封入体筋炎患者闘病記

 封入体筋炎患者のヒロです。病歴は2019年で満11年、12年目に入りました。在宅勤務の仕事とリハビリの日々を送り、細やかながらも家族3人で暮らしています。ブログ記事は闘病記と広島地元ネタ、社会保障などの時事ネタ中心です。希少疾患の封入体筋炎の周知が目的です。関心があれば、ツイッターなどでご紹介していただければ幸いです。疾患関係で直コメントが苦手の方は、ツイッターのダイレクトメールを利用してください。封入体筋炎の闘病史は各進行段階の症状や生活障害、必要な社会保障制度等をまとめています。良ければ参考にしてください。最新の封入体筋炎の状況は『近況について色々と』、取り組んでいるリハビリについては『2019年春~夏 筋疾患(封入体筋炎)リハビリ』にて素人の体感目線で書いています。モバイル版で読みにくい場合は、PC版に転換してからお読みください。

Category:広島の都市問題 > 都心部活性化他都市先進事例

前回記事 神戸市歩行者中心の都市空間への模索 1

【考察その3】
広島市の歩行者中心の都市空間への取り組み
前市長時代の方が先進的な取り組みをしていた

並木通りを上から見た状況
画像1 10年秋葉市政時代に実施された並木通りを中心とした『まちなかホコテン2010』の様子(画像 広島市HPより)

 さて広島市の都心部地区の歩行者中心の都市空間への転換の取り組みだが、模索自体は前回記事で紹介した神戸市よりも実は早かった。相生通り、鯉城通り、平和大通りなどの主要幹線道路ではないが、並木通り(10~11年)、袋町『裏通り』(10~11年、15年)、中の棚(10~11年)の計3回実施された(上記画像1参照)。10~11年の『まちなかホコテン』では、自動車の乗り入れを一切規制する形で、15年は少し後退し規模縮小され、『歩行者と自動車の共存』を掲げ実験に臨んだ。詳細については次の記事を参考にしてほしい。 ~モール(歩行者専用道路)・トランジットモールについて考える その4~ 3度の社会実験を経て策定されたのが、次の計画である。 ~『紙屋町・八丁堀地区の歩行環境整備計画』の基本方針(案)~(広島市HP) ~楕円形の都心づくりを支える歩行環境整備計画について (広島市HP) 読んで頂くとお分かりになるが、『将来的にはこんな方向にもっていきたい』などイメージは何となく理解出来るが、具体的なものが一切ない(笑)。集約都市の何たるかを深く理解していないと言うか、『都心部地区を歩行者中心に』との言葉が嘘くさく聞こえ、その本気度を疑ってしまう。補助金目当ての集約都市だと責められても言い逃れが出来ないほどだ。広島市の都心部再生策は、都市再生緊急整備地域の指定による老朽ビルの建て替えなど民需の誘導だけに限定されているのがその特徴だ。未だに高度・安定成長期の成功体験による上物整備一辺倒の開発思考に囚われている。


画像2 先月リニュアールオープン本店東西館の様子。ボラードが設置され、敷地一杯に建物が建てられておらず、少し後退させて建設されおり実質的な歩道の拡大が若干図られている(画像 アンドビルド広島より)


画像3 休日の都心部地区の集客の状況。本通は高い数値を示しているが、周辺に広がりを見せていない(画像 広島市HP)

 都心部求心力の低下の最大の要因は、郊外大型商業施設の乱立であることは誰の目にも明らかで、これにより都心部地区の商業機能が著しく低下した。要は消費者に見放されたのである。都心部の再生を図るには、①対処療法-再開発ビル、スタジアム・アリーナなどの集客施設整備 ②根本治療-歩行者専用道路ネットワーク構築など、回遊路の整備(歩行者中心の都市空間への再配分) ➂体質改善-郊外大型商業施設の立地規制 以上3点を根気強くやり続けるしか術はない。ブログ主の定義だと、①だけでは、その集客力の高さに関係なく点で終わってしまいそれ以上の拡大は期待出来ない。上記画像3は都心部地区の集客状況を示している。唯一のアーケード付きモール区間である本通が一番高い数値を稼いでいる。ところが他の回遊路が貧弱であるために、その賑わい性が周辺にすら拡大していないことが数値の上でも確認できる。この画像は、歩行者専用道路(モール)の有用性と回遊路の重要性を余すことなく示しているだろう。課題とその解決策を同時に示しており、非常に興味深い。この種の話を始めるとややもすると左寄り的だとか、机上の空論などと感情的な反応をする人たちが一定数いるが、まちづくりに政治思想の左右など存在せず又どちらでもよく、現実の数字に基づいたものなので机上の空論なのではない。それに、自分教の信者であるブログ主が左寄りと指摘されても失笑するしかない。前回記事で紹介した神戸市の『三宮クロススクエア』をそのまま、広島市の都心部地区に感覚的に当てはめると、『紙屋町交差点~(鯉城通り)~白神社交差点~(平和大通り)~三川町交差点~(中央通り)~八丁堀交差点~(相生通り)~紙屋町交差点』の道路の車線を半分以下にして、公共交通通行区間(バス専用レーンなど)、歩道の大拡幅、自転車専用道路の整備に充当するようなものだ。実現の可能性の議論はさて置き、これぐらいのアドバルーンを打ち上げ、実行しないと都心部再生など10年後も空念仏のように唱え続けているに違いない。


【考察その4】
広島市の回遊性向上策の事例
そろそろ高度・安定成長期の開発思考からの脱却を


画像4 中央公園広場スタジアムのレイアウト。赤点線部分が、紙・八地区への回遊路になるらしい(画像 広島市HPより)


画像5 旧市民球場跡地に整備予定の屋根付きイベント広場のイメージパース。画像左側に東側商業施設と連絡する回遊路となるべく高架連絡橋が整備される(画像 広島市HPより)

 まずは上記画像の5と6をご覧頂きたい。中央公園広場と旧市民球場跡地跡地に建設されるスタジアムと屋根付きイベント広場である。実はこの2つに目に見えない共通点が隠されている。それは、高架建造物による歩道の建設だ。建設理由は回遊路の確保である。回遊性向上をさせる取り組み自体は決して悪くはない。ただ、高架、地下などの立体構図物でのそれはいただけない。そこまで言い切る根拠は、仮にバリアフリー構造であっても、心理的肉体的な負荷が発生して目的がない限り垂直移動は、モールなどの平面移動よりも敬遠されやすい傾向が強い。特に高架建造物は都市美観の観点でも問題がある(と思う)。その証左として01年開業の紙屋町地下街シャレオがある。1日平均8万台の自動車通行と16万人の歩行者(当時)があった同交差点だが、渋滞の解消(歩者分離)、相生通り以北と以南の回遊性の向上、都心部地区-紙屋町地区の求心力の向上などを目的に建設された。立地的にはこれ以上ない最高のものだったにも係わらず、結果的に失敗に終わった。債務超過に陥った運営会社の広島地下街開発、中途半端な規模が災いして集客施設としても機能しない、回遊路としても同交差点が廃止され、エディオン広島本店東館前と本通電停付近の横断歩道の通行量が激増するなど思ったほど機能しない、などの問題が開業後、発生した。回遊路だけに絞って見れば、通行人数全体の減少、歩行者が同交差点を回避し分散するなどの現象が起き、目論見通り機能しなかった。垂直移動を伴う回遊性の限界を端的に示している事例だ。これが例えば、広島駅周辺地区のように河川や山岳地に都市空間が制限されている場所であれば、地下道や高架橋などの立体構造もありだと考える。ただ、そのような制限がない場所で、その愚を屋根付きイベント広場や中央公園広場スタジアムでも繰り返そうとしていることには、違和感を感じざる負えない。


画像6 平日だろうが閑散とした印象の紙屋町地下街シャレオの様子(画像 ひろたびより)

