封入体筋炎患者闘病記

 封入体筋炎患者のヒロです。病歴は2019年で満11年、12年目に入りました。在宅勤務の仕事とリハビリの日々を送り、細やかながらも家族3人で暮らしています。ブログ記事は闘病記と広島地元ネタ、社会保障などの時事ネタ中心です。希少疾患の封入体筋炎の周知が目的です。関心があれば、ツイッターなどでご紹介していただければ幸いです。疾患関係で直コメントが苦手の方は、ツイッターのダイレクトメールを利用してください。封入体筋炎の闘病史は各進行段階の症状や生活障害、必要な社会保障制度等をまとめています。良ければ参考にしてください。最新の封入体筋炎の状況は『近況について色々と』、取り組んでいるリハビリについては『2019年春~夏 筋疾患(封入体筋炎)リハビリ』にて素人の体感目線で書いています。モバイル版で読みにくい場合は、PC版に転換してからお読みください。

Category:時事考察 2 > その他

カテゴリー記事 時事考察 その他

【考察その1】
24時間テレビは、そこまで悪意に満ちたものなのか?


画像1 24時間テレビで集められた寄付金の使い方(画像 24時間テレビ公式HPより) 

 ネット世界で評判が悪いものの一つに毎年この時期に放送される『24時間テレビ』がある。ブログ主は、パラリンピックなども含め、障害者が係るものへの興味が実は低い。ブログではネタの一つとして取り上げることもあるが、実生活ではほぼ無関心に近い。同カテゴリーの属する人間として、不思議に思うだろうがその障害者カテゴリーを包括する人間カテゴリーに属する意識の方はそれ以上に強いからだ。同時に『腐っても鯛』の意識というか最低限の自尊心もある。よく、ツイッターなどを見ると、障害者の地位向上などの活動をされている方を見かける。それはそれで素晴らしい活動だ。否定するつもりは毛頭ない。本人が望む結果が伴うことを願わずにはいられない。では、ブログ主が同じことをしろと言われると真っ平ごめんでお断りする。そこまで拒絶する理由は、①労力相応の対価がないものや結果が明らかに出ないと分かっているものに対して冷めた感情しか持たないこと ②封入体筋炎が生命予後が保証されていないので残された時間が少なく、時間の無駄 ➂そんな時間があれば、家族との時間を過ごす方が1億倍(笑)有意義 と割り切っているからだ。ただ、封入体筋炎に係ることの周知は必要と思い、ブログを通して活動している。要は『人は人、自分は自分』と明確に定義しているだけだ。冷たい人間と思うだろうが、意識の有無は別として行動結果から見ると、むしろその種の人間の方が実は多いと考える。建前と本音の使い分けは、大人であれば当たり前だ。で、24時間テレビに話を戻す。この番組が忌み嫌われている理由に、①チャリティーを掲げながら、出演者にギャラを支払っている ②障害者を見世物に使い、似非(えせ)感動物語を演出している ➂善意の募金が障害者団体及び、障害者などばかりに回り面白くない と言ったところだろうか? 


画像2(左)福祉車両贈呈の様子
画像3(右)14年広島土砂災害時の義援金贈呈の様子(画像共に
24時間テレビ公式HPより)

 ①と②はブログ主も少し感じている事なので、理解出来るのだが➂がよく分からない。時折、この時期になると批判めいた発言を見かける。批判理由に①と②を掲げる人たちが多いが、その発言の語感から
根底に➂の理由があるように思える。別に関心の有無は個人の自由だし、実生活と関りのないものであれば、無関心で問題なかろうと思うが何か言わないと腹の虫がおさまらないようだ。➂が実は最大の理由で、それを表立って主張するのもさすがに憚(はばか)りがあるので、①と②を前面に出し批判しているのかも知れない。もっとはっきり言えば『自分たちだって、頑張っているのに報われない人生を送っている。お前らだけ被害者面(つら)するんじゃない』『あいつら(障害者)に金を与えるなら俺たちにも寄越せ』が本音だと推察する。足軽根性剥き出しで、傍から見るとドン引きするしかない。障害者を前面に打ち出した福祉の色合いが濃いのは事実だが、チャリティーキャンペーン活動で得た募金は、経費を一切差し引くこと無く、全額、『福祉』-高齢者や身体障害者への支援-、『環境』-地球環境保護支援-、『災害復興』-災害緊急支援-、などの支援を行っている(上記画像1参照)。別に福祉一辺倒ではない。年々活動幅が広がっている。主旨そのものは決して悪いことではないし、78年の第1回放送から41年が経過し、国民に広く浸透し一定のの支持を得ているのが実情だろう。たぶん勘違いしている人が多いと思うのが、広く集めた募金から出演者のギャラを支払っているのでは?との疑惑だ。事情に精通している訳ではないが、さすがにそこまでの悪意(?)はなかろうと考える。推測だが、番組主旨に賛同したスポンサー収入から支払われているのではなかろうか?②については、ブログ主も7年前に障害者に成り下がり、次第に日常生活障害が重くなると『似非感動物語』の番組構成に大きな違和感を感じるようになった一人だ。これは24時間テレビだけに限らず、たのパラリンピックなども同様の番組構成で放送されることが多い。障害に係る負の部分(解釈差あり)である不幸話を殊更、お涙頂戴調で語り、そんな状況でも凄いことをやってのけた障害者を称賛するパターンは、障害者から見れば大人(健常者)が子ども(障害者)を見ている感覚にやや近い。差別ではないが、少なくとも対等目線ではないだろう。あまりにも酷い場合は、失礼極まりないと思うことさえある。一個の独立した個人として認めていないのだ。これを主張すると被害者意識の権化などと反論されそうなので、ここまでにするが、ブログ主などは不快感しか残らない。これは日本人特有のメンタルの幼稚性と低い人権意識の裏返しだろう。

【考察その2】
24時間テレビが果たした役割



動画1 24時間テレビ(1978【第1回】)

 色々な問題を内に抱えながらも、曲がりなりにも41年間続き国民の一定の支持を得てきた24時間テレビの果たした役割などを考えたい。①日本では希薄だった寄付文化を多少浸透させた ②障害者の実情なりを世間に広く知らしめた ➂障害者の社会進出に少なからず貢献した がある。いち番組の影響力だけで、世の価値観をひっくり返すほどの効力があるとは思えないが①~➂について同意する方も多いと思う。『寄付金』『義援金』『支援金』と類似する言葉ばかり並び、素人には分かりづらい。簡単に説明すると、寄付金とは地方公共団体や宗教施設、学校法人などに金銭を贈ることで、台風や地震などの災害時に寄せられる寄付金は用途により、義援金と支援金に分かれる。義援金は被災者を支援するため日本赤十字社や赤い羽根共同募金などに寄せられ、被災地の自治体に贈られ義援金配分委員会の裁定により100%公平に被災者に配布される寄付金のこと。ただ、混乱に最中に行うので時間がかかる。一方の支援金は、被災者個人には配布されず被災地などで活動しているNPO法人やボランティア団体に配布される寄付金を指す。日本は欧米諸国と異なり寄付文化が皆無だった。2015年の総務省の家計調査によれば、2人以上世帯の年間平均寄付金額は平均3,403円との事だ。金額の問題の判断は個々に委ねたいが、世界寄付ランキングでは145カ国中102位で、先進国では飛び抜けて低い。この金額であっても、1970年代当時よりは若干ではあるが増額しているのも事実だ。


