封入体筋炎患者闘病記

 封入体筋炎患者のヒロです。病歴は2019年で満11年、12年目に入りました。在宅勤務の仕事とリハビリの日々を送り、細やかながらも家族3人で暮らしています。ブログ記事は闘病記と広島地元ネタ、社会保障などの時事ネタ中心です。希少疾患の封入体筋炎の周知が目的です。関心があれば、ツイッターなどでご紹介していただければ幸いです。疾患関係で直コメントが苦手の方は、ツイッターのダイレクトメールを利用してください。封入体筋炎の闘病史は各進行段階の症状や生活障害、必要な社会保障制度等をまとめています。良ければ参考にしてください。最新の封入体筋炎の状況は『近況について色々と』、取り組んでいるリハビリについては『2019年春~夏 筋疾患(封入体筋炎)リハビリ』にて素人の体感目線で書いています。モバイル版で読みにくい場合は、PC版に転換してからお読みください。

2018年03月

カテゴリー記事 広島の都市交通 バス

 さて今日は、バスセンターの話題をお届けしたい。紙屋町地区の衰退と共にその陸上交通の拠点性を広島駅にその座を奪われた。時代の変遷とはいえ、若き日の頃に利用者の一人だったブログ主は、多少の複雑の思いがある。そんなバスセンターの施設の改装のニュースが入って来たので、新聞記事から紹介する。
……………………………………………………………………………………………………………………
▼今日の議題 3月23日中国新聞9面より引用
バス待ち グルメを楽しんで きょう広島センターに開店



画像1 3月23日中国新聞9面より(ブログ画面からは全て読めません)

【記事詳細】
▼広島バスセンター(広島市中区)は3月23日、バスターミナル内に『バスマチフードホール』
 を開店させた
▼従来の飲食店や物品販売店の区画を改装して、買い物客や通勤客を対象に新名所を目指す
▼今回(3月23日)の開店は7店舗で、和・洋食、ピザ、弁当などの構成で、4月27日に土産
 物や菓子などの3店舗が開店する予定
▼計135席を用意して、窓際の席からは紙屋町交差点の様子が展望できるように工夫した
▼営業時間は午前7時半~午後22時半まで
▼初年度の売り上げは7億5千万円を目指し、市中心部の求心力回復の一助にしたい考え
……………………………………………………………………………………………………………………
【考察その1】
今回開業した『バスマチ』エリアの概要
昔のバスセンターとは大違い(爆)


画像2 2011年リニュアールした切符売り場付近の様子(画像アンドビルド広島より)


画像3 今回リニュアールした『バスマチ』(画像アンドビルド広島より)

広島バスセンター ターミナルマップ
画像4 バスセンター全体レイアウト図 クリニック部分は下記画像5にて紹介(画像広島バスセンターHPより)


画像5 画像4クリック部分拡大図(画像広島バスセンター公式HPより)

 今回も広島駅南北自由通路開業時同様に、日頃から画像提供でお世話になっている鯉党@さんのブログ記事から今回もお借りした。実はブログ主の実家は安佐南区で、小学校2年生から大学入学までこの地で過ごした。当時は可部線はそんなに本数もなく、アストラムライン(新交通システム)は建設議論は盛んにされていたが、開通は当分先の話の時代で、現在の祇園新道は雑木林でしかなかった。当時の安佐南区住民の足は、通称-新国道(旧国道54号線 現国道183号線)を走っていた市北西部(安川流域団地群)と北部(可部方面)方面のバスだった。二方向の路線が合流する地区に住んでいたので、日中でも待たずに乗れた。そして終点がバスセンター及び、広島駅前だった。旧市内に遊びに行く時は、バスセンターまでバスで行き、そこを起点に紙屋町地区や本通などを闊歩していた。ついで言うと、八丁堀とは呼ばずに『はっちょうに行く』とか言っていた記憶がある。浪人時代も、当時唯一の大手予備校(通称駅前大学)にバスで通学していた。そうバスセンターは、ブログ主にとって非常に身近な存在だった。バスセンターにあった店舗で買い物などした記憶はない。そごうやセンター街、サンモール、本通、並木通り、金座街では当時の彼女とDCブランドの服で決め込み、カッコつけて歩いていた(笑)。当時(1980年代半ば)のバスセンタ-が、広島駅と並び陸の玄関口(都市間バス)の色合いが濃厚で、若者向けの品揃えをした店舗が皆無だったからだ。お洒落とは程遠いイメージで正直な話、『ダサい』(笑)。

 21世紀に入り広島にUターンしてからは、居を西区に移したので関りは自然と薄くなった。結婚までは紙屋町や八丁堀と言った都心部で買い物をするパターンだったが、結婚後ほどなくして息子が誕生すると、近寄らなくなり近所のアルパークや宇品地区のイオンや皆実町のゆめタウンでの買い物といったスタイルに変化した。そうブログ主は、散々記事では『都心部地区が~』と叫んでいるが、実際の生活行動は真逆のことをしている不届き者だ(笑)。冗談はさて置き、当日は地元局のニュース報道でも、紹介されていたが7年前の改装後すら行ったことがなかったので、小奇麗になった姿を見て驚いた。変われば変わるものだと。
その辺の背景については、次の考察にて行いたい。今回のオープンは第1弾で、1か月後には第2弾があるらしい。その開業日が奇しくも、西風新都石内東地区の『THEOUTLETS(ジアウトレット)HIROSHIMA』と同日なのが、少し笑える。よく例えで『吉と出るか凶と出るか』と言うが、なぜだか凶の想像しか浮かばない(笑)。それ抜きにしても、都市間高速バスなどで広島の地を訪れた方が、バス待ち時間に暇を潰せる良施設にでもなれば幸いだ。新聞記事にも書かれているが、求心力低下が著しい同地区の回復の一助なればと思う。

【考察その2】
広島バスセンターが生き残る道


画像6 バスセンターが入居するそごう広島店(画像アンドビルド広島より)


 広島バスセンターの歴史的な経緯は、書くと長くなるので割愛する。こちらを参考にして頂きたい。 ~広島バスセンター~(ウィキペディア) で、一応広島市が出資した第3セクター会社の1つでもある。バスセンターの拠点性低下の理由と、今後生き残る策らしきものを考えてみる。

-1 広島バスセンター拠点性低下の理由

【理由その1】 バス全体の利用者大幅減少


画像7 1987~2012年までの広島市内の公共交通利用数(1日平均)の推移(広島市HPより) 赤色-バス 薄紫色―JR 水色-広電市内軌道線 山吹色-アストラムライン 山吹色の下線-広電宮島線(広島市内分のみ)

 モーターリゼーションの更なる進行、少子化、景気の低迷(失われた20年)等により公共交通利用全体の利用者が90年代半ば以降、減り続けてきた。ピーク時の94年との比較では12年は、12万人減(-17.8%)である。その中でもバスの減少幅は際立っている。バス利用者ピーク時の87年との比較では、何と14.6万人減の-45%である(上記画像7参照)。他の公共交通機関とはまた別の理由があるのでは?、と疑いたくなるレベルだ。別の理由としては、アストラムライン開業によるドル箱の市北西部路線のフィーダーバス化(後に復活)、五日市・廿日市方面バスのフィーダーバス化、可部方面バスの減便などがある。後は定時・速達性に優れるJR各線との競合で劣勢を強いられていることも理由に挙げられるだろう。その証拠にJR線だけは、87年対比では利用者を伸ばしている。本来であれば、鉄道線移動エリアまで郊外線バスが、その任を担っていた時代がありあるべき姿に戻ったとも言える。下記画像8は通勤目的の移動手段の分担率だが、87年と08年の比較では公共交通全体だと4.5%増加している。増加要因は、鉄道-JR各線の急激な伸びだが、その分バスが減少している。


画像8 87年と08年の通勤目的の各移動手段の分担率の推移(広島市HPより)

