2017年04月02日

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4月16日に横浜アリーナで行われる「RIZIN 2017 in YOKOHAMA - SAKURA -」。

この大会に、第三代ZSTフライ級王者である伊藤盛一郎選手の出場が正式に決定した。

これは単純に、伊藤選手がZST王者という立ち位置にいただけで出場できた、というワケではあるまい。単純に、出たいと希望しただけで出れたワケでもあるまい。

ZSTという一つの団体の中で頂に立ち、かつ、「RIZIN」の舞台に立ちたいと志し、その資格を得るために戦い、それでいて「RIZIN」の舞台が、今、伊藤選手のいるフライ級に力を注いでいたという、言わば、力と意思と、幾許かの“運”とか“流れ”的な要素が合わさって、初めて実現したのではなかろうか。

今回の「RIZIN」出場は、本当に伊藤盛一郎という選手が自分の力(勿論、一人の力ではないが)で戦って獲得した権利なのである。そう考えたとき、伊藤選手がどのように歩き、この「RIZIN」という舞台に辿り着いたかを書いてみたくなった。

2015年8月に行われた「ZST.47」開催前に、ここ「ZFC通信」で、その時点までのZSTフライ級王座の歴史について、駄文ながらも書いてみたことがあった。

ZSTフライ級王座の歴史 vol.1 「王者とパイオニアと」

ZSTフライ級王座の歴史 vol.2 「新世代たち」

ZSTフライ級王座の歴史 vol.3 “「ZST.44」結果 その7”

ZSTフライ級王座の歴史 vol.4 「この道の上で」

この続きを書くことが、そのまま、伊藤選手が「RIZIN」に辿り着くまでの道程でもある。

時間的に、どこまで書けるかは分からないが、せっかくなので、あの日の続きを辿ってみたいと思う。



2015年8月。「ZST.47」。

その大会のメインイベントとして行われた、フライ級タイトルマッチ。

第三代フライ級王者・伊藤盛一郎 vs 挑戦者・矢島雄一郎。

この戦いの背景に関しては既に過去に書いたので、今さらそれほど書くようなものでもないだろう。

かいつまんで書けば、矢島雄一郎という選手は“フライ級のパイオニア”という異名が示すように、初期からZSTの軽量級で戦ってきた選手である。フライ級にベルトが創設された際、その初代王座決定戦の舞台に立つ一人として選ばれたが、そこで田沼良介選手に敗れ、その頂に立つ事は出来なかった。その後、戦いの中で矢島選手はフライ級タイトルへの挑戦資格を得て、再び田沼選手の前に立つ。今でもZST史に残る名勝負として、その名を挙げられる戦いとなったが、そこでも矢島選手は敗れた。

そして、この戦いを最後に、田沼選手は誰とも戦う事なくベルトを返上。矢島選手もまた、「タイトルは完全に諦めました」と、タイトル戦線とは距離を置いた形の試合を行うようになる。

そして時は流れた。

2015年2月の「ZST.44」で、第二代フライ級王者・八田亮選手と、挑戦者・伊藤盛一郎選手によるタイトルマッチが行われた。両者共に、当時はまだ20代前半という“新世代”の選手同士。そして、この新世代対決を制し、伊藤選手が第三代王者として、ZSTフライ級の頂に立った。

初期の時代を戦い抜いてきた矢島選手と、今やZSTの中心となっている“新世代”の伊藤選手。この両者の対決には、まず“それぞれの時代の戦い”という側面があった。

そしてもう一つの側面が、伊藤選手と田沼選手は同じジムの選手であり、先輩後輩の間柄であるという点であった。伊藤選手は、

「(矢島選手は)田沼さんと因縁あると思うんですけど、自分と矢島さんの戦いなんで」

とは語っていたが、やはりその事を知る人の目を通せば、伊藤選手の後ろに、田沼良介という名前を浮かべてしまうのも無理からぬことではあっただろう。

そういった、ある種の“出来すぎ感”すらあるぐらいの様々な背景が詰め込まれた一戦であった。

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「アレのおかげでチケットが2枚売れました」

試合の前日に会った矢島選手は、私にそう言った。

アレとは「ZFC通信」の事である。上にも貼ったが、この「ZST.47」の前に、この試合に関することを色々と書いた。それを読んでくれた矢島選手の知り合いがチケットを買ってくれたそうなのである。

