キャパが狭いとか、沸点が低いとか、とにかく簡単にイラつく人間が多い世の中である。
自分の方のミスはごめんごめーんで済ませておいて、かっとすると言い方がきつくなり、ひとに対して頭ごなしとかね。
個人レベルだったらそれは付き合わなければいいだけのはなしだが、シゴトだとガマンしなきゃいけないことが多い。で、そういうひとに疲れて、思わずぼやいたりすると、「許してやれ」と言われる。
つまりこっちばかりガマンを強いられるのである。
まあ、どこでもそういうことあると思う。
一度、「ああいうひと」と決められると、そのひとに対しては、腫物に触るかのように接するとか、ひどいこと言われても気にしないようにするように、と、こっちはガマンすることばかり。
沸点が低くはない人間であっても怒りの限界にくることがある。経験でそのガマンが結構なところまでガマンできるようになっていても、ラクな仕事なんかどこにもないと思ってなるべく受け流すようにしようとしても、たまらなくなることがある。
とはいえ、、、、それを誰かにぶつけようなんて思わないから、怒りの塊の置き場を探すのではなく、全く別のことをする。
それは、「たのしみ」である。
そのたのしみ、とは、例えば山に登るとか海に潜るとかもいいけれど、それは山まで行ったり、海まで行かなければいけないから、やっぱりガマンの期間が長いので辛いと思う。
もすこし簡単なたのしみがたくさんあれば、結構、切り替えができるというものだ。
わたしの場合だと、うちに秘めるタイプではないので、でも毎日友人とはなしたりできるわけでもないから、うちに帰るとすぐ親にしゃべったりして、「ねえ~聞いて!」で、そこで少し発散できる。
すると、今度はかわいい猫たちがいて、彼らにごはんや薬もあげたりするし、それで忙しいだけでなく、彼らのかわいさに癒される。
ごはんをにゃんこに食べさせながら、持ったipadを覗けば、友達からの楽しい連絡やニュースがあったりする。
それに対応したり、好きな絵を描いたり、羊毛フェルトをしたり。するとにゃんこが思いがけない動き(といっても毎日見慣れたハズのものなのだが)に新鮮に幸せを感じられる。わたしに甘えて倒れる、しっぽを絡ませてくる、顔を摺り寄せてくる、、、、そんなたわいもないことでとてつもなく満たされる。これがすごい。結構ひどいことがあってもかなり、80%くらいはなくなっているのに気づく。
そして自分に腹を立てさせた人間はきっとかわいい猫なんていないんだろうな、と思う優越感を得るのである、、、、
猫もそうだし、楽しい友人からの連絡もそうだし、話せる家族もそうだし、、、、
すると突然気の毒にさえ思う。
でもあんまりひどいときは、残った20%のやり場に困ってなかなか寝付けないこともあるけれど、ヨル悩むのは全くいい方にはいかないので、なにしろ、気分よく眠る努力をするだけだ。
ねえ。