 では、理想の回遊路となるとやはり平面移動の歩行者専用道路(モール)やトランジットモールになる。広島市に限らず、日本の集約都市建設に気になるのは欧州都市のコンパクトシティ建設とは異なり、都心部地区の自動車と歩行者の共存を謳う計画が多いことだ。好意的に見れば、現実迎合策になるのだが、厳しい視線を注げば高いハードルに敗れた骨抜き案でしかない。都市全体での自動車利用は否定もしないし、時代関係なく重要な移動ツールの一つだ。都心部地区に限定すれば ①移動需要を満たす駐車スペースの確保が困難 ②道路のインフラ整備が追い付かない(物理的に不可能)➂高次都市機能が集中立地して高度利用が求められること ④都市空間が(郊外に比べ)限られていること ⑤回遊路確保の大きな支障になる、以上の理由から、経済活動に認可業務車両以外の自動車利用に制限を課すことが最適解だろう。よって、自動車と歩行者の共存はあり得ないと思うのだ。それは回遊性の阻害要因が自動車だからだ。共存が不可能なものに、良い顔をしようとするから無理が生じる。平面移動の回遊路の有用性は、点でしかない集客施設間を結び付けてにぎわい性の範囲を広げる効果の他、モールやトランジットモールなどの回遊路が仕掛け次第では集客施設になることだ(下記画像7参照)。知恵や工夫と規制緩和が不可欠ではあるが・・・。広島市の計画に決定的に欠けている視点でもある。上物整備に偏重した従来からの開発思考では、行き詰ることはこれまでの事例でつとに知られ限界もある事は分かっている筈なのだが、なぜか脱却できないでいる。これまで語った論に沿うと正解は中央公園広場スタジアムについては、城南通りの車線減少による歩道の拡幅、屋根付きイベント広場については東側商業施設方面に高架連絡橋を設けるのではなく、相生通りの以北と以南の回遊性強化の観点から、城南通り同様に相生通りの車線減少による歩道拡幅やバス専用レーン転用などにより、二通りの自動車交通量の削減が、一番効果的かつコストがかからず回遊性を劇的に向上させる方策になる。


画像7 ドイツの都市マンハイムのトランジットモールの様子。厳しい建築規制が敷かれ、美しい街並みの保存が施されオープンカフェなども導入され大きなにぎわいを創出されている
(画像 ツイッターのトランジットモールさんより)

【考察その5】
広島市が持つ集約都市建設の高い可能性


画像8 ドイツ第3の都市ミュンヘンのトランジットモール区間の様子
(画像 MVG公式HPより


画像9 ミュンヘン大聖堂 - ミュンヘンのフラウエン教会の様子(画像 ミュンヘン公式HPより)

 ブログ主の個人的な見解と前置きするが、広島市は集約都市建設に最も適した大都市だと思っている。その理由は、東京圏や関西圏の大都市よりは劣るが、集約都市建設に不可欠な路面電車やバスなどの公共交通のインフラがある程度ストックされ、その利用率も人口70~80万人台の政令指定都市よりも高い。自動車会社の本社とその工場があり(一応府中町だが・・・)、地方都市の割には極端なモーターリゼーションが進んでいない。市域面積の約83%が山岳・丘陵という地形のバリアが幸いして低密度の市街地が郊外にそこまで広がっていない。都心部地区には大きな河川や丘陵地なども多くあり、都心部地区の都市公園も規模が大きいものが複数ある。以上の理由からそう思う次第だ。かって広島市は平野部が少なく、それが都市発展の阻害要因と指摘され続けてきた。低成長期~縮小社会の時代になると短所だったものが逆に幸いして武器になるのでは?と考える。参考事例としてドイツの第三の都市ミュンヘンの事例がある。スぺースの関係で詳しく書くことは控えるが、ミュンヘンは世界最長の約15㌔もの歩行者専用道路(モール)区間を有する(トランジットモール区間も含む)。50~60年代にかけて、欧州でも有数の自動車交通量だったこともありモーターリゼーションに迎合した都市計画に邁進していた。72年のミュンヘンオリンピック開催決定を契機に、人間性重視の都心部再生に舵を切り直した。詳細に書いた記事はこちら⇒『モール(歩行者専用道路)・トランジットモールについて考える その3』 当時の市長が数多くの都心部再生策を打ち出したが、最も反対されたのが歩行者専用道路(モール 下記画像10参照)の導入だった。僅か800㍍と今の規模を考えれば、5%強でしかないが対象商店街主たちの反対が尋常ではなく、政治闘争にまで発展した。しかし、反対多数の中、半ば強制的に導入を決定し、ミュンヘンオリンピック開催の72年に誕生した。すると沿線の来訪者は2倍以上になり、売り上げは導入前よりも飛躍的に伸びた。そうなればお決りの動きだがこれまでの大反対などなかったことにして(笑)、早期整備の要望が相次いだ。


画像10 ミュンヘン都心部地区(旧市街地)の歩行者専用道路ネットワーク図

 他に特筆されることとして都心部地区だけではなく、市域全体に『高さ100㍍以上の建物を建設しない』ことがある。旧市街地である都心部地区は、
古くからの伝統的な建物が往時のままの姿で保存され、眺望景観を含めた都市景観に厳しい規制が敷かれている。これはミュンヘンだけのオリジナルではなく、欧州都市共通のもので別に珍しいことではない。市域全体の建物の高さ規制は、ややもすると市場経済原理の否定につながる都市施策に映るが、ミュンヘン固有のアイデンティティーを守り、独自の都市景観を形成することで都市ブランド力を高め、ドイツ国内だけではなくEU圏内からの投資を呼び込むという正に逆転の発想からの都市開発思考である。ドイツ人的な非合理なものが結果的に合理的なものになるという考えの表れかも知れない。市域人口が約145万人、都市圏人口が約260万人とEU圏有数の大都市圏を形成し、世界の各シンクタンクが選ぶ世界都市ランキングの上位常連都市。自動車の世界的メーカーのBMW、世界の複合メーカーのシーメンスの本社がある事を思えば、経済都市としても大成功している。経済発展と開発の抑制という両立が困難な課題を見事にクリアしている。別に同調とかの話ではないが、三宮 タワマン新設禁止、神戸市の条例が成立 』(日本経済新聞WEB版)によると、三宮駅周辺(22.6㌶)は原則高層住宅(タワーマンション)建設不可で、その外側の山陽新幹線の新神戸駅やJR神戸線の元町駅などを含む292㌶は容積率を900⇒400%に下げられる。この内容の市の条例案を先日可決した。都心部地区の就業人口を増加させる目的があるようだ。同時に業務、商業ビルで超高層ビル建設はないだろうと踏んで、都市景観を整える目的も併せ持つものだとブログ主は理解した。経済至上主義とはあえて真逆の手法を取ることで、都市の価値を高める。ようやく日本でこのような考えが出来たことに驚きを禁じ得ない。同時に相も変わらない高度・安定成長期の何とかの一つ覚え丸出し手法に固執する広島市が残念に映って仕方がない。それに高い所に上って喜び、悦に浸るなど昔から〇〇だけと相場が決まっている(爆)。メンタルの幼稚性が伺え、実に興味深い。広島市は、今こそ集約都市の真の意味を理解して、踏み出す時期に来ていると思う。集約都市としての有り余る資質を持っているのだから非常に勿体ない話だ。広島市の理想の歩行者ちゅしんん都市空間についてはこちらの記事に詳しく書いている。お暇な方は是非どうぞ⇒モール(歩行者専用道路)・トランジットモールについて考える その5その6


画像11 活用方法次第では大きく化ける可能性を秘める平和大通り。広島市にはそんな原資が数多く眠っている(画像 ひろたびより)


終わり

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カテゴリー記事 都心部活性化他都市先進事例

【考察その1】
かっての『
株式会社神戸市』の縮小社会を見据えた壮大な実験 その1
脱衰退都市を掲げる神戸市の取り組み


画像1 神戸市の都心部地区を六甲山方面から望む(画像 神戸市設計協力会HPより)

