新 ぞろだるえにっき (Journal Zorro et d'Artagnan)

こんにちは。くろねこゾロととらねこダル、合わせてぞろだるとその姉マミです。 自称、お絵かきクリエイター。大好きなお絵かきと文章書きと羊毛フェルトを毎日続けていくつもりです。ブログは毎日じゃないかもしれないけど、なるべくアップしていきたいと思っています。 Bonjour. Nous sommes Zorro et d'Artagnan, et vous pouvez nous appeler comme ZORODARU et nous vous présentons notre soeur aînée Mami. Nous aimons bien écrire, dessiner, et le feutrage à l'aiguille. Merci!

mars 2016

うちの母。

スポーツ番組を見ていて、わあすごいとか、これは素晴らしいとか言ってコーフンする単純なわたしの横で、クールな一言を放つ。

「ドーピングよ。」

 

え?!

 

「いまのは人間の限界を超えてる。絶対ドーピング。」

 

母にひどいこと言うとか、まさかとか、言うんだけど、でもほんとに数年後、それがドーピングという報道がなされる。

 

すると母は言う「言ったでしょ!」

 

これが多い。確かに母は正しいことが多いのだが、でも、あんまり「だから言ったでしょ」ということが多いので、父は逆切れする。「言ったとか言わないとかなんなんだ!」

 

でも母は言う。「でも言った通りじゃないの。」

 

常に冷静に疑ってカカル、、、、それが母だ。

 

専業主婦で会社で働いたことがない母の方が、よっぽど、シゴトで外で散々もまれたハズの父や母よりもクールにものごとを判断していることが多いので、これはもう、経験というよりも地アタマ?参ります。

 

しかし母が苦手なのは語学。こっちはなかなか上達しない。外国語で話すのが苦手だ。とはいえ、たとえば、わたしが横について、外国人の友人と会話するときに、面白いはなしのネタを振ったり、相手が何を言うかを先に想像して日本語でわたしに訳すように言ったりするのである。会話とは内容であり、キャッチボールである。よって、わたしは母は非常にコミュニケーション上手で話題が豊富だと思っているのだ、実は!

 

よって、以前、わたしの父の親友で、私のスイス母と思ってるYさんのその一人娘が、わたしに「あなたのお母さんは外国にしょっちゅう来る割には語学はできないのね。」とまるで内緒話をするかのように意地悪気に言ったときは、私は頭にキタ!我々日本人の語学の勉強の難しさは、アルファベットの人間がほかのアルファベットの言葉を覚えるのとはくらべものにはならないし、しかも会話で大切なのは内容であり、ただ話す、話せるというのははっきり言って、語学のレベルが高いとは思わないからだ。

 

しゃあしゃあとわたしの母を馬鹿にしたこの女性はわたしはそれまでもなんとなく違和感があったけれど、父の親友の娘だから気づかないようにしていたけど、そのときからもう、彼女に好意を持っているふりをするのはやめた。

 

そのひとの娘たち、息子たちはわたしは嫌いじゃないけど、でもよくまあ、ひとの家族の悪口なんて言うもんだ。なにも母が悪いことをしたわけではあるまいし。

 

10年ほどして、そのひとに会ったとき、わたしは普通に話をしたけれど、そのひともにこやかに話をしたけれど、周りに誰もいないとき、ちょっと静かになって、彼女はわたしに言った。

 

「あなたはわたしのことを母(Yさん)ほど好きじゃないのね。」「、、、、ひょっとして以前わたしがあんなこと言ったせい?」

 

わたしは否定しなかった。

 

彼女、自分でも意地悪を言ったことはワカッテルのね、、、、

 

子供に親の悪口を言って同調するなんてあると思ったのかしら。彼女の娘だってジブンのおかあさんを馬鹿にしたら怒るはずよ。

 

そしてそもそもカネモチマダムたち、まあ一日中よくしゃべってたけど、内容があまりになくて呆れたことがある。だれだれの夫があんな仕事をしているそうだ、だれだれはなんとかかんとかのサプリで痩せた、とか痩せない、とか。

 

文化程度、低、、、、


フランス語を勉強する前は、音の響きに憧れ、大好きな名作文学を原語で早く読めるようになりたいと思ってた。聞こえるようになったらこんなくだらん会話だけなのか、、、、と衝撃を受けたことも。

 

でも幸い、いろんなひとがいますからね。楽しいディスカッションができるのもフランス語であることは確か。

 

