封入体筋炎患者闘病記

 封入体筋炎患者のヒロです。病歴は2019年で満11年、12年目に入りました。在宅勤務の仕事とリハビリの日々を送り、細やかながらも家族3人で暮らしています。ブログ記事は闘病記と広島地元ネタ、社会保障などの時事ネタ中心です。希少疾患の封入体筋炎の周知が目的です。関心があれば、ツイッターなどでご紹介していただければ幸いです。疾患関係で直コメントが苦手の方は、ツイッターのダイレクトメールを利用してください。封入体筋炎の闘病史は各進行段階の症状や生活障害、必要な社会保障制度等をまとめています。良ければ参考にしてください。最新の封入体筋炎の状況は『近況について色々と』、取り組んでいるリハビリについては『2019年春~夏 筋疾患(封入体筋炎)リハビリ』にて素人の体感目線で書いています。モバイル版で読みにくい場合は、PC版に転換してからお読みください。

2019年02月

カテゴリー記事 広島の都市問題カープとその他スポーツ


今日の話題 2月26日中国新聞1面などより引用
カープ抽選券に5万人 
想定の倍 配布打ち切り



画像1 2月26日中国新聞1面より

【記事詳細】
 広島東洋カープは25日(2月)、今季主催公式戦の入場券を購入するための抽選券をマツダスタジアム(広島市南区)で配った。しかし、想定の倍を超える5万人以上が詰めかけたため、球団は『安全を確保できない』として配布を途中で打ち切った。納得がいかない一部ファンがスタッフに詰め寄るなどし、スタジアム周辺は一時、騒然とした。事前の告知では、午前11時までに来場した全員に抽選権を配るとしていた。しかしスタジアム周辺にその抽選券を求め、人が殺到して、枝分かれした行列がJR広島駅周辺近くまで伸びた。車道などに人並みが溢れ、制御出来なくなり最後尾が分からない事態に。球団は配布を打ち切りを決め、11時半頃、スタジアム入り口にチェーンをかけた。抽選券を貰えなかった人たちから広義の抗議の声が相次いだ

 昨季まで、入場券購入は先着順。約1カ月前から行列を作る『テント村』や業者による買い占めに対し、ファンは不満を募らせていた。幅広く購入機会を広げようと、球団は今季初めて抽選方式を導入した。松田元(はじめ)オーナーは『不正転売をなくして公平にチケットが行き渡るよう、よかれと思ってやったことだが、こういう形になってしまった。ご迷惑をおかけして申し訳ない。今後色々な方法を試行錯誤してやらなければならない』と話した。球団によると、この日、4万枚を超える抽選権を配ったという。当選の結果は27日(2月)に発表する2,100人の当選者は3月1~2日に窓口で入場券が購入できる


画像2 同日の中国新聞33面より

【考察その1】
今回の処置が正しかったのか?それとも安全を担保しない状態で配布したほうが良かったのか?


動画1 カープ戦見たい!が暴動寸前に?広島にファン大集結(19/02/25)。

 この日の状況を中国新聞記事報道で探ると、球団側は『午前11時までに来場されたお客様に抽選券を配布いたします』としていた。 ~『2019年度 公式戦入場券販売整理券の抽選についてのお知らせ』~(公式HP) これは入場券の販売ではなく、入場券購入の権利-2,100人分・1人5試合まで-を得るかもしれない抽選券の配布だ。それを求め、ご覧のように平日の昼間にも係わらず5万人もの人が集まり、スタジアム周辺が制御不能に近い状態に陥った。通称『カープロード』は人が満ち溢れ、歩道は言うに及ばず車道にまでに及びパニックになった。球団側は当初、多くても2万5千人程度と予測して警備員35人を配置した。ところが、配布予定時間の1時間前の午前10時頃にはあまりにも人が多過ぎて対応が出来なくなった。配布時間を午前9時40分からに繰上げたが広島県警が出動する羽目となり、JR愛宕踏切周辺~スタジアム間を一時車両規制をしたほどだった。JR西日本から『この状態が続くと、運行に支障が出かねない』とのクレームが入り、プロムナード内に入っているか否かを以て午前11時、抽選券の配布を安全上の理由から急遽、中止した。 ~『2019年度 公式戦入場券販売に伴う抽選券配布についてのお詫び』~(公式HP)。梯子を外された形となり、抽選券を貰えなかった一部のファンが激高して球団職員に詰め寄る場面も多々見られた。それ以外に今回のとばっちりを受けたのは、実は広電で、同社のバス路線は午前8時半頃から午後15時半頃まで約7時間もダイヤが大幅に乱れ、最大2時間も遅れが生じ、16本が運休となった。路面電車も40本が最大13分の遅れが出た。こんな顛末となったが、松田オーナーの釈明にもあるように、不正転売問題の対策の一環として行った今回の抽選方式がものの見事に裏目に出た格好となった。需要に対して、供給側の対応が全くついて行っていない印象を強く持った。利害が絡まない第3者的な立場で見ると、安全面を考慮しての配布打ち切りは妥当だと考えるが、平日の昼間からわざわざ有給を取ってまで列に並んだファンの心情を考えると、そもそもが想定人数を2万5千人程度と甘く見積もった事が、ケチのつけ初めだ。万が一に備えてのプランBはなかったのか?1つ(最も可能性が高い予測)の状況の対応策しか用意していなかった球団側の不備は責められても仕方がないだろう。球団側に同情するとすれば、知名度こそ抜群だが一企業としてみれば中小企業に属するカープの対応力を超えた事象が近年立て続けに起きていると言える


画像3 2月25日に配布された抽選券にイメージ図(画像 公式HPより)

 話が前後するが、11時に配布中止を決めるまで球団側は4万枚を配ったというが、4万枚を印刷して用意していたのであれば、抽選券だけではなく4万人集客に応じて警備体制のプランBも準備すべきだった。そもそも
『午前11時までに来場されたお客様に抽選券を配布いたします』ではなく、こんな回りくどい昭和的な販売方法などこの際決別して、転売防止のため枚数限定のネット販売とコンビニなどの店頭販売に1本化したほうがすっきりすると思うのがブログ主だけではあるまい。無用な人件費もカットできる。未だに置かれている状況をよく理解せず、旧態たる自身の店頭販売に拘るからこんな目に合うのだろう。この方式では『ネット環境にない人たちが~』との反論の声も上がりそうだが、今時ネット環境にないなど普通ではあり得ないと断定するのは言い過ぎだろうか?そうしたごく少数の人たちの救済として、郵便にて申し込む方法の余地も残しておくなどで十分だろう。これとてあらゆる方面でチケット難民と化したファンの応募で殺到することが予想される。この日の報道に触れたブログ主の感想は、『こんな月曜の昼間から本当に暇人が多いな(笑)』、『わざわざ、有休を取ってまですることか?』と思い、さすがにここまで来ると一部カープファンの異様な熱さに引いてしまった。13年頃に関東で火が付いたカープバブル(カープ女子現象)が14年に広島の地に逆輸入され年々過熱し、『カープ狂騒曲ここに極めり』との感想を持った次第だ。


画像4 これも広島の個性の一つだが、さすがにビビるな(笑) 画像 ユーチューブ動画撮影より

【考察その2】
抜本的な解決方法はないものか?