動画2 
釜石市役所付近に押し寄せる津波 【視聴者提供映像】

 元々、日本人には寄付をする概念が乏しく、納税の義務さえ果たせば良いとの認識が一般的だった。貧困者に対する施しは、個人の役割ではなく行政がするものと捉えていた。欧米先進国でよく見られる社会貢献-寄付・ボランティア活動-の概念自体希薄だった。障害者などの貧困者階層の人たちが世間の目に触れる機会も少なく、1億総中流意識(貧富の格差が少ない)が強かったことも理由としてあった。日々の生活に困っている人たちをブラウン管の中に出すことで、良識のある人たちの心に眠っているであろう慈悲の心に訴えかけた。端緒とまではっきりと言い切れないが、95年の阪神淡路大震災、04年新潟県中越地震、11年東日本大震災、14年広島土砂災害 16年熊本地震、18年西日本豪雨など大規模災害時の災害ボランティア活動、寄付活動の国民の参加ぶりを見ると、啓蒙に一定の貢献をしたと言える。『②障害者の実情なりを世間に広く知らしめた』の効能が一番大きいと思っている。今でこそ就労などの障害者の社会進出が進み、障害者なるものがどのような者なのかを知られるようになった。初回放送時の70年代後半などは、障害者はおろか女性すら社会進出している時代ではなかった。世間で生きる場所などろくに与えられず、扶養家族に死なない程度に家の中で養われているか細い存在だった。健常者達に障害者のイメージを聞いても答えに窮した筈だ。いわば謎の存在だった。対等の権利獲得などはまずは相手の理解から始めないといけない。その初歩的な作業をしたのがこの番組だと思う。19年現時点においても、深い相互理解が必ずしも進んでいるとは言い難いが、ある程度は進んだ。今でこそ、障害者や難病患者などを取り上げたドキュメンタリー番組が増えたが、当時は皆無で障害者を出そうものなら、『汚いものを出すな』などと言ったクレームが殺到した時代だったのだから。➂障害者の社会進出に少なからず貢献した』は賛否が分かれるところだが、『少なからず』『間接的に』の意味合いではそうだと考える。障害者の社会進出は、係る制度などの法整備が欠かせない。これとて意識の高揚があればこそ、後押しされ新制度の発足や制度の改変が行われるものだ。意識の高揚抜きでいきなりはない。その高揚の一助になったのではなかろうか?論じた3点の功績を鑑みると、インチキチャリティー番組だの似非感動物語に仕立てている、などの批判は低い視点での批判でしかないし、的を得ているとは思えない。制作側の立場で言えば、初回放送の70年代後半当時、ノーギャラで出演してくれる芸能人など社会貢献の意識に乏しかった日本ではいなかっただろうし、依頼する側も考えもしなかっただろうと推察する。と考えれば分かりそうなものだが、批判する側も何かしら人には言えない、屈折した複雑な思いがあるのかも知れない。自己責任外で重いハンディを抱えている人間を対象としたものを批判するなど、余裕がないというか・・・。やはり『足軽根性』臭が漂う。こういう人たちの方が本来の意味合いの障害者と思えてしまう。

お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村  
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

前回記事 京都アニメーション放火事件
カテゴリー記事 時事考察 その他


今日の話題 8月3日朝日新聞デジタルから引用

表現の不自由展、中止に実行委が抗議『戦後最大の検閲』


 愛知県内で開かれている国際芸術祭※注1あいちトリエンナーレ2019』で、3日、企画展『表現の不自由展・その後』の中止が発表された。企画展の実行委員会メンバーが3日に発表した抗議文は以下の通り。

『あいちトリエンナーレ2019』の一方的中止に抗議する

 あいちトリエンナーレ2019実行委員会会長の大村秀章知事と津田大介芸術監督が、『表現の不自由展・その後』を本日8月3日で展示中止と発表したことに対して、私たち『表現の不自由展・その後』実行委員会一同は強く反対し、抗議します。本展は、でジャーナリストである津田大介芸術監督が2015年に私たちが開催した『表現の不自由展』を見て、あいちトリエンナーレ2019でぜひ『その後』したいという意欲的な呼びかけに共感し、企画・キュレーションを担ってきました。今回、電話などでの攻撃やハラスメントがあり、トリエンナーレ事務局が苦悩されたことに、私たちも心を痛め、ともに打開策を模索してきました。しかし、開始からわずか3日で中止するとは到底信じられません。16組の参加作家のみなさん、そして企画趣旨に理解を示してくださる観客のみなさんに対する責任を、どのように考えての判断なのでしょうか。

 今回の中止決定は、私たちに向けて一方的に通告されたものです。疑義があれば誠実に協議して解決を図るという契約書の趣旨にも反する行為です。何より、圧力によって人々の目の前から消された表現を集めて現代日本の表現の不自由状況を考えるという企画を、その主催者が自ら弾圧するということは、歴史的暴挙と言わざるを得ません。戦後日本最大の検閲事件となるでしょう。私たちは、あくまで本展を会期末まで継続することを強く希望します。一方的な中止決定に対しては、法的対抗手段も検討していることを申し添えます。

2019年8月3日

※注1 あいちトリエンナーレ』
 3年に1度、愛知県内で開かれる国内最大規模の国際芸術祭。4回目の今回は、名古屋市と
 豊田市を会場に8月1日〜10月14日の75日間、国内外90組以上のアーティストが参
 加し、現代美術展のほか映画や演劇、コンサートなどがある。今回のテーマは『情の時代』
 。芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介氏は『感情や情報をコントロールする技を身
 につけることが本来のアートではないか』との問題意識を持っている。

関連記事1 津田大介氏『変更含め検討』 表現の不自由展、抗議殺到
関連記事2 少女像展示『中止を』 河村市長が知事に申し入れへ

【考察その1】
表現の自由を優先すべきか?それとも日本人の多数の感情に配慮すべきなのか?


