封入体筋炎患者闘病記

 封入体筋炎患者のヒロです。病歴は2019年で満11年、12年目に入りました。在宅勤務の仕事とリハビリの日々を送り、細やかながらも家族3人で暮らしています。ブログ記事は闘病記と広島地元ネタ、社会保障などの時事ネタ中心です。希少疾患の封入体筋炎の周知が目的です。関心があれば、ツイッターなどでご紹介していただければ幸いです。疾患関係で直コメントが苦手の方は、ツイッターのダイレクトメールを利用してください。封入体筋炎の闘病史は各進行段階の症状や生活障害、必要な社会保障制度等をまとめています。良ければ参考にしてください。最新の封入体筋炎の状況は『近況について色々と』、取り組んでいるリハビリについては『2019年春~夏 筋疾患(封入体筋炎)リハビリ』にて素人の体感目線で書いています。モバイル版で読みにくい場合は、PC版に転換してからお読みください。

2019年05月

カテゴリー記事 闘病記 況について色々と

1 ブログ主は昨年春までは喫煙者だった(笑)


画像1(左)大学時代愛したパーラメントの画像
画像2(右)社会人~昨年まで愛したセブンスターの画像

 18年の禁煙から1年以上が経過した。過去に2度の禁煙挑戦を行い、途中で挫折した経験があり、三度目の正直、いや二度ある事は三度に終わるのかの不安を多少、抱えながらの挑戦で見事成功した。意外とあっさりと成就したので拍子抜けした。『やれば出来るじゃん』である。一度目の挑戦は結婚した直後の19年前(30代前半)、今よりも喫煙者の世間の風当たりは強くなかったが、自宅内禁酒と全面禁煙を心の中だけに誓った。結婚して家庭を持ち、子どもが生まれる予定だったので今振り返るとギャグだが、健康で長生きする必要性が出て生まれつき身体は強く、幼い頃から熱など出した経験がないブログ主(これホント)は、生まれて初めて健康の概念を持った。自宅内禁酒は正月などのイベント時以外はほぼ達成したが、禁煙は3日坊主どころか1日しか持たなかった。ただし、歩き喫煙と室内喫煙は完全にやめた。これ2000年頃の話である。二度目に禁煙症候群に囚われたのは、封入体筋炎を発症した08年頃である。直接の因果関係は皆無だが、なぜかそこにも原因を求めようとした自分がいた。何か身体を労わることをしていないと不安に駆られた(当時の心境)のである。禁煙外来に通い、前回の失敗の反省の元、『今度こそは絶対に!』と前回よりは強い決意を以て、臨んだが前回よりもマシの4日で見事に挫折した。他の喫煙者の部下がさも旨そうにタバコを吸い、幸福感溢れる表情をみてしまい、脳が勝手にブログ主に『タバコを吸え』の命令を下しそれに屈服してしまった。この時ばかりは禁煙成功者を純粋に尊敬した。

画像3 禁煙外来で処方されたニコチンパッチを貼り、禁煙に挑む男性(画像 かわいいフリー素材集いらすとやより)

 話が逸れるが、ブログ主のタバコの歴史は高校卒業時からだ。未成年の飲酒と喫煙が今ほどうるさくもなく『タバコとアルコール?高校卒業していればいいでしょう』が世間の一般的な反応だった時代で、大人への憧れ。ファッション感覚で喫煙者になった。高校卒業後1年間浪人生活を余儀なくされたが、クソガキの分際でセブンスターやマイルドセブンが220円だった時代に、外国産タバコの『パーラメント』(上記画像1参照)を愛好した。値段は何と300円、今の時代だと750円ぐらいのタバコを1日1箱吸っていた。選んだ理由は、セブンスターやマイルドセブンは日本産でダサく、オッサンくさい。外国産タバコでもラークでは愛好者が多く、カッコ良くない。だからである。タイムマシンにでも乗って、当時に戻り往復ビンタを食らわしてやりたい気分だ(笑)。18~20歳頃までのブログ主は、世の中を舐め切っていたというか他の事でも万事こんな感じだった。『若さ=愛すべきバカ』を身を以て実践していた。当然意識で世の中は自分が中心で考えていた。特に異性関係ではその傾向が顕著だった。虚勢を張りそう思うのではなく、自然な感じでそうだった。こればかりは父の遺伝子の賜物としか言いようがない。歴代彼女の殆どにことごとく、それを指摘され治療(笑)に励んだ時期もあったが、自然に湧く感情なので時期を境にやめた。無駄と悟ったからだ。セブンスターに切り替えた理由は、単に経済的な理由からだ。新卒1年目、当然大学時代の仕送りがなくなり給与所得だけになった。他のメーカー勤務よりも約1.5倍の給与水準だったがそれでも大学時代よりも全体収入が減り、タバコのランクを落とした。そんなことでカッコつけている自分がバカバカしくなり、どうでもよくなったのもあった。その後バブル経済崩壊後でありながらも、業績が比較的好調な金融機関だったので収入はかなりのハイペースで上がったが、セブンスターのままだった。今でいうところの理想的な社畜になり、そちらの世界の人に完全に染まった。これはどうでもいいことだ(笑)。で結局東京時代は典型的な喫煙者の一人だった。それに対して特に罪悪感など一度も感じたこともなく、そんなこと自体発想すらしなかった。

2 禁煙できたのも封入体筋炎のお陰かも・・・

画像3 禁煙中にイライラを隠せない喫煙者の男性(画像 かわいいフリー素材集いらすとやより)

 ここまでの話を読むと、非喫煙者の方はブログ主がニコチン中毒患者のイメージを持たれるかも知れない。言い訳ではないが、仕事中であれば8時間~最大10時間ぐらいはタバコを吸わなくても実は平気だった。健常者時代、仕事をしている時は昼休みに2~3本吸えば、夜の21~22時頃まで時間限定禁煙していたし、吸う時間の余裕もなかった。今思うに、この時間帯は『タバコを吸ってはダメだよ』的な命令を下し、身体もそれに大人しく従っていたのであろう。無意識のうちに1日のタバコ量が年齢と共に減っていた。でも完全にやめるには至らなかった。こんな喫煙ペースだったので『その気になればいつでもやめられる』との驕りがあったのかも知れない。他の喫煙者は知らないが、身体が空腹時のようにタバコを求めることは少なく、脳内の喫煙記憶からの『吸え!』命令が禁煙の最大のハードルだった。話が前後するが、封入体筋炎を発症したのが08年、12年に障害者となり13年に現在の在宅就労という形で再就職を果たした。封入体筋炎の進行で日常生活障害が拡大した。立ち上がり回数の減少、活動量減少で体質が変化したのかは定かではないがタバコを吸うことへの生理的な嫌悪を感じるようになり、幸か不幸か本数がさらに減った。完全にやめる少し前は1日の本数は5~6本までに減った。封入体筋炎の進行でそう遠くない将来寝たきりになり、何れはタバコを吸えなくなる、と感じていたのも完全にやめる決意を後押しした。18年初頭のことだったが、早かれ遅かれ決断する日が来るので体の自由が少しでも残っているうちに習慣づけようとも思った。問題はタバコを記憶を如何にして脳内から消そうか?であった。禁煙開始より数時間は、欲求はなくセーフだった。8時間経過後、最初の命令が下った。その時に脳内に占めるタバコのイメージを打ち消すために『羊が一匹、羊が二匹・・・』を必死に浮かべた。数分したらこのイメージはほぼ消えた。『タバコを吸えば、死んでしまう』を強制的に脳内に埋め込む作業もした。これを一定間隔で訪れる喫煙命令が下るたびに何度も繰り返した。すると不思議なことに、翌日から喫煙命令回数が減っていった。3日間禁煙が続き予測した発作的な喫煙衝動も何とか抑えられた。1週間もすると喫煙命令は日に1~2度ぐらいになり、2しぅう看護には完全になくなった。脳内からタバコを打ち消すことにブログ主は成功した。