何気に矢島選手は「OFC」に来たことがあり、私もスパーをした事がある。

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画像:その時の画像。コテンパンにやられた記憶が。

つまり“出稽古”枠としての条件はクリアだ。書ける。そして矢島選手本人も匂わせているが、たぶん、今回がタイトルに挑戦するのは最後となるであろう。じゃあ、せっかくだから盛り上げたい、という感じで書いた。ぶっちゃけた話、この試合は、完全に矢島選手の方に肩入れして見ていたのである。

「最後最後と言ってきたんですけど、今回は間違いなく最後なので」

「ここで勝つことで、自分のZST人生、有終の美を飾れる」

インタビューの中で、矢島選手はこう語っている。

私の中の“理”においては、この戦いで応援すべきは伊藤選手の方である。そう。去っていく者に、“有終の美”なんかはいらない。これからの時代を築く選手が勝たずしてどうする。そういう意味では伊藤選手の、

「これからのZSTを背負っていくのは自分たちなんで、こいつらに任せても大丈夫だなって、矢島さんに安心してもらいたいです」

という言葉は、個人的には満点と言ってもいい。

だが、やはり“感情”が“理”を上回る事などは往々にしてあるもの。

“パイオニア”とまで呼ばれた男の最後の挑戦。全てを諦めながら、それでも戦い続けた者に訪れた最後の夏。ならば…やはり思ってしまうものなのだ。“パイオニア”が頂に立つ姿が見たいと。ZST人生の集大成として、矢島雄一郎という選手の名が、その歴代王者の中に刻まれてもいいんじゃないかと。伊藤選手はまだ若い。これから先、チャンスは幾らでもある、などという事を。つくづく人は、“感情”によって動いてしまう生き物だと思う。



決戦の日。

“新世代”と“パイオニア”がリングの上で向かい合うと、矢島選手の方が大きく見えた。気迫とか、存在感とか、そういうものではない。物理的に大きいのだ。中でも背中の筋肉の盛り上がりが凄い。強い打撃を放つ際に必要な、ヒッティングマッスルを鍛え上げた結果であろう。こういうのが“鬼の背中”と言われるモノなのかもしれない。田沼選手との二度目のタイトルマッチの時でも、ここまでではなかったと思う。一度は全てを諦めながら、それでもその身に宿した“鬼”に、矢島選手の想いの重さが垣間見えたような気がした。

両者の拳が、足が、空を斬り、肉を打つ。

序盤は打撃戦。どちらかが一方的に攻め込むわけでもなく、互角の押し合いといったところか。

最初にテイクダウンを奪いに行ったのは伊藤選手の方であった。一度目は蹴り足をキャッチしてからタックルに行ったが、これは切られ、二度目はパンチを出してからのタックルで、腰を地に着けるところまでは行けたが、すぐに矢島選手が立ちあがる。

矢島選手は、どちらかと言えば“後の先”狙いか。ドッシリと構え、伊藤選手が飛び込んできたところに打撃を合わせていく。これは両者の年齢差を考えれば妥当な戦術かもしれない。やはりスタミナ面では、“新世代”である伊藤選手の方に分があるだろう。ならば伊藤選手を大きく動かして、そのスタミナを無駄にロスしてもらった方が、その差は埋まる。だが、“無尽蔵”とも評される伊藤選手のスタミナだ。そう容易く削れるものでもないだろう。

伊藤選手の蹴りが、矢島選手の下腹部に入った。ローブロー。試合が中断する。

「試合でローブロー当てちゃったの、初めてだったんで」

とは、GAORA放送内での伊藤選手の言葉だ。今のは、両者の蹴りのタイミングがたまたま合ってしまったものだ。伊藤選手が蹴ろうとした軌道の先に、矢島選手の股間が入ってきてしまった形である。