別にカタイ話をしてるのがいいなんて言ってない。わたしなんか軽口ばっかりだし。

 

ただ、悪意ある会話とひとの噂話だけを一日中しているのはどうかと思うってこと。

 

おしゃべりは大好き。でも仲のいい友達とだったら、沈黙だって気づまりはないわけで。

 

わたしの趣味の羊毛フェルトなんかそう。みんな仲良しで、わいわい楽しく話しているけど、手はずっと動いていて、当然、集中していくと、言葉はなくなる。それはとってもいい雰囲気。

 

でまた、なにか面白いはなしになる。そしてまた静かになる。

 

おしゃべりと幸せな沈黙。なんとも幸福感がある。

 

そして思い出す。私の母方の祖母は、とってもはなしが面白いひとだった。


大正生まれの祖母、毎年ちゃんと同窓会に行っていた。


ところがあるときから、ぱたりと同窓会に行かなくなった。


「もう行かないわ。」

「どうして?おばあちゃま。」

「みんな、わたしのはなしを聞きたいって言うの。」

「おばあちゃま、面白いからね!」

「でもね、みんなわたしに話させるだけで、ちっとも自分たちは話さないのよ。つまらない。だからもう行かないの。」

 


でも、、、、そうよね。

 

祖母はゲスト講師とか落語家じゃないんだから。自分のはなしでみんなが笑ってくれるのは嬉しいけど、祖母だって面白いはなし、聞きたいものね。

 

言葉でも行動でも、してもらったら、お返しをすること。


そのひとより面白いはなしができないからしない、というのは誰の基準?自分の基準。


そのひとはそのひとで、ほかのひとのはなしが楽しみでもある。


トクイ・フトクイはある上で、要は気持ちの問題なんじゃないかと思うトコロ。

あんまりそのひとにだけ、期待することが多すぎると、そのひとが嫌になったらもう、すべてオシマイになる。

 

語学だってそう。外国人が話しかける。自分が苦手で答えないから逃げる。


外国人にしてみると、身振り手振りだってはなしてくれるほうが嬉しいのに。


できないできないと逃げていかれたら自分だったらどんな気持ちになる?


タクシーに乗車拒否されたような気分になるんじゃないかしら。

 

いつもやってくれているひとが怒る、いつも穏やかだった人が怒る、それは虫の居所が悪いんじゃなくて、積もり積もったもので、そのひとの堪忍袋の緒が切れちゃったとき、なんだと思う。

 

悪気はなくっても積み重なればね。

 

だから、もし、悪気のある一言だったら、もう、即座に堪忍袋の緒が切れても仕方ないってことよね。合掌、、、、

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怖くて勉強する、、、、というのはちっともいいと思わない。


でも怖くて勉強する、でハカドルことがあるというのは、あ、あるのかもしれない、、、、と思ってしまった!!

 

重ねて言う。いいとは思わない!まず、心臓に悪い!

 

でもね、会社説明会で「いつまで下積みすればいいんですか~」なんて大勢の前で悪びれもせず聞いてしまう、寝ぼけた(失礼!)質問ができちゃう連中は一度くらい、ピリっと怒られたほうがいいんじゃないだろうか、なんて思っちゃう、、、、

 

以前テレビで『坂の上の雲』をやっていたけれど、アベちゃん演ずる秋山好古が、学校に行くのにもたついている弟の秋山真之に「なにをやっている!」と怒る。

 

するともっくん演ずる弟が「げ、下駄がなくて!」と答える。

 

すると兄は言う。「下駄がない?では裸足でいけ!」

 

コワイ、、、、


雪なのに、、、、

 

更に言うと、彼らは「自分たちが遅れると日本が遅れる」のだそうだ。

 

エライ、、、、エラスギル、、、、

 

それはともかく、たぶん、もっくんもオッカナイ兄貴にどやされて勉強する部分もあったであろう(?)

