしい(笑)。出逢って2週間で付き合い始め、半年後の8月に入籍、9月に式を挙げた。事件はその時に起きた。96年6月の妹の結婚式には、御祝儀として兄の威厳を示そうとして10万円を包んだ。一般常識として、身内なので等分返しが当たり前。不法な要求と思うかもしれないが、夫婦共働きで、夫婦の合計年収は800万円以上。5万円ずつ包めば問題はない。しかし、妹夫婦が包んだ額は何とたったの2万円。怒りが湧いたが、お目出度い場でお金の話はタブーと思い、口にするのは我慢した。楽しい新婚旅行から、戻り実家に土産品を渡そうと立ち寄った。元夫の顔を見ると、怒りが蘇り『〇〇さん、香典たったの2万円、有難うございます。あなた達の時は、10万円も包んだのにこんな意趣返しをされるとは、驚きました。でも助かります』と母、妻、妹夫婦が揃う場で丁寧かつ爽やかに嫌味を言うと、母が驚き『あなた達、それだけしか包まなかったの?』と聞き返した。すると元夫は、『僕はきちんと返そうと言ったのですが、〇〇さんがこれでいいと言ったので』と小さな声で言い訳をする。横に居た妹がキレて『それ逆。あなたが『バレやしないよ』と言ってそうしたんでしょう』と言い返した。すると元夫はバツが悪くなり自室に引き籠った。妻は袖を引き『〇〇さん、あまり虐めたら可哀想だよ』と気配りを見せるが、ブログ主は『こういう奴にはこれぐらいが丁度良い。実家に来る楽しみ(義理弟弄り)が増えた』とほくそ笑んだ。元夫は、『お兄さんから亡くなったお父さんみたいな恐怖を感じる』とこぼしていたらしい。

⑤『2人目はまだですか?次は女の子をお願いします事件』 05年頃
 息子が誕生したのは、01年2月でブログ主は満33歳、妻は25歳だった。当然、2人目を作ろうと思い、02年、もしくは03年前半の出産を視野に入れ励んだ(笑)。しかし、待てど暮らせど妊娠の兆候はなく、夫婦共に悩んだ。妻に至っては自分を責める始末。ブログ主は内心『普通に考えて、俺の加齢が原因?』と思っていた。どこかの馬鹿のように妊娠しない理由を一方的に押し付けたりしない。妻には『俺が悪いのかも知れない』と言い、慰めた。しかし、親族からの2人目圧力は年を追うごとに強まった。妻の兄弟は、2歳上の兄と2歳下の弟だが、未婚、ブログ主の兄弟は妹だが説明した状況だったので、妻の義理両親、ブログ主の母親からすれば息子が唯一の孫になる。会うごとに『2人目はまだなの? 〇〇ちゃんも兄弟が居ないと寂しい筈よ』と言われるが、こればかりはどうしようもない。義両親や母に言われるのはまだしも、妻の兄や弟、妹夫婦に言われるのは正直、腹が立った。『子どもが欲しけりゃ、じゃあ、てめえらが作れ』と。妻は増々、自分に問題があると思い込み、焦燥し切った。『一度検査しに行こう』と言い息子が生まれた産婦人科医院に通った。検査の結果、2人とも問題なしで増々、謎が深まる。妻が精神的に病むのもさすがに拙いと思い、『まあ仕方がないよ、気長にやろうぜ』と言葉をかけると、妻は『うん、分かった』とは言うがその表情には『私のせいでこうなった』がありありと浮かんでいる。子どもがいないわけもなく、ブログ主は割り切った。しかし妻は、簡単には割り切れなかった。幼い息子は、少し年上の子と遊ぶのを好み、その姿を見た妻は息子に兄弟を与えてあげられない自分を増々責めた。実家や妻の実家に行く時、ブログ主は事前にその話はしないように言い含め行くようにしていた。『妻が少し病み掛けているので、その話は絶対になしで』と。妻の義両親や兄弟、ブログ主の母や妹は了承した。で、実家に行った時に事件が起きた。元旦の日だったが、妹夫婦が居た。ブログ主は運転をするのでアルコールには一切手を付けず、食事だけをした。ブログ主は夫婦生活の習慣で、食べ終わった茶碗や皿などは流し台まで必ず持って行く。それを見た元夫は、酔って天下を取った気分にでもなったのか、『お兄さんはなぜそんなことをするのですか?』と半笑いで茶化す。その一言で、怒りのゲージが急上昇したが、堪えた。『一家の大黒柱足る者、でーんと構えていないと駄目ですよ』とほざき始める。『こいつ、何様だ。万死に値する』と思ったが、それでも耐えた。しかし怒りのゲージはほぼMAXだった。妻はその様子を見てアイコンタクトで『相手にしてはダメ』と送って来た。それから数分後、『お兄さんの所、2人目はまだですか。うちの弟はもういますよ。次は是非、女の子でお願いしますね』と発言した。母と妹は、『この馬鹿、何を言い出すのか?』と呆気にとられ、その場の空気は凍り付いた。ブログ主は怒りのゲージがぶっ壊れ、元夫の胸ぐらを掴み『そんなに女の子が欲しけりゃ、てめえが作れ。この種無し野郎。何が一家の大黒柱だ?、新入社員に毛が生えた安月給の分際でそんな生意気な台詞を吐くんじゃねえ。妹に養われている癖に』と罵った。すると酔いが完全に冷めたのか、しきりに謝って来た。子どもの問題は、夫婦にとってデリケートな問題。あれこれ詮索するのは、僭越の極みだし、無神経にも程がある。

