タイトルにカッコつけて「約束の」なんて付けてみたけど、別に約束なんてない。
勝手に自分で決めて自分で行き始めただけ。ちょっと必要以上にまわりを巻き込んでるけど。
今回も3月11日になって、TVやニュースで「あれから15年」的な報道を見て、つい釜石の仲間に連絡してしまっただけ。盛一郎の試合が流れたこともあって、気分転換も必要だと感じていたから「行くか」って。
盛一郎と俺で日程決めて、平野くんに連絡、「毎回そんな一週間前に行くって言われても困る」と言いながらも、きっと何とかしてくれるでしょっていう、自分勝手なときに使う信頼関係という言葉で片づける。
そんで百湖は強制連行、上原は自分から「行きたいです」って言ってくれて、それを伝えた翌日にはこんな画像を作ってくれるという「ありがた迷惑」のお互い様。

ここでよくわかってない人に説明
・俺が震災2週間後初めて被災地へ行ったときらへんのブログ
興味ある人はこの辺のときのブログ前後読んでほしいです。
自分で昨日の夜中に読み始めてウルウルしてました。笑
・ニコニコ東北とは
・勝村、平野仁との初めての出会い
そんな感じ。
というわけで、3月21日の深夜というか早朝に出発。

行きも帰りも、盛一郎と百湖は気持ちいいくらいよく寝てた。寝る子は育つしよく食べる。
4人で行くつもりが前日になって、壮吉、小宮、島田の3人も追加でGOが決まるという相変わらずのドタバタぶり。

島田って誰?

出発から6時間半、あと1時間ちょいで目的地っていうタイミングで「すみません、酔い止め飲むの忘れたのでサービスエリア寄ってもらっていいですか?」って言いだすタイプの人間が島田。
そんな感じで、深夜テンションと楽しい仲間とのドライブで浮かれ気味だったところに、平野くんから「早く着きそうなら一本松でも見てくれば」と連絡。
10数年ぶりの「奇跡の一本松」へ。

大津波に耐え奇跡的に残った一本松、翌年に枯死が確認されたけど保存を望む声から現在はモニュメントとして同じ場所に立っている。
まあ、感じ方は人それぞれ。
笑顔でピースで記念撮影する人がいてもそれも人それぞれ。
そしてその隣にある東日本大震災津波伝承館という、当時の写真や映像、その後の検証などが集められた資料館、そこを覗くくらいの気持ちで入ると当時の記憶が蘇って(もちろん当事者ではないけれど)、涙があふれ1時間以上見入ってしまった。
見入ったというか、僕らは「食らう」という言葉で表現したんだけど、うん、食らった。
もう東北から離れた関東で暮らす身としては、震災は過去のもの。被災地である東北の人たちだって、前を向いて歩き始めた日から過去のものではあるのだろうけど、それでも俺らとは受け止め方が全然違うだろうし、過去のものにしてはいけないという意識が違う。
わかってはいたけど、今回の旅の目的のひとつはこれを食らいに行ったのだ。
この、震災を思い出し、ショックを受け、重い空気になる、これを食らい、そして考え、繋げる。
これができるのは、いまだに東北の仲間と当時から繋がり続けている俺らにできることなのかなと改めて思った。
今回行ったメンバー、盛一郎は当時18歳、ニコニコ東北ツアーは今回含めて全部俺と一緒に行っている。盛一郎は言葉にするのは苦手だけど感じることはできる奴だから、今回行くってなったときに真っ先に百湖とか小宮に声を掛けたんだと思う。釜石に行ったことのない彼らにも、何かを感じて欲しいし、自分たちのやってきたことを伝えたい、そういう思いがあったんだと思う。
それから上原平、7年前はまだジムに入りたてだったんじゃないかな。それでも付いてきて当時の釜石を見て、人と触れて、何かを感じたからこのタイミングでまた来たくなったのかな。資料館を出たあと何も言えなくなりましたねっていう言葉がアイツらしかったな。
それから壮吉。
壮吉は岩手出身でさ、9年前に釜石のグラアカで俺らがセミナーやったときは岩手側からセミナーに参加してたんだ。そこから交流するようになって、いつの間にか横浜に住みついて、格闘技でプロになって、今回はグランドスラムとして、関東から一緒に行くっていう壮吉にしかできない人生。

そんな感じの7人で、陸前高田をあとにして釜石に到着。
片桐さんの美容室VIVAへ。(片桐さんのことは昔どっかで書いてるから読んでね)
片桐さん、平野くん、片山先生と合流。
「おかえり」と言ってくれる仲間がいるってありがたいな。
平野くんに言われて昼飯を食べて気分転換。
また時間があるからと、鵜住居の「いのちをつなぐ未来館」へ連れていかれ、また食らう。。。
釜石祈りのパークで片桐さんの奥さんに手を合わせる。
トモスのところで片山先生が話していた青年は、震災当時小学校1年生で裏の山をみんなで登って津波から逃げた体験をしているんだって。ゆっくり話を聞けたら良かったな。俺らは年に何回もボランティア兼ねて行ってた頃はたくさん話を聞いてきたけど、今回初めて行ったメンバーはわけわからないところもあっただろうから、次行くときはまた当時の話を聞ける場を作りたいな。