動画1 『あいちトリエンナーレ2019』 解説 津田大介  Oil in Lifeより

 言論の自由や表現の自由などは、日本国憲法で保障された当然の権利だが基本、その精神は尊重されるべきだと思うが、権利の行使に当たってはそれをすることにより不快に感じるであろう反対層への配慮があって然るべきだと考える。この権利を正義の御旗と言わんばかりに、真正面から掲げ『恐れ入れ!』では、理解を得るばかりか反感を買うだけになる。『〇〇の自由』とは、その意味合いでは100%の自由ではなく、反対勢力や主催者と共催者、そして社会的影響への配慮が欠かせない。それをすることで自由度が制限を受けるのは当然だ。自由を勘違いしている人が意外と多いが、自由は責任、権利には義務が付帯するものだ。この場合の責任及び義務とは、各方面の配慮だとブログ主はそう考える。この種の話を始めると、机上の論の匂いが濃厚で声高に『100%の自由』を求める左巻きな人たちと、現実的な対応の範囲で自由を主張するその他大勢の人たちとの千年問答が始まるのは必至だが、『もう少し世間の空気を読めよ』と思うブログ主などは、後者を熱烈に支持してしまう。彼らが主張する100%の自由など、この世の中のどこにも存在しないとさえ考える。人間の影響力が大きくなるほど各方面のしがらみが増えてしまい、その自由度は下がる。などと一般人のブログ主はそう考えるのだが、一部の極端な左右の主張を掲げるそれは、身勝手と言うか責任と義務をした上で行使されないので、その主張が心に響かないどころか、嫌悪感すら抱いてしまう。挙句の果てには『差別だ』『憲法違反だ』『日本の民主主義は死んだ』などと被害者面して声高に自身が主張し信じて疑わない正義を振りかざす。非は、認めない側ではなく主張する側にあると思うのが彼らには理解されない。無駄に頭でっかちで、少数階層故の主張の精鋭化が目立つ、との印象を強く持つ。この辺のことは、憲法や法律などの原理主義ではなく、解釈や適用の範囲の問題で抽象的な表現だと肌感覚の常識だとも思ったりする。肌感覚の常識とは、生まれ育った家庭環境や学校卒業後の社会経験から醸成されるもので、何とも言えない。この基本的な考えをしっかりと抑えた上で話を進めたい。


画像1 
『あいちトリエンナーレ2019』で問題視された従軍慰安婦少女像ならぬ『平和の少女』(画像 産経新聞より)

 
『あいちトリエンナーレ2019』の一部作品の展示中止になった理由は、従軍慰安婦少女像の展示(上記画像1参照)である。少女像は韓国人彫刻家夫妻が手がけた『平和の少女像』で、憲法9条をテーマにした俳句など、美術館から撤去されるなどした作品とともに展示されている。そもそも、『あいちトリエンナーレ2019』とは、3年に1度、愛知県内で開かれる国内最大規模の国際芸術祭だ。実行委員会は県や名古屋市、経済団体などで構成され、大村氏(愛知県知事)が会長、河村氏(名古屋市長)は会長代行を務める。開催事業費は県、名古屋市などが負担、国の補助金も支出されている。公的要素が強いものだということを最初に述べておきたい。で、この展示内容に関する反響は凄まじく、開幕した今月1日だけで抗議は電話200件、メール500件。事務局の電話はパンクした。2日朝には知事が例に挙げたファクスが届いた。事務局は抗議電話に対しては意見を聴く姿勢で、職員も増強したが、電話やメールは県庁にも寄せられた。対応に忙殺され、芸術祭の運営そのものに支障を来しかねないところまで追い込まれた。テロ予告や脅迫の電話などもあり、撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔するというファクスもあったらしい。今回の展示内容は、『表現の不自由展・その後』(公式HP)のタイトルでもお分かりのように、今まで美術館で展示を拒否された作品を集めたものが圧倒的に多く、本来であれば会長を務める大村知事が『あいちトリエンナーレ2019』に相応しい内容か否かの判断を事前に下すべきだった。内容の本質ではなく、開催することで社会に与える影響力を鑑みる必要があったのではなかろうか? 本人弁だと『行政が展覧会の中身にコミットするのは控えなければならず、芸術祭じゃなくなる』との判断が働き、展示を許可した。予想を遥かに超えた反応に驚き、一部作品の展示中止を円滑の運営のため決断せざる負えなかった。会長代行を務める河村市長は、2日、会場の愛知芸術文化センター(名古屋市東区)を訪れた後、報道陣の取材に応じ、少女像の展示について『どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ。即刻中止していただきたい』と話し、大村知事宛てに展示中止を含めた適切な対応を求める抗議文を提出した。当然の対応だと考える。日韓請求権協定を無視して日本企業の資産を没収する判決まで出した『徴用工問題』で、日韓が激しく対立して、反韓意識が高揚している時節柄、国民世論を刺激すればどうなるのか?分かろうというものだが・・・。

【考察その2】
これって日本人としてどうなのだろうか?


動画2 『表現の不自由展・その後』の中止について会見する芸術監督の津田大介氏

 今回、芸術監督の津田大介氏が2015年に開催した『表現の不自由展』を見て、『あいちトリエンナーレ2019』でぜひ『その後』をしたいという意欲的な呼びかけに共感し、企画・キュレーションを担ってきた。純粋な芸術展示というよりは、芸術の名を借りた政治デモンストレーションに映るのはブログ主だけではあるまい。今回の展示中止に追い込まれた背景にはそれがある。本来、政治と宗教、スポーツ、芸術などは一括りで語るものではなく分離されなければならない。従軍慰安婦少女像を模した『平和の少女』も十分政治メッセージを強く感じるものだが、それ以上にブログ主が作者の意図を量りかね、違和感、いや不快感を覚えたものに昭和天皇の写真を燃やしたかのような映像がある。 ~『表現の不自由展・その後』~ の大浦信行氏の作品『遠近を抱えて』で、『富山の美術 '86』で出展されたもので、展覧会終了後県会議員による県議会での批判がマスコミに報道され、右翼団体や神社関係者から作品とその図録の非公開もしくは処分が求められ、93年に県は、作品と図録の保有が管理運営上の問題になるとして、作品の売却と図録残部の焼却処分を決定した。作品公開を求めた作家と市民らが住民訴訟を提起し、一審で一部勝訴したものの、控訴審で敗訴し、上告が棄却された。あいちトリエンナーレ2019の企画展『表現の不自由展・その後』にて、大浦の『遠近を抱えて PartⅡ(4点)』が出展された。作品の中には富山県立近代美術館による自分の作品の焼却を彷彿させるシーンがあるが、昭和天皇の御真影が焼かれるように見えるため、観客からは不快などと批判が殺到したいわくつきの作品だった。同じ企画展には慰安婦像嶋田美子氏による昭和天皇の肖像を大浦と同じ趣旨で加工した作品も出展されたため抗議や脅迫が殺到していた。『昭和天皇を焼き殺すイメージ』を意図した作品でないとしても、そんな出展者の意図を見た側が理解するのは到底不可能だ。視覚での印象をそのまま意図として受けとめるのが一般的だろう。この作品を見て、日本人の90%以上は濃淡の差はあれど不快感を覚える筈だ。表現の自由の暴走としか言いようがない。