画像5 毎試合スタジアムを真っ赤に染め上げ、選手を後押しする

 単純な疑問としてなぜ地方球団に過ぎないカープの観戦チケットがほんの十数年前までは何の価値もなかったのにプラチナチケット化したのかを考える。元々、プロ野球は試合数の多さからJリーグとは異なり、大都市興行型のプロスポーツコンテンツと言われた。今でこそ三大都市圏以外の福岡、仙台、札幌市などに根付き、地域密着しているが89年に旧南海ホークスがダイエーに身売りして福岡に移転するまでは三大都市圏以外では、唯一広島だけに存在したプロ野球球団だった。それは広島人の誇りを満たすものではあっても、やはり地方都市ゆえの興行上の不利は否めなかった。70年代半ば~90年代初頭までの黄金期はまだそれでも、地元の熱狂的なファンに支えられていたが、Jリーグ誕生などスポーツ文化の多様化、スポーツ無関心層の増加などの外的要因とFA制度導入、ドラフト制度の改悪(カープ目線)、選手年俸の高騰などのプロ野球的内的要因が90年代前半以降に同時に襲い掛かり、カープは人気と実力の面で長い低迷期に入った。かと言ってカープの存在を広島人は、忘却の彼方に追いやったのではなく、結婚して長い年数が経った古女房のような存在だった。他の球団とは異なり、球団が市民の熱意を以て誕生した経緯が、代々の広島人の遺伝子に組み込まれているので時代によってその温度差はあっても『カープは身内で家族』の意識は不変だった。04~05年の1リーグ構想などの浮上で、冷めかけていた熱量がやや復活し、市の財政難などの理由で延び延びになっていた念願の新スタジアム(現マツダスタジアム)が09年に開場した。13年頃までは、開場初年をピークに年間観客動員数は160万人前後を推移していたが、先にも触れた13年頃のカープ女子現象が関東地区で起こり、14年以降に広島に逆輸入され、観客動員数は再度大幅増加に転じた。15年の黒田の日本球界復帰、16年-25年ぶりのセ・リーグ優勝、17年-セ・リーグ2連覇、18年-同3連覇と慶事が続き、上げ潮基調が止まらない。

マツダスタジアム開場後の年間観客動員数の推移
09年 187.3万人 10年 160.0万人 11年 158.3万人
12年 159.0万人 13年 156.5万人 14年 190.5万人
15年 211.0万人 16年 215.7万人 17年 217.8万人
18年 223.2万人

 カープ人気急騰の要因は、マツダスタジアムの存在と球団による巨人戦放映権ビジネスからスタジアムビジネスへの転換の大成功などが功を奏し、広島人の殆どがライト層予備軍という市場も手伝ったことが非常に大きい。ところが、これは同時に別の問題も招き入れた。観戦チケット難民の大量発生である。低迷期を知る人間からすれば、ギャグのような話だが、超高人気チケットと化したために販売1カ月前から陣取る『テント村』や、不正転売業者による大量の買い占め問題が起きて近年、社会問題化していた。過去にそうした経験値が全くないカープ球団はその都度対応に追われていたが、今回の転売防止、公平なチケット入手の機会拡大を図る策を講じてもほぼ空売りに終わっている。因みに抽選券を貰えなかった1万人程度のファンからは怨嗟の声が絶えないが、逆に貰えたファンからは一様に高評価を得ている。根本解決を主眼に置くと、現在のカープ人気が上げ止まり下がり始めるのを待つのが良いのか?議論すら全く浮上していない観客席の増加を考えるのが解決策になるのか、になる。現在の状況からさかのぼれば、『なぜもう少し大きなハコを用意しなかったのか?』になるが、これは結果論で新市民球場の議論をしていた04~06年当時、カープは年間観客動員数が100万人前後と現在の半分以下で低迷しており、市中心部から離れ当時の感覚では至便の地とは言えなかった旧貨物ヤード跡地への移転すら、その理由で反対する人も少なくはなかった。同地を保有していた広島市が金利軽減期間が終わり、金利負担すら財政難から重荷になり押し付けた形になった。 ~新球場建設の推進
~(広島市HP) 定員3万3千人のマツダスタジアムだが、当時の状況では適切なものだった。


画像6 拡大図 マツダスタジアムの周辺開発の状況(画像 広島市HPより)

 次に考えられるのは現マツダスタジアムの観客席の増設だが、周辺施設の立地状況を鑑みると増設の空間はほぼないに等しい。スタジアムを核施設にして複合施設が周囲を取り囲むかのような景観を形成しているが、スタジアム自体は官設民営-新市民球場として市が建設、運営権はカープ球団が指定管理者として取得-方式で周辺開発は、『ヒロシマ・ボール・パーク・タウン』と銘打って入るが、三井不動産がスタジアムとは関係なく手掛け、スタジアムの収支とは一(いつ)とはなっていない。よくあるサッカースタジアムのような収益を一にする複合施設ではない。その開発も既に終わっている。当ブログで、再三取り上げるが市の財政状況は決して良好ではなく、今後大型事業が多く予定されていることもあり、財政面からもマツダスタジアムの観客席の増設は残念ながら議論すら交わされないと考える。問題の抜本的な解決は、ハコの増量の面からは殆ど可能性がないと言える。議論の堂々巡りとなるが、販売方法を何とかするしかない。ブログ主は当初、現在活況を呈しているカープバブルは17年ぐらいで終結し、落ち着くと思っていた。人がさらに人を呼ぶという好循環をもたらせ、まだ当分は落ち着く気配はなさそうだ。先の考察でも少し触れたが球団がチケット販売を直接スタジアムでするのではなく、ネット販売販売などに比重を移し省略化する方向で検討してほしいものだ。
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前回記事 平和大通りのPFI活用について その1
カテゴリー記事 
広島市の都市問題 都心部活性化


【考察その3】
札幌市の大通公園の事例
戦前から市民から愛されてきた札幌市のラウンドマーク


画像1 北海道の首都こと札幌市の大通公園の様子(画像 札幌市公園緑化協会HPより)