 1970~90年代の半ばぐらいまで、神戸市は全国の自治体の羨望の的だった。市街後背部の山地より削り取った土砂を用いてポートアイランドを代表とする人工島を臨海部に埋立造成し、商工業・住宅・港湾用地として整備するとともに、埋立用土砂採取後の丘陵地を住宅地・産業団地として開発した。この一連の施策は『山、海へ行く』と呼ばれ、都市インフラの拡充・整備が大きく進むことになった。81年のポートアイランド第一期竣工時には、地方博ブームの先駆けとなる『神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)』や『ユニバーシアード神戸大会』を開催して成功させるなど、これらに代表される都市経営手法は、『株式会社神戸市』と称され全国の市町村から自治体経営の手本とされた。95年の阪神淡路大震災で甚大な被害を受け状況が一変した。震災での被害による港湾機能の麻痺や、震災以前からの上海・香港・高雄釜山などに代表されるアジア諸港の追い上げによって、国際貿易港としての相対的地位はかつてと比べると低下した。震災復興政策で一時的に国際貿易港としての地位を持ち直したが、2010年代に入り大阪市への人口流出が顕著となり、18年は人口の社会減(転出超過)人数が、全国5位の1,520人と衰退都市局面に入った。市域人口は、15年福岡市、19年川崎市の追い抜かれ7位に転落している。地方大都市部での本格人口減(人口の自然減、30年代以降)に入る前の、人口の社会減は深刻な問題となっている。


画像2 
ドイツの地方都市カールスルーエ。世界初のトラムトレイン(軌道線と鉄道線の相互乗り入れ)が実現した都市としても名高い(画像 KVV公式HPより)

 神戸市に限らず、一部の巨大都市以外はこれまでのモーターリゼーションに迎合した都市計画の反省と、縮小社会(超高齢化+大幅人口減)への備えとして集約都市建設-ネットワーク型コンパクトシティ-に舵を切り直した。LRTやBRTなどの路面公共交通導入を柱とした公共交通全体の再編と強化、都心部地区の歩行者中心の都市空間の再配分、都市の成長管理の概念の導入など60~70年代のドイツ、オランダ、スウェーデンなどの諸都市の都市再生の取り組みが端緒となり、80年代に入り環境意識への高まりから欧州各国の都市も標榜し始めた。94年のストラスブールのLRT導入の大成功が、契機となりその都市建設がコンパクトシティの概念に昇華し、21世紀の都市計画の潮流に押し上げた。現状容認だけのモーターリゼーションに迎合した都市計画だけでは、都市の本当の活性化、持続的な都市の成長が望めないことに多くの失敗を繰り返して気づいた。そして実践、本来あるべきの都心部地区のにぎわい性を取り戻し、都市の成長を果たした。成功都市は星の数ほどある。同時に失敗した都市も少なからずある。その殆どが、戦略-コンパクトシティ建設-の誤りではなく、戦術-コンパクトシティ実現の数多くの包括メニュー-の失敗が原因であることが多い。例えば歩行者専用道路(モール)ネットワークの構築の際、導入反対勢力に配慮し過ぎて形骸化したとか、新規導入交通機関の選定機種の間違い、ライバルとなる郊外開発を規制しなかったとかである。日本でもコンパクトシティの概念はかなり前から広く知られていたが、実際の国策となったのは10年代に入ってからで欧州先進国よりも一回り以上遅かった。その動機は、郊外大型商業施設の乱立による都心部地区の空洞化、縮小社会の突入などである。神戸市もその中の都市の一つで、先に説明したように近年衰退都市局面に入り、主役都市建設にかける意気込みは尋常ならざるものがある。


【考察その2】
かっての『株式会社神戸市』の縮小社会を見据えた壮大な実験 その2
『三宮クロススクエア』の概要


画像3 神戸市が定める都心部地区の範囲(赤点線内) 画像 神戸市HP


画像4 神戸市最大駅-三宮駅で構想される『三宮クロススクエア』の範囲(画像 神戸市HPより)

 神戸市では集約都市建設の指針となる立地適正化計画-『神戸市都市空間向上計画』(神戸市HP)をの策定作業に入っている。広島市では既に策定され、3月末より運用に入っている(ホント計画策定だけは早い・・・)。その中で求心力を持たせる都心部地区を上記画像3の範囲を定めている。市域最大駅の三宮駅を中心とした半径500㍍の範囲をコア地区にしている。15年9月の策定した『三宮周辺地区の『再整備基本構想』』(神戸市HP)の中で強く打ち出している。18年9月には、『神戸三宮『えき≈まち空間』基本計画』(神戸市HP)を策定した。三宮駅周辺は、神戸市全体を牽引する役割を担っているが、他の大都市同様に様々な課題を抱えている。その課題を羅列すると、①乗り換え動線がわかりにくい ②駅前広場の交通結節機能が弱い ➂駅から周辺のまちへのつながりが弱い ④玄関口にふさわしい特色ある景観がない ⑤広場など人のための空間が少ない ⑥神戸経済を先導する機能集積が十分でない ⑦建物老朽化が進行、小規模建物が密集 以上7点を指摘している。どこかの都市にも当てはまるものが何点かあるのが少し笑える。最も問題視されることは、三宮駅周辺はJR西日本、阪神、阪急、市営地下鉄(2線別駅)、新交通(AGT)の5事業者6駅がバラバラに立地(上記画像4参照)して、お世辞にも乗り継ぎなどの結節機能や動線が十分確保されていない点だ。極論すれば各事業者がそれぞれの利害に基づき、別の方向を向いていると言っても差し支えない。それぞれが別駅名を称しているのはそれを端的に示している。神戸市の集約都市建設まで話を広げると、収拾がつかなくなるので一部割愛する。そこで、バラバラに立地して、結節機能で劣るハンディを都市空間上物理的にほぼ不可能な、統合駅建設ではなく歩行者中心の都市空間への再配分により克服しようと考えた。駅位置を変えないで、結節機能を改善などあり得ないと思うかも知れないが、国道2号線などの幹線道路が東西方向に貼り付きバリアだらけで、自動車の走行に一定の制限を加えた場合、結節改善効果が見込まれるのである。


画像5 現在の
『三宮クロススクエア』付近の様子(画像 神戸市HPより)


画像6 第一段階-25年頃の
『三宮クロススクエア』付近の様子(画像 神戸市HPより)


画像7 
第二段階-30年頃の『三宮クロススクエア』付近の様子(画像 神戸市HPより)


画像8 『三宮クロススクエア』の完成イメージパース(画像 神戸市HPより)

 そこで神戸市は、三宮駅中心とした半径500㍍の範囲をコア地区を『三宮クロススクエア』と銘打って税関線(
フラワーロード)と中央幹線(国道2号線)の一部を、人と公共交通優先の空間とする構想を打ち出した。現在の10車線もある国道2号線の車線を段階的に25年頃-10車線⇒6車線(上記画像6参照)、30年頃-6車線⇒3車線(上記画像7参照)に減らし、歩行者中心の都市空間への再配分を行い同地区の回遊性の大改善、そして分散立地している各事業者の駅間の結節改善を図ることにした。一度で完成形に賛否が相半ばの状態で、誘導するのではなく段階的に整備して完成形に向けた世論醸成を図るという手法を選択した。具体的な完成予定は記載されていないが、何となくの予想だと40年代以降だろうか?神戸市のHPによると、まずは三宮クロススクエアの東西方向の東側をモデルケースとし、数年単位のひとサイクルを段階的に経て市民や同地区の事業者の反応を確認しながら、徐々に整備速度を上げる。まず第一弾として、19年7月より約1カ月にわたり、『三宮クロススクエア』の第一段階(車線数10⇒6車線)の社会実験が行われることになった。モールやトランジットモールの社会実験自体は別に珍しいことではない。過去に数多くの都市で実験があった。姫路市のように実現に至った都市はあるにはあるが、規模縮小や反対意見に過剰配慮した形の実現ですら少なく、大した努力もせず非現実的と断じた立ち消えや今後の検討課題として先延ばしにされたものが殆どだ。その意味合いでは神戸市の社会実験も予断を許さないが、段階ごとの社会実験だと思われるので今後の展開に注視したい。 ~『三宮クロススクエア』の整備に向けて大規模な交通社会実験実施します!~(神戸市HP) 


画像9 『三宮クロススクエア』の段階的整備イメージ(画像 神戸市HPより)