【理由その2】 買い物スタイルの大変化



画像9 87年と08年の買い物で利用する移動手段一覧。アストラムラインが開業したのに9.9%から9.3%と減っている。自動車は17.9%から45.5%と大幅増となっている(広島市HPより)

 これは2000年代に入ってからの、郊外大型商業施設の乱立による影響だ。消費者が買い物をする場として都心部地区を以前ほどは選択しなくなり、自動車で気軽にアクセス可能な郊外地区を選択するようになった。当然、都心部地区の商業機能低下は避けられず、その求心力を失った。主たる移動手段である公共交通の利用者も減少する。このような構図だろうと考える。これはバスに限らず、他の交通機関も同様である。消費者の買い物スタイルの変化が大きく影響している。この数値は08年度までで、その後廿日市木材港地区にゆめタウン、商工センター地区にLECT(レクト)が開業しており、さらに上昇していると思われる。同地区にある紙屋町地下街シャレオの歩行者数にも如実に出ている。シャレオ開業前(01年4月以前)の紙屋町交差点の歩行者数は、平日13万人/日、休日16万人/日だった。この当時の郊外大型商業施設は数えるほどで、商工センター地区のみ。16年後の2017年だと、平日14.6万人/日、休日13万人/日で休日については2割近くも減っている。必ずしもバス利用者を反映しているとは言い難いが、同地区の求心力低下を示す指標にはなる。買い物目的で、紙屋町地区を訪れる人間が減っているからだ。バスセンター利用者数も1989年は約5万人、03年3.8万人、近年では3.5万人とジリ貧傾向にある。

-2 今後広島バスセンターが生き残る道


【方策その1】基幹バスの疑似BRT化に活路を求めろ
 BRTとは、
バス・ラピッド・トランジットのことで、和訳すると高速・大量バス輸送システムとなる。基本としては、中央走行の終日専用レーンでの走行とし、専用レーンではPTPS(公共車両優先医ステム)を導入して限りなく、信号停車を減らした専用性を確保する。停留所も高規格化して、段差のない乗降と車外改札(信用乗車や自動改札など)を実現。3連接バス(定員270名程度)導入で、一編成当たりの輸送能力を上げる。表定速度も20km/h以上を目指す。モノレール、AGT、LRTと共にれっきとした中量輸送機関に分類される。日本でも近年、連接バスが各都市で導入され始めているが、BRTの厳密な定義だと全て中途半端で、『連接バス=BRT』という間違った解釈が横行している。日本の場合、フル規格BRT導入の支障として、終日の公共車両専用レーン確保が、公共の概念の相違から合意形成が得にくいこと。道路運送法の規定で特認処置の場合でも、18㍍クラス(連接バス 定員130名程度)しか導入出来ない。この2点がある。日本の都市のBRTはその意味合いでは、自称やもどきの類だ。システム全般がBRTのそれでも、輸送能力が連接バス程度の場合はBRTではなく、BHLSと定義される。 都市と交通 BRT特集~(日本交通計画協会)

 ここで広島に話を戻す。市の直近の公共交通計画を見てみる。 公共交通全体⇒公共交通の体系づくり基本計画(広島市HP) バス専用⇒バス活性化基本計画(広島市HP) バスだけ個別の計画が存在することが問題の大きさを示している。現状把握と問題点の洗い出しにかなりのスペースを割いているが、既存交通インフラを活用して、階層ごとの有機的な公共交通ネットワークを再構築するとしている。方向性は正しいと思う。基幹公共交通網の1つに『基幹バス』がある。郊外地区や広域拠点と都心部地区を結ぶ路線や広域拠点間を結ぶ路線の新設などが提言されている。各路線は以下の通り。

【公共交通の体系づくりで提言された基幹バス路線一覧】
 ●可部方面-広島BⅭ ●高陽方面-広島BⅭ ●西風新都地区-広島BⅭ
 ●西風新都地区-商工センター地区 ●五日市方面-西風新都地区 ●広島湾岸東西路線

上段は既存路線で下段は新規路線(一部復活路線あり)となる。鉄・軌道系の輸送機関を整備するほどの需要はないが、従来のバス路線では物足りないと言ったところだろうか? 一部の路線ではPTPSの設置や時間バス専用レーンの導入。急行運転などがなされ、強化策が施されている。これをさらに1歩先に進め、日本型(疑似)BRTにまで進める。BRTと言ってもフル規格のそれではなく、路線の殆どに時間バス専用レーン化、PTPS設置、一部停留所の高規格化、普通・急行関係なく2連接バスの導入、広島BⅭ(バスセンター)と再整備が予定されている広島駅南口広場に専用バースを整備して乗り入れるのだ。特に速達性(旅行速度)の向上は重要で、 ~現行既存基幹バス路線(?)の旅行速度~(広島市HP) 現在よりもプラス5km/hはほしいところだ。そして、他の郊外路線やフィーダー路線との違いが、一目で分かるようなデザインやサインも導入する。広島BⅭ関連は上段の既存路線だけとなるが、鉄・軌道系公共交通網の空白地帯を埋める役割を担わる。BⅭの性質上、郊外バス路線と都市間バス路線のターミナルであることは変えようがない。広島駅が東西方向(新幹線、在来線)の陸の玄関口とすれば、広島BⅭは南北方向の第2の陸の玄関口を方向性を明確に打ち出す。これぐらいしか手がないように思える。紙屋町を始め、八丁堀地区も含め交通拠点施設のバスセンターの再生なくして、在りし日の姿は蘇らない。市域内の郊外及び市域外、そして都市圏外から如何にして人を呼び込めるのかが重要だ。その役割の一端を担う広島BⅭの役割は今も昔も変わらないだろう。


画像10 公共交通の体系づくりの基本計画で提言された基幹バス路線一覧(広島市HP)

お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村

広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

前回記事 ブログ主のよもやま話 19
カテゴリー記事 
闘病記 近況について色々と

46 また、最近書くことが・・・
ブログのイラスト(ウェブサイト)
画像1 ブログ管理画面イメージ図(かわいいフリー素材集いらすとやより)

 2月の後半から3月の初旬にかけて、ブログ記事にしたいネタが色々と転がっていた。丁度、その頃に都市交通関連の海外事例シリーズを復活させたこともあり、中々追いきれないと思っていた。その頃に貯めていたネタを書き終えると、また記事ネタ枯渇症候群が襲い掛かって来た。ブログを開設して、何度目だろう。枯渇理由は中国新聞のスクラップ記事が減ったことが大きい。広島の都市開発系、他の時事問題など、私個人の関心を引くものが最近は少ない(ような気がする)。全くないわけではないが、その時々の気分で関心の対象が結構変わるので、それもあるのかも知れない。現ブログ『封入体筋炎闘病記』を開設して2年半。その前の『ヒロさんの大放言ブログ』から数えると約4年間ブログを書き続けている。2014年の3月からなのだが、初心は高い理想(笑)-疾患の周知、同・同系疾患患者本人とのネット上の情報交換など-を本気で邁進するつもりで掲げるのだが、移動困難、在宅勤務という境遇が災いして、日々の変化に乏しい。一応書くことを書き終えたら、書くことがなくなるという闘病ブロガー特有の壁にぶち当たる。私の場合、それを極力回避するためにその他時事や、地元広島の都市問題もブログ記事で取り上げていた。それもそろそろ厳しい状態になりつつある。更新ペースを落とすことも現実味が帯びて来た(笑)。元々がハイペース過ぎたのだから。それにブログ作成は仕事ではなく、義務感など持つ必要はないのだから。