完全に偶然とはいえ、「うわー、やっちゃったーと思いました」とは、やはり伊藤選手が語った言葉であるが、少なからず動揺が生じたのであろうか。若干、伊藤選手の手数が減ったようにも見える。そこに矢島選手がジャブ、というよりは“突き”的な拳を繰り出していく。それは伊藤選手の顔面に突き刺さり、その金色の頭髪を揺らした。

今、試合は矢島選手の距離である。この流れを変えようと思ったか、伊藤選手が組みにいった。タックルではない。まずは両者の距離をゼロにするのが目的であろう。伊藤選手がコーナーに矢島選手を押し込んだが、今度は矢島選手が体を入れ替え、伊藤選手をコーナーに押し込む。そしてブレイク。

矢島選手がジワリと前に出る。私だったら間違いなく下がってしまうプレッシャーだったであろうが、そこで下がると、その後の主導権を握られるだろう。そこら辺、伊藤選手は流石なもので、下がりはするが、その後すぐに自分から前に出て行く。

流れの奪い合い。その中で炸裂音が鳴り響いた。

伊藤選手が右の蹴りを放とうとした刹那、矢島選手の左の拳がその側頭部を捕らえていた。

伊藤選手が倒れる。矢島選手が襲いかかる。しかし、倒れながらも伊藤選手は矢島選手の動きをよく見ている。追撃の拳に空を切らせると、バランスを崩した矢島選手の身体がロープへと泳いだ。伊藤選手は、その間に安全な距離を手に入れている。

その直後に、伊藤選手の二度目のローブロー。これもまた、両者が蹴ろうとしたタイミングが合ってしまったものであるが、今度は矢島選手が悶絶。矢島選手には当然ながらダメージがある。が、伊藤選手も、これまでローブローすら当てたことがなかったのに、このラウンドだけで、まさかの二度目である。これで、上以外の蹴りを出しづらい気持ちが芽生えても無理からぬところ。これが、この後の試合展開に、どう影響してくるか。

私の、完全に矢島選手よりに立っている目から見て、1Rは矢島選手が取ったと思う。伊藤選手はタックルで倒しているとはいえ、完全にテイクダウンを奪ったわけではない。ならば打撃の攻防での評価になるが、しっかりと当てた感があったのは矢島選手の方だ。そして、あの伊藤選手が倒れた場面が、そこそこ大きい。直後の動きを見る限り、倒れたとはいえ、それはパンチによるダメージではなく、蹴りに行ったバランスが崩された結果であろう。だが、矢島選手のパンチが当たり、伊藤選手が倒れたという光景が展開されたのも事実。1ポイントの差が付く内容でもないとは思うが、どっちを支持するかと言われたら、私なら矢島選手に票を投じる。

2R。

打撃の攻防で1分が経過した辺りで、伊藤選手が仕掛けた。パンチで入って、矢島選手のサイドに組み付きテイクダウン。伊藤選手は、これが上手い。腰とかへのタックルなら、入ってテイクダウンまで一呼吸で行くのは珍しくもないが、もっと高い位置で組み付いて、そのまま相手を倒すというのは、これは伊藤選手が柔道で培ってきた技術であろう。

この試合、初めての完全なるテイクダウン。初めてのグラウンドでの時間帯。

矢島選手は“空手家”的なイメージが強いが寝技ができないわけではない。というか、「SHERDOG」の戦績で見る限り、KOよりも一本勝ちの方がはるかに多いので、むしろそっちの方が得意だと思う。そして、この一戦の期待値を上げているのが、そのグラウンドの展開で繰り出される矢島選手のパウンド(グラウンド状態での相手へのパンチ攻撃)なのである。

ZSTでは長らく、頭部へのパウンド攻撃はルール上で禁止されていた。これは関節技での展開を重視したためであり、それがZSTの特色である「回転体」の攻防を生み出す土壌となっていた。今でこそ解禁されたパウンドであるが、矢島選手が過去に二度タイトルに挑戦した時代では、このパウンドは、まだ解禁されていなかった。