 前回記事では呉市の蔵本通りの事例を紹介した。これは屋台が不法占拠していた蔵本通りの歩道の一部を隣接する中央公園の一部に組み込むことで、道路使用許可者を県警から呉市に移管しにぎわい性創出に取り込んだ好事例となった。ただ、都市公園が近隣にない場合はこの手法を使えない。それならば、いっそのこと『通り全体を別の都市公園にしてしまえ』になる。道路ではなく都市公園的な利用され続けていた経緯はあるが、似た事例として札幌市の大通公園を紹介する。大通公園は西1~12丁目に広がる幅約65㍍(公園部のみ)、全長1.5㌔、面積約7万9千平方メートル(7.9㌶)の公園である。日本で3都市のみ実現した100㍍道路計画だが、名古屋市と広島市のそれが戦後計画されたものに対して札幌市のそれの歴史は都市成立時までにさかのぼる。1869年に北海道開拓使が置かれ、開拓判官の島義勇が碁盤の目状の区画を構想したことに始まる。東西の基軸が創成川で、南北の軸はやがて大通公園となる後志通だった。71年、中心部を北の官庁街と南の住宅・商業街とに分ける大規模な火防線(幅105㍍)がつくられた。これが大通公園の端緒となる。75年ごろからは多目的に利用されるようになり、78年には第一回農業仮博覧会が開催された。1909年、造園の権威であった長岡安平を東京府より招き、整備計画を依頼。逍遥地(散歩などをする所)としての顔が整えられる。11年、大通逍遥地(しょうようち)」として完成した。第2次世界大戦では、食糧確保のために畑となり、戦後進駐軍の司令部ができた西3丁目には、教会が建てられた。その後公園として復活し、まちの成長とともに都心の憩いの場として整備が進められた。50年から5年計画で芝生と花壇がある公園になり、57年に完成したテレビ塔ともに観光のスポットに躍進した。80年に都市公園法に基づく都市公園となった。89年からは6年かけて大通地区の再整備事業の一環として大通公園全体の連続性と数丁目単位での連携性や丁目毎の個性化を図るとともに、植物の生育環境改善や園路や広場のデザイン化とバリアフリー化などを進め、93年には西8・9丁目が連続化した。2011年に本格的な公園整備から100周年を迎えた。現在では『さっぽろ雪まつり』などの大小の数多くのイベントが開催され、都心部地区の潤い空間だけではなく、都市のにぎわい性創出の集客装置としての大きな役割を担っている。 ~大通公園イベント情報~(札幌市公園緑化協会HP)


動画1 
ライラック祭り期間中における札幌の大通公園-2017年5月26日

 熊本市における熊本城、広島市における原爆ドーム同様に都市のランドマーク的な存在でもある。大通公園の場合、公園と道路を一体的に整備はしているが場所こそ同じだが別物との認識が強い。日本の都市でも珍しい形態の都市公園だ。特殊公園の一つで、風致公園、動植物公園、歴史公園、墓園等特殊な公園で、その目的に則し配置される。大通公園はその中の風致公園で、風致-自然の風景などのおもむき、味わい-の享受の用に供することを目的とする都市公園であり、樹林地、湖沼海浜などの良好な自然的環境を形成する土地を選定し、配置されたものだ。郊外の自然景勝地に多い特殊公園だが、大通公園の場合は、都心部地区の立地であってもそれ擬するものの価値が見出され特殊公園の一つである風致公園扱いにされているものと思われる。もう一つの同様の形態-100㍍道路で道路中央部が都市公園化-の名古屋市の久屋大通公園も同様である。先に100㍍道路が実現した国内都市は3都市と書いたが、札幌、名古屋の両市は道路の中央が広大な都市公園であるのに対して、広島市のそれは道路中央に自動車の車線があり基本レイアウトが異なる。 ~平和大通り現況断面図~(広島市HP) 緑地帯(幅21.5~23.5㍍)が2ヵ所に分離された上、植樹もされ札幌市や名古屋市のようににぎわい創出のためのイベント開催や恒久的なカフェ設置が難しい。前回記事で引用した中国新聞で触れていた緑地帯の都市公園化を目指す場合、平和大通りの緑地帯2か所を一括りで1つの都市公園とするのか、はたまた複数の都市公園とするのかの問題もある。平和大通り全体を都市公園化するのは道路車線がある関係上、難しいので緑地帯のみとなるだろうが、その辺をどう判断するのか注視したい。ブログ主は全区間ではなく、一部区間の緑地帯の特殊公園化⇒指定管理業者による『パークPFI』が妥当だと考える。

【考察その4】
平和大通りの東西回遊軸の実現 その1
なぜ、回遊軸が求められるのか?



画像2 平和記念公園を起点とした東西・南北の軸線イメージ図(画像 広島市HPより)


画像3 平和記念公園周辺の平和大通りの様子(画像 広島市HPより)

 さて、平和大通りがにぎわい性の機能を求められるのか?そこから話したい。広島市の都心部地区の回遊性の狭さが問題視されているからだ。都市観光の側面だと、平和記念資料館来訪者の次なる訪問先
を見ると、原爆ドームは当然として、後は相生通り以北中心で、東西方面の回遊に乏しい。この方向に立ち寄りたくなるような集客施設がないことが最大の要因だが、回遊路がないことも要因として大きい。本来であれば平和大通りがその役割を果たすべきところだが、残念ながらそうなっていない。傍目には美しい通りにはなっているが、それだけなのである。そこで、日常的なにぎわい性創出する仕掛けがつくれないか?これが今回の平和大通りの『パークPFI』活用模索の出発点になっている。要は平和記念公園周辺に留まっている回遊性を南北方向だけではなく、東西方向に広げるためのそれなのである。これは都市観光は言うに及ばず、郊外大型商業施設の乱立で求心力を失っている都心部地区の再生にも大きく資するものであることは言うまでもない。広島市だけに限った話ではないが、求心力回復を図る術として、再開発ビル建設や跡地利用計画などがよく重要視される。間違いではないが、年間数百万人クラスのモンスター集客施設は別として、これクラス以下の場合所詮は点でしかなく集客施設を結ぶ回遊路の存在なくしては線にはなり得ない。その線にならない限り、広範囲な回遊性など生まれない。日本の都市の都心部地区の再生策にこの視点がコンパクトシティ先進国の欧州に比べ、決定的に欠けているのではなかろうか?何も、無粋な高架建造物である陸橋などの立体的なものは必要はない。一定の自動車の利用制限と既存都市インフラのリ・メイクだけで十分事足りる。歩行者中心の都市空間への転換が回遊性を飛躍的に高めるポイントとなる。これは都心部地区再生の肝と言うべき点で疾患治療で例えると根本治療に当たる。跡地利用やスタジアム建設などは、所詮は表面上の対処療法の一つでしかない。この各所にある集客施設間を結び付け、強く太い線にする回遊路こそ都心部地区再生の大元だ。その役割を担うのが、公的空間がふんだんにある平和大通りとなる。その潜在能力を当然有している。

【考察その5】
平和大通りの東西回遊軸の実現 その2
都心部地区広域回遊ネットワークの構築



画像4 『ひろしま活性化プラン』で描かれた都心部回遊イメージ(画像 広島県HPより)

画像5 ブログ主が妄想する東西・南北の広域回遊イメージ(画像 広島県HP画像にブログ主が加筆)

 上記画像4は、広島市と県が策定した
『ひろしま都心活性化プラン』(広島県HP)で示された回遊性の漠然としたイメージ図だが、方向性は間違っていないと考える。このプランは大まかな方向性のみを実施計画とは別に示したものなので、それ以上の価値には乏しい。広域回遊コースの四隅に4つの集客施設を見立て、磁石の如く吸引力を持たせ相互間の回遊性を向上させ都心部地区全体に波及させるようである。4つの集客施設とは、平和記念公園、平和の丘(市現代美術館)、県立美術館(縮景園)、広島城(中央公園)である。平和記念公園以外磁石ほどの吸引力が実際のところ、あるのか?疑問を持たざる負えないが、現状これ以上の集客施設もないので手持ちの武器で戦うとなると現実案として落ち着く。リ・メイクなどで機能強化して魅力を上げるしかない。先日記事で取り上げた『平和の丘』計画はその意味合いでは期待している。ブログ主は、集客施設自体そこまで大したものではないとの認識から、むしろ回遊路もセットで集客施設化させることで、弱い(平和記念公園以外)四隅の施設の相互補完させた方が得策だと考える。現在の京橋川と元安川の河岸緑地のオープンカフェを取りこんだ形でのものがベストだ。下記にそれをまとめてみる。