 実は書き溜めて、更新待ちの記事が現時点で6~7本ある。週5本ペースでの更新を続けているので、10日くらいは全く記事を書かなくても困らない計算だ。そこまでハイペースで書き続けられる否決は、私自身の終活-筋疾患発症から10年かけた預貯金等の積み立て計画が終わり、最悪のシュミレーションでも金には困らない状況になった。それで、それまで社からの請負仕事量を8割以上、減らしてこれまでの関係上断れないものだけを請け負って消化している。正直なところ、身体に無理を強いて働かなくとも実家の不動産収入と障害年金だけでもほどほどの生活ができる。請負仕事を減らしたせいで、要は暇になったのだ(笑)。その暇の持て余しをブログ作成に充てている。当ブログによくアクセスされる方は、都市交通系の海外紹介記事が圧倒的に増えたことはよくご存じだと思う。これって、本当に手間暇がかかる記事で、プライベート系記事作成が平均1時間半程度。他の広島の都市開発系記事が大体3時間前後で書き上げるのに対して、都市にもよるが6時間以上かかる。元ネタになるような論文らしきものが少ないのと、参考とするべき海外版ウィキペディアの和訳に時間を割くことなどがその理由だ。元々、性格が飽きっぽく目新しいものを発見すると、すぐにそちらに乗り換えるタイプの私が、金にもならない非生産的なものを4年も続けていることが奇跡だ(笑)。ブログ内にリンク貼りして、画像でお世話になっている鯉党@さんやらっちさんは、10年以上も単一テーマのブログを書き続けている。これはこれで凄いことだ。ブログを主催していると、続けることの大変さが身に染みて分かる。分からない方は一度おやりになると、数か月後に絶対に分かると断言できる(笑)。

 持病の封入体筋炎のネタも少なく、無理をして書いても痛い人というか不幸自慢大会みたいだし、書いた後に読み返すと自己嫌悪に陥る。ネット自体が節度ある心の排せつ物を流す場所だと思っているが、ものには限度というものがある。記事の読み手の方とは、実際に会ったりするわけではないので、問題がないと言えばそれまでだが、『何だかな~』である。数か月周期でネタ枯渇現象が再現される。いよいよ更新ペースを下げようとすると、ふとしたことからネタを発掘してまた傾注して書き始める。これの繰り返しだ。『我ながらよくやるわ』と悪い意味で感心する。ネタがないのをネタにする精神もあれだが、ほぼ毎日飽きもせず似たようなことを書き続ける精神も十分あれである(笑)。人間個人の思考には限界があり(個人差あり)、よほどのことがない限り基本的な方向性は変わらない。間をおいて書いても似たり寄ったりの文面になるのも仕方がない。良し悪しは自身で決めるのではなく、読み手に決めてもらうしかない。つまらないと思われれば、アクセスも下がり訪問者も減る。開設してある程度の期間を経たというのもあるが、昨年、一昨年よりもブログへの訪問者とアクセス数は増えている。訪問者だと昨年比日計100人ぐらい多いし、アクセスも200ぐらい増加している。このブログのどこが面白いのか?書き手としては謎が深まるが、何かしら共感する部分があるのかも知れない。その辺はよく分からないが・・・。と愚痴を言いつつも、手持無沙汰を嫌い指先を動かすブログ主である(笑)。

ノートパソコンを使う男性のイラスト(横向き)
画像2 自宅のPCを開いて、ブログ記事作成の作業中のイメージ図
(かわいいフリー素材集いらすとやより)

47 春めいてきた今日この頃

桜前線のイラスト
画像3 日本全国の桜前線予想のイメージ図(かわいいフリー素材集いらすとやより)

 3月の初旬から中旬にかけて、春を超え初夏訪れすら感じさせる暖かい(暑い?)日が数日続いた。2月上旬の極寒の日々は一体何だったのだろうか?とすら思える暖かさだ。健常者時代から、暑いのは苦手とせず寒いのだけは勘弁してくれ、と思っていたブログ主には目出度い日々の到来だ。と思っていたが『三寒四温』の例え通り、その後気温があまり上がらない日々がまた数日続いた。これを繰り返し本格的な春がやって来る。と思えば気持ちは前向きになり、同じ出来事や風景もまた別の物に感じるので本当に不思議なものだ。人間にとってメンタルの安定こそ、基本だとつくづく感じる次第だ。元々寒いのは苦手だったが、苦に感じ始めたのはこの数年の事だ。当然持病の封入体筋炎と深い係りがあるのは言うまでもない。昨年の初冬から散々書き続けた冬場特有の筋硬直⇒腰抜け現象が酷くなり始めた昨シーズン辺りから、この傾向がより強まった。ただ寒いだけなら我慢すればいいだけの事。それに日常生活を送る上で、不便なものまでつきまとうのが困ったちゃんなのだ。裏を返せば、筋硬直現象に耐えうる筋力がなくなりつつある、とも考えられる。原因と理由が分かっていながら、自身の能力や努力が遠く及ばない世界。かって自分教の信者だった私には歯がゆくもどかしい限りだが、こう繰り返すと慣れてしまう。最近では『どうしようもない』『仕方がない』が決まり文句になってしまった。『受け入れる』と『諦める』は本来は似て非なる言葉だが、境界線がこれについてはなくなった。

 春に話題を戻すと、卒業や入学など清新なイメージが強い。例の腰抜け現象はやはり寒波との因果関係が強く、最高気温が20℃超えに日にはそこまで感じない。ただ、数か月にも及ぶ冬眠生活(笑)が予想通り祟り、廃用性症候群の筋委縮がかなり進んだ。室内歩行については転倒リスクこそ感じるが杖なし方向が短距離であれば十分可能だが、外での歩行については杖なし歩行どころか、杖&右手での手すりや壁で支えながらの歩行しか出来なくなった。風がなく暖かい日を選び、マンション自宅前の通路で仕事後のリハビリらしきものをしているが、寒波のかの字もなくなる4月以降、どこまで回復するのか未知数だ。歩行した瞬間の足の裏で地面を踏みしめた時の不安定さとその衝撃(負荷)が以前よりも強く感じる。どう考えても筋力が低下している。他に理由を求めてもそれを裏付けるほどの事実が皆無だ。普通に考えれば『困った。さてどうしたものか?』だ。現実は現実なので、立ち止まり、べそをかいていても始まらない。現在の立ち位置を受け入れ確認して、半歩でも前に出る努力だけは続けたい。結果が得られるかは別の問題としてだが・・・。ここまで来ると、意地というかダメ元で抗うしか術はないがこれも人間の悲しい性と割り切り、感情が赴くままに動くしかない。『一体、何度目の仕切り直しだ?』と思わないではないが、これが私だ(爆)。春は気分的に晴れやかになり、希望を抱く季節だもある。これを私自身に照らし合わせると、現状を鑑み自分の出来る範囲で最大限努力するになる。これを繰り返すことで、棚から牡丹餅ではないがイレギュラーな好運も少し期待しながらこれからも闘病生活を乗り切りたいと考えている。でも、自信はない(笑)。

お花見のイラスト「家族でピクニック」
画像4 家族で仲良く花見をかねたピクニックのイメージ図(かわいいフリー素材集いらすとやより)


お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村

広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

カテゴリー記事 広島の都市交通 海外先進事例

【考察その1】
都市交通先進国ドイツの施策 その1
Sバーン、Uバーン、シュタットバーン、シュトラセバーン、BRTなどな階層化され有機的な都市交通ネットワーク


動画1 
Ein Tag im Leben eines KVB-Stadtbahnfahrers(ユーチューブ動画より)