動画3 『表現の不自由展・その後』の中止について会見する愛知県の大村秀章知事

 そもそもの問題として、作品に昭和天皇を持ち出すこと自体が、ある種の政治メッセージ-戦争責任や戦前の軍国主義の象徴-を奥底に隠し持っている、と疑われても仕方がない。不敬などと時代錯誤な言葉を使うつもりは毛頭ないが、一介の芸術の範疇を超えていると思うのだ。芸術、表現の自由の免罪符さえ得れば、何をしても許されるのか?百歩譲って、芸術に政治的メッセージを込めることを可とした場合でも、その表現方法は選ぶべきだ。先の考察で抑えるべきポイントして指摘した『影響を与えるであろう各方面への配慮』という責任と義務の履行をおざなりにしている、と責められても反論の余地はないだろう。ブログ主は従軍慰安婦少女像ならぬ『平和の少女』よりもこちらの方が、癇に障った。さらに問題なのは、民間施設で公的資金の補助なしで開催するのは表現の自由が保障されている日本であれば何の支障もない。まあ賛同する人は少ないと思うが・・・。企画展の実行委員会メンバーが法的手段の辞さずと強気の態度を崩していないようだが、世の中の大多数の人たちが不快感を示し、政治メッセージの色濃いものを出展しておいて何が芸術なのか? 自分たちの常識と世間一般の常識とのかい離についてどのような認識を持っているのか、お聞きしたいぐらいだ。頭の中だけで捉える理想の姿だけが独り歩きして、現実世界を一切見ようとしない左巻き思想の人特有の弊害が如実に現れている。これは、8月6日に原爆ドーム周辺で拡声器を使い、安倍首相に抗議活動をしている方々にも同じことが言える。あれは、広島市民の99.9%の人間が不快感を持ち眺めている。規制する条例案を広島市は検討しているが、言論の自由の抑圧などと捉える広島市民はほぼ皆無である。話を戻すが、今回の騒動のおかげで『あいちトリエンナーレ2019』(公式HP)が全国的に周知され、集客効果も高まり興行的には成功するかも知れない。

お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村 
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

前回記事 重度障害者を客寄せパンダに使ったれいわ新撰組
カテゴリー記事 時事考察 その他


今日の話題 7月19日 JIJI.COMより引用

京アニ火災、死者33人=平成以降最悪-確保の男、ガソリンまき
死ね』・京都


動画1
 京都アニメーション火災 放火事件 7月19日時点各社の報道

【記事詳細】

 京都市伏見区にあるアニメ制作会社『京都アニメーション』のスタジオで18日に発生した爆発火災で、新たに32人の死亡が確認され、死者は計33人となった。京都府警捜査1課などによると、当時74人が建物内におり、負傷した35人を搬送、6人の無事が確認された。警察庁によると、放火と断定された事件の死者数としては、平成以降最悪となった。捜査関係者によると、身柄を確保された男(41)は所持していた免許証からさいたま市在住と判明。1階出入り口付近でバケツのようなものに入ったガソリンをまき、火をつけたとみられる。建物に入った直後に爆発が起き、「死ね」と叫んだという。建物前の路上では、包丁数本が入ったかばんやハンマーなどが見つかった。

 現場付近のガソリンスタンドでは、不審な男が20㍑の携行缶二つにガソリンを購入。同課は付近で移し替え、台車に載せて運んだとみて、殺人と現住建造物等放火の疑いで調べている。男はスタジオから約100㍍離れた場所で確保され、その際『液体をまいて火をつけた』と話した。全身にやけどを負い、病院に搬送されたため事情聴取は行われていないが、元従業員ではないという。京都アニメーションの八田英明社長によると、数年前から社員の殺害を予告するメールなどが相次いでおり、警察に被害届を出していたという。同課は男との関係を慎重に調べる。同課などによると、遺体は1階で2人、2階で11人、3階に上がる階段で1人、屋上に上がる階段で19人が見つかった。男性が12人、女性が20人、性別不明が1人。搬送された35人のうち、16人が入院、意識がない人もいるという。消防によると、火災は鉄骨コンクリート3階建て約690平方㍍を全焼し、約5時間後に消し止められた。屋上に通じる階段では、折り重なるように人が倒れていた。

【考察その1】
事件から2週間後の現状について
絶対に許されない蛮行


画像1 全焼して無残な姿となった京都アニメーション第1スタジオ(画像 ウィキペディアより)

 『牽強付会(けんきょうふかい)』をご存知だろうか。道理を無視して、自分の都合のいいようなこじつけ解釈をすることだ。一見、ポジティブと被る印象を受けるが、似て非なるもので意味は大きく異なる。いや、この傾向が強い人からすれば、本人だけは
ポジティブと勘違いしているかも知れない。牽強付会の論理で、とある出来事を受け止め消化したものが、何かの拍子で壊れたとする。この場合のこの傾向が強い人間の怒りは、頂点に達する。第3者的な視点だと、殆どの場合が本人責任であったり、そもそも最初から勘違いだったりなどの筋違いな怒りでしかないのだが、当の本人は0.1%もそうは思わない。怒りの矛先は、壊れた理由をつくった組織や集団、個人に向く。特徴として次の点がある。①被害者意識が異常に強い ②感情の振り幅が常人より大きい ➂コミュニケーション能力が低い(友人、恋人がいない) ④なぜか仮想敵をつくり、全否定することで心身のバランスを保つ ⑤論理的思考は皆無で、感情的思考中心 ⑥耳障りが良い極論を好む といったものがある。要はメンタルが子どものまま大人になり、心の隙間が異常に大きい人たちのことだ。ただ怒りを現実世界で大爆発させる人間は実際にはほぼ皆無で、精々、心の排せつ物を流すSNSサイトでご活躍(笑)して、憂さを晴らすぐらいだろう。彼らとて絶対に超えてはいけない一線は弁えているし、それぐらいの理性はある。それだけでは済まず、実際に爆発させた大バカ者がいた。今回、京都市伏見区にある京都アニメーション第1スタジオにガソリンをまき、放火した青葉真司容疑者(41)である。


動画2 “京アニ支援”海外からも 再建などに数十億円規模(19/07/26)

 今回の放火事件は、死者35人(7月30日現在)と、放火事件としては平成期以降最多の死者数を数える大惨事となった。事件当時、京都アニメーション(以下 京アニ)第1スタジオには、従業員など74人がいたが、そのうち68人が被害を受けた死者は35人、負傷者は火を付けた男を含め、重症9人、中等症6人、軽症20人。建物で見つかった死者35人の死因は、27人が全身やけどなどの焼死、4人が一酸化炭素中毒、2人が窒息、残る2人は判明しなかった。ここまだ被害が拡大した理由は、避難階段や避難器具、スプリンクラーなどの消火設備は設置が消防法上、事業所扱いとなる第1スタジオに設置が義務付けられていなかったことや、07年の完成検査で京都市に防煙壁の設置を指導され、天井からつり下がる長さ50㌢の防煙壁が設置されていたが、螺旋階段の脇で火が放たれた可能性が高く、煙を食い止めることは難しかったことなどが後の現場検証から推測されている。今回の事件で第1スタジオは全焼し、京アニの社長八田英明は近隣住民への配慮から建物を撤去したいと述べた上で、『思いとしては、できれば公園にしてを作りたい』と語っている。事件後の世間の反応は、哀悼一色で、特に海外では、英国BBC、オーストラリアABC、米国CNN及びABCニュース、AP通信中国中国中央テレビといった海外メディアが当日に報道した。中国環球時報は、新聞の一面で事件の記事を掲載した。新京報でも一面の半分を使って報じた。日本のアニメの世界の影響力をまざまざと見せつける格好となった。同社が開設した支援専用口座への寄付金が30日、10億円を突破した。他の窓口を合わせると少なくとも13億5000万円に達し、作品の人気を裏付けるように、国内外で募金の輪が広がっている。寄付金は、被害に遭った社員と家族、会社再建のために使うとのことだ。ブログ主の個人的な意見だが、設備的なものはコストさえかければ短期間で復旧するだろうが、作品もそうだが失った人的資源の回復は短期間ではとても覚束ない。再建の道のりは果てしなく遠い。