⑥『身内から障害者を出して恥ずかしい事件』 13年頃
 ブログ主は08年春に神経性筋疾患である封入体筋炎を発症した。初期は軽い生活障害だったが、進行に伴い生活障害も重くなり、12年2月に身体障害者手帳を取得した。体幹機能障害5級なので、メリットは特になかったが、障害者枠での就労を目指したので、抵抗感はあったがそこは割り切った。母や妹にはそのことを多少の時間差はあったが、既に伝えていた。当然、元夫の知るところになった。元夫は、本人の自覚の有無は別として結構な差別主義者で、価値観も昭和の中頃のまま、当然障害者に対しても『汚い』『気持ち悪い』『害悪な存在』的な偏見を持っていた。会うたびに威圧され、時々面白半分に弄る義理兄のブログ主が障害者になったことを心の底では歓喜していた。健常者マウントが取れるからだ。『健常者である自分の方が、障害者になり果てたあいつよりも偉い』と。元々、コンプレックスが強くそれ理由で歪んだ性格の元夫は、障害者になったことが分かると、やたらと『障害者』を強調する言い回しをする。意地が悪い底意を感じたが、『バカは相手にしないに限る』と相手にもしなかった。世の中の90%ぐらいに馬鹿にされる人間が、残りの自分よりも下と思う人間に対して見下し、馬鹿にする足軽根性の持ち主だった。盆休みに、中学生になった息子と妻の3人で実家に赴いた。妹は仕事で留守だった。実家の廊下で元夫とすれ違いざまに、足を出され見事に転倒をした。もの凄い音がして母や妻、息子が駆け寄ってきた。ブログ主を転倒させた元夫は、いけしゃあしゃあと『お兄さん大丈夫ですか? お兄さんはもう障害者なので気を付けてくださいね』と勝ち誇った表情で良い人アピールをする。『今、足を引っかけただろう?』と問い詰めると『人のせいにしないでくださいよ』と返してくる。8年ぶりに『やはり、こいつは万死に値する』と思ったが、その場には2人しか居なかったので所詮はやった、やっていないの水掛け論だ。ただ母や妻、息子は普段の言動や人間性から、元夫の嘘は見破っていたが、それ以上は追及しなかった。ブログ主がタバコを吸いに屋外に出た。10分くらいして居間に戻ると、凄い空気感に包まれていた。息子は、見たことがない表情で元夫を睨みつけ、妻も睨んでいる。状況を聞くと10分間の間にこんなことが起きたらしい。ブログ主が居ない時に、元夫が中学2年生になった息子に『〇〇君も大変だよね、お父さんが障害者になって。学校で虐めたりされない? 身内から障害者を出すなんてホント、恥だよね』と妻と息子の前で言ったらしい。さらには『難病は前世の悪行の報いだし、因果応報だから』とまで言ったらしい。他にも言おうとすると、息子がコップの中の麦茶を元夫にかけ『黙れ!このクソ禿オヤジ』とブチ切れたらしい。元夫は言いやすい妻に『ちょっと、そちらの教育はどうなっているのか?』と逆ギレしたが、妻は『息子の行動は正しく間違っていません。あなたの方こそ、親御さんからどのような教育を受けたのか、理解に苦しみます。あなたの方が身内として恥ずかしいです』と逆ギレ返し。母も口を挟まないで突き放すかの表情で白い視線を浴びせていたらしい。帰宅して事件を知った妹が、元夫と謝罪にやって来た。妹だけを部屋に入れ、入ろうとする元夫には、『障害者の住む家は汚いんだろ?入るな。お前はバケツを持って通路にでも立って反省しろ』と言い追い返した。妹の謝罪を受け夫婦で妹に離婚するように促した。妹は『何度も考えたけど、旦那は私が居なくなるともっとダメになる』と言い、庇った。それとこれとは別の話らしい。悪い意味での『割れ鍋に綴じ蓋』と思い、それ以上は言わなかった。互いの近況報告で、時間が経つのをすっかり忘れ、あることを思い出した。元夫の事だ。玄関を開けると、本当に言いつけ通り立っており、『こいつ馬鹿じゃないの?』と思ったが、無視した。