画像5 禁煙に成功した喫煙者男性
(画像 かわいいフリー素材集いらすとやより)

 非喫煙者になり変わったことは、まずはいよいよ小遣いの使い道がなくなった(笑)。家計とは無関係の個人口座の預貯金が勝手に増えている。『小遣い奉還』を何度も申請したが、家の支配者の家内に却下された(笑)。他には、よく言われることだが食事が美味しく感じる機会が増えた。喫煙により本来の味覚が蘇ったのかも知れない。体重は増えなかった。口寂しいからといって間食も取らないので、体重も増えないのも当たり前なんだが。家内の仕事が減った。仕事とは、灰皿やつけ水などの掃除のことだ。この20年ぐらい受動喫煙の健康被害がことさら強調され、準犯罪者、準薬物中毒患者扱いにされがちな喫煙者だが、これは少しおかしい。喫煙は喫煙マナーを守る範囲においては、身体へのリスクを承知で喫煙しているので、別に問題はないと思う側の人間で喫煙をやめた今も彼らには同情する。高齢化時代を迎え、国の予算の約1/3の30兆円超が社会保障費に費やされ、これは今後も伸び続けることはあっても下がることは絶対にない。
勝手な推測だと将来の社会保障費を抑制させるために、財務省や厚労省が殊更大きく本人の喫煙リスクや受動喫煙の弊害をアナウンスして世論誘導しているとしか思えない。国民の健康寿命を平均寿命並みに伸長させようとする試みは良いことだが、必要以上に悪し様にする手法はさすがにどうかと思う。『喫煙者=悪』としている最近の風潮は、価値観の多様性の否定にもつながる。世界的な意識の高揚で従来からの少数階層にも、暖かい眼差しが向けられている時代に多様性の否定につながる扱いはマズかろうと思う。吸うよりは吸わないほうが絶対に良いに決まっているがこの辺は個人の自由だ。ただブログ主に限れば、将来に備え禁煙しただけだ。最後は、元喫煙者の一人として、かって思っていた思いの丈の述べてみた。


手数です
が、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村  
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

カテゴリー記事 広島の都市問題 郊外・その他

今日の話題 5月25日中国新聞8面より引用
広島西飛行場跡 産業団地造成に着手 
大和ハウス9.8㌶ 先端企業誘致


【記事概要】
 大和ハウス工業(大阪市)は24日、広島県営広島西飛行場跡地(広島市西区)で産業団地の造成を始めた。約9.8㌶で工場や研究所、物流施設を誘致する。人工知能(AI)やロボットの活用を進出先に提案して導入してもらい、先進的な産業拠点にしたい考え。2022年春の完成を目指す。


画像1 5月25日中国新聞29面より

【記事詳細】
 名称は『広島イノベーション・テクノ・ポート』。跡地中央部の『新たな産業(雇用)ゾーン』(17・4㌶)の事業として昨年4月、県と市に選ばれた。着工したのは北側エリアで、0・3〜1・6㌶の9区画を設ける。20年3月に造成を終え、進出先に合わせて建物を整備する。事業費は約200億円。同社グループにはAIやロボット、IoT(モノのインターネット)などのノウハウがある。団地の造成や販売だけでなく、倉庫内の自動搬送ロボットなど効率化につながるサービスを提供したい考えだ。

 団地は山陽自動車道五日市、廿日市両インターチェンジから約10㌔で立地の良さもPRする。岡田恵吾常務執行役員広島支社長は『広島市中心部からも近く、働き手も集めやすい。最低でも900人の雇用を生み出せる』と話した。残りの南側は、販売状況を見ながら造成の日程を詰める。

【考察その1】
『広島イノベーション・テクノ・ポート』の概要



画像2 広島西飛行場跡地の立地図(画像 広島県HPより)


画像3 『広島イノベーション・テクノ・ポート』の完成イメージ図(画像 広島県HPより)

 まずは、
『広島イノベーション・テクノ・ポート』の概要について下記にまとめてみる。『広島西飛行場跡地活用に係る事業予定者募集』で提案されたものだが、その後若干の微修正があったようだが、大枠では変化がないのでそのまま引用する。

広島イノベーション・テクノ・ポートの概要
⓵事業コンセプト
 広島の産業活性化とイノベーションを促進する、新たな活力創出型複合産業拠点の創出
②導入機能
 研究所、事務所、工場、物流施設などの産業機能を導入し、産業開発を行うことで、広
 島の産業基盤を強化する拠点の形成を目指す。また産業機能を導入することで、多様な
 人材の雇用の場を創出する
『新たな産業(雇用)ゾーン』(17・4㌶)の施設概要
                           施  設  規  模
  ゾーン     建物・用途       敷地面積      区画数  延床面積 
  
今回事業化                             約1,500
  北側     研究所・事務所など  約1万5千平方㍍     1  ~1万平方㍍
         
工場・事務所など   約5千~約2万平方㍍   3  約1万平方㍍
  9.5㌶   物流施設など     約2万5千平方㍍     1  約4万平方㍍
‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  南側 7.8㌶ 未着手

④施設等のテナント計画
 ●イノベーション型産業施設
  県、市のイノベーション施策に沿った研究所や産業拠点の誘致を目指す。新産業の創出など、
  広島に社会的、経済的インパクトと成果を与える拠点形成を支援する
 ●重工混在地からの移転してくる産業施設
  広島市内外の住工混在地にある工場などの移転受け皿として整備。広島デルタ市街地エリア
  における、集約都市構造の実現に寄与するものとする
 ●生活基盤となる物流施設
  広島市域・周辺地域のデリバリー拠点として、県内外の企業の物流施設を誘致する。流通加
  工機能も含め、企業の生産・物流基盤を強化する
⑤地域への貢献
 雇用創出-約1,800人(南北エリア完成時) 財政への貢献-年約1.5億円
(南北エリア
 完成時) 地域との共生 災害時の対応等 
⑥事業工程表
 2018年12月 広島県と広島市との基本協定書締結
 19年03月 土地売買契約締結
 19年05月 土地決済、所有権移転
 19年05月24日 造成工事着工、販売開始
 20年03月 造成工事完了(予定)
 20年04月 建物着工開始(予定)
 22年春 分譲完了(予定)