 

思い出してみると、中学のとき、国語で怖い先生がいた。

 

宿題を忘れると立たされるの。


いまはそういうのってないのかもね。

 

それがいいとは思わないけれど、ただ、まじめにやらなきゃだめ、って身に染みるのは人生に結構必要なことじゃないかなって思う。

 

大学生のとき、フランス語を勉強し始めることにして、放課後週2でとある学校のフランス語入門課に通った。


フランス人の先生がジョークを交えて楽しませながら教えてくれて、これはこれでとってもよくて、この先生にずっと習いたいな~と思ったんだけど、この先生は入門課だけしか教えなかったので、初級の1のクラスに行った。

 

今度は日本人の先生だった。

 

歩く、という単語、フランス語のmarcherの活用。これを覚えてくるように言われた。


わたしはまじめに覚えて学校に行った。

 

次の授業のとき、誰かがmarcherの活用をしなさいと当てられたけど、できなかった。


そしたら先生は言った。


「覚えてないなら、活用表を読んでくれたほうがまし!頭に間違った活用が入るからわからないなら活用表をただ、読んでください!」


そして授業の最後に言った。


「覚える気がないなら学校来ても無駄だから。」

 

更に、


「覚えてきたひとは、今度は歩きながらmarcherが言えるように。」

 

次回の授業に行ったら、宿題を前回してこなかったひとは授業にいなかった。

 

人数が半分くらいになっていた。

 

私が当てられた。歩きながら言えるようになっていたので、すらすらと言った。大緊張したけどね。


すると先生は言った。「じゃ、今度はあなたはcourir、走る、っていう活用を覚えてきて。次回は走りながら言えるようにしてきて。」

 

先生に怒られたくなくて、毎回予習復習無我夢中で勉強した。

 

おかげさまで活用は覚えたし、そのあと留学もしたけれど、ほんと活用と文法が一番大切なんじゃないかって思った。

 

コワイから、というより、切羽詰まらないと勉強はできないのかもしれない、、、、??

 

毎日少しずつ、ちょっとずつ、楽しく覚えて、いつかできるようになるなんて夢??


語学力は外国行くだけじゃ身につかない。

 

それからかなり時間が経ち、社会人になってから、とある学校の通訳学校に行くことにした。


1の通訳入門から勉強したいと思って。で、入学説明会に行った。

 

最初にフランス人の先生が授業についてフランス語で3分くらい説明をした。

ふむふむ。なかなか難しそうだな、、、、

 

すると日本人の先生がそのフランス人の先生からマイクを受け取った。


「え~みなさん、いま、こちらのA先生がおはなしになったフランス語の中で、わからない単語がひとつでもあったかた、正直に手を挙げてください。」

 

手を挙げたひとが数名。

 

わたしは一応全部わかったので手は挙げなかった。

 

そしたらその日本人の先生が言った。


「いま、手を挙げたかた、帰ってください。あなたがたにはついていける内容ではありません。」

 

、、、、絶句、、、、

 

いまも昔もこれ以上怖いことばは学校で聞いたことはない、、、、

 

しかし先生はどこも間違っていなかった。


とってもとっても難しい授業で、週2回あって、通訳になろうというより、勉強をしようという気持ちだったから結構気軽だったわたしにはまさしく背水の陣で毎回望むことになった。

 

でもど根性でとりあえず通った!

 

最終的に急性胃炎になって数回授業が行かれなくなったのはこの授業のせいではなくて、シゴトや諸々のせいだったとは思うけど(苦笑)。入院でおやすみしちゃったときは先生はとっても優しかった。「来期に振り替えられるよう事務局を説得してあげるわ!」って。

 

あの経験を踏まえて、でもいまでも本当に全く勉強が足りないと日々反省すること然りなんだけど、ただ、「フランス語、勉強してみたーい」と、よく、「教えてー!」とか「どこの学校がいいですか?」なんて言われると、でも、結論、学校がどことかじゃない、自分が勉強するかしないかだと思うけど、しかし、ほんとにできるようになりたいなら、たぶん、切羽詰まる必要があるんだと思うので、自分ひとりで切羽詰まれるひとはなかなかいないので、結論、学校行く方がいいと思う。

 

むかし、フランス語教えてって言われて、以前自分が習ったのと同じように教えたつもりで、「じゃ、次回までに活用覚えてきてね」って言っても、だーれも覚えてこなかった。


誰ひとり、一年やってもmarcherを言いながら歩けなかった。

 

わたしが怖くないのがいけないの?