 ドイツには、人口100万人以上の大都市が少ない。各王国などが統一され現在の姿(1949~89年は分断)になったが、日本とは異なり地方分権国家で、個々の都市・地域の自主独立志向が強い。国民性が大都市よりも、自然豊かで古くからの街並みが多く残る地方都市居住を好む傾向も日本とは大きく異なる。人口の話に戻るが、100万人以上の都市はベルリン(352万人)、ハンブルグ(174万人)、ミュウヘン(146万人)、ケルン(106.0万人)の4都市。人口50~100万人の都市は、11都市。日本基準だと中都市以上、大都市未満の規模の都市が多い。日本の都市とドイツ、いや欧州の各都市を人口規模だけで単純比較は出来ない。あちらでは行政効率重視の安易な広域合併は殆どなく、日本の都市とは市域面積がまず違う。ドイツ国内、そして欧州の都市の側面も併せ持つので規模以上の都市機能を有している例もある。例えば広島市と姉妹都市のハノーバーは、人口は50万人そこそこだが、世界有数のメッセ(国際見本市)都市で、その国際見本市会場の面積は世界最大規模の49万平方㍍以上。東京ビックサイトの5倍以上。毎年産業見本市としては最大規模を誇る『ハノーバーメッセ』が開催され、2000年には万国博覧会が開催された。フランクフルトはドイツ第5の都市(73.2万人)ではあるが、旧西ドイツ時代から経済首都で世界の金融センターの1つでもある。それらの都市を支える交通インフラ-特に公共交通網の充実ぶりは目を見張るものがある。

 
Sバーン-都市近距離鉄道(日本のJR各線、大手民鉄線に該当)、Uバーン-フル規格地下鉄、シュタットバーン-地下式LRT(旧来のトラムの都心部区間を地下化、他の区間は路面専用軌道化させたシステム)、シュトラセバーン-路面式LRT(従来のトラムを改良・高度化)、BRT-終日専用レーン、PTPS、連接バスなどを採用した高速バス大量輸送システム などそれぞれの需要に応じて採用、旧来のシステムを昇華させている。それぞれが独立した交通機関ではなく、有機的なネットワークとして形成されている。市域内及び都市圏内の個々の交通機関が、あたかも1つの事業者に運営されているかのようだ。その歴史を紐解くと、半世紀以上も前に行き着く。ドイツも他の先進国同様に1950年代よりモータリーゼーションの大波に晒された。都心部では需要に応じた道路拡張の都市空間は皆無に等しく、それ以外の区間では、道路整備が自動車利用の急激な伸びに追いつかなくなっていた。公共交通は、定時輸送が困難な状況に陥り公共交通離れが進み自動車利用を逆に誘発する負のスパイラルに入った。自動車が溢れかえる都心部地区では、騒音、環境、安全面の深刻な状況となった。道路整備による都市交通問題解決の道が模索されたが、現実的には困難との結論となり、都心部区間は一定の自動車利用の制限を課した(後述)上、公共交通の体系的な整備促進が妥当に行き着く。それを支える制度として、1955年『交通財政法』が制定され鉱油税、自動車税、運送税の増税が行われた。この増税分は道路及び、鉄・軌道系公共交通網整備の原資となった。64年には、『公共交通機関整備の連邦決議』が採択され、公共交通整備優先の姿勢を鮮明にした。67年、税金修正法にて鉱油税の増税が再度行われた。1971年、『都市交通財源援助法』が成立。60~70年代以降、中~大都市部でのUバーン、シュタットバーンの整備が加速した。


画像1 既存シュトラセバーン(路面電車)都市の基軸交通機関と整備時期と整備形態 拡大図(要拡大)

 特にドイツのシュタットバーンは俊逸で、モータリーゼーションの進行で機能不全に陥っていたトラムを使うに値する中量輸送機関に昇華させた。その手法は、他の多くの国のようにいきなり全廃して、トラム路線をバスに置き換えるのではなく、まずは系統数や本数が多い移動の最混雑区間を地下化。他のトラム路線が乗り入れ可能な構造として、既存のネットワークは原則維持。郊外や、都心部近隣の区間は軌道の専用化-軌道をかさ上げしたセンター・サイドリザベーション・優先信号設置などに改めた。そして、順次、都心部の地下区間を増やし、その他区間の軌道の専用化を進める。車両もレール幅がトラムが1,000㍉に対して、標準軌の1,435㍉を採用し大型化。連接車両の連結運転するなどして、輸送単位を上げた。郊外部では、バス&ライドやパーク&ライドを推進。平面移動の良結節の乗り継ぎを実現。いくつもの段階を踏んで、既存トラムネットワークを清算することなく活用し、表定速度を10km/h以上も上げ、輸送能力も同時に上げて真の中量輸送機関に昇華。日本の都市が、一旦清算して、フル規格地下鉄、モノレール、AGT導入を検討するのとは対照的だった。このようなシュタットバーンが、ケルン(上記動画1参照)など13都市で実現した。 ~世界の地下鉄 データ一覧表~(ドイツの項目 Ⅼがシュタットバーン 日本地下鉄協会HP) このシュタットバーンは、現在の都市交通の潮流のLRTの雛形となった。ドイツは他の欧州諸国同様に、都市交通サービスは行政サービスの一環と位置付け、市場原理の蚊帳の外に置いている。日本のように独立採算制ではなく、運営費の運賃カバー率は71%、残りの29%は税金にて賄われている。日本のフル規格地下鉄やAGT、モノレール、LRT、BRTなどの整備の補助率が50%台にとどまっているのに対し、ドイツのそれは75%と高い。独立採算制ではないので、新規整備のハードルが低く地方都市の公共交通充実ぶりは日本とは比較にならない。日本が他のEU諸国よりも鉄道利用率が高い理由は、メガシティとも言える東京の利用率と国土が東西に細長い独特の地形によるところが大きい。地方都市の公共交通に関しては、ドイツのほうが上だ。


動画2 
[Video] Eröffnung der Wehrhahnlinie in Düsseldorf am 20 Februar 2016(ユーチューブ動画より)都市交通先進国ドイツの施策 その2
世界初の都市交通一元化と交通セルシステムの導入


画像2 トラフィックゾーン・交通セルシステムの概念図

 【考察その1】の内容と多少重複するが世界初の運輸連合システムと交通セルシステム(
トラフィック・ゾーン・システム誕生の背景を下記にまとめてみる。

▼ドイツ(旧西ドイツ)における運輸連合誕生の背景
 ①モータリーゼション以前(~1950年代)
  交通事業者がそれぞれ随意に輸送を展開してきた結果 として、サービスやインフラの重複が生
  じ、非効率な利用者の争奪が発生していた。また、異なる交通機関を乗り継ぐ際の運賃がかさ
  むことなどから、市民にとっても利便性が高いとは言えなかった。

 ②モータリゼーション黎明期(60年代~)
  60年代より始まる急速なモータリゼーション(自動車の普及)の大波で主要幹線道路は麻痺
  状態まで陥った。特に狭隘な道路が多い旧市街地(旧来からの都心部)は、自動車で通りが溢
  れ返っていた。歩行の阻害要因にもなり、都市景観も損なわれ、排ガスなどで環境破壊も進ん
  だ。魅力的な都心部空間が失われ、にぎわい性もなくなり、その求心力を大幅に低下させた。
  都心部に需要相当の駐車場整備をする都市空間などあろう筈もなく、郊外の自動車来店前提の
  大型商業施設に押され始めていた。危機感を抱いていた旧西ドイツの各都市は5
0年代より、
  都心部(旧市街地)のモー(歩行者専用道路)化を進めた。1960年には31都市、19
  69年には100都市を超えた。これは旧西ドイツ国内は元より欧州各国に伝播した。モール
  化と並び、都心部の自動車利用の制限施策として交通セル方式』トラフィック・ゾーン・
  システム
)が1960年ブレーメンで導入された。限られた都市空間内で、効率性に勝る公共
  交通の利便性を向上させるための再構築が模索された。