この試合の前戦である「ZST.44」。その試合で矢島選手は、まさに鬼の様なパウンドの雨を降らせ、対戦相手を一方的に沈めている。その戦いの歴史を、パウンド無しで戦ってきた時間の方が長いはずの矢島選手が見せた、まさかの戦い方。そして、それを用いることで見せた圧倒的な強さ。あの試合を見た多くの人が思ったはずだ。パウンド有りルールの矢島選手の方が強いんじゃないのか、と。そして矢島選手もこう語っている。

「自分は、今のZSTルールの方が強いです」

グラウンドの展開は、矢島選手も不得手ではない。

伊藤選手は、テイクダウンから間髪入れずにパウンドを投下。しかし、その間隙を突き、下から伊藤選手の腰を両足で押し、素早く矢島選手は立ち上がった。そして今度は、矢島選手が組み合った状態からの片足タックル。伊藤選手からテイクダウンを奪う。伊藤選手もまた、素早く立ち上がってくるが、立ち上がった時、矢島選手にその左腕を殺されていた。

肩固め。

伊藤選手が立ち上がってきた動きにあわせ、矢島選手はその技をセットしていた。スタンディングの状態でも極める事ができる技であるが、そこから矢島選手は伊藤選手を引きずり倒していく。腰の強い伊藤選手とはいえ、片腕が死に体になっている状態では、さすがに抗うことは出来ず、またもリングにその背をつけた。

この肩固めは浅かったか、グラウンドになって直ぐに伊藤選手は脱出。矢島選手の放つパウンドを被弾しながらも立ち上がってきた。しかし、立ち上がったものの、矢島選手はバックを取り、そこから回すようにパンチを放つ。この体勢から伊藤選手が向き直ってきたところで、矢島選手が伊藤選手を突き放した。

また暫し距離の奪い合いをした後で、初回の時の再現フィルムを見るかのような入りで、伊藤選手が矢島選手をテイクダウン。ガードポジションには戻されたものの、今度は直ぐには矢島選手を立たせない。

矢島選手が抱きかかえるようにして彼我の距離を潰してしまうため、伊藤選手は強いパウンドが出せない。その固めた体勢の中で、矢島選手はネックロック、あとはたぶんアームロックも狙っていたんじゃないかと思う。距離が欲しい伊藤選手は立ち上がる。そこから、強いパウンドを打とうとしたが、その出来た距離を利用して、逆に矢島選手が、これまた初回の時の様に、足で伊藤選手の身体を突き放し立ち上がった。

スタンドの状態に戻る。シッカリと伊藤選手を見、“後の先”を狙う矢島選手に対し、やはり伊藤選手も容易には入っていけないか。そのまま2Rは終了。

やはり私の、完全に矢島選手よりに立っている目から見れば、2Rも矢島選手が取ったんじゃないかと思えた。

テイクダウンの回数は共に2回。ここでは優劣はない。下のポジションになっていた時間は、矢島選手の方が長い。しかし、その間に上にいた伊藤選手が強烈なパウンドを打てたわけでもなく、矢島選手も下から仕掛けは見せていた。1R以上に、ほぼ五分の展開と言えよう。その中で、何を取るかとなったら、やはり矢島選手の、浅くはあったが、それでもシッカリと認識できた「肩固め」の仕掛けと、その後のバックからのパンチを取りたい。

これはあくまでも私の目線だ。ジャッジには、もっと厳密な規定があるかもしれない。それでも私の中では1、2Rは矢島選手が取った。とはいえそれは、最後の3Rでのビッグヒット一発で、簡単に覆るぐらいの僅差ではあったが。

3R。

疲労は見える。それでも矢島選手はドッシリと構え、伊藤選手を待つ。

これで今までのラウンドと同じように僅差であれば…

戦っている矢島選手は、そんな事を考えてはいないだろうが、見ている側としては、つい考えてしまう。あれだけ遠かった頂が、今、矢島選手が手を伸ばせば、間違いなく届く距離にある、と。