 

ひょっとしたら、「"正しく"怖くなれる」のって思いやりなのかもしれない。

 

そのひとが一生、できるようにならなくていい、と思ったら、注意もしないし、やれとも言わないものねぇ。


わたしは思いやりがないってことになるかな、、、、


 

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でもほんと、最初は手紙や電話だったものが、ファックス、メール、そしていまはLINEFacebookメッセンジャーなどなど、連絡も取りやすいし、気軽で便利。

 

でも言葉じゃなくなったことでそういうつもりじゃないのに、という誤解もあるし、「既読」になっているのに返事がない、とか、そういうことで恋愛中のひとは悩んだりもするようだ。

 

基本、簡単なことなら電話が一番だ。シゴトだとメールで残しておきたいこともあるけどね。そんなわけで、イマドキだと、メールってフォーマルなイメージになった。シゴトで使うもの。

 

もうやめてほしいくらいメルマガもくるし、自宅のメールも、iphoneに届くメールも毎日読まずにばっさり捨てるだけになった。ほぼ100%。

 

バッサリ捨てるメールというのは、メルマガもある意味そうだけど、「一方的な連絡」だからだ。

 

冷たい言い方をすると、お店からのメールもたとえばいつからいつまでほんとにいいフェアがあるとか、割引があるとかならいいんだけど、そうでもなく重いデータの連絡がくると、なんだかめんどくさくなるのと同時に、毎日くると、逆に読まなくない?

 

すっごく久しぶりにメルマガしてくる会社があると思わずちゃんと読んでしまう!で、読むと、やっぱりちょっといい内容が入ってる(あるいは気がする。笑)

 

個人的にはあまりに「オチ」がないはなしは苦手だ。

 

もちろんHELLO的な連絡は嬉しいものだからそれは別もの。

 

以前、恋愛中の女子が男子にメールをして、返事がないのを悩むのがあったが、男女ではなかろうとも、返答に困るメールというのはヒジョーにやりにくい。

 

何を言って欲しいのかわからないから回答できないものは、しばらく置いておくしかない、、、、そして回答をするタイミングをなくし、ついに返事ができないとなる、、、、

 

いずれにしても、後追いをしないことが重要ではないだろうか、、、、

 

大切な友人とか、好きだったひとが、自分から突然離れていくと感じたとき。

 

もちろん今までどおりのやり取りをしていて、ふと、なんとなく終わりの瞬間がわかるとき。

 

サミシイけど、残念だけど、これはもう、終わるしかないんじゃないだろうか。

 

相手に必要とされていないということだ。必要があれば相手は戻ってくるし、残念ながら必要とされていなければ戻ってこないし、そのかわり、相手が戻りたいと思っても、こっちがそのとき戻りたいと思うかどうかは自由。

 

シゴトだってそう。一所懸命やって、すごくいいと評価されて。でも、ちょっとして、それが雇用者側が慣れてくると当たり前になって、ねぎらいの言葉もなくなる。

 

シゴトの喜びが感じられなくなったら、これまた、給料云々もそうだけど、やっぱりほかを考えたくなる。

 

で、辞めちゃう。

 

辞めた途端、そのひとがいかによくやっていたかがワカルのよ。で、戻ってきて欲しいとか、あのひと以上のひとはいないとか、後任に満足できないとかね。

 

動物は言葉のコミュニケーションじゃないから、あっさりしてる。慣れ、はあるかもしれないけど、それがなくなればそれがなくなると理解する。

 

人間って偉そうにしていて、愚かなのかもしれないわね。


最近アドラー哲学本も読んでしまったし、ほんとあっさりあっさりしてきた、、、、

 

 

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なに人だからどう、ということはないかもしれないけど、ステレオタイプ的見方なんてよくないかもしれないけど、わたしはおしなべてフランス人と気が合うみたい。

 

なにが好きって、個人主義なところ。

 

個人主義っていうのは、わたしの解釈だと「相手の個人も認めるし、自分もきちんとある」という個人主義ネ。

 

だからハナからなにかを否定されるようなこともないし、相手と意見が合わないからといって、そんな気まずいことにはならないの。最初から相手は違うものだと認めているから。

 

シゴトでパリに行っても、わたしは空港でタクシーを捕まえて、ホテルに行くときですら、なんだか一気に自由な気持ちになる。

 

東京でだって自由に生きているはずなんだけど。不思議なことに。

 

タクシーに乗って、住所を言って、景色を眺める。きれいなところばかりでもないし、清潔なタクシーでもないにも関わらず、なんともいえない安心感を感じるのが不思議。だから合ってるんでしょうねぇ。

 

そうやっているといろいろ思い出す。

 