平和大通りの都市公園化と都心部地区の広域回遊路の設定(上記画像5参照)
 【範囲】
  原爆ドーム・平和記念公園~(平和大通り)~鶴見橋西詰~(京橋・猿猴橋川河岸緑
地)~
  栄橋西詰~中央公園各広場(跡地含む)~(公園内広幅員通路)~原爆ドーム・平和記念公
  園

 【平和大通りの説明】
  鶴見橋西詰~西平和大橋東詰間の緑地帯を特殊公園に用途変更する。名称は『平和大通り公
  
 ~平和大通りの現況断~ 現行の本線車道4車線は維持。本線車道横の歩道を車線
  化して計6車線とする。うち4車
線を自動車車線とし、中央の2車線はいずれ導入されるか
  も知れない広電平和大通り線の軌道敷予定地
に。当面は中央分離帯として整備。路上駐車場
  を廃止して、緑地帯に組み込む。本線車道左右の真横に幅23.5~25.5㍍の緑地帯を
  特殊公園とする。公園内(緑地帯)には幅2.0㍍の自転車道(歩車完全分離)と幅3.0
  ㍍
の遊歩道(廃止歩道の代用)を設ける。残りの幅18.5~20.5㍍のエリアに物品、
  飲食な
どの野外店舗スペースや展示、ミニイベント広場などを均等間隔に設ける(幅5.0
  ㍍程度)と、残りの13.5~15.0㍍は従来の植樹中心の緑地エリアとする。都心部地
  区広域回遊
路と同時に、にぎわい性を生み出す都市の装置としての機能も持たせる。特殊公
  園化に伴い、市
道比治山庚午線(平和大通りの正式名称)の都市計画変更も行う。この『平
  和大通り公園』は
『パークPFI』方式を採用。公募にて選定された事業者に公園内の緒施
  設
の管理・運営などを一任させる。野外店舗の進出業者の選定、ミニイベント開催の誘致の
  権限も与える

思いつくものを適当に並べてみたが、野外店舗スペースは街区ごとに屋台、オープンカフェ、その他飲食販売、物品販売などに区分けするのもありで、一定の集積が求められるので公園全体で30~40店舗程度を目安にするのも良いだろう。究極の理想は、ブログ主が提案(と言うか妄想)する『平和大通り公園』そのものを集客施設化させることだ。広場やモール(トランジットモールも含む)などが、一般化し気象条件から屋外文化が定着している欧州の各都市と、その正反対で気象条件から屋内文化が中心の日本の都市を単純比較は難しいが、京橋・元安川のオープンカフェのそこそこの成功や他都市の事例を見る限りでは、画一的な発想しかできない官主導ではなく柔軟な発想が可能な民主導であれば成功の余地が大いにある。この点においては官は、最低限の都市インフラ部の整備と規制の緩和をして民需を上手く誘導する黒子役に徹することが成功の可否を握るだろう。時代背景が少々異なるので、同列視するのはあれだが、前秋葉市長はその点が上手かった。この点は評価していいだろう。地方政治の為政者の場合、極端に偏っている方は別だが思想の左右は基本的には関係ない。論ずること自体無意味だ。

 結びとしては、現在広島市では、アジア大会開催前に近い都市のスクラップ&ビルドが続いている。アベノミクスによる好景気、インバウンド需要の高騰、この流れを受けて滞っていた跡地利用や再開発などが浮上・再浮上してカープの相も変わらないプチバブルがこの空気感を後押ししている。これ自体は広島市が『失われた20年』の停滞期から、反転攻勢期に入っている証左で好ましい傾向だ。昨年、紙・八地区が都市再生緊急整備地域に指定されたこともあり、20年の東京五輪、25年の大阪万博まで上物の
スクラップ&ビルド中心だと思っていた。特に現松井市政は、従来の都市開発の王道-都市インフラ整備こそ最大の活性化策-を唯一無二のマニュアル(それしか知らない)としている節を強く感じていた。決して✖ではないが、それだけでは成功の果実を得るのは難しい。ところが今回、平和大通りの『パークPFI』の運用を目指す記事を読み、少しだけだがその見方が改まった。それまでは手堅い手腕は一定の評価はしていたが、面白みに欠けた『可も不可もないまちづくり』『リトル東京を標榜したまちづくり』中心で滞っていた各事業がこの人の代になって動き始め、偶然にも目に見える形となったことが評価点だった。これは、市政を担う時期の問題もあったのだが・・・。大規模な公共投資は、既に時代的に過去の遺物になりつつある。必要なものは時代関係なく今後も建設しなければならないが、縮小社会(超高齢化+大幅人口減)の本格到来を踏まえた将来需要が先細るものは、控えないといけない。既存の都市インフラを活用し、少し手を加えることで付加価値が大きく上がるもの-例えば平和大通りなど-に今回着目したことは純粋に評価したい。都市の個性を打ち出す好機でもある。広島市の場合、天の配剤と言うべきロケーションも手伝い、国内都市では都心部地区は潤い空間に溢れている方だ。勿論、欧州都市に敵うレベルではないのは承知しているが、国内都市を競争相手と見立てた場合、持ちえる武器の一つにはなる。競争相手と同じ武器を持っていてもその武器の性能-商業施設群の厚みなど-で敵わないことも多々あるので、オンリーワン的なものを数多く持つことが他都市との差別化につながり優位に立てる可能性がある。まだ現段階では、模索するレベルの話だが、今後どう発展するのか注視したい。

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カテゴリー記事 広島市の都市問題 都心部活性化

今日の話題 2月22日中国新聞3面より引用
広島市が導入検討 平和大通りPFI活用 


画像1 2月22日中国新聞3面より

【記事詳細】
 広島市は21日、市中心部の平和大通りににぎわいを生むため、民間資金やノウハウを生かす『
ークPFI』制度の導入を検討する考えを明かした。民間事業者が、カフェなどを設置し、運営し、収益の一部で施設整備する手法。緑地帯などを都市公園と位置付けることで制度を使い、規制緩和を進めていく。この日の市議会総括質問で、松井一実市長が『人の流れをいかにしてつくり、にぎわいづくりの担い手を確保するか。パークPFIの活用で課題を一度に解決できる』とし、導入に前向きな姿勢を示した。公募で事業者を選び、収益の一部をベントやトイレなどの整備費に充てると想定。財政負担を減らしつつ、通りの魅力を高めたいとする

 緑地帯などのうち道路と定めれられている場所は収益施設の設置や運営が難しい。市は今後、その公園の扱いに出来る手法やどこまでのエリアを対象にするかなどを検討。民間事業者の出店の関心や採算性などの聞き取りなども視野に入れ、実現可能性も見極める。市は16年度から『ひろしまドリミネーション』へのスィーツカフェの出店や芸術展の開催など、にぎわいづくりの社会実験を続けている。『パークPFI』を巡っては南区の比治山公園で進む『平和の丘』
整備でも導入を検討している

【考察その1】
何はともあれ平和大通りの有効活用の記念すべき第一歩
『パークPFI(P-PFI)』について


画像2 平和記念公園の平和大通りの様子(画像 広島市HPより)