 産業団地『広島イノベーション・テクノ・ポート』を開発します(大和ハウスグループHP)



画像4 『新たな産業ゾーン(雇用)』(17.4㌶)北・南側施設配置計画図(画像 広島県HPより)

 今回は広島西飛行場跡地を4区分(下記画像5参照)のうち、
『新たな産業ゾーン(雇用)』(17.4㌶)の北側エリアの話だ。広島県と市が広島商工会議所の昨年12月の提言の大規模MICE施設検討地としているのは、最南端の『新たな産業(にぎわい)ゾーン』(3.6㌶)と『スポーツ・レクレーションゾーン』(7.0㌶) の計10.6㌶である。『新たな産業(にぎわい)ゾーン』(3.6㌶)は、幸か不幸かよく分からないが、昨年審査の結果『該当者なし』となり宙に浮いた状態になっていた。土地所有者は県と市であるために、旧貨物ヤード跡地(現マツダスタジアム等)の時のように、土地取得の金利負担などもないことからそう急ぐこともないとの判断で、慌てて再審査するよりもMICE施設の実現の有無の検討を優先させたものと思われる。『スポーツ・レクレーションゾーン』(7.0㌶)は、多目的スポーツ広場(ソフトボールや少年野球が同時に4面利用可能。それらが利用しない場合はサッカー場2面利用可能)や、野球場整備などが整備される予定だった。今回の『新たな産業ゾーン(雇用)』(17.4㌶)の北側エリアの話に戻すが、非常に魅力的とは決して思わないが、市や県の政策に沿った姿勢がにじみ出ており好感を持った。新しい研究所や産業拠点の誘致も指向しているが、既存立地企業の移転受け皿となり尚且つ市の集約都市建設にも寄与する姿勢も悪くないと思った。奇をてらった斬新なものも結構だが、現実問題難しく公益性も鑑みながら事業から収益を生み出すには、夢に乏しいものにならざる負えない。どういった企業がラインラップされるのか?少し楽しみである。次の考察では休止となった『新たな産業(にぎわい)ゾーン』(3.6㌶)と『スポーツ・レクレーションゾーン』(7.0㌶)について考えたい。


画像5 広島西飛行場跡地利用計画の主たる導入機能とゾーニング(画像 広島県HPより)

【考察その2】
『新たな産業(にぎわい)ゾーン』と『スポーツ・レクレーションゾーン』の再検討を急ぐべき


画像6 
広島商工会議所の大規模MICE建設候補地一覧(画像 広島市HPより)

 広島市のまちづくりで全体的に言えるのが『機会損失』の概念が決定的に不足している。本来の意味合いは、金融業界に限れば『マーケット(市場)の変動による儲け損ない』を意味する。具体的には、儲けられる可能性が高い時に取引(売買)を躊躇したり、あるいは塩漬けにしたポジションを損切れずにずっと持ち続けたことにより、新たなポジションを作れずに収益機会を逃したりする場合などが挙げらる。まちづくりで当てはまると、スケジュール通り整備すれば得られたであろう経済波及効果などを取り逃すことを指す。具体的な事例で言うと旧市民球場跡地利用の屋根付きイベント広場整備などが好事例ならぬ、悪事例だ。跡地利用計画の仕切り直しやスタジアム問題が複雑に絡み、意図せぬ延期を迫られた事情を差し引いてものんびり構えるにもほどがある。機を見るのに長けていないというか、他都市よりも劣っているのが残念だ。広島市の中枢性云々の議論で言えば、立地上のハンディが最大の理由と思うがこうした内的な要因も決して小さくないと思ったりする。都市経営の概念の欠如が、広島市の伝統芸になっている感がある。これは広島西飛行場跡地利用にも同様のことが言える。昨年12月、広島商工会議所が展示面積10万平方㍍(10.0㌶)のMICE施設を中心とした提言を行った。広島におけるMICEのあり方提言~(広島市HP) 主な内容はリンクページや下記画像7の通りで、広島の都市問題に少し詳しい人が見れば、100人いて100人、『夢は寝て見るものですよ?』と返したくなる内容だ。日本最大の展示面積である東京ビックサイトが9万5,420平方㍍。96年完成時の建設費は1,985憶円(増設分、土地取得費用含まず)だった。この時点で、提言自体が検討価値がない荒唐無稽案であることは明らかだ。


画像7 
広島商工会議所 グローバルMICE検討特別委員会が昨年12月のMICEに係る提言(画像 広島市HPより)

 現在の広島市内の最大の展示面積の施設は、広島県広島産業会館(広島市南区 展示面積 9か所 5,500平方㍍)である。かって出島地区で予定されたメッセコンベンションシティ構想(イメージ図)の展示施設面積は3.0万平方㍍、着工直前の財政難で中止となった展示施設面積は1.5万平方㍍。サッカー専用スタジアム問題のみなと公園案では複合施設として9,200平方㍍だった。供給超過多の表現すら生温く感じる規模の提言だ。知事、市長の反応はグローバルMICE検討特別委員会の中に県と市の職員も参画していたので、概ね好評だったが、社交辞令の意味を込めたものだと思っていた。特に市長は選挙も控えていたので特にそう思った。ところが市と県は本気だった。県は『MICE施設検討事業(大規模展示場実現可能性検討)に係る業務』の公募型プロポーザルを公告した。~MICE施設検討事業(大規模展示場実現可能性検討)に係る業務委託仕様書 (広島県HP)~ この業務は、展示面積10㌶を超える大規模展示場の実現可能性を判断するもので、適正規模のMICE施設の検討をするものではない。このため、『新たな産業(にぎわい)ゾーン』(3.6㌶)と『スポーツ・レクレーションゾーン』(7.0㌶)は少なくとも20年1月末までは、棚上げされることになる。棚上げ期間は長くはないが、短期で解決し難い政治情勢や景気、時代の転換期などの社会情勢で翻弄されるのは仕方がないとしても、自らこんな検討の価値もないもののために時間を悪戯にロスするのはやはり問題がある。