【考察その2】
青葉真司
容疑者とはどんな人物
『訳あり』と言うには色々とあり過ぎる容疑者の過去


画像2 JR宇治駅周辺を歩く青葉信司容疑者とみられる人物(画像 ネット拾い画像より)

 事件前の容疑者の足取りについて、色々と出てきている。犯行の直接の動機となるものでは、青葉容疑者と同姓同名の人物から過去に小説の応募があり、一次審査で落選した過去が取り沙汰されている。応募者の住所は青葉容疑者のさいたま市見沼区の自宅アパートと同じだった。自宅の捜索では原稿用紙のほか、京アニ関連を含む複数のアニメグッズが見つかった。同容疑者は身柄が確保された際、『小説をパクられた』などと話しており、一方的な怨恨説を裏付けている。京アニのHPには昨年、問い合わせ欄に殺害予告などの書き込みも相次いでいた。同人物によるとみられ、府警は威力業務妨害容疑で捜査したが、書き込んだ者を特定できなかった。容疑者宅の捜索ではPCやスマートフォンも押収しており、関連も調べる予定だ。事件前の15日に京都入りして、京アニ本社や関連施設のある京都府宇治市を電車や徒歩で行き来し、『聖地巡礼』をしていた。容疑者は事件後、大やけどで意識不明の重体となり、皮膚移植を受けるなどしたが、最近になってわずかに反応を示すぐらいには回復したようだ。彼には、このまま死亡するのではなく、きちんと回復してもらって司法での裁きを受けてもらい、自身の命で罪を償ってほしいものだ。そうでもしないと亡くなった方の魂は浮かばれないだろう。間違っても精神鑑定で、心神喪失弱、心神耗弱(こうじゃく)による『責任能力問わず』や減刑になることは回避した頂きたい。これほどの事をいとも簡単にやらかすこの容疑者の人生の背景だったり、メンタルのありかなどに興味が湧いてしまう。


動画3 関連施設も犯行の標的か “京アニ”放火殺人(19/07/28)

 新聞やテレビではさる大人の事情があり殆ど報道していないので、『文春オンライン』の記事を参考にして書いてみる。彼の父親は、市議会議員や幼稚園バスの運転手などを務め、幼稚園で働いていた女性と最初の結婚をする。6人の子どもをもうけたが、幼稚園教諭と不倫関係となり離婚した。その不倫関係の女性と再婚し、3人の子どもをもうける。その次男が青葉真司容疑者だった。小学生の頃は、活発な少年だったが、中学生になるといじめ理由による不登校となり引き籠りとなった。中学卒業後は、県立高校の夜間部に入学し、卒業。大学へは進学せず、県非常勤職員、新聞配達員、コンビニ数軒と、職を転々とする。20代の頃には下着泥棒をして警察に連行されている。その後は派遣会社に登録し足り茨城県内の郵便局などで働く。12年6月、34歳の時に茨城県内のコンビニエンスストアの包丁を持って押し入り、現金を奪って逃亡。その後、自首して強盗と銃刀法違反で逮捕された。栃木県内の刑務所に収監されるが、
懲罰房内で暴れるなど問題が多かったらしい。服役後は16年7月頃まで、保護観察施設に入寮していた。退寮後は、現在のさいたま市内のアパートに住んだが、騒音を巡るトラブルが絶えなかったという。京都府警の発表では、精神疾患患者で病院に通院していた、となっている。不謹慎だが、『いじめ』『引き籠り』『非正規就労』『犯罪歴あり』『様々なトラブル』『精神疾患患者』『特殊な趣味』とよくもここまで揃ったものだと感心する。突き詰めると最初の『いじめ』と『引き籠り』から、彼のボタンの掛け違いが始まり、人生を誤り今回の大事件に至ったのではなかろうか? 先の考察で持ち出した『牽強付会(けんきょうふかい)』の徴とものの見事に符合する。まあ最強、最悪レベルだが・・・。『精神疾患患者』『特殊な趣味』をより強調するつもりはないが、ボタンの掛け違いの端緒のいじめが全て問題の根幹となり、色々と枝分かれしていったのではないかと考える。その枝分かれの中にこの二つがある。結果論だが、彼の場合はアパート住民とのトラブルが発生した時点で、アパート管理会社が警察に措置入院(ウィキペディア)の検討を依頼するべきだった。京アニのHPに殺害予告をした時に、特定できなかったのも痛恨の極みとなった。今となっては犠牲者のご冥福と京アニの復興を願わずにいられない。

お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村 
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

関連記事 近況について色々と 156
カテゴリー記事 時事考察 その他


【考察その1】
ALS(筋萎縮性側索硬化症)と重度障害者とは?
本題に入る前に抑えておきたいポイント


動画1 ALSの正体 恩田聖敬

 今日の記事は、ALS患者の人たちが難病患者や重度障害者である以前に一人の人間として見た場合での素朴な疑問から端を発した性質のものとご理解いただいた上で、読んでもらえれば幸いだ。特にALS患者や重度障害者を誹謗する目的のものではないので、この点を留意して頂きたい。まずはこの二つについて説明したい。

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは?
 ①病原理など
 筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだん
 やせて力がなくなっていく病気。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、か
 つ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)だけが障害を受ける。その結果、脳から『手足
 を動かせ』という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせ細っていく
 。その一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれる
 ②国内患者数
 
1年間で新たにこの病気にかかる人は人口10万人当たり約1~2.5人。全国では、201
 3年度の特定疾患医療受給者数によると、約9,200人がこの病気を患っている
 ➂発症の特徴
  男女比は男性が女性に比べて1.2~1.3倍であり、男性に多く認められる。この病気
  は中年以降いずれの年齢の人でもかかることがあるが、最もかかりやすい年齢層は60~
  70歳台になる。稀にもっと若い世代での発症もある。特定の職業の人に多いということ
  はない
 ④ALS(筋萎縮性側索硬化症)発症の原因や遺伝性
  原因は不明とされ、神経の老化と関連があるといわれている。さらには興奮性アミノ酸の
  代謝に異常があるとの学説やフリーラジカルの関与があるとの様々な学説があるが、結論
  は出ていない。次の項目で説明するが、家族性ALSの約2割ではスーパーオキシド・ジ
  スムターゼ(SOD1)という酵素の遺伝子に異常が見つかっている。最近になり、他の遺
  伝子異常による原因遺伝子が明らかになっている。多くの場合は遺伝しない。両親のいずれ
  かあるいはその兄弟、祖父母などに同じ病気のひとがいなければまず遺伝の心配をする必要
  はない。その一方で、全体の中のおよそ5%は家族内で発症することが分かっており、家族
  性ALSと呼ばれている
 ⑤ALS(筋萎縮性側索硬化症)の症状
  多くの場合は、手指の使いにくさや肘から先の力が弱くなり、筋肉が痩せることで始まる。
  話しにくい、食べ物がのみ込みにくいという症状で始まることもある。いずれの場合でも、
  やがては呼吸の筋肉を含めて全身の筋肉が痩せて力が入らなくなり、歩行困難となる。喉
  の筋肉の力が入らなくなると声が出しにくくなり(構音障害)、水や食べ物の飲み込みも
  できなくなる(嚥下障害)。またよだれや痰(たん)が増えることもある。呼吸筋が弱ま
  ると呼吸も十分にできなくなる。進行しても通常は視力や聴力、体の感覚などは問題なく、
  眼球運動障害や失禁はあまり見られない
 ⑥ALS(筋萎縮性側索硬化症)の治療法
  1. ALSの進行を遅らせる作用のある薬:リルゾール(商品名 リルテック)という薬
    が使われる
  2. 対処療法として、毎日のリハビリ、呼吸困難に対しては、鼻マスクによる非侵襲的な
    呼吸の補助と気管切開による侵襲的な呼吸器(人工呼吸器)などがある
 ⑦病状の経過
  この病気は常に進行性で、一度発症すると症状が軽くなるということはない。 体のどの部
  分の筋肉から始まってもやがては全身の筋肉が侵され、最後は呼吸の筋肉(呼吸筋)も働
  かなくなり、呼吸不全で死亡する。人工呼吸器を使わない場合、病気になってから死亡ま
  での期間はおおよそ2~5年だが、中には人工呼吸器を使わないでも10数年の長期間に
  わたって非常にゆっくりした経過をたどる症例も稀にある。その一方で、もっと早い経過
  で呼吸不全をきたす症例もある。特に高齢者で、話しにくい、食べ物が飲み込みにくいと
  いう症状で始まるタイプは進行が早いことが多いとされている。進行速度は患者個々に多
  少の差異がある
 ⑧著名なALS患者
  ル-・ゲーリック(故人 元メジャーリーグ選手)、篠沢
秀夫(故人 元学習院大学名誉
  教授) 恩田
聖敬(元FC岐阜社長) ホーキング博士(故人 理論物理学者)など