画像2 
『パークPFI』の公募設置管理制度のイメージ

 話の本題に入る前に『パークPFI』について説明したい。

1 パークPFIとは?
 飲食店、売店等の公園利用者の利便の向上に資する公募対象公園施設の設置と、当該施設から生ずる収益を活用してその周辺の園路、広場などの一般の公園利用者が利用できる特定公園施設の整備・改修等を一体的に行う者を、公募により選定する制度であり、都市公園に民間の優良な投資を誘導し、公園管理者(行政)の財政負担を軽減しつつ、都市公園の質の向上、公園利用者の利便の向上を図る新たな整備・管理手法である。 

2 『パークPFI』の公募設置管理制度
 公募設置管理制度の特徴は、公募対象公園施設から生ずる収益の見込み等に基づく特定公園施設の整備を 求めるとともに、事業者へのインセンティブとして、設置管理許可期間の延伸や建蔽率緩和など、公募対象公園施設を都市公園に設置し、運営しやすくする下記の緩和措置が適用されることがその特徴である
 ①設置管理許可期間の特例⇒設置許可期間を最長20年間で設定することが可能
 ②建蔽率の特例⇒公募対象公園施設の建蔽率を、12%(現在2%)を参酌して条例で定める
         ことが可能。
 ③占用物件の特例 ⇒自転車駐車場、看板及び広告塔が占用物件として設置可能(現在は不可)

3 『パークPFI』の事業スキ--ム
 公募などで選定された事業者は、地方公共団体が公示した公募設置等指針に基づき、公募設置等計画を提出し、選定された後、地方公共団体から計画に係る認定を受ける。その後、民間事業者と地方公共団体との間で、認定された公募設置等計画に基づき、施設の管理運営を含めた事業全体に係る条件などを規定した協定を締結する。 事業者は、公募設置等計画及び基本協定等に基づき、公募対象公園施設及び特定公 園施設を一体で整備する。地方公共団体は、特定公園施設の整備費のうち、公募設置等計 画で民間事業者から提案された負担額を、特定公園施設の引渡しを受ける対価として民間事業者に支払う。 民間事業者は、利用者に対してサービスを提供し、当該サービスの対価を得る。

4 対象となる公園
 民間事業者の公募対象公園で、公募対象公園となる条件は利用者の利便の向上を図る上で、特に有効であると認められるものに限られる。 例:カフェ、レストラン、売店、屋内子供遊び場など




画像4 『パークPFI』の事業スキームイメージ図

 従来の都市公園法では、民間事業者が介入する余地は全くなかった。経済成長や人口増加など都市緑地とオープンスペースを増やすという量的整備に重きが置かれていた。しかし、低成長・縮小社会を背景とした成熟社会の到来、価値観の多様化、一定の都市インフラの整備の状況を踏まえ、量よりも質の時代に移りつつある。 ①都市のため (持続可能で魅力溢れる高質都市の形成) ②地域のため(個性と活力ある都市づくりの実現など) ➂市民のため (市民のクオリティ・オブ・ライフの向上など)を目的とした都市公園法の改正が16年、なされた。既存都市インフラストックの有効活用の側面も非常に大きいが、膨大な都市インフラ設備を抱える行政の保有コスト削減という財政面の負担減の側面もそれ以上に大きいと思われる。かと言って、これまで規制されていた建築物-商業施設(1万平方㍍以上)、MICE(展示)施設(内容により可)、宿泊施設(200室以上、公園利用者以外の利用不可)、保養目的の温浴施設など-の規制は緩和はされていない。現時点での状況はこんな感じだ。話が都市公園であることを前提に勝手に進めているが、新聞記事で指摘される通り平和大通りは、実は公園風の景色とは異なり都市公園ではなく、れっきとした市道である(笑)。現状のままでは『パークPFI』の手法は原則導入は出来ない。
 
【考察その2】
平和大通りのにぎわい性創出の歴史と呉市の事例


画像5 都心部地区のオアシスとなってはいるが有効活用されているとは言い難い平和大通り(画像 ひろたびより)

 平和大通り-通称『100㍍道路』-は、市道比治山庚午線の略称である。日本政府の戦災復興都市計画の100㍍道路として計画された。戦後、数多くの都市で計画されたが実現したのは名古屋市と札幌市、そして広島市の3市だけでこの点は誇りに思ってもいいだろう。『広島復興都市計画』が立案した時に『平和公園』『河岸緑地』と共に目玉プランとして組み込まれたものだ。『平和記念公園~原爆ドーム~中央公園』の南北軸線と同様に、平和大通りは都市計画の東西の軸線を形成している。平和大通り大通りのにぎわい性創出への模索は今に始まったことではなく、約20年前の1998~99年にかけて、元安川や京橋川の河岸緑地帯のオープンカフェと同じ社会実験が実施されている。98年度は約1カ月、99年度は2ヵ所で約2カ月弱の実験期間であったが、9,970人(98年度)、19,472人(99年度)ほど集客した。利用者の評判は、『とても良い』と『良い』が89%、増設については『増やしてほしい』が91%にも及び、反対意見は殆どなかった。しかし、本格導入された河岸緑地とは異なり実現しなかった。その理由として、①道路に面した店舗の厨房を使うのではなく、敷地内に仮設の厨房を建設した。ところが、厨房施設には相応の費用がかかるにも関わらず営業は夏期のみであるため、採算割れした ②周辺の飲食店から営業妨害であるとの苦情が出た ➂県警からはこれ以上オープンカフェを拡大することを認めないとの見解が示された があった。特に➂は重要で、道路使用許可権を持つ県警の理解なくして継続は不可能だ。①と②は工夫次第では乗り越えられないものではないので、実に勿体ない話だった。これ以降、平和大通りでは日常的なにぎわい性を生むものはフラワーフェスティバルなどのイベントを除いては、『ひろしま朝市』(広島市HP)ぐらいしか開催されなくなった。週に一度でしかも朝限定のものでは、都市の集客装置としての役割は限定され、ましてや都市観光の目玉になるものには育ちにくい。吸引力としては、少々弱過ぎる。これより数年後の05年に国交省のガイドライン(2005年)と警察庁通達(04~05年)が相次いで出された。法改正まではいかなかったが、『オープンカフェは禁止すべきものではなく、推進すべきものである』という意思を国が示されたが、少し遅かった。こんな経緯を経て、今回に至っている。


画像6 呉市の公園屋台の様子(画像 ひろたびより) 