  
 ⓷『事業者ⅴs事業者』から『公共交通ⅴs自動車』へ(60年代半ば以降~)
  1965年、ハンブルグにおいて交通事業者間の協働組織としての運輸連合(HVV)が結成
  された
設立の目的は、自動車に奪われていた都市圏旅客輸送市場における公共交通機関の
  シェアの回復にあった。自動車交通との破滅的な競争から自己防衛 するための方策として、公
  共交通事業者の自由意志にもとづいて結成された企業連合
カルテルとして出発した。カルテル
  として定義される理由は、公共交通機関間における競争を排除するという方針のもとでの運行計
  画の策定、自動車交通に対する競争力の確保を重視した低廉な共通運賃の運用、利用者の争奪
  競争を誘発しないような方法での加盟事業者への運賃収入の配分がその特色だった。
『事業者
  ⅴs事業者』から『公共交通(交通事業者連合)ⅴs自動車』へシフトした。

ハンブルグの成功は、旧西ドイツの5大都市圏に1970年代新たな運輸連合誕生につながる。2009年現在、運輸連合とそれに準ずる組織は60あまり存在する。交通事業者主導型、交通事業者・ 任務担当者(行政)協働型と任務担当者(行政)主導型など都市・都市圏規模や地域実情に促した形態になっている。運輸連合は、国土面積の3分の2、総人口の85%、地域公共交通の輸送実績と運賃収入の90%をカバーしている。事業者間の提携を通じた高い利便性の実現。交通事業者と行政とが密接に連携により、都市交通政策と合致した地域公共交通の実現。各地の事情に適合した運営(連合ごとの多様性)など実現して利用者の高い支持を得ている。このドイツ方式はドイツ語圏諸国(スイス、オーストリア)のみならず、欧州各国やオーストラリア、北米などに伝播している。ドイツで生み出されたこれらのシステム-シュタットバーンを源流としたLRT、複数の交通事業者をひとまとめにした運輸連合、強く高い求心力を誇る都心部を実現する交通セル方式-21世紀においても、都市の持続的な成長を進めるコンパクトシティの包括メニューとなっている。現在のドイツの評価はフランスのそれに比べ、決して高くない。コンパクトシティの元祖はストラスブールであるかの風潮だが、ストラスブールのコンパクトシティの包括メニューは、同国のナントやグルノーブル成功事例を模写して進化させたもの。そのナントやグルノーブルは旧西ドイツのそれを参考にしている。私個人の考えと前置きするが、コンパクトシティの起源は、ドイツの都市交通施策になると確信している。

【考察その3】
ドレスデンの概要
かっての
旧共産圏東ドイツの大都市


画像3 市内を横断するエルべ川から見る美しい街並み(ユーチューブ画面撮影より)


画像4 ドレスデン中央駅の外観
(ユーチューブ画面撮影より)


画像5 市内にあるツヴィンガー宮殿。旧東ドイツ時代の1970年代より再建に着手された
(ユーチューブ画面撮影より)


画像6 ザクセン州立歌劇場。再建は旧東ドイツ時代である(ユーチューブ画面撮影より)


 もの凄く長~い前置きを経てようやくドレスデンの話に映りたい(笑)。一応簡単な概略から始める。ドレスデンは、旧東ドイツ、ザクセン州の州都。人口は55.3万人(2017年)で、旧市街と、エルベ川をはさんだ新市街に立ち並ぶ見事な建築物の多くは、バロック時代にその建設をさかのぼる。多くの美術館、劇場があり芸術や音楽のある文化都市ドレスデンには、世界中から多くの観光客が訪れている。エルベ川から眺めることができる、荘厳な建築物が一体となって並ぶ美しい光景は、「エルベのフィレンツェ」と呼ばれている。ドレスデンの都市の歴史は、1206年にドレスデネという表記で歴史に現れている。1350年には、エルベ右岸の地区が『古ドレスディン』という名称で現れ、1403年に都市権を与えられている。これが現在の新市街で、エルベの右岸と左岸は、1549年まで別の町として扱われていた。ドレスデンが発展するきっかけとなったのは、ザクセン選帝侯フリードリヒ2世の2人の息子、エルンストアルブレヒトが、1485年に、兄弟で領土を分割(ライプツィヒの分割)したことに始まる。ドレスデンを中心とする領土を与えられた弟アルブレヒトは、ザクセン公を称し、ドレスデンを都として地域を支配することとなった。こうして、ドレスデンは、アルベルティン家の宮廷都市として栄えることになる。1806年に神聖ローマ帝国が崩壊し、ザクセン王国が成立した後は、ドレスデンはその首都となった。

 第二次世界大戦では徹底した爆撃にあい市内中心部はほぼ壊滅。その歴史的建造物は、瓦礫の山となった。ソ連占領地域にあったため、戦後はドイツ民主共和国(東ドイツ)領となり、ドレスデン県の県都としてライプツィヒなどと並ぶ工業都市として発展した。近年では観光地としての開発も顕著で、東部ドイツ有数の大都市として賑わいを見せている。旧東ドイツ時代の1950~60年代初頭は、スターリン主導の社会主義都市的な建築物・広場や道路などの計画が進められた。その反動から、60~70年代に入ると、共産国家でありながら歴史的遺構物保護護を目指した市民の活動が動きを見せ、一部の建築物が再建されることが決まった。この旧東ドイツ時代に再建された歴史的建築物のほとんどは、この時期にすすめられたものが多い。経済的・技術的な理由から、東西統合まで廃墟のまま残された建築物は数多く、統一後に再建が積極的に行われる。90年の東西ドイツ統合後、歴史的建築物の再建計画が一層推進された。廃墟のまま放置されていた王妃の宮殿が再建されて高級ホテルに生まれ変わったほか、同じく瓦礫の堆積のままの状態で放置されていた聖母教会の再建には、世界中から182億円の寄付が集まり、2005年10月に工事が完了した。通常、欧州の都市の場合旧市街地に、古くからの代表的な広場や歴史的建造物などが数多く残り、新市街地は最新の都市をつくり上げるのが常だがドレスデンの場合は異にする。ザクセン選帝侯時代、今の新市街地区のほぼ全域を焼失させる大火災があった。そこから比較的早く復興したため、それを記念し、全く新しく生まれ変わって繁栄してほしい、という願いを込めて、選帝侯が新市街-ノイシュタットと名付けられたと言われている。築100年を超える建物が多く、世代を超えても当時の雰囲気を比較的良く保っている。空襲で完全に焼け落ちたにもかかわらず、過去の姿が旧市街地以上に保存されている。

 都市経済は他の旧東ドイツの都市よりはかなり良好で、他の都市が職を求め、未だ旧西ドイツの大都市への流出が続く中、自動車メーカーのフォルクスワーゲンの工場が中部地区にあり、独インフィニオン・テクノロジーズ社から独立したキマンダ社、米AMD社の半導体製造部門が独立したグローバルファウンドリーズ社などの製造拠点が置かれ、欧州における半導体製造拠点のひとつにもなっている。東西統合直後は、他の旧東ドイツの都市同様に人口の社会減に悩まされたが、先に述べたように新市街地の復元による観光産業の勃興、自動車、半導体・電子産業工場の立地などの施策が功を奏して人口増に転じた。2030年代半ばには、58.3万人になると予測されている。ドイツ国内が人口減時代に入った中、その成長ぶりは国内都市の羨望の的となっている。街全体の雰囲気は、やや古典的で、狭い路地が続く町並みには、レストランやバーが無数に存在し、週末は地元人達で賑う。また、美術・芸術家などの個展や、演奏会・音楽サロンが街のあちこちで毎週のように開かれ、地元人の関心も常に高い。文化・芸術が生活と密接に関わっているドレスデン特有のもので、宮廷文化を今なお色濃く反映している。ドレスデンは『欧州文化首都2025』の指定を目指し取り組んでいる。次回は肝心のドレスデンの都市交通について論じたい。 ~ドレスデン~(市公式HP)


動画3 ドイツ絶景紀行 エルベ川のほとりドレスデン BS TBS(ユーチューブ動画より)