 都心部地区の自動車利用の一定の制限を課し、歩行者中心の都市空間への再配分を行う場合、通過交通対策としていの一番に複数の環状道路整備が必須となる。全国の都市では、大体2~3本都市計画決定されているのが常だが、神戸市の場合、東西に細長く後背地が高地の六甲山が迫るという特殊な地形があってかその環状道路計画がない。 ~神戸市主要幹線道路ネットワーク~(神戸市HP) 都心部地区を東西方向に関西大都市圏の大幹線道路が横断する状況で、流入するであろう通過自動車交通量を如何にして迂回させ捌くのか?この点も、注目したい。大阪湾岸道路西伸部(神戸市HP)の整備だけで事足りるのか?多少の不安も残る。神戸市は都心部再生の大まかな方向性として、次の5点を掲げている。①歩くことが楽しく巡りたくなるまちへ ②誰にでもわかりやすい交通結節点へ ➂いつ来てもときめく出会いと発見を ④人を惹きつけ心に残るまちへ ⑤地域がまちを成長させる である。都心部地区内の回遊性向上強化策として、三宮クロススクエアの他にLRTorBRTの導入を検討していた。これだけ鉄軌道系公共交通が発達した神戸市においても、線的公共交通-郊外都市鉄道・地下鉄・AGTなど-だけでは、需要を拾いきれないとして面的公共交通の側面もあるLRT、BRT導入の検討と相成った。~都心が目指す将来の交通体系イメージ~(神戸市HP) 当初は名古屋市同様にLRTの導入を視野に入れたようだが、BRTに方針転換し社会実験を18年10月に『都心~ウォータフロント間』で行い、現在は連接バス運行事業者を選定(神姫バス)し、20年4月からの運行を目指している。専用レーンやPTPS(公共車両優先システム)など真のBRT要素が殆ど欠け、福岡市同様に疑似BRTですらないが、段階的整備の端緒と思い、今後の発展に期待したいところだ。今回の神戸市の取り組みはまだ構想部分が大きく、目に見える形にはなっていないが仮に実現すれば、今後の日本の集約都市建設のモデルケースになる可能性も十分秘めており、目が離せない。

その2へ続く

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前回記事 都市ブランド力の構築 1
カテゴリー記事 
都心部活性化他都市先進事例


【考察その3】
広島市の都市ブランド力の現状


画像1 『地域ブランド2018』 魅力度上位都市ランキング表

 BRIブランド総合研究所なる団体が、毎年1,047の地域(1,000市区町村、及び47都道府県)を調査対象とし、全国3万人が各地域のブランド力を評価する日本最大規模の消費者調査を行ってい、ランキング形式で結果を公表している。調査項目はそれぞれの地域に対して魅力度、認知度、情報接触度、各地域のイメージ(『歴史・文化のまち』など14項目)、情報接触経路(『旅番組』など16項目)、地域コンテンツの認知(『ご当地キャラクター』などコンテンツ16項目)、観光意欲度、居住意欲度、産品の購入意欲度、地域資源の評価(『街並みや魅力的な建造物がある』など16項目)などを質問し、日本全国からの視点で84項目の設問を設定。また、出身都道府県に対する愛着度、自慢度、自慢できる地域資源など出身者からの評価など26項目を調査。調査項目は全110項目に及び、各地域の現状を多角的に分析し、数値化している。民間機関の調査ではあるが、行政の陳腐な調査よりもある意味、信頼がおける。我が広島市は、17年は22.7㌽で34位。18年は、27.8㌽で23位に急上昇している。各都市能力の潜在能力を考えると分不相応に低いと言える。ただ、この1年間で5.0㌽の上昇は、名古屋市7.4㌽、大阪市6.9㌽に次ぐもので来年以降も大きな期待が持てる。当然、調査対象は国内の3万人なので国内都市としてのブランド力の数値だ。視点を少し変えれば『国内都市-広島市』より、『国際都市-ヒロシマ』の方が強いので海外までに調査すれば、海外の対象人数にもよるが広島市いや『ヒロシマ』は余裕でTOP5に入るものと思われる。調査項目ごとのポイントなどが一斉不明だ。前回の記事でも触れたが、SWOT分析』-trength強味(得意分野)eaknesses-弱み(苦手分野)、pportunities機会(情報接触機会の多寡)hreats-脅威(同コンセプト都市との競合)-により、広島市の場合まだ伸びしろは大きいと思われる。


画像2 広島の都市ブランド構築に欠かせない世界遺産の原爆ドーム(画像 ひろたびより)

 都市ブランドの構築は、都市観光やMICE(マイス)の需要の取り込みに大きな効果があるのは言うまでもないが、大学進学や卒業後の就労といった都市の転入・転出(人口の社会増減)にも大きく左右される。論理的な検証は専門家などの手で行われたわけではないが、日本で最も吸引力が強い東京23区に若年者層がブラックホールのように吸い込まれている様を見るとブログ主の独断では、大きな要素には違いないと思う。皮肉を言う訳ではないが、再開発や跡地利用計画で実現した超高層ビルだけで中国地方のダム機能(中枢都市)を十分果たせるとは到底思えないし、桁一つ以上強い東京圏に対抗出来ないだろう。それに同じ指向の都市開発での都市としての魅力の創造という手法では、広島市よりも上位カテゴリーに属する都市に対しては、通用しない。『他都市との差別化』が全く行われていないからだ。同じ土俵の上で市域・都市圏人口に勝る都市に商業、業務施設の厚みで勝負するのは、戦術的には賢い方法とは言えない。古ぼけた昭和的なオールウェイズな風景が一新され、都市イメージ向上効果こそあるが、それはこの地を訪れた人たちへの印象であって、まだ来ていない人たちには何の関係もない話だ。大学進学に限った話をしたい。大学受験の人気都市を量る指標として分かりやすいのは、その地域を代表する国立大学、文系私大トップ校、理系私大トップ校の偏差値である。ブログ主が受験生だった昭和の末期に比べ現在は、3大学共に落ちている。これは広島の都市としての不人気ぶりをある一面示している事象だ。大学進学は日本の場合、特別な目的があれば別だがまず最初に行きたい街を決め、自分の学力レベルに応じたその範囲で、ステータスの高い大学を受験するのが常道だ。大学そのものに魅力を感じていくケースも中にはあるが、そこまでは多くない。日本の大学の価値など所詮その程度だ。都市ブランドは、あくまでも都市の骨格-おおよその戦略的なもの-をなすもので、産業に反映させるの肉付けは個々の政策-戦術-はまた別の話になる。広島市をはじめとする日本の地方都市は未だに過去の成功事例-高度・安定成長期の経済活力を反映させたまちづくり-に固執しているが、既にそんな時代でもないので、縮小時代(超高齢化+大幅人口減)を見据えた新モデルを模索する段階ではなかろうか?それは、都市ブランド構築一択である。

【考察その4】
個別の地域ブランドの確立に余念はないが全体の戦略に乏しい広島市
県と市の共同作業で都市ブランド構築を急ぐべき


画像3 原爆ドームと平和記念公園を望む。都心部地区のこれだけの河川と河岸緑地、小高い山があり天然のロケーションを形成している都市は日本でも少ない。有効活用がされればまた違った展開も(画像 ひろたびより)

 広島市の現在と過去の政策でブランド構築に係るものを少し探してみた。広島市ではないが、広島県の取り組みで次のようなものがある。~『ひろしまブランドの取り組み』~(広島県HP) 取り組みの主旨は理解出来るし決して悪くはないと思うのだが、広島市目線だとかなりインパクトに欠けたものでとても目指すべきところに行き着くとは思えない。しかも都市ブランドの構築が目指すところではなく、コンセプト不在で何をしたいのかの戦略性にも乏しく、自ら発信してPR活動する発想すら感じなかった。肝心の広島市はと言うと都市ブランドを標榜したものは一切なかった。拡大解釈で見れば、広島観光コンベンションビューロー『観光』(公式HP)とひろしまビジターズ・インダストリー戦略行動計画(広島市HP)もほんの僅かだけ、かすめているのかも知れないが都市観光とMICE(マイス)のPRに過ぎない。都市ブランドの構築には、揺るぎないコンセプト設定と広島市だけではなく都市圏域及び、全県的な一体的な取り組み、一定のメッセージ性を持った都市の統一感を醸し出すことが最低条件なので、個々の政策だけが独り歩きをしている印象が拭えない。PR活動も待ちの姿勢に終始しており攻めには程遠い。インバウンド需要が高騰して追い風が吹ている今だからこそ、広島市だけがではなく『広島200万人都市圏構想』(広島市HP)に加入する自治体と広島県と共に広島都市ブランドの構築について議論するべき時期に来ている。構築されるまで時間こそかかるが、一度構築されれば致命的な失態でも侵さない限り、当分安泰で市の財政を傾けてまでの公共投資もする必要がないので、その点は効率的だ。現在、その都市が保有している様々な資産の再活用が中心で必要とされる都市インフラ設備で足りないものだけを新規及び、類似施設の更新で付加価値を新たに加えれば問題はない。広島市だけで一手に引き受けるのはどうかと考える。広島市の弱い部分があれば、圏域内の都市にその役割を担ってもらえばいいし、東京都のように集客した観光客を地方に再配分する発想もあっていい筈だ。広島市に宿泊するであろうホテルに長期滞在してもらえば、それはそれでいいことだ。