2 
重度障害者について
 身体障害者福祉法施行規則に規定する身体障害者障害程度等級表における1級から6級までの障害のある人間、又は7級の障害が重複している人間を指す。なお、『障害の程度』における『重度』とは、身体障害者障害程度等級表における等級が1級、2級の障害又は3級の重複障害等のことである

 大変な疾患で、一言で言えば『発症したら最後』である。ALSは神経・伝達系の何らかの理由で筋萎縮をするニューロパチー系疾患に属する。ブログ主の封入体筋炎(難病情報センター)は、筋ジストロフィー同様に筋肉に何らかの理由で筋萎縮を引き起こす、ミオパチー疾患になる。この二つの決定的な相違点は、進行速度だ。封入体筋炎が数か月及び半年単位~年単位での進行に対して、ALSは週単位と言われる。上記の動画リンクの恩田元社長のユーチューブ動画の社長就任直後の14年頃と、その数年後の15~16年頃の動画比較をすれば、よくお分かりになると思う。発症から数年経ずして完全介護の重度障害者になるのが特徴だ。それに比べブログ主など、発症12年目でありながら、まだ杖使用だが二足歩行が可能で、この1年半ぐらい小康状態を辛うじて保っていることを思えば、不幸中の幸いだ。ALS患者の外での日々の就労の困難度が健康体の方でもよくお分かりになる筈だ。就労云々以前に如何にして、闘病生活の環境を本人及び支える家族が整えるかが、まずはするべきことだと考える。理想や建前などの綺麗ごとでは片付けられない苛酷な現実があるのだから。これを理解した上で次の考察に進みたい。

【考察その2】
進行性疾患の重度障害者を客寄せパンダに使う不純な動機


動画2 れいわ新撰組参院選候補者を発表

 21日に投開票が行われた参院選において、山本太郎氏が率いる
『れいわ撰組』(公式HP)なる政治団体が、重度身体障害者、性的少数者、派遣労働者、コンビニ加盟店ユニオンの労働運動家、公明党の方針に異を唱える創価学会員など、社会的弱者を中心に参院選候補者を公示日前日までに9人擁立した(選挙区1人、比例区8人)。所詮、キワモノ団体だと物笑いの種にでもなると思いきや既存メディアには殆ど相手にされなかったこともあり、最初からネットを中心とした活動を展開して思わぬ得票数を獲得させて比例区で奇跡の2人当選を果たした。そして得票率2%の政党要件もクリアした。そしてその当選した2人の候補者だが、共に先の考察で説明したALS患者&重度障害者である。世間では概ね、困惑しながらも重度障害者の国政進出に同障害者の社会進出を慶事として歓迎している。彼らの活躍次第では、勤労者としての重度障害者の存在が見直され、一般企業が二の足を踏む就労についても進むのではないか?と期待する向きもある。正直、ブログ主は将来の重度障害者予備軍の一人として、今回の結果は手放しでは喜べず、複雑を超え不快感すらある。れいわ新撰組が社会弱者の各階代表みたいな人物を担ぎ出し候補者に据えるのは、別に構わない。公約らしきものも一通り見たが、論ずるに値しないし、『言うだけなら自由だし・・・』程度の感想だ。大方の人はブログ主と同意見だろう。不快感を感じたのは、その点ではなく、ALS患者&重度障害者を比例区の特定枠1~2位に据えたことだ。彼らを前面に押し出すことで、世間からの同情票を集め、歓心を買おうとする卑しい意図が見え隠れする点だ。何も障害者代表であれば、ALSのような進行性疾患ではなく症状や障害が固定され軽~中度の障害者でも良かった筈だ。重度障害という視覚の強い訴えかける力を利用したかったに違いない。党利党略、個人の打算の存在を否定するつもりはないが、やり方を考えるべきだ。法律云々の話ではないが同義的には悪手で、ALS、重度障害の困難ぶりをどこまで理解しているのか?理解していた上で、彼らを担いだのであれば悪人のそしりは免れないし、然程理解していないのであれば、政治家の資質の問題になるだろう。ブログ主も健常者時代、行内での出世争いで権謀術数を駆使して人に言えないことを何度かしたが、競争社会の同じ土俵の上げたら失礼な人には一定の配慮は欠かしてはいけないと心掛けていた。


画像1 各障害者の雇用形態別の月額賃金(画像 内閣府HPより)