続く


お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村

広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

前回記事 広島の都市問題 広島市のMICEの可能性 1

【考察その4】
広島市のMICE施設の立地などを考える その2


画像1 現行の宇品・出島地区における土地利用レイアウト図 拡大図(要拡大) 広島県HPより)


画像2 画像1の基本レイアウトを当てはめるとこの画像のような形になる(広島県HPより) 

 広島市は、画像1の構想を見る限りではMICE関連施設-展示・会議施設-の建設を今も諦めてはいない。規模の縮小や一部構想の撤回(多目的スタジアムなど)は謡っているが、基本姿勢は不変のようだ。市の財政、社会状況や、実際の需要などを総合的に判断し、建設時期を見極めている、と言える。市の長期計画に盛り込んでいる肝煎り施策の1つなので、挙げた旗はそう簡単には降ろせないのかも知れない。ブログ主は、施設整備自体には決して反対はしないが、この地区での建設には大きな疑問を持っている。前回記事で神戸、北九州、福岡各市のMICE施設のオールインワン体制について論じた。当面のライバルになるかも知れないこれらの都市は、施設を都心部地区及び隣接する地区に集約整備して、相乗効果を目論んでいる。しかも空港の近く、他の公共交通や道路のなどのアクセス性も非常に高い。一方の宇品・出島地区はどうだろうか? 確かに広島南道路や(広島高速3号線)、市道鷹野橋宇品線、同中広宇品線などの道路整備はこの10年でかなり進んだ。肝心のアストラムラインの南進は絶望的で、実現する可能性は0%。心理的な距離短縮は、全く進んでいない。『空港・都市最大鉄道駅・都心部地区(観光資源)・MICE施設群』が一体化した『オールインワン体制』が必須とされる中、宇品・出島地区の孤立感はどうしようもない。そして本当に今更だが、空港が市域外の超遠隔地(三原市)に立地。ハンディをこれ以上増やす必要はない。確かに宇品地区は、21世紀に入り開通した2本の市道沿線中心にマンション、商業施設の新規立地が相次いだ。かっての下町的な雰囲気はなくなりつつある。

 自動車移動は別として、公共交通-路面電車・バスの速達性の低さは実際の距離以上のものを感じる。広電1号線だと、紙屋町東-広島港の所要時間は約34分(表定速度10.4km/h)、広島バス21-2号線だと紙屋町-広島港桟橋間は18分程度(表定速度不明)。この地に、MICE施設を中心とした日常的なにぎわい施設をつくる場合、バスよりも輸送単位が大きい広電市内軌道線の高速化が必須となる。現状の34分を20分に短縮する場合、表定速度を10.4⇒17.7km/hに上げないといけない。運用車両を100%超低床車の完全に置き換え、停留所を2/3の数に集約、PTPSの設置、最高速度を60km/hに引き上げ、軌道の準専用化-センターリザベーション化などが不可欠となる。広電のLRT化が進まない現状を考えると、どれだけの困難が伴うのか、考えたらお分かりだろう。それならば、広島バスの21号線を時間バス専用レーン化、PTPS設置、連接バス投入したほうが早いかも知れない。現行の18分が15分程度にはなる。何れにしても、都心部地区(紙屋町交差点起点)から5㌔以上も離れた地に、MICE施設建設は戦略的な観点からもあまりよろしくない。では、MICE施設が不要なのか?と問われたら、ブログ主は『いや必要だ』と答える。その理由をこれから説明する。それは老朽化した展示施設が多く、広島市の都市規模に見合わず貧弱だからだ。

▼市内展示主要3施設 展示面積 9,840
平方㍍
  ●広島市中小企業会館(広島市西区 展示面積2,640平方㍍)1979~80年完成、
  ●広島県広島産業会館(広島市南区 展示面積 9か所 5,500平方㍍ ) 1970
   ~90年完成 2016年5月東展示場リニュアール(下記画像3参照)
  ●広島グリーンアリーナ小アリーナ(広島市中区 1,700
平方㍍) 1993年完成
  ※共にリンクページ公式HPより

▼広島市中小企業会館(広島市西区 展示面積2,640平方㍍)の利用(稼働)率状況
 ~広島市中小企業会館の概要について~(広島市HP)
 ●展示ホール 
 2011年71.1%、2012年75.5%、2013年79.7%、2014年67.7%、
 2015年(11月)85.2%

 広島市中小企業会館の多機能化しての建て替えは喫緊(きっきん)の課題だと考える。この施設を仕事で何度か利用した経験があるが、とても現在の需要に合った施設とは思えない。築40年近くが経過して経年劣化も進む。老朽ぶりもさることながら、その施設規模が展示面積2,640平方㍍と広島市の都市規模に見合っていない。稼働率が証明するように、85%を超えMAXに近い。前回記事で紹介した3都市が、市の単独施設で1万平方㍍規模以上と比較すれば如何に貧弱な武器であることがよく分かる。バブル期に計画された3万平方㍍規模である必要性はないが、スタジアム問題のみなと公園案で示された9,200平方㍍規模の展示場は必要だ。国際会議とは異なり、広島程度の都市では国際見本市や、全国レベルの大規模見本市開催は難しいだろうが、地域規模の展示会や見本市らしきものの開催は可能だ。それでも、地元経済界には何かしらのビジネスチャンスになることも多々ある。これは実際にあった話だが、広島産業会館でのとある展示会でご一緒させていただいた企業と懇意となり、新規融資契約を取り付けた経験がブログ主はある。参加企業が増えるとその機会はさらに増える筈だ。以前の記事で書いたが、広島サンプラザの建て替えで中小企業会館と集約させる案を協同組合広島総合卸センターの方々が提案していた。案そのものは魅力的だが、デルタの西の端の端の商工センター地区には、分不相応の提案とも思った。小規模の展示・会議場の併設で十分だ。では、どこに建設するのが相応しいのだろうか? 次の考察ではその点に触れたい。

東展示館外観
画像3 広島都市圏最大の展示施設の広島県広島産業会館(南区比治山本町)

【考察その5】
広島市のMICE施設の立地などを考える その3


画像4 ブログ主が最も適切な候補地と考える中央公園。しかし都市公園法の高い壁が待ち受ける(ひろしまナビゲーターより)

 その候補地は中央公園広場である。ご存知の通り、都心部地区のど真ん中で平和記念公園(国際会議場あり)からも徒歩圏内、宿泊施設のホテルは新旧問わず星の数ほどあり、現在インバウンド需要の高騰で建設ラッシュ状態。県が主導する広島東署跡地一帯には、国際会議開催可能なコンベンション機能を併せ持つヒルトンホテル建設が予定されている。広島駅北口では今年の6月に、大和ハウス複合棟に広島コンベンションホールが完成する。官の弱い部分を官の後押しの元、民間施設整備で補う手法で十分間に合う。では、もう一方の展示施設は?となると、広島グリーンアリーナ小アリーナだけで、非常に心もとない。広島式オールインワン体制の確立には、都心部地区に公的施設がぜひ欲しいところだ。これが実現すれば『会議場・展示場・宿泊施設・都心部(観光施設)』のMICE4点セットが揃う。旧市民球場跡地に時期はずれ込みそうだが、大小のイベント広場整備が予定されており、補助機能としては申し分ない。その中央公園広場に建設するであろう(ブログ主予測)サッカー専用スタジアムとの複合施設化でそれを実現するのだ。日本に限らず、欧州の都市でのサッカー専用スタジアム建設で大ネックとなるのはその稼働率の低さとよく指摘される。各リーグ戦とカップ戦を含めても、その主となる利用者のプロクラブの試合開催は年間30試合前後。アマチュア利用を含めても、サッカー利用だけでは高い稼働率は期待出来ない。日常的なにぎわいと収益向上に大きく貢献する施設との複合化は、かの地でも至上命題になる。よって、商業施設、ホテル、MICE施設、学校、オフィス、公共施設との複合化、スタジアムの多機能化等がそれになる。