画像4 広島市の大きな都市資産である平和大通り。全国でも3都市にしか実現していない100㍍道路だ。これを活かさない手はないと思うのだが・・・(画像 ひろたびより)

 で、都市ブランドのコンセプトは一にも二にも、『核兵器廃絶と国際紛争がない平和の希求』である。実際にそれが叶う国際情勢なのかはこの際は問題としないとする。それはまた別の話だからだ。他都市との競争に勝つ上では、優位に立てるものや差別化を図れるものに視点を置けばこれしかないし、広島市のアイデンティティでもあるからだ。ブログ主なんぞは、これがない広島市など数多くある地方都市の一つに過ぎないと思っている。河原の小石だ。他都市では絶対に持ちえないものをいかに多く持つのか、これが決め手になると考える。裏を返せば他都市を持っていないものを過剰に捉えて、慌てて持つ必要がないのである。ただし、持たないことで大きな不利にならない限りでは、である。広島市が他都市よりも先んじるものを少し探したい。国際平和に関しては、人類最初の被爆都市なので専売特許みたいなものだ。二つ目は、緑豊かな都心部地区のロケーション挙げたい。広島市の都心部地区には多くの大きな河川が流れ、左右の河岸には遊歩道も兼ね備えた緑地帯が張り付いている。そして比治山、二葉山のような小高い丘陵地もあり自然のロケーションを形成。都市計画の東西の基軸である平和大通りには道路とは思えないほどの緑地スペースがあり、潤いのある空間を演出する。平和記念公園(12.2㌶)、中央公園(42.8㌶)などの大規模な都市公園もあり、広島市は日本の大都市の中では、有数の緑と潤いに溢れた都心部地区を持っている。広島市民の多くは気づいていないが、他都市に勝る都市資産として誇ってもいい。ただ、日本の都市公園法などが有効活用の障害となり、小奇麗な遊休地のイメージを醸成し、『公園・広場=無駄な空間』との間違った認識を植え付けた。京橋川などで一部、オープンカフェなどの利用もされてはいるが孤立した点に留まり、回遊性はなく、線になっておらず大きなにぎわい性演出には至っていない。『パークPFI事業』などを上手く活用すれば、やり方次第では大化けする可能性がある。『緑豊かな公園都市』として平和色を前面に打ち出したブランドコンセプトを強力に後押しするものになるに違いない。


画像5 カープはあくまでも国内向けのコンテンツに過ぎないが、広島人のアイデンティティを主張する存在でもある

 三つ目は『歩いて楽しい都市空間』の創造だ。欧米流で言えば、コンパクトシティ、日本風に訳すと集約都市構造への転換だ。1980年代後半から、欧州都市の多くが都心部地区に限っては、人間性回帰の歩行者中心の都市空間に再配分をして失いつつあった求心力の回復に努めてきた。日本においても周回遅れ以上の遅れで概念が導入されている。少子高齢化が進みに進み、08年度をピークに日本も人口減所局面に入った。国策として集約都市構造への転換へと舵を切り直した。多くの国内都市が標榜こそしているが、本来のそれを兼ね備えた都市はまだ誕生していない。仮に広島市が先駆けて実現すれば日本初になる可能性がある。広島市の場合、集約都市-歩行者中心の都市空間に再配分-に相応しい資質を兼ね備えている。広過ぎず、狭過ぎない都心部地区、苦戦こそしているが多くの利用者数を誇る路面公共交通網(路面電車、バス)など、条件が実は揃っている。他都市が実現していない今こそ、差別化を図る意味合いでも絶好の機会であると考える。人間性重視のキーワードで、『国際平和の希求』=『公園都市』=『集約都市(コンパクトシティ)』の3つは密接にリンクする。日本の都市の多くは、今なお高度・安定成長期の成功モデルである商業・業務施設の集積や『一発逆転ホームラン』と言わんとばかりのハコモノ集客施設を立地させる形の都市開発を続けている。悪手とは思わないが何れは行き詰るだろうと予測する。同じ路線で努力しても、広島市よりも上位都市の中で存在感を発揮するどころか埋没するだろう。だったら、真逆の路線で存在を際立たせるという道もあってもいい筈だ。PRとプロモーション活動については、都市の一体感を醸し出すロゴ・キャッチコピー等の制作、官民一体となった協力、役割分担体制の確立、平和色を前面に打ち出した広島ブランド専用HPの立ち上げ、地域ブランド商品の共通化、広島市を主としながらも都市圏域の周遊観光コースの提案、観光大使よりも上位の広島ブランドアンバサダーの任命、CMとオンライン広告の活用をフル稼働させて、極力攻めの情報発信に努める。まあ、こんな感じだろうか?ブランド浸透度を国内外の民間調査会社に委託させて行い、都市観光客数やその宿泊率、そしてMICE開催件数などの目標設定も行う。目標に届かない場合は、原因を調べ対応策を施し改善させる。これをとにかく繰り返す、で良いだろう。広島市は国内都市としてはありふれた凡庸な都市でしかない。しかし、海外向けの『ヒロシマ』に変換した場合、別の輝きを放つ。東京、京都に匹敵する抜群の知名度を誇りその存在は、他の地方都市の追随を許さない。30年代に入ると大都市部でも本格的な人口減時代に入り、国内市場は縮小の一途を辿る。都市観光やMICEなど外需の取り込みが、21世紀で生き抜く鍵になると確信している。広島市の観光に訪れる多くの人たちは、その都会ぶりを期待して来るのではない。被爆の実相に触れ、深く学ぶという学習観光の要素が強い。市のアンケート調査では2割近い人々がリピート客でもある。その意味合いでは広島市は何もない都市では決してない。インバウンド需要が高騰している今こそ、都市ブランドについて深く議論して確立に向け歩み始めている時期に来ている。悠長に『まあ、他の都市の様子を見ておいおいと』では機会を損失するだけだろう。

終わり
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カテゴリー記事 都心部活性化他都市先進事例


【考察その1】
都市(地域)ブランドとは一体?


画像1(左) 上空から中央公園一帯を望む姿
画像2(右) 平和記念公園一帯の様子(画像1、2共に 広島市HPより)


 地域ブランドと聞けば、松坂牛、神戸牛といったある特定分野の知名度が非常に高い商品群を指す場合が多い。地域を代表する特産品のイメージが強い。これはこれで正解でどうこう言うつもりはない。今回の記事のそれは、その事ではなく都市全体をいわば一つの商品に見立て、他地域に勝る魅力を持つ都市(地域)ブランドと定義したい。他地域を得意とする分野において凌駕することができた証、言葉を置き換えると『都市(地域)ブランドの確立=差別化と優位性の確立』になる。都市ブランドの確立は言うのは容易いが、やるのは難しである。『ローマは一日にして成らず』の例えではないが、都市ブランドの確立も同様で『都市ブランドは一日にしてならず』と言える。成功のためのマニュアルなどあろう筈もなく、国内都市最強で世界都市上位の東京23区とてたゆまない努力で確立したものではなく、日本の経済発展の過程で一極集中回避の具体的な政策不在で、自然発生した副産物でしかない。日本の都市で意識して都市ブランドを構築した都市はまだない。強いてあげれば、京都しぐらいだろう。と言うか、日本人気質に由来する不毛な横並び意識が都市ブランドの構築に欠かせないコア部分の都市の個性を明治以降の近代化により喪失させ、戦後の経済発展がその傾向をより強めた。『どこどこの都市には〇〇があるのに、広島市にはない』などよく聞く常套文句の一つだが、不毛な横並び意識を象徴するものだし中央資本の商業施設の立地状況や東京を範とした『リトル東京』ぶりがその都市の都会度を推し量る物差しになっているのもそうだと言える。その価値観を尊しとして地方都市は、努力し続けた。都市の理想の姿はそこに住む人たちの要望に叶ったものであるものなので、その意味合いでは需要と供給が合致していたので特に問題はなかった。高度・安定成長期はこの戦略と戦術でも十分通用した。まちづくりの本来の本質とは少しズレるが、都市経済を取り込んだ都市活性化策は国の経済発展を市民に還元する意味でも成功戦略だった。ただしこれは、拡大社会(低い高齢化率+人口増)が大前提で縮小社会(超高齢化+大幅人口減)では通用しにくいのも事実である。