 誤解されたくないので言っておくが、ブログ主は市主体の展示施設は必要だと考える。規模は1万平方㍍規模。建設地は都心部地区の中央公園広場でスタジアムとの複合施設、もしくは平和記念公園近隣の
広島市文化交流会館・アステールプラザ一帯地区が相応しい。日本が先進国の中でもメッセ小国であることや広島市の現在と将来の需要を鑑みても、この規模が適正でこの規模であれば郊外ではなく、MICE関連施設が立地する都心部地区が相乗効果が見込める。展示施設単体では稼働率の低さが問題視されるだろうから、他の公共施設との複合化でこの問題は十分クリア可能だ。話を戻すが、18年3月に行われた『新たな産業(にぎわい)ゾーン』(3.6㌶)の事業予定者選定で、該当者なしとなったのは理由としてハードルが高かったのではないかと考える。方向性は厳守しながらももう少し、ハードルを下げてさえいれば、応募してきた事業者(1社)も必要とされた点数-120点/200点を-をクリアできたかも知れない。安易な妥協は禁物だが、一定条件下で民間に開発を任せるのだ。歩み寄りは必要だろう。『新たな産業(にぎわい)ゾーン』については、陸揚げスロープを活用した水陸両用飛行機の運航拠点を整備し、広島湾エリアでの遊覧飛行を中心とした観光拠点や水陸両用飛行機の特性を活かしたチ ャーター・定期路線の形成が謡われ、新たな広域回遊性を生み出す可能性があり10万平方㍍規模の展示施設建設よりは、市の現状に促したものだ。『スポーツ・レクレーションゾーン』も民間事業者ではなく行政(広島市)主導の整備になるが、野球場や多目的スポーツ広場の整備で計算できるにぎわい性が創出され、夢と言うか絵空事にしか思えない広島商工会議所のMICE施設提言案よりは、身の丈に合ったものだ。文頭で触れた機会損失の観点だと、広島西飛行場廃港が12年。今年で丸7年が経過した。特に大きな理由もないのに、遊休地として遊ばしておく愚は避けたいところだ。旧市民球場跡地で結果的にやらかした失敗は二度と繰り返してはいけない。そうは言っても提言のMICE施設の検討は走り始めており、今更止められない。検討結果が出た後、速やかに取り掛かってほしいと思う次第だ。

お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村 
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

関連記事 アストラムライン延伸の詳細が明らかに

今日の話題 5月25日中国新聞29面より
変わる街 JR西広島駅北口区画整理
土地・建物を先行取得

【記事概要】
 広島市はJR西広島駅(西区)の北口地区で進める土地区画整理事業で土地・建物の先行取得を決めた。2030年度の事業終了を目指し、狭い道路や古い住宅が密集する市街地を再編する。南北の自由通路をつくる駅の大改修と併せて進める。延伸するアストラムラインと駅を『直結』させる計画もあり、『西の玄関口』の機能強化が加速する。


画像1 5月25日中国新聞29面より

【記事概要】
 区画整理事業は約2.で9㌶が対象、土地・建物の所有者は136人(16年12月時点)。市は4月、西区役所内に担当を1人増やして6人体制の事務所を開き、土地・建物の先行取得を始めた。所有する土地に対し、道路用地などを提供して減歩率の平均は約15%を目指す。併せて新しい土地の割り当てを決める換地設計を進める。新設する駅前広場(北口広場)は約3,900平方㍍で、バスやタクシーの乗降場を検討する。広場の西隣にも公園も新設。住民が使いやすいよう、市は公園のそばに己斐公民館を移転する検討も進める。アクセス道路として、都市計画道路『己斐中央線』(延長172.1㍍)を新たに設け、現在路線バスが運行している県道ともつなぐ。広域公園前(安佐南区)から西広島駅までのアストラムライン延伸計画に伴い、己斐中央線には高架を建設。現在、老朽化した住宅街を通る道路の狭さが問題となっているため、道路を拡幅する。事業費は約53億円。期間は30年度までの12年間で、最後の5年間を清算期間に当てる。事務所の加藤貴之所長は『交通結節機能の強化と連動してまちの環境を向上させる』と話す。

続く⇒
変わる街 JR西広島駅北口区画整理 土地・建物を先行取得

【考察その1】
西広島駅土地区画整理事業の概要

区画整理といっても北口広場建設


画像2 西広島駅から見る区画整理予定地の様子(画像 アンドビルド広島より)


画像3 西広島駅北口土地区画整理事業の位置図(画像 広島市HPより)

 中国新聞記事で触れている西広島駅北口地区土地区画整理事業の概要を下記にまとめる。

1 施行条例
 ⓵ 事業の名称:広島圏都市計画事業(広島平和記念都市建設事業)
        西広島駅北口土地区画整理事業
 ②施行地区に含まれる地域の名称:広島市西区の己斐中一丁目、己斐中二丁目及び己斐本
                 町 一丁目の各一部
 ➂事業の範囲:土地の区画形質の変更及び公共施設の新設又は変更に関する事業
 ④事務所の所在地: 広島市西区福島町二丁目2番1号(西区役所内に設置)
 ⑤費用の負担に関する事項:国庫補助金及び本市の負担
 ⑥ 土地区画整理審議会等に関する事項:委員の定数10人 (宅地所有者及び借地権者から
                   選挙される委員8人、学 識経験委員2人)
 ⑦地積の決定の方法に関する事項:従前の宅地の地積の決定(各筆ごとの実測) 基準地積の
                 通知、更正等
 ⑧評価に関する事項:評価員の定数5人、従前の宅地及び換地の評価方法等
 ⑨清算金に関する事項:清算金の算定、清算金の分割徴収及び分割交付、延滞金等
 ⑩その他:所有権以外の権利の申告又は届出の受理の停止、宅地及 び建築物等に関する権利
      の異動の届出等

2 事業計画
 ⓵施行者:広島市 ②施行面積:約2.9㌶
 ➂施行期間:平成30(2018)年度~令和12(2030)年度<清算期間5年を含む>
 ④総事業費:約53億円
 ⑤平均減歩率(予定):43.32%(減価補償金相当額による宅地の先行買収により減歩率
            
緩和する予定。)
 ⑥公共施設の整備:都市計画道路-1路線、延長172.1㍍
          区画道路等-延長1037.1㍍ 公園-1か所
 ⑦事業計画図:下記画像5参照
 ⑧事業工程表:平成30(2018)年度都市計画決定
        平成31(2019)年3月施行条例制定 事業計画決定の広告(広島市HP)
        以降は下記画像4参照のこと


画像4 事業計画決定の広告以降の大まかな流れ(画像 広島市HPより)


画像5 西広島駅北口土地区画整理事業の計画図(画像 広島市HPより)

 土地区画整理と言ってもイメージするような大規模なものではなく、北口広場建設を主体としてものだ。この地域を知っている方ならお分かりだと思うが、県道伴広島線沿線の己斐中、己斐上地区は他地域ではあり得ないほど道幅(4.2~15.5㍍)が狭く、しかも多くの住宅が貼り付いている。危険が多くとてもじゃないが就学前の子どもの子育てが出来る場所ではない。本来であれば、数十㌶規模の大規模な土地区画整理事業があって然るべき地域だが、13㌶の前計画すら縮小せざる負えないほどの市の財政難を鑑みると致し方がないかも知れない。北口広場近隣のみの土地区画整理事業だけでもしないよりは絶対にマシだと思える地域でもある。都市計画道路『己斐中央線』上に建設されるアストラムライン西風新都線は軌道は中央分離帯に橋脚を設け、駅舎部分は左右の歩道に橋脚を設ける『門型橋脚』になることが予測され、よくありがちな暫定2車線開通ではなく、最初からフル規格(4車線)開通が必須となる。となると道路事情が一変する。通過自動車交通を新道にシフトすることで分散が図られ、生活環境が改善されるだろう。