画像5 幸せそうな家族のスナップ(画像 『かわいいフリー素材集いらすとやより』より)
 
 ブログ主は、『うちの嫁』の言い回しが嫌いだ。男尊女卑時代の名残を感じ、対等な夫婦関係ではなく歴然とした上下関係に近いものを感じるからだ。第3者には『妻』『奥さん』と結婚当初から使い続けた。妻には『夫』『旦那さん』を使うように言ったが、価値観の押し付けも違うと思い、強制まではしなかった。で、妹の元夫は妹と浮気相手の元夫からの慰謝料支払い、浮気相手は妹と自分の元夫からの慰謝料と養育費の支払いで困窮しているらしい。散々、周囲の人たちに迷惑をかけ4年前にリストラされ、そのショックから鬱になり周囲から最後の離婚のチャンスと言われても、健気に支え続けた妹を裏切り、不貞行為(しかも2度目)を働いた元夫の罪は度し難い。本人の収入は低くても、ブログ主の実家と妹の経済力のお陰で、給料分不相応な生活を過ごせていた。給料の内から、家賃の本人負担3万円と生活費5万円を入れるだけで、残りの給料は全て小遣い。自身が乗る自動車と携帯電話も、名義こそ本人だが支払いは妹、マスオさん状態で多少の窮屈さはあっても建坪50坪の広い一軒家に住んで、寄生虫状態。それで一家の大黒柱などよく言えたものだと思う。古い男尊女卑思想、障害者・難病患者差別、平気でその場限りの嘘は言うし、子どもが出来ない理由を妹だけに求め攻撃、相続権がない遺産の請求などなどだが、細かいことを言えば書ききれないほどある。現在は引っ越した築20年以上の古いワンルームマンションで、己がしでかした愚かな行為と発言の数々を反省すればいいだろう。学習能力が皆無なので、『俺は悪くない』とか『あいつのせいで俺は・・・』などと逆恨みしそうだが。妹の結婚はプラスやゼロではなく、マイナスでしかなかった。それはそうだ。救い難い寄生虫を身内に抱えていたのだから。夫婦は対等意識を持ち、上下などなく協力者の関係性が一番上手くいく。男である理由だけで、威張るのは間違いで亭主関白など妻の精神的な犠牲の元、成立している危うい関係だと知った方が賢明だ。今日紹介した妹の元夫はかなり稀で絶滅危惧種だが、ここまでは酷くはなくても結構40~50代の男にはまだ多い。妻を無料家政婦と勘違いしている奴が。今後は時代の波と共に駆逐されるだろう。などと、40代後半に差し掛かった妻を顔を見てそう思った次第だ。もう時代は令和なのだから。

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