画像2 ドイツ第3の都市ミュウヘンの旧市街地。猛烈なモーターリゼーションの最中の60年代に大規模な5本の高速道路計画を大幅に縮小し、モール(歩行者専用道路)を実現、市街地には高さ100㍍のビルは建設しない事を決めた。都市のアイデンティティを守ることで都市ブランドを構築し、EU圏内でも有数の大都市になった(画像 公式HPより)

 21世紀の時代は都市間競争の時代とも言われている。企業、労働者、学生、大小イベントの誘致、都市観光、MICE(マイス)などの取り込みなど・・・。挙げるときりがない。日本も
08年の国内人口1億2,808万人をピークに人口減少局面に入った。これまでは人口の自然増と定住人口の拡大を目標としてきたが、それも望めなくなり交流人口拡大に舵を切った。これは、市域及び都市圏域外から多くの人を呼び込み、滞在中に多くの消費をしてもらう事だ。外国人観光客の10人の滞在中の消費力は、市民1人の年間消費力に匹敵するとの指摘もある。日本の都市は広島市だけではなく、高度・安定成長期の過程で都市の個性を捨てた。『独特の個性がある都市<リトル東京的な都市』に重きを置いてきたからだ。都市ブランドのコア部分の個性がないのは大きな都市間競争の中では大きなハンディとなる。ブログ主は日本の都市は『のっぺらぼう(顔がない)』『どこから切っても金太郎飴』と卑下するが、ブログ主が若かりし日の頃によく出張に出向いたドイツの都市(フランクフルトなど)と比べて特にそう思う。国内都市と競い合う場合は、これでも少ないハンディとなるが、個性あふれ経済成長が著しいアジアの都市との競争においてはやはりハンディになると思うのだ。これはブログ主の個人的見解だと前置きするが、今後の都市間競争において他都市よりも先んじる肝はフル規格地下鉄でもなく、御大層な超高層ビルでもなく、サッカー専用スタジアムでもない。その街の名を聞いて聞いた人が脳内でイメージする都市像=都市ブランドが重要で、誘致などのセールス活動をする上で大きな武器となる。より詳しく言えば、以下の通りとなる。

1 都市ブランドと勘違いされやすいもの
 ①モノ・コト・ハコ(特産品・イベント・建造物など)
 ②地域資産(自然資源、 伝統文化、街並みなど)
 ⓷地域基礎力(人口、産業力、 財政力、あるいは教育施設や病院数、商業店舗数な どの生活
  
盤力)
2 都市ブランド力
 ①都市の魅力的評価-『買いたい』『行ってみたい』『住みたい』
 ②都市の資産評価-利便性が高い生活環境 歴史や文化などの伝統
 ⓷オンリーワン都市の価値 ①と②をひっくるめて都市全体がそれを醸し出す『オンリーワ
  ン※注1価値』の評価を加えた総合力

 ※注1価値
ここでいう『価値』とは、例えば人との絆やゆとり、特定のライフスタイル、都市を貫く文化と思想の抽象的なもの。内面では、都市のアイデンティティとプライドを育て、外部の人間には共感を喚起し、『これが良い』という選択肢を提供する。また都市が体現する価値は、都市のどこを見てもブランドに相応しいメッセージ性を持たせ、状況や時代の変化に適応しながらもその一貫性が保たれる とき、そこにブランドとしての〈信頼性〉が確立する


画像3 京都市の清水寺近くの二寧坂の様子(画像 京都観光Naviより)

【考察その2】

都市ブランドの構築をする方法論


動画1 [4K] Tokyo night view 東京夜景 Most beautiful cities in the world 東京観光 夜景スポット Tokyo Trip Tokyo Travel
  
 実態に乏しく、抽象的かつ外部の人間の心の中に宿るものである都市ブランドを構築するにはどうすれば果たして可能なのかをこの考察では考えたい。都市ブランドは、体系的なマーケティング戦略を通じて発案され、都市の内と外の協働作業を通じて育てられる。公共領域のマーケティング戦略の手順 は、①課題の見極め(ターゲット層のニーズ発掘と充足、将来性ある※注1シーズ開拓)、②競合者に対する 相対的な自己の強み弱み、環境の順風逆風要因の評価(※注2SWOT分析)、③テーマコンセプト作り、 ④戦略策定(プロジェクトおよび部門ごとのミッション、その相互連繋と統合、資源配分の優先順位づけ、成否評価基準の明確化など)、⑤ PRを含むプロモーション、⑥反応調査による中間評価と修正、 ⑦本格的実施、である。最後にまた①に戻り、循環するサイクルである。言葉の説明をすると※注1『シーズ』とは事業や製品化する可能性のある技術やノウハウを指し、※注2SWOT分析』とは、『trength強味』、『eaknesses-弱み』、『pportunities-機会』、hreats-脅威』などの4カテゴリーの要因分析を行い、環境変化に対応した都市資源の最適活用を図る戦略策定方法の一つだ。この中でも最も重要なのは、都市の価値を体現するコンセプトづくりにある。ここで第一に重要なのは、統一感になる。ここまでは机上の論として話を進めたが、実際にはどうすれば良いのか?東京の実例を以て考える。東京は20年開催のオリンピックと近年急騰したインバウンド需要、さらなる世界都市の成長を加速させるため、世界的観光都市ブランドの構築を目指している。前都知事の舛添氏の時代に以下のものを策定し、19年現在、鋭意取り組んでいる。その概略を以下にまとめる。


画像4 東京ブランディング戦略(概略) (画像 東京都HPより引用)

東京ブランディング戦略(概略)
 ① ブランディング策定の目的と位置づけ
  20年オリンピックの開催と、さらにその先を見据え、世界の旅行者に選ばれる旅行地とし
  
ての『東京ブランド』の確立に向けて、東京の魅力を広く浸透させることを目的とする
  ●本戦略は、東京のブランディング戦略会議から報告されたブランドコンセプトやブランドの
  
浸透に向けた方向性等の報告を踏まえ、都の取組を示すものである
                    ⇩⇩⇩⇩
 <戦略の推進による効果>
 ・旅行地としての東京の認知度向上  ・世界の競合都市との差別化 ・東京のプレゼンスの向上
 ・外国人旅行者を歓迎する機運の醸成 ・東京から日本各地への観光需要の波及

 ②東京ブランド浸透に向けた戦略

  <東京ブランドコンセプト>
  伝統と革新が交差しながら、常に新しいスタイルを生み出すことで、 多様な楽しさを約束す
  る都市              

                    ⇩⇩⇩⇩
  <ステップ1>東京のブランドデザイン、推進体制の構築
  
ブランドの視覚的統一  東京が一体となった取組の推進
  【主な取り組み】
  ・ロゴ・キャッチコピー等の制作(第一線級のクリエイティブディレクターを設置し制作)
  ・東京ブランド推進会議の設置(都民・民間事業者等との連携・協力体制の構築)
  ・ブランドブックの作成(ブランドコンセプトの内容や発信例等を共有するための普及冊子)

  <ステップ2> 都民・民間事業者等とのブランドコンセプトの共有
  都民や民間事業者等のブランドコンセプトへの理解と共感 都市への誇りや愛着、 外国
   人旅行者受入機運の醸成
  【主な取り組み】
  ・ブランディングキャンペーンの実施(スタートアップイベント等のイベント、広告によ
   るキャン ペーン、専用ウェブサイトによる発信等)
  ・企画商品の開発(東京ブランドのロゴ等を盛り込んだ商品開発を促進)
  ・国や他の自治体との連携(東京と他の自治体を結ぶ新たな観光ルートづくり・PR等)