 北口広場建設についてのブログ主の所感を少し述べたい。己斐地区は広電が100%出資の子会社の『エイチ・ディー西広島』が6つの路線バスを就行させ、うち4路線が八丁堀まで乗り入れている。 ~『ボン・バス運行ルート』
エイチ・ディー西広島HP)~ ルートを見ると閑散とした現状から北口は完全にスルーされてる。己斐中央線開通後も県道伴広島線経由で北口広場に立ち寄ると鉄道でいうところのスイッチバック方式になり、迂回する形になり速達性に多少問題が出てくる。己斐中央線経由にした場合、『各団地⇒己斐中央線⇒北口広場⇒跨線橋⇒南口広場⇒都心部地区』とスムーズな形になる。バスバース(バス乗降場)を南北広場にいくつ設けるのかにもよるが、西広島駅止まりの2路線は北口広場止まりとなり、八丁堀方面の4路線は今設明したような形になると予測する。広島市の公共交通の整備は交通結節点改善に重きを置いた方向で進められている。横川駅、広島港、可部駅、矢野駅、新白島駅、広島駅北口と限られた原資の中でやりくりし、完成した。今後は広島駅南口が25年春、西広島駅の南北広場が30年頃の竣工予定だ。広電駅前大橋線やアストラムライン西風新都線の建設と絡んだものだ。広島、西広島両駅の結節点改善終了を以て、主要ターミナルの改善は終わる。後はかねてからの懸案である既存の路面電車とバスの速達性の向上に比重が移り、本格化するだろう(たぶん)。公共交通の専用財源があり、利用者負担の公共サービスとなっている欧米先進国と比較すると遅々として亀の歩みに感じなくもないが、まあ広島市なりに懸命にはやっていると思ったりもする。

【考察その2】
西広島駅周辺の動き
時系列順に追ってみる


画像6 解体作業が進む南口にあるひろでん会館の様子(画像 アンドビルド広島より)

 ここで北口だけではなく西広島駅周辺の動きの今後を時系列順に追ってみたい。

 第Ⅰ期 2012~22年度 西広島駅周辺の交通結節点整備第Ⅰ期イメージ
 西広島駅南北自由通路と駅舎整備(橋上化 下記画像7参照)、南口広場基本・実
 地設計、北口
広場基本・実地設計、南口広場暫定整備(JR、路面電車、バスの乗
 り換え暫定改善)、
口広場暫定整備、ひろでん会館の建て替え地上100㍍を
 超す
高層マンション、商業施設や教育機関、駐車場などが入る複合ビルに
 第Ⅱ期 2023~2020年代半ば(?)
 南口広場実地設計
、都市計画道路己斐中央線本格整備、アストラムライン西風新都
 (石内東~西広島)第Ⅱ期延伸区間工事着手
 第Ⅲ期 2020年代半ば(?)~2030年頃
 北口広場本格整備、アストラムライン西広島駅乗り入れによる南口広場本格整備

 既出しているものをかき集めるとこんな感じだ。ひろでん会館が竣工する22年頃からアストラムライン西風新都線が延伸される30年前後にかけて、広島市に残った『昭和オールウェイズ』的な原風景が一変される。まあ、開発規模が広島駅よりも限定され、立地も都心部地区でもなく市が定める広域拠点でもないので商業施設などの民間の投資が集中する場所ではない。ただ、公共交通の結節点改善の意味合いでは戦略的な位置づけが高いので期待は大きいだろう。JR西広島駅の1日平均利用者数は17年度統計では、9,389人、広電は1万1,939人。JRでの比較だと広島駅(7万7,174人)、横川駅(1万7,016人)、五日市駅(1万3,619人)に次いで広島市内第4位を誇る。この4駅はおろか、他のターミナルよりも結節点改善が遅れに遅れたのは、アストラムライン西風新都線とのセット論だったからだ。99年策定の『新たな公共交通の体系づくりの基本計画』(広島市HP)のスケジュールだと、15年頃西風新都線が開通予定だった。ところが市財政の悪化は計画策定時からだったが03年終了予定の財政健全化計画でも改善されるどころか、より悪化して同年に財政非常事態宣言を出す始末。07年度終了を目指した第2次財政完全化計画を発動するに至った。04年には公共事業見直し委員会では、アストラムライン計画などが真っ先に槍玉に上がり出島のMICE(マイス)施設と共に、事業の『一旦棚上げ』となった。


画像7 西広島駅自由通路完成イメージ図を南口から見た姿(画像 広島市HPより)

 07年広島市は、東西線と南北線は既存の公共交通-路面電車とバス-の活用を代替案とし、西風新都線は財政や社会情勢を鑑み、事業化の判断を慎重に行うと表明した。いつ事業化するのか見通せない西風新都線建設と西広島駅周辺の開発を別とする分離論もこの時期に浮上した。利用者数では五日市駅に抜かれ、商業集積は新井口駅直近のアルパークに大差をつけられ地域の地盤沈下は誰の目にも明らかだった。己斐地区の人口の大半を占める北口方面の各団地群高齢化率-紫30~39%、黄色20~29%)は市平均の高齢化率-24.7%(17年度)-を超える30%台が多く、かってのニュータウンはシルバータウン化していた。11年4月に市長が秋葉氏から現在の松井氏に代替わりした。松井市長は選挙公約で西風新都線の建設を謳い、当選後速やかに西風新都線の検討を開始。現在に至る流れが出来た。ブログ主は西広島駅がある西区在住だが、買い物などのプライベートで赴いたことがない。商業施設はゆめタウンと言うよりは旧イズミ臭が残るものと解体作業中のマダムジョイだけで、地域に住民と通勤・通学の駅利用者専用の商業施設然としており魅力に乏しいものだった。、今思い出したが、息子が小学生低学年の頃に『虫キング』が流行り、外国産のカブトムシをペットショップを買いに行ったことがあるくらいだ(笑)。与太話はこれぐらいにして、西風新都線建設の是非で己斐地区のまちづくりが遅れに遅れたが、今後10年前後で街並みが一新する。そうすれば、宇品地区が市道中広宇品線や市道鷹野橋宇品線の開通後、沿線に新築マンションが貼り付き古ぼけた下町イメージを脱したのと同じ道を辿る可能性があると考える。地理的条件は少し異なるが、祇園新道全通とアストラムライン開業で畑と田んぼ、雑木林だった沿線が一変した。タイムラグがあるので、ここまで期待できないだろうが、大きな変化はあるだろう。今後もこの地区の動きに期待したい。


画像8 西広島駅周辺の開発MAP(画像 広島市HPより)

お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村 
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