伊藤選手が前に出てくる。当然だろう。「生まれもってのZSTスタイル」と、自分の事を評した伊藤選手である。ならば狙うのは一本かKOでの勝利。相手が出てこないのならば、そこに危険があろうとも自分から出て行く。そうやって試合を動かす。その上で勝利する。そして、セコンドの勝村周一朗選手も、こういう時に「ポイントでは勝ってるぞ」等という人ではない。たぶん。ハッキリした差はない。このまま試合を終わらせる気もない。だから伊藤選手は出てくる。

「作戦は、無かったです」

これは、GAORA放送内で伊藤選手が、この試合に臨むにあたってのテーマを問われたときの返答である。伊藤選手の話を聞く限りでは、その師である勝村選手も、この試合に関しては伊藤選手に具体的に作戦を提示したりとかはしなかったようだ。

伊藤選手が、普段からそういう“ノープラン”で戦っているわけではない。現に、この放送内でも、八田選手と戦った時は、綿密に作戦を立てたと語っている。

ならば何故だ。作戦無しでも勝てると、矢島選手を軽く見たのか。それはない。相手の情報や映像が無くて、作戦の立てようがないケースもあるが、矢島選手にそれは当て嵌まらない。だから、あえて言うのであれば、“作戦を立てない”というのが作戦だった、と言えるのかもしれない。

戦略的な見地で見たら、それはやはり誤りではなかろうか。作戦はあるに越したことはない。たとえ試合中に、それを捨てる事になったとしてもだ。試合前に、勝利に向けての可能性を0.1%でも高めるのが、選手としての勝利への“理”である。

だが、その伊藤選手の言葉を聞いたとき、私の“感情”の方は、それを“好ましいもの”として受け入れていた。実際のところ、どういう思惑が伊藤選手サイドにあったのかは私には分からない。でも、それが好ましく聞こえたのは、伊藤盛一郎と、矢島雄一郎という、それぞれの時代を背負った選手同士のこの一戦。そこにあるべき勝負という形は、“手堅い作戦を立て、それを完全に遂行する”とか、“相手の得意な部分を潰して完封する”とか、そういうものじゃないんじゃないかという気持ちが、たぶん私の中のどこかにあったからだと思う。そういう戦い方を否定するわけではない。どっちが下位で、どっちが上位の概念だとか言うつもりもない。ただ、この一戦に限って言えば、相手が何をやってこようと、今の自分が手にしているモノで倒す、という“作戦を立てない”という戦い方こそが相応しい、そう思えたのだ。

待っている矢島選手に対し、伊藤選手はあえて踏み込む。そして被弾する。だが、止まらない。タックルで矢島選手を倒した。矢島選手はアームロック狙い。片腕を取られているため、伊藤選手は有効なパウンドが放てない。

体勢が変わり、矢島選手が亀の状態。伊藤選手が、その上に覆いかぶさっている。だが、まだ伊藤選手の左腕は、矢島選手に捕まっている。矢島選手は、この体勢からでもアームロックが取れる。実際に私は取られた。勿論、伊藤選手と私では、その実力に天と地ほどの開きがあろうが。立ち上がりながら仕掛けた矢島選手のストレートアームバーが、一瞬だけ形となった。これで今の、伊藤選手のテイクダウンからの攻防でも、矢島選手が防御だけで終わったという印象はない。

両者の身体が離れた。今度は矢島選手がタックル。倒せなかったがタイミングの良い仕掛け。またも両者の身体が縺れ、離れる。

この時点で残り時間2分少々。既に半分の時間は過ぎた。これで、あと半分以下となった時間の中で、大きな局面を許さなければ矢島選手が勝てる。正直、そう思った。

伊藤選手の左に合わせた矢島選手の右のカウンター。伊藤選手の頭が大きく揺れた。

だが王者は下がらない。なおもパンチを放つために前に出てくる。

私が、この時、矢島選手のセコンドにいたら、たぶん「その打ち合いをスカして大きく回れ」という指示を出したい誘惑に駆られただろう。

打撃で一発良いのを当てた。これはジャッジも完全に意識する。ならば、もう危険な打ち合いをする必要はない。スカせば伊藤選手は遮二無二前に出てくる。そこで、もう一度カウンターを合わせるチャンスがあるかもしれないし、そのまま逃げ切れるかもしれない。