 別に重度障害者の就労も含めた社会参画には基本的には賛成する。本人やサポートする人間の負担が増えない限りでは、大いに参加すべきだし制度も整え歓迎する世間の空気も醸成する必要があると考える。ただ、政治家、特に国会議員となると話はまた別だ。税金がどうとかの話が持ち出すつもりは毛頭ないが、身の回りのことも介護者なしで不可能な重度障害者の人間が国会議員になって何が出来るのか?これを考えないといけない。『彼らだからこそ、出来ることがある筈だ』との反論が聞こえてきそうだが、現実には何もない。コミュニケーションの基本能力さえ定かではない人間にそんなものを求めること自体、無理があり過ぎる。参議院の任期は衆議院とは異なり長く6年もある。任期中にALSが進行して、さらに障害が酷くなるのもほぼ100%確実だし、最悪の場合任期を全うできず死に至る可能性も低くはない。国政の行く末を託すにはあまりにも脆弱で心もとない。『重度障害者やALS患者の声を国に届ける』目的であれば、市民運動の一環でやればいいだけのことだ。その意味合いでは、今回れいわ新撰組に投票した有権者の罪は決して軽くはない。一時的な感情的思考や高揚感で彼らを結果的に選んだのだから。彼らを障害者代表のつもりで国政の場に送り出した気分に浸っているのだろうが、重度障害者の状態の周知と国会のバリアフリー化だけが進むだけの結果に終わるのは目に見えている。ブログ主は、真の障害者の自立は経済的自立抜きでは語れないと考える。各障害者の平均年収の行政のHPはなかったが、月額だと上記画像1の通りとなる。障害者雇用を課せられている企業に正規採用されれば、健常者のそれとは大きな差異はないようだ。ただこのような障害者が全体の何%を占めるかとなると少し話が怪しくなる。18年度時点の障害者の法定雇用率は民間企業では2.2%、国や地方公共団体では2.5%となっている。これは、8時間就労のフルタイムでの比率でアルバイト、契約社員などの非正規雇用なども含まれている。原則正規雇用のみとし、さらに枠の拡大を目指し就労機会の場を増やし経済的自立を促す。そのために必要な資格取得などの社会人の障害者を対象とした就学の場を今以上に提供をする。福祉垂れ流しの社会保障施策よりは、自立を加速させる就労支援型の社会保障施策の方がゆくゆくは納税と言う形で戻ってくる可能性がある。今後、人口減が加速して大幅人口減となり、高齢化率も30%超えの超高齢化時代が訪れるのは確実だ。生産者人口は否が応でも減り続ける。非生産者が多いと言われる障害者を生産性の高い生産者に転換させるのは、急務だ。それは能力もありヤル気がある障害者にとっては願ってもない話だ。障害者を哀れな存在として、庇護するのは本質的には侮辱に等しい行為である(ブログ主は少なくともそう考える)。今回の選挙を通じて、れいわ新撰組や未だに暴力革命を肯定する某政党などの餌にも等しい公約を見てブログ主はそう感じた次第だ。~ALS患者が国会へ、『重度障害者に国会議員が務まるのか』との意見に”車椅子の大臣”八代英太氏と乙武洋匡氏の見方は~(ヤフーニュース) では肯定的な意見な意見をまとめているが、聞く相手を間違っている(笑)。間違っても自己否定するような発言をする筈もない。それに彼らは、障害内容固定障害者でもある。出来ることを強調しているが、出来ること以上にあるであろう出来ないことについても発信するべきだ。気高い理想や建前、本人の努力だけでクリア出来ない現実がある事を。

※追伸
 今回、れいわ新撰組の比例区で当選したALS患者、重度障害者で当選した船後、木村両議員は重度訪問介護のサービスを受けており、制度の壁-通勤や仕事中に同サービスが受けられない-により、臨時国会初日の8月1日に通院できないそうだ。結果的に仕事よりも日常生活を選んだわけだが、制度上、重度障害者は就労が難しいことが大前提で成立しているので特に無理は感じない。現在、与野党間で対応の協議をしている最中だが、この二人だけのために法を捻じ曲げることだけはするべきではない。治外法権にするなど、逆差別も甚だしく重度障害者を含めた障害者への心理的な反感が高まり、共生社会の実現の障害になる。両議員の取るべき道は、就任1年目で預貯金も然程ないと思われるので、党費で介護者を雇い、職務を全うするか、恥を忍んで『やっぱり、私たちでは議員活動は務まりません』と謝罪して議員辞職するかの二者択一しかない。この問題は優しい、冷たいなどの感情論で語る問題ではなく、国会議員の適性に資する問題で制度批判は論点がズレている、と差別者のレッテルを貼られたくない声をあげない多くの有権者は心のどこかでそう思っている筈だ。

手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村  
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

カテゴリー記事 時事考察 その他

今日の話題 6月3日日本経済新聞WEB版より引用
人生100年時代 2,000万円が不足 
金融庁が報告書


動画1 老後資金2000万円必要 金融庁の提言に街の声は(19/06/04)

【記事詳細】
 金融庁は3日、人生100年時代を見据えた資産形成を促す報告書をまとめた。長寿化によって会社を定年退職した後の人生が延びるため、95歳まで生きるには夫婦で約2千万円の金融資産の取り崩しが必要になるとの試算を示した。公的年金制度に頼った生活設計だけでは資金不足に陥る可能性に触れ、長期・分散型の資産運用の重要性を強調した。

 金融審議会で報告書をまとめ、高齢社会の資産形成や管理、それに対応した金融サービスのあり方などを盛り込んだ。平均的な収入・支出の状況から年代ごとの金融資産の変化を推計。男性が65歳以上、女性が60歳以上の夫婦では、年金収入に頼った生活設計だと毎月約5万円の赤字が出るとはじいた。これから20年生きると1,300万円、30年だと2千万円が不足するとした。長寿化が進む日本では現在60歳の人の25%は95歳まで生きるとの推計もある。報告書では現役時代から長期積立型で国内外の商品に分散投資することを推奨。定年を迎えたら退職金も有効活用して老後の人生に備えるよう求めた。

【考察その1】
人生総競争時代の本格到来
生産性の有無による国民の取捨選択が始まるかも


画像1 必要な人間と不要な人間を取捨選択されるイメージ画像 かわいいフリー素材集いらすとやより)

 ブログ主が20代で東京で大手町に本店がある某金融機関に勤務している頃、この国にあり方に不満に思うことがあった。それは、過度な競争原理を排除した国全体を覆っていた無意味な平等主義である。人間は本来持っている能力には差異があり、当然出す結果も異なる。それなのに得られる対価は、能力と結果相応のものではない。上をそこそこのレベルで抑え、下を底上げして均等化を図る。これが日本社会の本質だ。そのため、能力がある人間、結果を出した人間がそうではない人間のために生贄にされ続けたことは誰も指摘しない。その意味で不思議な国だった。ある時期まで、日本は社会主義の理想を叶えた理想的な国とまで言われた。バブル経済期に『1億総中流意識』なるものがあったが、これなどその最たるものだった。質の低い社員でも犯罪に手を染めない限り、定年まで就労を保証されるなど若かりし日の頃のブログ主は大いに疑問を感じていた。その後日本も経済のグローバル化に否が応でも飲み込まれ、『失われた20年』と縮小社会(高齢化+人口減)を経て、資本主義では本来あって然るべきの格差が広がった。負の側面と捉えがちだが、これは間違いで競争の意味合いでは正の側面であるとブログ主は考える。記事内容もその視点から考えたい。今回の報道は、  衝撃的ともいえる『老後の備えは2,000万円以上』を提唱した金融庁の『高齢社会における資産形成・管理』(金融庁HP)の公表である。資産寿命を延ばす工程表はこの記事が参考になる。 ~人生100年時代の蓄えは?~(朝日新聞デジタル) 内容をざっくりいうと平均寿命が延びる一方、少子化や非正規雇用増加で、政府は年金支給額の維持が難しくなり、会社は退職金額を維持することが難しい。老後の生活費について、『かつての老後のモデルは成り立たなくなってきている』と報告書案は指摘。国民には自助を呼びかけ、金融機関に対しても、国民のニーズに合うような金融サービス提供を求めている。ブログ主の主観的なものも含めてその概要に触れてみる。
      