カテゴリー記事 広島の都市交通 バス

【考察その1】
BRTとはいったい何者? その1


 
動画1 Bus Rapid Transit de Curitiba

 
BRTとは、バス・ラピッド・トランジットの略称で、日本語に訳すとバス高速輸送システムになる。世界初のBRTの開業は、1974年のブラジルの都市クリチバ(上記動画1参照)の開業である。当時はBRTなる言葉は存在せず、『統合輸送ネットワーク(ウィキペディア)』と称された。LRTがトラム(路面電車)の短所-信号停車による低速達性、低輸送能力、他の交通機関と良好ではない結節-を改善し昇華させたシステム同様に、BRTも従来のバス輸送の短所を潰し、速達性、定時性、輸送能力を大幅に改善し、中量輸送システムとして昇華させた。そのBRTシステムの概要をまとめてみる。

⓵BRTシステムの定義-交通開発政策研究所(ITDPによる
 1】
デリニエータボラード、カラー舗装などで区切られた終日専用走行路(出来れば中央
   車線が望ましい)を有すること

 2】交差点での優先走行権を有すること(PTPS-公共車両優先システム-設置) 
 3】車両外
(乗車前)での運賃徴収システムであること(信用乗車方式の採用) 
 4】ホームと車両の段差がない乗降であるであること(超低床車両の導入)
 5】一編成当りの輸送能力は
(※注1)3連接車両(定員270人)以上であること(LRT
   並みの輸送
効率)
 
6】平均旅行速度が20~40Km/hであること(高い速達性)
 7】1】~6】の項目のうち、5】を除くもので4つ以上、この条件を満たしていること
   

 (※注1)について-国際公共交通連合(UTIP)の掲げる定義だと、BRT-3連接車両
 (定員270人)以上、それ以下の場合(2連接車両-定員130名前後)は、BHLSと
  定義している。

②BRTシステムの本質
 1】従来のバスと一線を画すシステム-高い定時・速達性を誇る。中量のみならず大量輸送
   も可能

 2】高い路面公共交通の優位性-コンパクトシティ建設のシンボリック的存在、道路渋滞緩
   和だけではなく自動車の依存率を下げる戦略。中心市街地再生の切り札になり得る
 3】その他-他の鉄・軌道系公共交通と比べ安価な導入コストと建設期間。高い柔軟性。

   要
に応じた設定が可能。


動画2 
Learning from the worlds largest Bus Rapid Transit system in Bogota, Columbia

②の補足説明
 1】高い定時性と速達性
   平均旅行速度は、20~30km/h程度とLRTを少し上回る。
00年に開業したコロ
   ンビアの首都ボゴタの同システムでは、40Km/hを記録している。因みにモノレール
   やAGT(アストラムライン)の同速度が30km/h前後、フル規格地下鉄が30km
   /h台前半で停留所への容易なアプローチ性を考えると、BRTのアドバンテージは高い
   01年の米国会計検査院の報告だと、移動のトータル時間の比較(移動距離3㌔以下)で
   、LRT、BRT、フル規格地下鉄、モノレール(AGTも含む)を競争させると、一番
   早かったのはのはBRTとの事だ
 2】大量輸送も可能(停留所に追い越し設備を建設した場合)
   一編成当たりの輸送力は、3連接バス車両で定員270名程度(アストラムライン288
   名)とLRT同様に中量輸送機関の範疇だが、バス車両の加速性能の方が軌道線車両より
   も高いので高密度輸送が可能となる。1時間当たりの片方向の輸送能力は、ボコダで4

   ,000人/時間、サンパウロ30,000人/時間以上で、フル規格地下鉄の目安の15,

   
00人/時間以上と同レベルので高い輸送能力を発揮している
 3】
コンパクトシティ建設のシンボリック的存在
   BRTやLRTは、コンパクトシティ実現の手段として用いられる。従来の都市交通の潮
   流だったフル規格地下鉄などが、単なる道路交通渋滞解消目的に導入されるのに対して、
   こちらは導入を機に公共交通全体の再編と強化も同時に行い、自動車移動から公共交通移
   動の転移を図ることを目的としているからだ。都心部地区にはモール(歩行者専用道路
   )と共にトランジット-モール-許可車両のみ通行が許された歩行者専用道路-も設定さ
   れBRTは、LRTと同じくにぎわい性創出に寄与する
 4】安価な導入コスト
   あくまでも一般論として、フル規格地下鉄の1㌔当たりの建設コストが300~400億
   
、ミニ地下鉄が200~300億円。AGTの地下線が200億円、高架線が100億
   
円。LRTが20億円に対してBRTのそれは、最も安価な5億円と言われる。世界中で
   
LRTやBRTがもてはやされる理由に、導入可能な都市が幅広いことや利用用途が高い
   ことなどもあるが低コストが最大の理由であることも事実だ
 5】高い柔軟性と需要に応じた設定
   支線・準基幹路線のBRT区間の乗り入れ、同路線とのバス&ライド化(同一ホーム乗り
   
)と高い柔軟性を誇り、将来の軌道線(LRT)への転換。導入沿線の需要に応じた
   
輸送能力の提供など

【考察その2】
BRTとはいったい何者? その2


動画3 Guangzhou Bus Rapid Transit(BRT)video
 
 74年にブラジルの都市クリチバで世界初のBRTが開業した訳だが、その後すぐに爆発的にBRTが世界中に普及はしなかった。路面走行式のLRTが、
8年カナダのエドモントンで開業し70~80年代半ばまで北米中心に普及し、欧州では85年フランスのナントで復活開業した。その後、フラン数などの数都市で普及した。94年のストラスブールの大成功で爆発的に普及したのに比べ、システムの周知と普及には時間を要した。バスシステムの高速化の模索は、クリチバの開業以降も続けられカナダの首都オタワの高速道路にHOVレーンを設定したシステム、旧西ドイツのエッセンの案内軌条式バス-ガイドウェイバスシステム-などが考案されたが、コスト高、システムが複雑な事、他のバスシステムとの相互交換性が低いなどの理由で、後に続く都市は少なかった。LRTの普及の貢献度の高い都市はフランスのストラスブールだが、BRTにそれに該当する都市が遂に現れた。コロンビアの首都ボゴダだ。従来からフル規格地下鉄計画があったが、国内の技術で建設、資金調達が難しいことからクリチバの統合輸送ネットワークを範としたBRTが採用された。00年にフェーズⅠ(第1期区間)が開業し、15年までに段階的に整備され12の基幹路線-113㌔、106ものフィーダー(支線)路線-663㌔のネットワークを築いた。1日平均利用者数はフィーダー路線も含め245.6万人。同時に時間当たりの片方向の最大輸送能力4万5千人/時間、旅行速度40km/h程度を達成し、世界に衝撃を与えた。LRTやモノレール、AGT同様の中量輸送機関とされてきたがフル規格地下鉄同様の大量輸送機関になり得ることを証明した。 ~トランスミレニオ~(公式HP) LRT共にBRTが都市交通の世界の潮流に踊り出た。その後、ボゴダ同様にフル規格地下鉄やLRT導入が先の理由で難しい中南米、アフリカの都市、北米の都市中心に導入が進んだ。現在、BRTは2015年8月現在、世界195の都市で400を超す路線が運行している。