だが、矢島選手は打ち合いに応じた。それは当然かもしれない。矢島選手が“待って”いたのは、逃げるためでもなければ守るためでもない。勝つために、戦うために“待って”いたのだ。そして危険を承知で、王者は踏み込んできた。ならば、逃げることなど出来ない。矢島選手の中にある物もまた、常にKO、一本での勝利を狙うZSTスタイルなのである。

打ち合いの中、伊藤選手のワン・ツーが、矢島選手を打ち抜いた。三発目に放たれた拳の軌道の下を、矢島選手の身体が沈んでいく。

伊藤選手が猛然とパウンドを打ち込む。矢島選手は伊藤選手の右脚にしがみつく。2Rでは伊藤選手を倒した片足タックル。だが、その腕に力は無いのか。伊藤選手が絡みつく矢島選手の身体を投げた。なおも、その足を離さない矢島選手。その身体を伊藤選手がまた投げる。

先ほどと同じく亀の状態。しかし、今は伊藤選手の両腕がフリーだ。左右の拳を振るい、伊藤選手がパウンドを落とす。右からも。左からも。ガードの上からも。ガード出来ていない部分にも。

何発の拳を叩き込んだのであろうか。何発の拳を叩き込まれたのであろうか。

レフェリーが二人の間に割って入ると、矢島選手の身体は崩れ、リングの上に大の字を描いた。

“フライ級のパイオニア”と呼ばれた男の、最後の夏が終わった。

メインイベント/フライ級タイトルマッチ/5分3ラウンド
◯王者 伊藤盛一郎(リバーサルジム横浜グランドスラム)
vs
×.挑戦者 矢島雄一郎(禅道会新宿道場)
3R 3分51秒 KO ※伊藤がタイトル防衛




「ZSTをもっと盛り上げていくんで、安心して下さい」

試合後のマイクで、伊藤選手は矢島選手に対し、そう言った。

この一戦での伊藤選手の戦いは見事であった。待っている相手に対し、危険を承知で踏み込み、その上で一本・KO勝利で試合を終わらせる。ZSTの王者として相応しい試合であり、一つの時代を背負った男が最後に挑戦する相手として、伊藤選手以上に相応しい選手はいなかったと思う。

「満足です。本当に長い間、ありがとうございました」

カメラは花道を引き上げる矢島選手を追っていた。頂に届かなかった男は、誰にも見えない花道の奥で振り返り、リングに向かって深々と頭を下げた。

届かなかった。その一言しかない。

矢島選手は強かった。試合中に、特にミスをしたわけでもない。その腕は、間違いなく頂をつかめるところまで伸ばせていたはずである。だが掴めなかった。それでも掴めないという事があるのが試合。掴ませなかったのが伊藤盛一郎という選手の強さだ。それが第三代ZSTフライ級の王者なのである。

“フライ級のパイオニア”と呼ばれた男は、またしても頂に、その名を刻めなかった。

そしてこれから先、その名を刻む事はもうない。

矢島選手が試合前に語った“ZST人生”というものが、矢島選手の中で、どういう形で終わったのか。それは私には分からない。答えを出すようなものでもないのかもしれない。

大会後に公式サイトに載った一枚の写真。

そこに写っていた矢島選手の表情は、本当に全てをやり尽くした人にしか出せない表情であるかのように、私には思えた。もし、あえて形を求めるのであれば、その矢島選手の表情が、そのまま答えでいいのではないかと思う。



大会が終わり、すっかり夜になった有明の地に風が吹いていた。

その涼しげな風の中には、色濃く秋の気配が感じられた。

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