 その多機能・複合化を阻む高い壁に中央公園広場に適用される都市公園法の存在がある。制約受ける条項を書き記す。

~『中央公園広場は都市計画において、用途地域が第二種住居地域に指定され、これに伴う建築基準法第48条の用途制限によって、第二種住居地域内に建築できる建築物の用途が制限される』~ ~『制限をされるようとの主なもの-劇場、ホール(歌舞伎座、神楽殿、公会堂、音楽専用ホール、ライブハウス) 観覧場(観客席のある運動施設など) 映画館 延床面積1万平方メートルを超える店舗、飲食店、展示場(メッセ)、遊技場(テーマパーク・遊園地)』~  3 議論の経過(7)現行の制約条件の再確認(広島市HP)より

 現在の安倍政権の掲げる施策の1つに『スタジアム・アリーナ改革』(経済産業省HP)がある。内容は野球、サッカー、バスケなどのプロスポーツコンテンツを最大限活用し、街中に複合型のスタジアムやアリーナを整備。にぎわい施設を都市の装置として街中(都心部)の活性化をしましょう、である。日本が標榜する集約型都市構造への転換にも符合する施策でもある。このガイドブック通りに事が運べば目出度い限りだ。しかし、都市公園以外に都心部にここで描かれている理想の多機能・複合スタジアム実現するための広さを持った場所などあるのだろうか?という疑問も同時に沸く。従来のスポーツ施設は、単機能単体スタジアムで郊外立地のコストセンター
(利益を生み出さない部門)だった。近年では、すっかり様変わりしてプロフィットセンター(利益に責任を持つ部門)が主流ととなった。数字には表れない相乗効果などもあるので、厳守する必要はないがコストの垂れ流しは許されないのは確かだ。これらの実現を阻む都市公園法は、喉元に突き刺さる小骨のような存在だ。
 

画像5 提案された中央公園広場の単独スタジアム案。他の公共施設との複合化は考慮されていない。広島市がコストセンターとして未来永劫抱える覚悟があるのであれば、それもまた良しだ。(広島市HPより)

【考察
その6】
街中MICE実現のキーワード『都市公園法の特認』『紙屋町・八丁堀都市再生緊急整備地域』

 近年、都市公園の有効活用が都市活性化の観点から論議されてきた。2017年6月都市緑地法などが改正された。 ~都市緑地法等の一部を改正する法律~(国土交通省HP) 従来からは大きく前進して、老朽施設の更新の民の参画、保育園設置、公共還元型の収益施設の建設などが認められるようになった。あくまでも乱開発ではなく、従来からの都市公園の機能維持が大前提となる。が、設置制限を受ける大きな収益施設の設置(というか建設)は相変わらずNGだ。これでは、複合型スタジアムの実現は夢のまた夢だ。これをグローバルMICE都市に限り、特区ではなく、展示施設の併設に特例処置として容認するのだ。特区でも構わないと思うが、例の問題がこれだけ大きくなるともう無理だろう(笑)。ついでに言わせてもらうと、現在広島市は、紙屋町・八丁堀地区を広島駅周辺に続く都市再生緊急整備地域の候補地準備を進めている。中央公園広場がある基町地区も広義では、紙屋町地区になる(ブログ主拡大解釈)。ブログ主の予想では、八丁堀地区は容積率の緩和などで老朽ビルの建て替えが、ある程度は進み複合ビルを謳ったものが誕生すると思う。紙屋町地区に限れば、公的空間が多く官の役割が欠かせない。特に中央公園の施設集約による建て替えは、必須だ。

 本来であればここにそごう(バスセンター)と広島県庁の建て替えもメニューに入れたいが、広島県庁が現在地で建て替える場合、18年ぐらい前の試算で550億円以上のコストが掛かり基金も積み立てる予定だったが財政難から取り崩した。 
「広島県庁建て替え問題」~(Eタウンクラブ) 今は耐震化に焦点が移っている。そごうもかなりあれだが、バスセンターの問題があり現実には難しそうだ。となると、中央公園の再整備に期待が集まる。別に10年程度でやり終えろ、とは思わない。20年計画で2030年代半ばの竣工を目指せば、良いのではなかろうか? その先行事業で跡地のイベント広場整備と広場のMICE施設併設のスタジアム整備を位置付ければ、弾みがつく。後は他記事でよく主張する元安川、猿猴川、平和大通りを上手く活用してにぎわい性創出の規制緩和を断行して、民需を引き出す仕掛けをつくる。これだけでも広島市内の都心部が再生が可能になる(と思う)。そろそろデルタ外と、都心部地区の投資額の比重を見つめ直す時期に来ている。その地区限定の発展よりも、市・都市圏全体の発展を考え本格的な人口減時代に備えるべきだ。ただ、実現には他にも大きな問題を解決する必要がありそうだが(笑)。実はこちらのほうがハードルが高いかも(爆)。


お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村

広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

前回記事  2017年版 秋 筋疾患(封入体筋炎)リハビリ
カテゴリー記事  
防寒対策・リハビリ・歩行補助具など


1 本題に入る前に一言


画像1 
筋ジストロフィーデュシェンヌ型の進行レベルの障害分類 拡大図 封入体筋炎と進行状況が似ているので参考として用いる。「国試塾リハビリアカデミー」中島塾長のブログより

 このリハビリ記事は、ミオパチー系疾患の孤発性封入体筋炎(以下 封入体筋炎)発症歴満10年、11年目に入り、上記画像の分類では進行レベル『ステージⅣ~Ⅴの中間』程度のブログ主の現行筋力レベルでのリハビリ記事です。疾患差や進行レベル差があり、残筋肉量も異なると思うのでその辺を差し引き、よく踏まえた上で記事を読まれることを強く希望します。

2 2018年3月、実施している自宅内リハビリ その1
負荷をかけるものから、負荷が少ないストレッチ系中心への移行

伸びをしている人のイラスト(男性)
画像2 本格的な運動の前にストレッチに励む男性のイメージ(かわいいフリー素材集いらすとやより)

 このシリーズ記事、2017年秋版を更新したのが昨年の秋口で、すっかり冬版を更新するのを忘れていた(笑)。その間、色々とあり考え方も変わったので、今日はその辺を書いていきたい。同疾患(封入体筋炎)、同系疾患(ミオパチー系疾患)の方で参考にされたい方は、最新版が現時点のブログ主の考えなので、もし宜しければ参考に。その際は自己責任の範疇でお願いしたい。筋疾患患者の身で負荷が大きい自重筋トレよりも、
『負荷が比較的少ないストレッチ系のリハビリのほうが有効ではないか?』と最近では思いつつある。こればかりは、『これだ!』的な正解はなく、現在の進行状況で体感のみで得た感想だ。特に医学的な根拠は何一つないが、データと絶対的な医学データに基づいたものがない以上は、仕方がないと割り切っている。と言っても大したことはしていない(笑)。ただ、思っていた以上の効果がほんの少しあったのは事実だ。