画像1 コロンビアの首都ボゴダのBRT『トランスミレ二オ』(画像 公式HPより)

 ただ問題もなくはない。システム上の問題というよりは選定機種の選択の問題になるが、フル規格でしかも都市の基幹路線として導入した中南米の都市では、本来であればフル規格地下鉄が相応しい路線に諸般の事情でBRT導入に切り替えたために、移動需要の伸長により今以上の需要への対応が困難となっている。多くの都市が先進国とは異なり成長過程にあり、今後フル規格地下鉄建設論議の再燃の課題を一様に抱えている。大成功を収めたボゴダでも利用者からの評価が高く、停留所での積み残し問題が発生したり市民の地下鉄への羨望などもあり、フル規格地下鉄の再検討を始めた。公共交通大国が多い欧州では、【考察その1】で定義したフル規格型のBRTは意外と少ない。このタイプの導入はLRT導入が難しい中小都市(人口10万人以下)での基幹公共交通としての事例が多い。人口10万人以上の大都市(欧州定義)では、BRTは大量輸送機関のフル規格地下鉄、都市近距離鉄道、中量輸送機関の地下式・路面式LRTに次ぐ公共交通と認識されてる。定時性、速達性、輸送能力では決して劣らず、コスト安のメリットがありながら相対的な地位が高くない理由はやはり、鉄・軌道がないためにその存在感が薄いからだろう。フル規格での導入事例はさほど多くはないが、LRTの新規建設が終わった都市でのLRTほどの需要がない基幹路線としての導入(下記画像2参照)、既存のトラム(路面電車)がある都市では軌道敷内を公共車両専用走行帯と見立て、重複区間では乗り入れ(下記画像3参照)させ、2連接バス車両などの投入して利用者が多い基幹バス路線高度化による疑似BRT化、LRT整備までの過渡期的な処置などで対応するケースが多い。何れも厳密な意味合いでのBRTではなく『疑似BRT』の類となるがBRTの本来の目的-速達・定時性の大幅向上-には沿ったものではある。


画像2 フランスの都市ナントの4本目の基幹公共交通として導入された通称『バスウェイ』。開業当初は2連接バス車両だったが、利用者増で3連接バス車両に改められ、名実ともにBRTとなった(画像 セミタン公式HPり) 


画像3 ドイツの都市ドレスデンのトラム(路面電車)の軌道敷内に乗り入れているバスライン62の2連接バス車両(画像 ユーチューブ画面撮影より)

その2へ続く

手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村  
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

カテゴリー記事 難病でも頑張っている人たち

今日の話題 5月8日西日本新聞より引用
『生きた証しのため』ALS闘病、数学者の思い 
故郷に塾…声絞り出し授業


画像1 PC作業に励む平坂貢さん(画像 西日本新聞より引用)

 全身の筋肉が徐々に動かなくなる筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断された数学者がいる。韓国・釜山大数学科教授の平坂貢さん(47)。病が進行する中、大学を休職し、4月に故郷の長崎県大村市で数学塾を開いた。今は声を自由に発することも、ペンを持つこともままならない。それでも思う。何かを残したい。自分が、数学の世界で生きた証しのために。九州大大学院数理学研究院で博士号を取得後、イスラエルや台湾の大学を経て2002年、釜山大数学科の教職に就いた。専門は代数的組み合わせ論。韓国人の妻(45)との間に4人の子どもが生まれ、日本人としては異例の学科長も務めた。

 体の異変を感じたのは17年6月。歩行時につまずくようになり、講義で声が乱れるようになった。外出につえが手放せなくなった頃、医師から告げられた。『ALSの可能性が高い』。平坂さんは『闘病記』と名付けたブログに当時の心境をつづっている。『講義ができない教員に存在意義はあるのか』「どのくらいの時間が残っているのだろうか』。やがて外出はつえから歩行器、車いすになり、箸を使った食事もままならなくなった。『…もうしばらく数学の世界にいさせてほしい』体が動くうちに大村市で塾を開きたいという平坂さんの願いを、家族は受け入れてくれた。故郷も温かく迎えた。塾での教え子の一人は『娘に教えてよ』と幼なじみが連れてきた高校1年の馬場菜七葉(ななは)さん(15)だった。続く⇒
『生きた証しのため』ALS闘病、数学者の思い(西日本新聞WEB版)

1 筋萎縮性側索硬化症(ALS)について
進行速度が尋常ではない恐ろしい病


画像1(左)筋萎縮性側索硬化症(ALS)で痩せ衰えた手足の様子
画像2(右)舌や喉の筋萎縮で声が出しにくくなる(構音障害)

 このブログ記事をお読みの方は、自身の身体が自らの意思で徐々に動かなくなる恐怖をお分かりだろうか?これまでできた日常動作が出来なくなる、そこまで酷くなくても難易度が上がる、そんなことが一定周期で訪れるのが筋肉が萎縮する疾患の恐怖である。特に発症初期は、進行に対してのメンタルの耐性も整っていない。地獄の底を無理やり見させられた恐怖と実体を伴わない何とも形容し難い恐怖が同時に襲ってくる。疾患歴が長くなるとその恐怖に打ち勝つのではなく、自然に慣れるというか『受け入れる』『諦める』『達観する』のような感情が芽生え恐怖は消える。これを克服しないとメンタルの崩壊が待っているだけとなる。この状態から解放する術(根本治療)は皆無。完治する見込みも進行を止める見込みも全くなく、明るい未来など存在しない。闘病生活のモチベーションの維持に非常に困る。そもそも闘病生活とは、僅かでも明るい未来がある場合その可能性にかけて家族共々、頑張れるものでその可能性がゼロの場合、成立しない(と思う)。そんな絶望的な状況で、何かしらの光明を見出し努力しているのが今日紹介する平坂貢さんだ。まずは筋萎縮性側索硬化症(ALS)について説明したい。筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・喉・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだん痩せて力がなくなっていく疾患だ。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害を受ける。その結果、脳から『手足を動かせ』という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉が痩せ衰え委縮する。その一方で、身体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通だ。国内患者数は約9,200人程度。男性に多く認められ(女性の1.2~1.3倍)。この病気は中年以降いずれの年齢の人でもかかることがあるが、最もかかりやすい年齢層は60~70歳代となっている。著名人では他界したホーキング博士、クイズダービーの出演していた篠沢秀夫学習院大学名誉教授、FC岐阜元社長恩田聖敬さんなどが発症している。



