自動車のように高度な技術はそれだけで価値が高く、我々に利便性を与えてくれる。
しかし本当に優れた技術とは、一見価値がないものに価値を与えてくれるものだ。
例えば、優れた宝石職人の腕にかかれば、どこにでもありそうな変哲もない石が美しく光り輝く宝石に変わる。

我が家で導入した無煙薪ストーブは、まさにそういった類のものだ。
無煙薪ストーブというのは、煙をほとんど出さない薪ストーブのことだ。モキ製作所の製品である。

無煙といっても、高い温度で燃やした場合に煙が出ないということであって、着火時やとろ火で燃やしているときにはやはり煙が出るのだが、それでも煙は確かに少ない。
うちのような茅葺きの古民家であれば、煙突を外に出さなくても焚ける。煙突を出さなくてよいなら、豪雪によって煙突が詰まったり壊れたりする心配も要らない。
 
さて、そんなモキ製作所の無煙薪ストーブであるが、煙がほとんど出ないということは、薪の原料を問わないということでもある。通常の薪ストーブだと、針葉樹や十分乾燥させていない薪を使うと煤ですぐに煙突が詰まってしまう。
ところが無煙薪ストーブでは、針葉樹だろうがちょっとくらい湿った薪だろうが使える。焚口も広いので、20cmくらいの丸太のままでも燃やすことができる。

原料を問わないということは、山間地域であればそこらじゅうにいくらでも落ちている杉などの針葉樹の間伐材が使えるということだ。さらに言えば、河原に落ちている流木でさえ使えるということだ。

我が家の前に流れる安曇川の河川敷には、台風12号と台風15号の際に上流から流されてきた流木がたくさん引っかかっている。これらのうち幾つかは引っかかったまま朽ちるだろうが、大半は拾い集めなければいずれ流されていって、下流にある発電所のダムを詰まらせることになる。かといって、泥や砂で汚れた流木を拾い集めたところで、何に使えるというのか?拾い集める労力だけでも大変だ。
そんなわけで、よほど邪魔にならない限りはそれらの流木は放置されたままだ。

そんな無価値というか処置に困っていた流木でさえ、無煙薪ストーブなら利用可能だ。

近所でも薪ストーブを使っている家庭は幾つかあるのだが、話を聞くと薪の原材料集めから乾燥から薪割りから、いろいろ苦労しているようだ。冬はすごく寒くなるので多くの薪を消費する。田舎暮らしで一番大変なのは薪づくりだと皆口を揃える。それに、針葉樹の間伐材がまわりにいくらでもあるというのに、品質の良い広葉樹を使う必要があるから、薪は限られた資源であり薪ストーブは贅沢なものだと言う。

確かに良質な広葉樹を大量に消費するのは贅沢な使い方に違いない。ひと冬に使う薪を薪ストーブで使うのではなくて、炭にして囲炉裏や火鉢で暖をとるようにしたら5年以上、ひょっとしたら10年くらいもつかもしれない。
そういう意味では、最近都市部に広がっている薪ストーブの流行については警鐘を鳴らしたい。

しかし、木材であればどんな原材料であっても利用可能というなら話は別だ。現在の間伐のほとんどは打ち捨て間伐といって切るだけでそのまま利用せずに腐らせるものだ。それらを有効活用できるなら歓迎だ。
とはいえ、道路近くにある間伐材なら運びやすくてよいけれど、道路から少しでも離れた場所に落ちている間伐材を運び出すのは結構大変だ。うちのあたりの山林は傾斜が45度以上あるところばかりなのだ。歩いて登り降りするのですら苦労するのに、太さ10cmにも満たないような間伐材であっても運び出すのは容易ではない。

ところが、そんな間伐材も自然のエネルギーによって運ばれるときがある。
台風などの大雨のときだ。それらは沢を経由して大きな河川に流れ込み、河川敷に引っかかる。その際に、腐った表面などもこそげ落ちる。それが流木だ。

まあそんなわけで、この週末は近くの河原で流木拾いをした。何かを集めて回るというのは結構楽しいものだ。子供たちも河原で好きなように遊ばせておいて、集めた流木を運び出すときだけ手伝ってもらった。
近所の人からは、汚いゴミのような流木など拾ってきて何をしているのやら、と思われたかもしれない。実際、薪を集めることが目的なら、あまり効率的とはいえない。まわりに拾いやすい間伐材などいくらでもあるのだから。
それでも、ほんの1時間程度集めてまわっただけでも薪ストーブで焚いて1週間分くらいの流木が集まった。
砂や泥で汚れているものも多いが、そんなものは雨に晒しておくだけで自然ととれてしまう。

思ったより大変だったので今後何度も集めて回ることはないかもしれないけれど、河原に行けば誰からの許可も得ずに手に入れられる薪の材料が十分な量集められることがわかったのは収穫だったと思う。
これから冬になると山は雪に閉ざされてしまうけれど、河原なら雪もすぐに溶けるから、薪が足りなくなりそうだったら流木を拾いに行ったらよいかもしれない、なんてことを考えている。