パリに何度か長期滞在したけど、最後に留学したとき、わたしはとある小さなアパルトマンを一年借りていた。いや、アパルトマンなんていうものじゃないな。一部屋だけのストゥーディオと言われるような部屋で、天井が高く、はしごを登っていくと大きなベッドのマットが敷いてあって、そこが寝床、「メザニン」。

 

下はキッチンがあるだけなんだけど、それが物置みたいにドアがついていて、閉めると大きな部屋がひとつになる。日当たりも良く、ひとりだったら十分の広さで、あと、お風呂とトイレもちゃんとしたスペースが玄関の横にある。収納もある。とても気に入っていた。

 

ヨル遅くなっても近くにハーゲンダッツがある。ヨーロッパってなぜかアイスクリーム屋さんが遅くまで営業しているから、タクシーで帰るときに、一人暮らしのアパルトマンの前で降りるのが気が引けるときは、ハーゲンダッツの前で降りればいい。いつも煌々と電気がついていて、そこでアイスクリームを食べている連中にそんな悪い人間がいるとも思えない(笑)。

 

部屋は空っぽだったので、ある程度家具が必要だったから、近くの店、歩いて15分くらいのところに行ってみた。

 

折り畳み式の小さなテーブルと、籐でできたかわいい椅子を2客買うことにした。

 

ところが、日本と違って宅急便がないんですって。だから自分で持っていくしかない。

そんな重くはないけれど、大きいじゃない、椅子なんて。いくら家まで15分とはいえ。

 

しかし留学の何がいいって、自分でなんでもしなきゃいけない。一人暮らしっていうのは大体そういうものだから、それがまた人生勉強に貴重だと思うんだけど、さらに、これが外国だから、言葉もそうだけど、いろいろやってミルと、な、なるほど、、、、ということはある。

 

というわけで、わたしはまず折り畳みのテーブルを持って帰った。これは楽勝だった。

 

次に、籐の椅子を一脚取りに戻った。

 

軽いけど、持って歩くの大変。道も結構穢かったりするし、、、、全くつつんでないし。まあ、つつみようもないんだけど。

 

丁度信号のところまで持ってきて、腕も疲れたし、脚も椅子にぶつけまくって、疲れた。

 

なので、自分が運んだ椅子に座ってみた。

 

ちょっとおかしくなった。信号の前で突然籐の椅子に座ってる人間なんてそうはいないでしょう。

 

でも誰もどうっていうことはなく、ただ、ひとり、おじさんが言った。「あなたの椅子?」

わたし「そうです。」

おじさん「いい椅子だね。」

 

部屋に着くともう一回椅子を取りに行き、そのときも信号で2回、椅子に座って休みながら、運んだのだった。

 

普通にできることをしてるだけ。

でもなんかおもしろい、なんだかおもしろい、それがわたしがパリで感じる気持ち。

 

普通の人間が面白いから生活が面白い。

 

道を歩いていると、立ち止まった二人の女性がいる。

ひとりが熱く語っている。こんなことがあって、こんなことになって、、、、云々。

するともうひとりの女性が言う。「ワカル。ワカルわ!」

ものすごく真剣な表情だ。

でも彼女の手は自分のバッグから飛び出したバゲットをちぎる。

そしてちぎったそのパンの半分を彼女に渡す。

渡された熱く語る女性もそれを食べる。

食べながら熱く語る!

 

スーパーマーケットに入る。

大学生くらいの育ちのよさそうな男の子がママと買い物をしているというのも案外パリではよく見かける。

ママがチーズをトロリーに入れたり、トマトを物色している間に、大学生がなにかをトロリーに入れている。

ママが気づく。

「またこんなジャンクフードを知らない間に入れて!」

まだやっぱり子供か!

 

銀行に入る。

銀行員が派手なストライプのシャツに淡いブルーのネクタイをしていて、赤い眼鏡をかけている。

 

朝の情報番組。

もうずっと同じひとだ。

「ボンジュール ア トゥース!(おはよう、みなさん)。」

にこっと開いた前歯がすきっ歯だったりする。

 

テレビをつけても、町を歩いていても、買い物をしていても、なにかしら面白いものがある気がして、それなりのポリシーとそれなりの美的感覚を守ろうとしているひとたち。


会話がそこにあり、会話が聞こえてくると、それはどこにでもある普通の会話。

なんだけど、なんだかみんな真剣でかわいい。

 

またパリに行きたいなぁ。

 

 

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