  <ステップ3> 海外への東京ブランドの発信 
  切れ目ない情報発信による海外での東京ブランドの浸透
  【主な取り組み】
  ・東京ブランドアンバサダー(国内外で活躍する著名人を任命し、東京ブランドを広くPR) 
  ・CMとオンライン広告の活用(海外のテレビCMでの広告等)
  ・海外でのプロモーション、メディア等を通じたPR(旅行博出展、海外メディア招聘等)
  ・オリンピック関連イベント等と連携したPR(オリンピック文化プログラム等と連携した
   発信)
  ・ブランド浸透度等の調査(東京ブランドの浸透度等の効果測定)

                    ⇩⇩⇩⇩
                 東京ブランドの確立

 まあ、こんな感じだ。理論的な方法論を実際の政策に反映させると紹介したものに落ち着くだろう。平たく言えば都市のイメージ戦略を1つの大きなコンセプトの元、一貫性を持たせ発信し続けることとなる。次回記事では、広島市にこの論理を当てはめて考えたい。

その2へ続く
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シリーズ記事 都心部地区活性化 他都市先進事例

【考察その34】
熊本城の眺望景観 視点場~近景~中景~遠景
都市景観は次世代に渡す市民の共有財産


画像1 16年4月の熊本地震で
全域的に甚大な被害を受け、21年の復旧完了を目指し工事が進む天守閣(画像 アンドビルド広島より)


画像2 熊本市の目抜き通りの『通町筋』から望む熊本城
(画像 アンドビルド広島より)

 言葉の説明から入る。
眺望景観とは、ある視点場(景観を見る地点、展望台など)から視対象(眺められる対象物、山や海など)を眺望したとき視覚で捉えられる景観をいう。 通常はかなり広い範囲が眺望の対象で、遠景(遠くに見える景観)、中景(遠景と近景の中間に位置する景観)、近景(視点場の近くに見られる景観)から構成される。都市景観に関して日本とは比較にならないほど厳しい欧州の都市では、古くから着目され数多くの都市で、眺望景観保全を目的とした景観計画が導入されてきた。日本の都市では、都市景観の概念は経済成長優先のまちづくりの中で後回しにされがちで、高度成長期では歴史的な環境が消滅の危機に瀕したり、良好な景観が阻害された。京都市などの一部の自治体などでは、条例などで一定の規制を課したりしたが国の動きは鈍かった。欧米先進国からは良好な景観や環境を求めるよりも、経済性が優先され、どのような形態の建築物でも建てることができる『建築自由の国』『エコノミックアニマルの自由なまちづくり』と揶揄された。80年代頃から日本でも都市景観の重要性が再認識され始め、多くの自治体では景観条例などが定められたが、法的拘束力はなく任意の努力目標だった。欧州に旅行などで訪れた経験がある方はお分かりだと思うが、無駄な広告物がなく建物の高さやデザイン、色合いなども厳しく規制され整然とした欧州都市の都心部地区に比べ日本の都市の都心部地区は景観に関してはカオスそのもので、チンドン屋のようだ(笑)。『日本の都市は美しい』とよく外国人観光客に褒められるが、これは都市景観を指すのではなく、衛生状態などを指してのことだ。欧州都市は美しい街並みと反比例して、衛生状態はそこまでよくない。遅れに遅れていた都市景観行政も04年、『景観法』(国土交通省HP)がようやく制定され国家レベルで本腰を入れ始めた。国が大きな方を定めると地方自治体が右に倣うのは世の常で、先に説明した眺望景観条例を定める自治体が数多く現れた。 ~眺望景観条例制定の自治体~(名古屋市HP) その中に今回紹介する熊本市がある。


画像3 熊本城周辺地域の景観形成基準(重点地域) 約550㌶の範囲図(画像 熊本市HP)

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画像4(左) 拡大図 視点場①(上記画像3参照)『通町筋』から望む熊本城
画像5(右) 
拡大図 視点場①(上記画像3参照)『シンボルロード』から望む熊本城


画像6 
視点場①(上記画像3参照)本妙寺の加藤清正像から望む熊本城(画像4~6熊本市HPより)

 熊本市は、熊本城周辺地域に、都市のランドマークとしての熊本城への眺望、熊本城からの眺望、市街地 と熊本城との間のゆとりある眺望を保全するため、熊本城を望む視点場及び天守閣からの眺望に配慮した景観形成基準を定めている。その基準の概要は以下の通りとなる。

景観形成基準 (熊本城については適用から除外)
◇高さ・位置
 ・建築物等の位置を道路境界から後退させること等によって、可能な限り熊本城の石垣と緑への
  眺望、ゆとりある歩行者空間の確保に努めること
 ・建築物等の高さは、ランドマークとしての熊本城への眺望及び熊本 城天守閣からの眺望を保全
  するために、以下のとおりとする。 ただし、熊本城特別地区を除き、都市計画法に基づく高度
  利用地区等に指定予定の区域内の建築物等は、市長が熊本市景観審議会の意見を聴き良好な景
  観形成に支障がないと認めた範囲内において、 景観形成基準に定められた高さを超えることが
  できる。
 〈熊本城特別地区〉  海抜 50㍍(熊本城本丸の石垣の高さ)を超えないこと
 〈京町台地地区〉  海抜 53㍍を超えないこと
 〈一般地区〉海抜55㍍(緑のライン※1)を超えないこと
◇形態
 ・建築物等は、地域の雰囲気を損なわない、全体を統一感のある形態意匠となるように配慮する
  こと。
 ・周囲の街並みや山並みに調和するスカイライン※2の形成、屋外に設 置される設備類の建築物
  全体との一体化等により、天守閣からの眺望に配慮したデザインとすること。
◇屋外広告物の表示、 設置、変更又は改造
 ・煙突状の屋上広告は、掲出しない。
 ・建築物本体と一体的なデザインとし、建築物のデザインや規模との 調和に配慮する
 〈熊本城特別地区〉
  ・屋上広告は、掲出しないこと  ・屋外広告物の基調色は、高彩度とならないように努め ・
   屋外広告物の照明は、熊本城の夜間景観に配慮して、過度な明るさ及び派手な色彩とならな
   いように努める
 〈京町台地地区 〉・屋上広告の高さは、海抜 63㍍を超えないこと
 〈一般地区〉・屋上広告の高さは、海抜 55㍍を超えないこと ・シンボルロードからの熊本城
        天守閣への良好な眺望を守るために、 突出広告の掲出はしないように努めること
◇色彩・材料  熊本市景観計画序章~(熊本市HP)P41~42を参照

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画像7(左) 拡大図 視点場③『長塀通り』から望む熊本城
画像8(右) 
拡大図 視点場③熊本市役所から望む熊本城(画像7~8 熊本市HPより)

 この法律は、10年1月から施行されたものだが、計画区域内で建物を建築する場合、『①事前相談⇒②届出⇒③
熊本市景観審議会の適合チェック⇒④適合=適合の通知(着手制限の解除) ④不適合⇒助言、勧告、公表⇒⑤変更命令⇒⑥計画変更⇒③に戻る』の流れになる。参考にした資料では、具体的な罰則規定などは見つからなかったが、審議会を通すことで従来のものよりは厳しく熊本市の本気度が伺える。この法律は、熊本城を市民のアイデンティティーと捉え、熊本城とそれを望む眺望景観が市民の共有財産と位置づけ次世代に受け継がせることを目的としている。ブログ主の個人的には、『都市のラウンドマーク的な建物及び周辺の都市景観>>>>経済優先のまちづくり』と考える。>の数は個人差があるとは思うが、成熟社会に入った日本ではこの考えを支持する人は多いだろう。都市景観は一度失われると、二度と戻ってこないとまで言い張るつもりはないが、取り戻すのに当方もない労力を要する。無粋な高層ビルや都心部地区の都市高速道路の高架道路などがそれに該当する。東京のど真ん中にある日本橋(かっての五街道の出発点)上空の首都高速道路などがその最たる例だ。馬車馬のように突き進んだ高度成長期であればまだしも、低成長の縮小社会に入りつつある今日、成熟国家としてこうした都市景観も都市インフラの一つとして捉え、尊重するべきではなかろうか?よって、熊本市の熊本城周辺地区の景観への配慮は好ましいものに映る次第だ。