画像7 呉市蔵本通りの公園屋台の位置図

 ここで先進例として呉市蔵本通りの『公園屋台』を紹介したい。屋台は不法占用を黙認する形で何となく存続するケースが多いが、呉市では屋台を蔵本通りに集約して合法化し、さらに新たな屋台を公募するという、全国的に見て極めて珍しい積極的な政策をとっている。その合法化の手法は、新規屋台の公募に合わせて02年に蔵本通りの屋台設置箇所を道路から公園に用途変更(正確には道路+公園のダブル用途を公園のみに変更)し、道路占用許可と道路使用許可を不要としたことだ。『屋台のための都市計画』を実現させたことになる。制度的な担保は、公募にあわせて定められた『蔵本通りの屋台に関する要綱』(呉市HP)が担っている。この事例で注目したいのは屋台設置スペースを名義上は道路(蔵本通り)から隣接する堺川沿いの中央公園に一部に用途変更をして、形状は、従来の歩道のまましている点だ(下記画像8参照)。これは隣接地に都市公園があったことが幸いした結果だ。後日の記事する他の事例と分けるため、『道路の部分都市公園化』と呼ばせてもらう。常に7~8台の屋台が同地区に軒を連ねている。この事例の特筆されるのは、営利目的が原則禁止(一部例外あり)だった時代に、この方式を採用している点だ。まずは都市公園化で営業許可者を県警から、呉市に移管することで露店店舗の公的営業のハードルを下げた。と言っても都市公園法の高いハードルは厳然として存在した。そこで呉市は、『屋台が利用者に親しまれ、市民生活と調和したものとなるよう誘導し、もって本市の観光の振興及び街のにぎわいづくりに資することを目的とする』と定義。公益性を前面に打ち出すことで言わば合法化したのである。法の隙間を狙った裏技的な手法が何とも心憎い。この方式の短所としては、近隣に既存の都市公園がない場合、用いにくい点だ、この手法をそのまま平和大通りに当てはまめると、平和記念公園目前のエリアしか使えない。これでは主たる目的である沿線全体のにぎわい性創出が限定されるのは明らかである。次回の記事では、別の方法を考えてみたい。


画像8 蔵本通りの歩道の公園・道路区域の変更図

その2へ続く
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カテゴリー記事 広島の都市交通 広電

【考察その1】
先細る公共交通の需要 その1
止まらない拡散都市化と進まぬ公共交通利用への転移


画像1(左)北海道と東北地方主要都市の市内移動における自動車分担率
画像2(右)首都圏及び中部地方(愛知以外)自動車分担率(右は平日、左は休日)



画像3(左)愛知県及び近畿地方の自動車分担率
画像4(右)中国、四国、九州地方の自動車分担率(画像1~4 ネット拾い画像より)


 まずは上記画像1~4をご覧頂きたい。各地方の主要都市の市内移動における自動車の分担率だ。移動手段のツールとして、公共交通、自動車、二輪車(自転車、原付バイクなど)、徒歩がある。傾向としては首都圏と近畿圏の都市が低く、中京圏及び札・仙・広・福の4地方中枢都市がぼちぼちで他の地方都市は恐ろしく高い。もはや自動車なくしての生活など成立しないと言い切っても言い過ぎではないだろう。良し悪しの問題は置いておいて、現実を見たらそう言わざる負えない。ここでまた別の指標を見て頂きたい。人口規模ごとの市内移動における各ツールの分担率だ。

【人口30~70万台人都市】
       公共交通   自動車     徒歩    二輪車  人口密度
        分担率   分担率     分担率   分担率   (人
浜松市     4.4  49.0    16.1  12.7   510  
熊本市     
5.9  64.5    15.7  14.1  1,895
岡山市     6.5  59.5    19.6  13.8   913
フランク   22.0  35.0    30.0  13.0  2,677
フルト   

チューリッヒ 37.0  28.0    28.0   7.0  4,0

【人口100万人台都市】
       公共交通   自動車     徒歩    二輪車  人口密度
        分担率   分担率     分担率   分担率   (人
札幌市    17.1  55.0    10.0  17.9  1,754
仙台市    16.5  44.7    13.7  19.8  1,385
広島市    
16.0  47.6    19.0  17.1  1,323
福岡市    23.5  42.2    18.6  15.6  4,600
ミュンヘン  25.0  36.0    24.0  15.0  4,275

 人口規模カテゴリーを2つ設定してみたのだが、3大都市圏の都市と4地方中枢都市公共交通の分担率は、公共交通先進国であるドイツなどの都市と酷く見劣らないが4地方中枢都市以下のカテゴリーの地方都市に限ると、雲泥の差で公共交通など今や無きに等しい存在になりつつある。瀕死という言葉すら生ぬるい。公共交通のみの分担率だと世界最先端のモーターリゼーション国のアメリカに匹敵する。
多少のプラス要因は、アメリカの都市のそれよりは、徒歩や二輪車の分担率が圧倒的に高いことだろう。努力次第では、徒歩と二輪車は公共交通とは競合関係にあるので回復する可能性が無きにしも非ずぐらいだ。こうなった理由だが、日本の都市計画法は欧州都市よりもザル法に近く、無秩序な拡散都市化-都市のスプロール現象-に歯止めがかけれなかったことや公共交通指向型開発(TOD)の発想が3大都市圏以外では皆無だったこと。都市交通事業の独立採算制や補助制度の手薄さなどがあり、地下鉄やLRT等の鉄・軌道系公共交通網の導入ハードルが欧州の都市よりも高く、需要に沿った整備が難しかったことがある。土地利用の高度化が求められ、自動車の駐車スペースの限られる都心部地区への移動需要を増加させることが、大きな回復策となるのだが2000年以降、世界ではコンパクトシティ建設が都市計画の潮流になっていたにも係わらず、真逆の施策とも言われも仕方がない大規模小売店舗立地法(ウィキペディア)を導入した。これにより、郊外大型商業施設の立地がほぼフリーとなり、郊外の大規模遊休地などを中心に出店ラッシュを招いた。これに反比例して、都心部地区の商業機能は下がりに下がり、その求心力を失った。これはイコール公共交通移動の需要減少も同時に意味した。


画像5 70年(左)と00年(右)の広島市の市街地拡大の比較。人口増は1.4倍(79.9⇒113.4万人)に対して、市街地拡大は2.3倍となっている。可住地面積が、地形上の制約が多く(平野部が少ない)狭いはずの広島市でもこの有様だ


画像6 ドイツ、フランス、オランダにおける郊外開発の諸制度一覧(画像 国土交通省HPより)

 これと時期を空けずに乗り合いバスの自由化施策-自由な運賃設定と市場の参入退出の規制緩和が02年から施行され、広島都市圏に限れば、アストラムライン開業でフィーダー化された北西部の郊外バス路線の都心直行便の復活や、広島駅~紙屋町間のバス運賃を路面電車と同額にするなど緒策が施された(03年~)。バスの利用者減は下げ止まり効果こそあったが、薄利多売ならぬ中・長期的には薄利小売に成り下がり、棲み分けにより数少ない黒字路線の利益で閑散路線を辛うじて維持していたが、競合激化でそれも出来なくなり収支を悪化させ黒字路線には蜜を求めるように事業者が集中し、他の閑散路線は『収支悪化⇒減便⇒利用者減⇒収支悪化⇒減便⇒さらなる利用者減⇒休止及び廃止』が相次いだ。この二つがほぼ同時期に進行し、公共交通移動需要の減少と地域の公共交通を担う中小事業者企業体力の減少が進んだ。規制緩和施策による活性化策には違いないが、効果があるのは成長過程にある場合や規制が停滞要因となっている場合ぐらいで完全に斜陽化、衰退している市場では副作用が強い毒物でしかない。80年代失敗に終わったイギリスの施策を結果が分かっているのにも拘らず、導入したのが完全に過ちだった。10年代に入り、国策としてネットワーク型コンパクトシティ-集約都市-の建設に舵を切りなおしたが(コンパクトシティ形成支援)、その取り組みは緒に就いたばかりで道半ばではなく、始まったばかりだ。全ての自治体がそうだとは言わないが中には、補助金目当てで国策に迎合しているケースも決して少なくはない。効果的な都市計画不在で結果的にモーターリゼーションの進行に迎合した都市建設を容認(推進?)し、散々拡散都市化(上記画像5参照)をこれまで進めてきた。『時代の節目が訪れました。自動車は利便性が高い乗り物ですが、利用を最小限度に抑え普段は公共交通を利用しましょう』などと言われても蛙の面に小便に違いない。先に示した人口70万人台の政令指定都市(岡山市など)クラスの公共交通分担率-4~6%を、地方中枢都市クラス並みどころか10%にすることも並大抵の努力では覚束ないと容易に予測できる。強制的な政策でも行わない限り、実際問題は難しいのではと考える。ブログ主的には、公共交通の役割は需要の実際の多寡関係なく、今後は高まることはあれど下がることは決してないと思っている。その理由としては、日本のどの都市でも標榜している集約都市構造への転換には都心部地区の求心力の回復=公共交通移動需要の回復が共に必須な事、今後激増が予測されている低所得及び、貧困高齢者の急増。最後に平均寿命の伸長の3点がある。増す筈の役割の大きさと実際の需要との乖離が深刻な状況を生み出している。政策的な誘導による需要の創出は言うのは容易いが、やるのは難しである。