動画1 FC岐阜 恩田社長未公開インタビュー ①


動画2 ALSの正体 恩田聖敬

 発症原因は不明で、神経の老化と関連があるといわれている。さらには興奮性アミノ酸の代謝に異常があるとの学説やフリーラジカルの関与があるとの様々な学説があるが、結論は出ていない。孤発性ALSと家族性ALS(5%程度)があるが、家族性ALS約2割ではスーパーオキシド・ジスムターゼ(SOD1)という酵素の遺伝子に異常が見つかっている。最近になりTDP43、 FUS、optineurin、C9ORF72、SQSTM1、TUBA4Aと呼ばれる遺伝子にも異常が見つかってきており、次々に原因遺伝子が明らかになりつつある。経過としては、常に進行性で、一度この疾患を発症すると症状が軽くなるということはない。 身体のどの部分の筋肉から始まってもやがては全身の筋肉が侵され、最後は呼吸の筋肉(呼吸筋)も働かなくなって大多数は呼吸不全で死亡する。人工呼吸器を使わない場合、病気になってから死亡までの期間はおおよそ2~5年だが、中には人工呼吸器を使わないでも10数年の長期間にわたって非常にゆっくりした経過をたどる例もある。その一方で、もっと早い経過で呼吸不全をきたす例もある。他の大きな筋萎縮を伴うミオパチー系疾患が数か月~数年周期(疾患差あり)で、進行するのに対してALSは週単位で進行するとも言われ、あっという間に日常生活に支障をきたす。これまでの人生では絶対にあり得ない現実を受け入れる準備もままならないまま、疾患が進行する。恐怖という言葉でも生温く感じる感情との闘いを強いられる。ブログ主はミオパチー系疾患の封入体筋炎患者だが、ミオパチー系疾患の中では比較的進行が早い部類に入るが、ALSに比べると亀の歩みのように進行は緩やかだ。その間に様々なラストに向けた準備が可能で、家族共々受け入れ態勢が可能になる。『しかしALSの場合は・・・』と他人事ながら思わざる負えない。進行ステージⅢ以降の癌や白血病に負けず劣らない恐ろしい疾患だと考える。上記動画1と2は元FC岐阜社長恩田聖敬さんのものだが、動画1が2015年、動画2が17年の様子になる。僅か2年で別人に見えるほどALSが進行している。これがALSなのである。今日紹介した平坂貢さんはそんなALSと明日無き闘いをしている。

2 命の賞味期限を知った人間が取る共通の行動 

画像2 仮に肉体は滅んでも人は記憶や思い出の中では永遠の生き続けられる筈(画像 かわいいフリー素材集いらすとやより)

 話を平坂貢さんに戻す。彼の略歴は以下の通り(公式HP『平坂塾』より転載)

略歴:
1971年長崎県大村市で産まれ、小中高時代を大村で過ごす。

1990年九州大学理学部数学科に入学後、数理学博士学位取得時の1998年まで福岡市に居住。
1998年4月から一年間、イスラエルのBar-Ilan大学にてポストドクターとして滞在。 
帰国後、6カ月の無給時代を経て、韓国の浦項工科大学で一年半ポストドクターとして滞在。
2001年7月に国際結婚。三男一女の子宝を授かる。
2001年8月から半年間、国立台湾大学にてポストドクターとして滞在。
2002年3月に韓国の釜山国立大学数学科専任講師の職に就く。
その後、同学科で助教授、准教授を経て、2009年から二年間学科長を務める。
2013年教授に昇進。2017年9月から一年間学科長を務める。
2019年2月に持病の悪化の為に退職予定(であったが、一年間の休職に変更)。
これまでに指導教授として7名の博士号取得者を育成。

 改めて読むと、誰にも恥じ入ることがない立派のものだと思う。彼はやがて動けなくなることを見越して、一数学者としての人生を全うしたいと思い故郷の長崎県大村市で数学塾を開いた。それは、自身が生きた証をこの世に残したいという強い願望の表れだ。ALSに限らず、思わぬところで病のために命を賞味期限を知ったとする。全ての患者がそうだと言って断言してもいいが、何らかの形でこの世に生きた証みたいなものを残したい願望が沸々と湧いてくる。『肉体は滅んでも、生前係わった人間の記憶の中で生きたい』、そんなメンタルになる。平坂貢さんの場合は、その手段が開塾をして自身の人生の(数学者としての)ラストを飾ろうとしている。手段は人それぞれだ。かくいうブログ主も仕事においては、前職の金融機関で行内過去の最大のプロジェクトの実質的な最高責任者を任され、それを成功に導くことで係わった人たちの記憶に留めたいと考えた。プライベートでは、発症当時7歳(08年)だった息子に心を砕いた。父親の役割は、子どもが生まれて思春期を迎えるまで母親と比べるとそう大きくはない。少し自虐的だが、精々自動ATMや運転や荷物運びぐらいだ。思春期以降、母親よりも役割の大きさが逆転すると考える。父親の背中を見て育つというかその生きざまみたいなものが、子どもの精神的な成長に大きく影響する。憚りはあるが、母子家庭で育った子どもたちを見ると特にそう感じる次第だ。ブログ主がそんな考えの持ち主なので、目の前のことを諦めずに頑張る姿を見せて、息子の精神的成長を促す潤滑油になろうと決めていた。息子も今春、無事高校を卒業して本人が望んだ大学とその学部に目出度く入学した。時折、じっくりと話す機会があるが親バカ目線を差し引いても、心身共に順調に成長している。生まれつき聡明で賢いとは思っていたが、ブログ主の難病発症が悪い方向に影響しないかと心配していたが杞憂に終わったようだ。これも家族に対して、自分という人間を生きていた証みたいなものを残そうとした行動の表れだと言える。


画像2 存在しない神の話とかの精神世界の話はノーサンキュウだが、自身にとっての神は自分でありたい願望は強い(画像 かわいいフリー素材集いらすとやより)

 少し宗教チックな世界に入るので本来はブログ主はあまり好きではないが、
平坂貢さんのALSやブログ主のような封入体筋炎などの筋肉が萎縮する難病は、健康体時代では絶対にあり得ない姿に変化する。その変わり果てた姿は見る人によっては、不快な気分にさせるかも知れない。そしてある程度の進行ステージに入ると他人の介助なしでは生活が成立しなくなる。そんな姿になり果てても、生に対しての執着心がある以上誰に憚ることなく、生きる権利がある。ブログ主などは他人に迷惑をかけてでも、最後の最後まで生きる可能性を絶対に捨てない。そんな人たちをあれこれと批判・批評する権利と資格は誰にもない。これこそ、飾り気が全くない人間が本来持つ生に対しての執着心なのだから。その意味合いでは尊く、神々しい姿だと考える。自身を含め、難病を発症して闘病生活を余儀なくされている方を特別、美化する気持ちはさらさらないが、これだけは声を大にして言いたい気分だ。これは重度障害者になり初めて気づいたことだが、人間が人間たる部分を築き上げているのは身体ではなく、一定水準の脳機能や健全なメンタルだ。身体はこの二つの付属物に過ぎない。虚勢を張り、無理しているつもりはないが心底からそう思う。平坂貢さんも、想像の範囲となるがきっとこれに近い気持ちを絶対に持っていると推察する。封入体筋炎患者であるブログ主よりも遥かに残された時間が少ないにも係わらず、今を全力で生き抜こうとしている彼の姿は、ブログ主の励みにも参考にもなる。とにかく悔いだけは残さないようにやり抜いてほしいと思う次第だ。

手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村  
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧 

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

↑このページのトップヘ