ブログ主(封入体筋炎発症歴11年目、満10年)が毎日欠かさず実施しているスト
 レッチ系リハビリ

 
 -1⃣ 上肢
  ① 首を前後、左右-正面を向いたまま・顔も動かす、左右の回転をさせる。その時に上半身
    も一緒に動かす 1セット15~20回 1日2~3セット
  ② 腰を前に出す 1セット15~20回 1日2~3セット
  ③ 腰を左右を前に出す 1セット15~20回 1日2~3セット
  ④ 両腕を肩の高さまで上げて、両手の指を前で重ね合わせる。その姿勢を維持して左右の肩の
    上げ下げをする。
1セット15~20回 1日2~3セット
  ⑤ 首を転倒しない位置まで下げ、上げる。1セット15~20回 1日2~3セット
  ⑥ 両腕を伸ばして、手のひらを上に向け指を親指から降り、その後は小指から元に戻す。次は
    手の甲を上に向け、同様に動かす。1セット5回(手のひらと甲の両方でワンセット計
    算) 1日2~3セット
  ⑦ 両腕を伸ばして、手のひらを上に向け『グーパー運動』をする。その後、手の甲を上に向け
    同様に行う。
1セット5回(手のひらと甲の両方でワンセット計算) 1日2~3セット
  ⑧ ベットの上など、安定感がある場所で胡坐(あぐら)をかいた姿勢で、両腕を両太ももに置
    き上半身を上げ下げする。1日1セット 1セット15~20回
  ⑨ 腹式呼吸や発音しにくい行言葉を発声、大声で会話をするように心掛ける。1セット5回 
    1日1セット 
  ⑩ 腕をボールを投げるような動き、後ろの相手に肘打ちするような動き、横に腕を伸ばし、肘
    から先を上に持ち上げるような動きを繰り返す 1セット10回(各左右) 1日2セット

 -2⃣ 下肢
  ① 座り姿勢で両足を上げて、蹴り飛ばすような動きをする。なるべく足には力を入れない。1
    セット30回程度 1日2~3セット
  ② 座り姿勢で、足を前後と左右に最大限に動かす。 1セット各10~15回 1日2セット
  ③ 座り姿勢で、両腕で片足を持ち上げ足の甲を動かす。1セット各10~15回 1日2セッ
    ト

  ④ ③と同じ姿勢で、片足を目一杯、持ち上げる。1セット各10~15回 1日2セット
  ⑤ ③と同じ姿勢で、足を横に開くような動きをさせる。1セット各10~15回 1日2セッ
    ト

 -3⃣ このリハビリをする時間
  在宅仕事の合間時間(ひと段落ついたときなど)、就寝前など。強い義務感など決して持たず、
  数
多くのメニューの8割程度を、無意識に消化できるように心掛ける。手持無沙汰になったら
  自然と
やっている、こんな形になれば理想的。無意識に消化するまではメニュー表を見ながら
  やる。1~
2週間継続して、見る必要がなくなれば暇つぶし感覚でやる。時々、メニュー表を
  見てやり忘れて
いるものなどを確認する。

 -4⃣ 効能らしきものと注意点
  ●効能らしきもの
 
  やり過ぎなければ、身体の動き全体が軽やかになる(かも知れない)。四肢(手足)の稼働範
  囲が僅かだが広がる(時もある)。メンタル面への好影響など。

  ●注意点
  身体能力以上には絶対にやり過ぎない。腰痛や四肢(手足)の筋肉の張りや軽い痛みを伴う場
  合もあるので、数日行い、改善しない場合は回数などを調整する。身体全体の疲労感を伴う場
  合もあるので、身体が慣れるまで続ける。慣れない場合は、回数調整と中止を検討する。必要
  以上に期待しない。効果があれば、ラッキーぐらいのつもりで行う。
仕事中に伸びをする会社員のイラスト(女性)
画像3 仕事中に伸びをする会社員のイラスト(女性) かわいいフリー素材集いらすとやより
体の硬い人のイラスト

画像4 身体が硬い男性でストレッチで苦戦しているイメージ図(かわいいフリー素材集いらすとやより)

3 2018年3月、実施している自宅内リハビリ その2
なんだかんだで、やっぱりやめられない負荷が高い自重筋トレ
片足立ちのイラスト(男性)
画像5 片足立ちをする男性(かわいいフリー素材集いらすとやより)

 封入体筋炎に限らず、ミオパチー系疾患の方の筋肉に対しての執着心は、尋常ではないものがある。私のそんな患者の一人だが、その基本メンタル故に『筋肉組織を壊さない程度の筋トレ=欠かせないもの』の考えが心のどこかに絶対に引っかかっている。壊さない程度の定義が非常に曖昧と言うか、アバウト過ぎていつも頭を悩ませる。進行度合いでその定義が変化するからだ。一応、よく言われる目安としては、強い張りや痛みを感じないレベルなのだが、そこまでセーブすると何もやることがなくなるというリハビリの意義にも係るジレンマに陥る。矛盾だらけで困った話だ(笑)。現筋力の維持と廃用性症候群の筋委縮予防をかね、ブログ主が未だに継続しているものを書き綴りたい。

ブログ主(封入体筋炎発症歴11年目、満10年)が時々、実施している高負
 荷の自重筋トレ 


 -1⃣上肢 
  ① 
拳を力強く握りしめて、ボールを投げるような動き、後ろの相手に肘打ちするような動き、
    横に腕を伸ばし、肘から先を上に持ち上げるような動きを繰り返す 1セット各10回 
    1日1~2セット程度

  ② 荷重10㌔のハンドグリップを使う。1セット各30~40回程度 1日1セット
  ③ 乾いたタオルの両端を持ち、最大限引き延ばす 1セット30回 1日1セット
  ④ 
ベットの上など、安定感がある場所で胡坐(あぐら)をかいた姿勢で、上半身後からだけで
    上げ下げする。1セット15~20回 1日1~2セット

  ⑤ ベットなどの手すりを使い、腕立て伏せを行う。1セット 10回程度 1日1セット

 -2⃣ 下肢
  ① 手すりなどが近い安全な場所で、手すりや壁で支えながら片足立ち。1セット 30秒程
    度静止  1日1~2セット
  ② ①と同じ場所でつま先立ち。1セット 30回程度 1日2セット
  ③ ①と同じ場所で踏み足を行う。1セット合計50回 1日2~3セット
  ④ 手すりなどを使わない状態で立ち姿勢をギリギリまで続ける。1セット 60秒程度静止
    1日2セット
  ⑤ 座り姿勢で片足を最大限、持ち上げ静止させる。1セット 20~30秒程度静止 1日
    2~3セット
  ⑥ 椅子に座った姿勢のまま、すり足で移動する 1セット 5㍍程度 1日2~3セット

 -3⃣ その他リハビリ
  ① 歩行訓練 気温が高く下肢と腰の状態を確認して問題なしと判断した時のみ行う。自宅マン
    ション内の通路で
介護人の監視の元、杖歩行。

  -4⃣ 
効能らしきものと注意点
  ●効能らしきもの
  過度に行わなければ(筋肉組織を破壊しない程度)、ある程度の筋力維持効果はある(かも知れ
  ない)。筋肉組織が壊れていく恐怖を紛らわせるメンタルへの好影響など。

  ●注意点
  必ず毎日行わず、最低でも中1日以上の間隔を空けること。医学的な裏付けはないが、毎日行う 
  と、筋肉疲労が完全に取れず、逆効果のような気がする。壊れたまま回復しない状態で、さらに
  能力以上の負荷をかけると、壊し続けることにもなりかねない。因みにブログ主は現在では、週
  2回程度を目安にしている。ストレッチ同様に過度の期待は厳禁。期待値が大きければ、望む結
  果が得られない場合の落胆も比例してまた大きい。

一応、こんな感じとなる。毎回、漏れなく100%消化している訳ではないが、基本メニューはこの通りだ。思いついたものを取りあえずはしている。繰り返し言うが、これが最適解だという自信は全くない(笑)。これまでの経験と、現状の進行レベルなどを鑑みてベストではなく、ベターなリハビリだとは思っている。現在の些細な目標は、昨年秋口までの数時間の立ち姿勢可能な常態に戻すことだ。まあ、可能性は無きにしも非ずといったところだが、諦めず根気強く取り組みたいと考えている。



つま先立ち運動のイラスト2つま先立ち運動のイラスト2

画像6 椅子を使いつま先立ちをする女性(かわいいフリー素材集いらすとやより)


お手数ですが、ワンクリックお願いします


難病(特定疾患) - 病気ブログ村

広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

↑このページのトップヘ