【考察その2】
先細る公共交通の需要 その2
加速する縮小社会(超高齢化+大幅人口減)


画像7 15年国勢調査準拠による日本の65年人口推計値(画像 国立社会保障・人口問題研究所HPより)


画像8 10年
国勢調査準拠による60年広島市人口推移(画像 広島市HPより)

 この数年来、少子高齢化や人口減少などをニュースなどで耳にする機会が増えた。人口減少を無理やりポジティブに受け止める向きもあるが、少し違うと思う。予測されている首都直下型地震や南海トラフ巨大地震同様の国難に一つと受け止めなければならない憂慮かつ大袈裟に言えば国難だろう。ただ、あらん限りの少子化対策を講じると思われるので、推計通りの下がり幅は見せず鈍化する形にはなると考える。縮小社会の傾向は、一定の経済発展を極めて成熟社会に入った先進国(アメリカ以外)が一様に抱えており先進国病とも言われるが、国家レベルだと生産者人口減少による税収と社会保障費徴収額の大幅減少、経済市場の縮小や社会保障費用の国家の負担増とそれに起因する財政の硬直化-政策的経費(公共事業)-の捻出が難しくなるなどが懸念されている。地域レベルに目を移すと、
①地域の生活機能の縮小 ⓶地域経済の衰退 ➂地域活性化余力の衰退 などが挙げられる。公共交通との関連性だと『①地域の生活機能の縮小』が該当する。今現在は、一定の人口集積で辛うじて支えられているバスなどの公共交通が人口減少により路線が廃止される可能性がある。他にも医療、福祉、商業施設なども同様で生活機能自体が下がる。となるとそれなりの経済力を持つ市民は利便性の高い地域へ転出し、持たざる市民だけが取り残されて限界集落化が進む。60~70年代の高度成長期に郊外に造成された団地群(下記画像9参照)や大規模公営住宅などはその有力候補地だ。30~40代で一戸建ての不動産を購入可能な階層は中産階級で、これらの家庭の子女は高等教育の就学の場を東京をはじめとした首都圏に求め、上京する。そして、そのまま就職するケースが多い。適切な比喩ではないが、家を継ぐ後継者が不在となり老夫婦二人となり、定年後も経済的なゆとりがあれば街中のマンションへ居を移すがそうでない場合はそのまま住み続ける。すると当然、空き室率や高齢化が進む。これらの住民らに支えられていた地域の生活機能も、地域の経済力の低下で歩調を合わせて衰退する構図だ。広島市だけに限った話ではないが、市場経済原理を都市計画の分野に持ち込み、自由な経済活動の阻害要因になると郊外開発(下記画像9参照)を野放しにして拡散都市化に規制のメスを入れなかった日本型都市計画方式の過去のつけ払いをすることになる。


画像9 拡大図 既存アストラムラインと西風新都線沿線団地群の高齢化率(12年) 濃ピンク-40%、薄ピンク-30~40%未満、黄色-20~30%未満、緑-20%未満(画像 広島市HPより)

 広島市のような公共交通分担率が比較的高い地方都市でも通勤と通学以外の移動は、自動車移動が多い。買い物利用が主たる移動理由となる休日の自動車分担率が平日の1.5倍の60%台(上記画像4参照)になるのは、その証左となる。生産者人口比率が低い地域になるということは、このような理由で公共交通の路線維持も難しくなる。下記画像10は1987年と08年の買い物目的の移動手段の各分担率を比較している。自動車分担率が21年間で2.5倍にも増加している。生産者人口比率が低い地域は通勤需要が低いと同義で、同時に高齢化率も高いので通学需要も低いことになる。これをまとめると公共交通移動需要が低いとも言い換えられる。行政も生活を支える路線の維持は補助金を捻出して維持に当初は努めるかも知れないが、それとて永遠には続かず何れは廃止の憂き目に合うのは必須だ。日本の都市交通は欧米のように受益者負担の行政サービスの一環との概念が皆無なので、独立採算大前提の原則に従えば廃止も止む無しになる。公共交通ネットワークの崩壊となり、社会構造の変化による需要減とも合わせ大きな公共交通移動需要の先細りを加速させるのではないかと予測する。


画像10 1987年と08年の買い物目的の移動の各分担率(画像 広島市HPより)

その2へ続く

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カテゴリー記事 難病でも頑張っている人たち

1 舌癌(ぜつがん)の進行ステージ4を公表
  した堀ちえみさん

 
動画1 堀ちえみさん 舌がんを公表 ちちんぷいぷい 
動画2 堀ちえみさん 11時間に及ぶ舌がんの手術が無事終了(19/02/23)

 実はブログ主の母方の叔父(母の兄)が5年前、今回の堀ちえみさん同様に舌癌をステージ4の段階で見つかり、結局本人の意思で手術を行わず他界した。がん発見後からあっという間に亡くなり、好きな叔父だったので世の儚さを感じずにはいられなかったが、本人が悩んだ末の決断だったので致し方がなかった。堀さんのニュースを聞いた瞬間、ブログ主はその亡くなった叔父を思い出した。で、堀さんに話を戻す。実はブログ主は、堀さんとほぼ同世代(生まれた年は同じで学年が違う)で彼女のアイドル時代をリアルタイムで知っている。82年のデビューで同期に、シブがき隊、小泉今日子三田寛子松本伊代早見優中森明菜石川秀美などそうそうたるメンバーがいた。彼女の名を世に広く知らしめたのは83年放送の『スチュワーデス物語』だ。劇中での『教官!』『ドジでノロマな亀』の台詞は流行語になり、翌84年に新語・流行語大賞に指名され、大衆賞を受賞した。ブログ主は当時高校生だったが放送を見ていた。その後、89年、00年、11年に3度の結婚をして5人の子どもを産み、3番目の夫の子も含め7人の子どもの母親となった。近年は、初期のリウマチ神経障害性疼痛(17年)、特発性大腿骨頭壊死症(18年)を患っていた。そして、今回の舌癌である。何れも大変な疾患だが、最後の舌癌は言葉に出来ないものがあり、彼女同様に闘病生活を送っている身としては、気軽にエールすら送る気持ちになれない。無責任に言うのは簡単だが、困難な闘病生活、ステージ4という状況を鑑みると、ついそう思ってしまう。池江選手の記事でも書いたが、考えられる最善を尽くし、これ以上ない努力をし続けても望みどおりにはならない事が多いのが闘病生活だ。特に先の生命予後が不良であればあるほどそうだ。次の項目では、その舌癌について考えたい。

2 舌癌(ぜつがん)とは一体?