【考察その35】
原爆ドーム周辺の眺望
景観について 
国際観光都市を標榜する上で絶対に必要

http://livedoor.blogimg.jp/zono421128/imgs/6/e/6e1e5cc1.png
画像9(左) 世界遺産の原爆ドーム周辺のバッファーゾーン(建物高さ制限)図
画像10(右) 拡大図 平和記念資料館と原爆死没者慰霊碑を視点場とした視野角18度の眺望景観範囲(オレンジ色部分) 画像9~10と共に広島市HPより

 次は広島市の話に移したい。熊本市の熊本城に相当するのが広島市の場合、世界遺産の原爆ドームになる。96年に世界遺産に登録され原爆ドームと平和記念公園の周辺50㍍は、世界遺産を保全するためにバッファーゾーン(緩衝地帯)に指定された。法的な拘束力もなくこの当時は周囲の建物の高さ制限を盛り込まなかった。これが後年、災いとなりとある問題を招き寄せた。
05年、そのバッファーゾーン内の中区大手町4丁目で、原爆ドームの高さ(25㍍程度)を超える高さのマンション建設計画が具体化した。原爆ドーム(高さ約25㍍)を見下ろす建物はふさわしくないとして、『世界遺産『原爆ドーム』の景観を守る会』や『日本イコモス国内委員会』が工事中止や計画の見直すよう業者に求めるとともに、広島市長に原爆ドームの景観を守るように要請した。06年11月、イコモス(国際記念物遺跡会議)が、『原爆ドームに関する勧告』を採択し、世界遺産を保護するために、高さ制限を含む拘束力のある規制が必要であるとの見解を示す。広島市もこれに呼応して、四段階の高さ制限を盛り込んだ法的な拘束力を持った新たな法案『原爆ドーム及び平和記念公園周辺地区景観計画(素案)』を策定した。しかし、この法に該当する地権者が猛反発。『バッファーゾーンを考える住民の会』を結成。08年に、景観計画(素案)の白紙撤回を求める公開質問状を市に提出。09年には議論不十分のまま採択されるのは不当として、広島市議会に計画の白紙撤回を求める請願書を提出して、採択された。その後、イコモス(国際記念物遺跡会議)のグスタボ・アローズ会長が現地を視察。高さの法的規制の必要性を広島市に強く要請した。地域利益と広域利益が真っ向から対立したまま、10年12月に法規制の議論は一旦は棚上げした。

 12年2月頃から議論を再開し、17年から『
広島市景観審議会眺望景観検討部会』を設け、原爆ドームの眺望景観-バッフアーゾーンの法的高さ規制-をも視野に入れた規制を検討を開始した。現在の議論の進行状況は、次のリンクを参考にして頂きたい。 ~原爆ドーム及び平和記念公園周辺の眺望景観のあり方について(答申(素案))~(広島市HP) 上記画像9は原爆ドームのバッファーゾーン図。同10は視点場を平和記念資料館と原爆死没者慰霊碑をした場合の眺望景観の規制範囲を示している。同11~13は、現在の平和記念資料館本館下からの視野角18度の眺望景観図と広島商工会議所ビルがなくなった場合、建物が全てなくなった場合のシュミレーション図だ。目障りかつ見ていて軽くストレスを覚える景観から、すっきりとした都市景観になるのがよくお分かりだろう。 

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画像11 現在の平和記念資料館本館下からの
視野角18度の眺望景観図(画像 広島市HPより) 

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画像12 画像11から広島商工会議所ビルを除外したシュミレーション図(画像 広島市HPより)

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画像13 画像11より全ての建物を除外したシュミレーション図(画像 広島市HPより)

【考察その36】
なぜ、この方向が重要なのか?

結局は丹下構想に行き着く


画像14 広島市の都市計画の生命線となる南北・東西軸線(画像 広島市HPより)

 この法的規制の批判の主だったものに、『なぜ、東西方向はうるさいことは言わないのに南北方向だけ‥
‥』がある。ブログ主の推測の範囲となるのだが、広島のまちづくりの憲法にも匹敵する故丹下健三氏の広島平和都市建設構想』(広島市HP)で示された南北方向-平和記念公園と中央公園の軸線を一にした一体化-が根底にあることと、都心部地区立地で開発圧力が強いことを鑑みると民有地が多い東西方向に厳しい規制を加えるのは現実ではないとの判断があるのではなかろうか? 余談だが、この南北軸線上に、完全に抵触する旧市民球場跡地に巨大造形物のスタジアム建設に消極的な市の姿勢も分かろうと言うものだ。ブログ主も他の多くの理由を含め、この地にはスタジアムは難しいと考える。スタジアム第一を起点にした目線で広島のまちづくりを考えると正解かも知れないが、スタジアムも広島の都市問題の一つに過ぎないという全体な目線で俯瞰すると、‥‥である。スタジアム問題でオバマ前大統領の訪問後の16年頃から、跡地スタジアム案に否定的な見解-『狭隘な敷地』『オバマ大統領訪問で重要性が増した』-を時折アナウンスし始めたのは、都合の良い大義名分を得て跡地スタジアム案の外堀と内堀を埋める作業の一環だろう。市の本音は南北軸線に抵触する建物は今更造りたくない、である。これは今に始まったことではなく、旧市民球場建て替え論議でも、旧貨物ヤード跡地の金利軽減期間が過ぎていたことも手伝い、広島カープにあの場所を押しつけた事でも読み取れる。結果は案に相違して思わぬ大成功となったが・・・。

 細かな方法論では異論は少しあるが、市の方向性には基本的には賛成する。広島商工会議所ビルの移転建て替えが、市営基町駐車・駐輪場一帯再開発予定地で具体化している。広島商工会議所ビル移転後は上記画像11から上記画像12への眺望景観になる。まだPL教団ビルと護国神社駐車場ビルが残るからだ。民間所有の土地なので、広域的な公的利益を楯に取り息の長い立ち退き交渉をするしかない。仮に全ての建物を
視野角18度の眺望景観範囲から消した場合、上記画像14の通りとなるらしい。それまではかなりの時間を要することもあり、植栽にて景観上、要らざる建物を覆い隠す方法も考えられている。こうした平和色を前面に打ちだすことへのアレルギー反応は一部の人たちにはあるようだが、平和色を打ち出したまちづくりは、都市経済への寄与度も大きい。縮小社会(超高齢化+大幅人口減)への道を辿りつつある現状を鑑みると、外需(都市観光とMICE)の取り込みが都市間競争の生き残りの唯一無二の戦略となる中、他都市が持ちえない武器を持つことは非常に意義がある。逆に言えば平和色が皆無な広島市は中にいる市民目線だと、アピールするものは多いかも知れないが外から目線だと、個性がない一地方都市に過ぎないと知るべきだろう。その観点に立つと平和記念資料館本館下からの視野角18度の眺望景観は世界遺産の原爆ドームの本体同様に、価値があるものとして位置づけるのも頷ける。

 経済性を無視したまちづくりは資本主義に反するもので活性化要素を排除してしまう、との意見はあえて無視させてもらう。市場経済を最優先させた都市計画のなれの果てが、モーターリゼーションに迎合した都市建設となり、拡大都市-都市のスプロール化-に拍車をかけて深刻な都市問題に発展し、
縮小社会ではコストがかかる不効率な都市運営を強いられることを見れば、既に結果は出ている。その発想自体が、高度成長・安定成長期の古く陳腐化したものだ。眺望景観に絞り話せば、都市景観を無視した再開発や跡地利用による高層ビル建設がそれに該当する。広島市の原爆ドームの眺望景観計画の少し残念な点は、視点場を平和記念資料館本館下だけに設定している点だ。熊本城のそれは視点場を複数設定して、ありとあらゆる角度からの眺望景観に配慮した景観計画を策定している。主要な建物が丘陵地にある利点もあるので、さすがに原爆ドームにこの手法を用いることは難しい先進的な印象を持った。正式な跡地利用も含め、南北軸の理想的な眺望景観を早期に実現してほしいものだ。

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