1 現役時代前半(30歳~50代半ば)
-①ライフスタイルイベント
           対象年齢       必要となる資金      必要期間

結婚        30歳前後        358万円       ・・・
住宅購入  30代前半~50代半ば   1,900~4,500万円   20年以上 
                   (全て公立) (全て私立)
子育て   30代以上~50代半ば   765万円 2,463万円  22年以上
(教育費)
-⓶この時期の留意点
 早い時期からの預貯金積み立て、民間金融機関等の個人年金等のリスクの少ないものへの投資など、双方の両親の老後を見て、将来を意識しあればあるだけ使うような無駄な浪費を極力回避する。

2 現役時代後半(50代半ば~60代半ば)
-①ライフスタイルイベント
          対象年齢       必要となる資金      必要期間
住宅リフ     60歳前後        465万円       数年
ォーム
-⓶この時期の留意点
 
大きなライフサイクルイベントが終了して、各ロー支払いから解放される。生活習慣病などの発症に気を払いながら、公的年金受給額を収入の柱としつつ、不足生活費の概算を弾き出し、より具体的なイメージの元、
預貯金の積み立てを加速させる。

3 引退時代前半(60代半ば~70代初頭)
-①ライフスタイルイベント
          対象年齢       必要となる資金      必要期間
住宅リフ     60歳前後        465万円       数年
ォーム

-⓶この時期の留意点
 完全引退時期を極力延ばして、現役時代の就労先の再雇用制度などを活用し収入減少を回避する。退職金などの確認等も行う。ある程度の生活レベルの維持を心掛けながらも、広げていてた生活の幅を縮小させることを意識する。

4 引退世代後半(70代初頭~90代)
-①ライフスタイルイベント
          対象年齢       必要となる資金      必要期間
介護施設入居費  70代後半~     数百万~2千万円程度   10年以上~
葬式        ・・・        195.7万円       ・・・
-⓶この時期の留意点
 計画的な金融資産の取り崩しを行う。必要に応じて形態を変更して運用の継続も視野に入れる。体調などに配慮した要介護費などの資金計画の見直しも行う。認知症発症時や死後に備え『終活』の準備を滞りなく行う。

 今回の金融庁のそれは人生100年時代、縮小社会(超高齢化+大幅人口減)を見据え、社会保障の基本である『自助
・共助・公助』のうち、『公助だけでは国の財政が破たんするので、自助のウェイトを高め自己責任の範囲で老後はお願いしますね』とのメッセージだ。

【考察その2】
結局、色々と持っていた者勝ち
待たざる者は捨てられるだけの話
 
 
画像2 年齢区分ごとの将来人口の推計(画像 内閣府HPより)

 金融庁がここまで警鐘する背景には、社会保障制度の支えてである
現役世代人口の減少(上記画像2参照)と平均寿命の伸長(下記画像3参照)がある。要は国が昔みたいに面倒は見切れませんよとギブアップしたのと同じだ。平均寿命は伸長しているが、健康寿命はそこまで伸びない。よって国の介護費は否が応でも上昇する。そして生涯未婚率が増加して『お一人様』なる単身高齢者も急増することも予測され、増々この傾向に拍車がかかる。今現在でさえ国の予算は社会保障費で1/3(30兆円強)を割かれ、汲々としている。さらなる財政の硬直化は本当に待ったなしになる。話を本筋に戻すと、今回金融庁が示したモデルケースは、国民の一般的な各支出やライフサイクルに準じたもので、2000万円の蓄えがなければ、暗黒の老後が待っていると絶対に断言できるものではない。人生で最も高い買い物になるであろう住宅購入と子育て費を一家の総収入に見合ったものもしくは、それよりも低いものにすれば努力次第で暗黒の老後の回避は十分可能だろう。今回の指針の不満な点としては、一家の総収入ごとの複数のパターンでもあれば、もっと分かりやすく具体的なものになっていただろう。ざっくりし過ぎるのである。実はブログ主は、生命予後不良の封入体筋炎を40.5歳で発症し、65歳前後で死ぬことを想定して金融資産の終活を発症と同時に始め、昨年ほぼ完了した。その必要とする預貯金額は、今回の金融庁の試算の数倍で設定した。その感覚で以てみると意外と低い印象を持った次第だ。まあブログ主の場合は、疾患進行で就労可能な年齢を50代前半まで、65歳で死去(家内57歳)する設定で老齢厚生年金ではなく、遺族年金設定で家内がブログ主の死後、33年間生きる設定でしているのもあるが・・・。


画像3 性別ごとの将来平均寿命の推計(画像 内閣府HP)

 金額の議論は置いておいて、結局縮小社会-大幅人口減+超高齢化-を生き抜き、晩節を汚さないためには金融、不動産資産を持っていた者勝ちと言うことだ。持たざる者は、哀れというか悲惨の末路が待っていることは確かなようだ。こんな論調で語るとさも差別主義者のレッテルを貼られそうになるが、果たしてそうだろうか?これは現役時代の個々の生産性の対価-収入の多寡や結婚の有無-によるところが大きく、本人に由来しないもので不当な扱いを受けることを差別の定義とすれば、絶対に該当しない。差別ではなく区別の類だ。さして努力もせず、自堕落に生きて散々自由を謳歌して、貧困高齢者になり、困った時だけお上に頼るようでは人としてはどうなのだろう。ここだけ切り取ると厳しいものを求めているかの如く映るが、普通にそこそこレベルの大学を卒業して、見合った企業に就職、そして結婚してそれなりに出世すれば、そう外れた人生にはならない。人並より少しマシな能力で少し努力さえすれば十分手が届く範囲だ。
人間の人生は平均、平凡よりも少し上ぐらいが、バランスが取れ丁度いい。金融庁の示したノルマ(笑)を果たすには、現役時代の競争を意識し常に上昇志向でいることを求められる。自分教-能力・努力・結果-の熱烈信者のブログ主からすれば、日本もここまで追い込まれてようやく、真の競争時代に入ったと感慨深い。ただ残念なのは、難病の進行でそれに自ら参加出来ないことだ。最後は、一般論で締めたい。国が完全公助を放棄するのであれば、ライフサイクルイベントで住宅購入に次ぐ高コストの教育費の負担軽減に尽力してほしい。具体的には、高等教育受験までの学習塾代などの教育コストと高等教育入学後の教育コストの負担を減らしてほしい。日本の子育てにおける教育費の負担はOECD加盟国の中でも群を抜く。これが既婚者の少子化の原因となっているので、中学・高校での補習制度の拡充や専用教師の採用、給付型奨学金制度の拡充、国の大学への助成拡大の政策が急務だ。そのための財源としての消費増税であれば、国民も納得する。こんな日本が嫌な人は『揺り篭から墓場まで』の福祉大国の北欧諸国に転居することをお勧めする。日本では正の側面ばかり強調されがちだが、消費税の最高税額が余裕で20%以上を超え、所得税が給与の半分以上。日本との比較でどちらがマシと思うのかは人それぞれだ。

お手数ですが、ワンクリックお願いします

難病(特定疾患) - 病気ブログ村 
広島(市)情報ブログランキング参加用リンク一覧
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

↑このページのトップヘ