画像1 舌癌の切除後の再建(画像 国立がん研究センタ-HPより)

下記に舌癌についてまとめてみたい。

1 舌癌(ぜつがん)とは?
 舌がんとは、舌の前2/3(口を開けて普通に鏡で見える範囲)と舌の縁、下面に発生するがんで、口の中に発生する癌(口腔癌)の約50~60%を占める。口腔癌の殆どは、扁平上皮癌という種類のもの。まれに、肉腫も発生する。舌がんは男性に多く、50~70代に発症することが多いが、50歳未満が1/4を占め、20~30代でも発症することがある。舌癌の原因は明らかではないが、飲酒か喫煙などの化学物質による刺激や、歯並びが悪いために歯が常に舌にあたる、合ってない入れ歯や虫歯といった機械的な刺激などが、舌癌を誘発すると考えられている。自分で鏡で見ることができるので、患者の約2/3は、早い時期に異変に気づき受診する。症状として典型的なのは、舌の両脇の部分にできる硬いしこりで、痛みや出血を伴うとは限らない。舌の先端や真ん中に癌ができることは少ない。舌の下面にできた癌は自分では見えにくく、症状も出にくいため進行した状態で受診される場合も少なくない。癌が進行すると病変が潰瘍になり、持続した痛みや出血があったり、口臭が強くなることもある。舌癌の中には早い時期から舌の近くの首(頸部)のリンパ節に転移して急速に進行するタイプのものもある。日頃から、鏡で口内をチェックしたり、気になる病変や症状が続く場合には早めに耳鼻咽喉科、口腔外科などを受診することが早期発見・早期治療に繋がる。また、治療後の定期的な経過観察が必要だ。

2 舌癌(舌癌)の症状は?
 舌癌の典型的な初発症状は、舌の両側の縁の部分にできる硬いしこりになる。ただし、初期の舌がんは口内炎に似ているため、正確に見極めることが難しい場合がある。処方された塗布薬などを使用していても、口内炎のようなしこりが2週間近く治らないようであれば、舌がんを疑いが濃厚だ。特に、舌表面がざらつき、しこりが触れるほどになっている時には注意が必要である。また、舌がんの局所病変が歯にあたるなどして、出血や痛みを伴うことがある。舌癌が進行すると、病変は潰瘍となり、持続性の痛みや出血、強い口臭として現れる。舌癌は表面上の変化から生じることもありますが、症状がわかりにくいこともあります。この場合には転移の症状が先に出ることもあり、首のリンパ節の腫れなどが現れることがある。

3 舌癌(ぜつがん)の病期(進行ステージ)
 病期には、ローマ数字が使われ、舌癌では、0期、Ⅰ(1)期、Ⅱ(2)期、Ⅲ(3)期、Ⅳ(4)期に分類されている。Ⅳ期はさらに広がりの程度によって、A~Cに分けられる。舌がんの病期は、大きさやどの程度広がっているか、リンパ節転移や他の臓器への転移があるかどうかによって決定される。全がん協加盟施設の共同調査による5年生存率は、Ⅰ期-94.5%、Ⅱ期-78.7%、Ⅲ期-58.8%、Ⅳ期-45.4%となっている。
早期に癌が発見でき、腫瘍が比較的小さく、転移が無ければ治癒率は高くなり、予後も良好。一方で、転移があるケースや頸部のリンパ節に転移しているケースでは、予後は比較的不良であるとされている。

堀さんの場合、既に頸部(首)のリンパに転移しており、11時間に及ぶ大手術となった。具体的なことは分からないが、Ⅳ(4)期A~Ⅳ(4)期Cのうち、BとCかも知れない。5年後の生命予後が50%以下というのは大変なものだ。健康体の方は、命の賞味期限が永遠だと勘違いしやすい。ブログ主も筋疾患発症前はそうだった。というか、そんなことすら意識したことすらなかった。別に不自然なことではなくこれが当然なのである。むしろ、身に何も起きていないのに意識するほうが無理な話だ。それをいきなり前触れもなく知らされた時の衝撃は、言葉では言い表すのは困難だ。ショックや青天の霹靂などの文言すら生温い。ブログ主も今から11年前の08年、同様の経験がある。恥ずかしい話だが、メンタルを完全に回復させるまで相当の時間を要した。堀さんのような癌に比べれば実は生存率の観点だけだとミオパチー疾患はその点は大したことはない。封入体筋炎に限れば、5年後、10年後生存率はほぼ100%、15年生存率は80%以上。20年生存率だと50%程度ぐらいだろう(ブログ主の所見)。疾患の質が全く異なるの単純な比較は難しいが生存率だけで量るとそうなる。時間の余裕がある分だけ、それなりの準備期間もあるし疾患に対しての耐性も合わせて、構築される。普通に考えれば、ステージⅣ(4)期というのは非常に厳しい状況であることには違いない。早期発見出来れば、不治の病ではない癌だが、なぜここまで進んでしまったのだろうか?

 先の説明の中にあった『
舌癌の中には早い時期から舌の近くの首(頸部)のリンパ節に転移して急速に進行するタイプ』だったことが大きいと思われる。あれよあれよという間に現在の状況に至ってしまったのかも知れない。こんな絶望的な状況下でも、ポジティブに生の可能性を強い意思で模索する堀さんには頭が下がる思いだ。たぶん、ブログ主も同じ環境に放り込まれたら同じことをしていただろう。闘病生活の肝は生きる事への執着心に他ならない。現実には、⤴と⤵の無限ループだが、諦めた時点でゲームセットになる。例え、可能性が一桁になってもゼロではない限り、勇気と希望を持ち続け闘い続けることが重要だ。闘病生活の支えとなるのが家族の存在だ。幸い堀さんは、子どもさん7人とご主人の大家族だ。きっと困難を極める闘病生活の大きな支えになることが予想される。ブログ主もそうだが、少々周囲(家族)に迷惑をかけても、生に対しての気持ちを貪欲に持ち続けて欲しい。それが、生命力となり、厳しい状況を好転させる力にきっとなる筈だ。それが許容される存在が家族なのだから。確かに人間は出来ることの限界はある。その限界点は、努力の余地を残して、妥協して決めるのではなく、『刀折れ矢尽きる』までとことんやり尽くして決めることだ。FC岐阜の恩田元社長もそうだが、絶望的な状況下でも一筋の光明を見出そうと足掻いている。堀さんもきっとその覚悟を持っているに違いない。ブログ主も自身の闘病生活に照らし合わせ、堀さんの闘病生活に注視したいと思う。

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