そして砂辺光久が寄付した遊具が置いてある公園へ。
もう何年も前だけど、自分のファイトマネーやスポンサーさんから集めたお金でこんなことをするファイターもいるんだ。そんな仲間がいることも俺の自慢。
そして長旅の疲れと食らいまくったダメージでホテルでのんびりしたいところを有無を言わさずジムに連れて行くのが釜石流。
数年ぶりのグラアカへ。

何も変わっていないのが嬉しくもあり懐かしくもあり、久しぶりに会う顔もあれば、はじめましての顔もあり、誰とでもすぐに仲良くなれるのが格闘技のいいところだよね。マーシャルアーツコミュニケーション。


セミナーというか練習会というかみんなで汗を流す。

10年ぶりにグラアカでニンジャチョークをレクチャー。
はい。私これしかできません。

平野くんの言葉「俺と勝村さんの関係が、下の世代の繋がりになってどんどん広がっていけばいい」
ホントそうだよね。なんとなく出会って仲良くなった俺たちだから、みんなもなんとなく繋がっていけばいい。格闘技なんて最高のコミュニケーションツールがあるんだから。
と、言いつつ、俺は大人のチカラを見せつけるために小学生2人とスパーリング。

2人同時三角絞めという必殺技を見舞おうとするも
2人同時腕十字という技を受けてしまい敢え無く敗北。。。

と思いきや、写真で知ったけど、後ろから手伝ってるヤツがいるじゃねーか!許さねえ。

こんな笑顔見せやがって!
つーわけで、無事に練習会終了。楽しくやれるのが一番だね。

盛一郎とか壮吉がインスタで昔の集合写真とか上げてるから見てみてよ。
ひさしぶりにたくさん文章書いたら疲れちゃった。
あとは飲んでくだらない話しただけ。




この絵懐かしいね。松井先生ありがとね。
というわけで9月くらいにまた行こうと思います!
次回はちゃんと食らうために当時の話をできる人に話してもらったりするのと、ニコニコもねセミナーじゃなくて試合しましょう。
日程は未定だけど、今から行きたい人はアピールしといてください。
俺は続けるよ。繋げる。
うんこ。
勝手に自分で決めて自分で行き始めただけ。ちょっと必要以上にまわりを巻き込んでるけど。
今回も3月11日になって、TVやニュースで「あれから15年」的な報道を見て、つい釜石の仲間に連絡してしまっただけ。盛一郎の試合が流れたこともあって、気分転換も必要だと感じていたから「行くか」って。
盛一郎と俺で日程決めて、平野くんに連絡、「毎回そんな一週間前に行くって言われても困る」と言いながらも、きっと何とかしてくれるでしょっていう、自分勝手なときに使う信頼関係という言葉で片づける。
そんで百湖は強制連行、上原は自分から「行きたいです」って言ってくれて、それを伝えた翌日にはこんな画像を作ってくれるという「ありがた迷惑」のお互い様。

ここでよくわかってない人に説明
・俺が震災2週間後初めて被災地へ行ったときらへんのブログ
興味ある人はこの辺のときのブログ前後読んでほしいです。
自分で昨日の夜中に読み始めてウルウルしてました。笑
・ニコニコ東北とは
・勝村、平野仁との初めての出会い
そんな感じ。
というわけで、3月21日の深夜というか早朝に出発。

行きも帰りも、盛一郎と百湖は気持ちいいくらいよく寝てた。寝る子は育つしよく食べる。
4人で行くつもりが前日になって、壮吉、小宮、島田の3人も追加でGOが決まるという相変わらずのドタバタぶり。

島田って誰?

出発から6時間半、あと1時間ちょいで目的地っていうタイミングで「すみません、酔い止め飲むの忘れたのでサービスエリア寄ってもらっていいですか?」って言いだすタイプの人間が島田。
そんな感じで、深夜テンションと楽しい仲間とのドライブで浮かれ気味だったところに、平野くんから「早く着きそうなら一本松でも見てくれば」と連絡。
10数年ぶりの「奇跡の一本松」へ。

大津波に耐え奇跡的に残った一本松、翌年に枯死が確認されたけど保存を望む声から現在はモニュメントとして同じ場所に立っている。
まあ、感じ方は人それぞれ。
笑顔でピースで記念撮影する人がいてもそれも人それぞれ。
そしてその隣にある東日本大震災津波伝承館という、当時の写真や映像、その後の検証などが集められた資料館、そこを覗くくらいの気持ちで入ると当時の記憶が蘇って(もちろん当事者ではないけれど)、涙があふれ1時間以上見入ってしまった。
見入ったというか、僕らは「食らう」という言葉で表現したんだけど、うん、食らった。
もう東北から離れた関東で暮らす身としては、震災は過去のもの。被災地である東北の人たちだって、前を向いて歩き始めた日から過去のものではあるのだろうけど、それでも俺らとは受け止め方が全然違うだろうし、過去のものにしてはいけないという意識が違う。
わかってはいたけど、今回の旅の目的のひとつはこれを食らいに行ったのだ。
この、震災を思い出し、ショックを受け、重い空気になる、これを食らい、そして考え、繋げる。
これができるのは、いまだに東北の仲間と当時から繋がり続けている俺らにできることなのかなと改めて思った。
今回行ったメンバー、盛一郎は当時18歳、ニコニコ東北ツアーは今回含めて全部俺と一緒に行っている。盛一郎は言葉にするのは苦手だけど感じることはできる奴だから、今回行くってなったときに真っ先に百湖とか小宮に声を掛けたんだと思う。釜石に行ったことのない彼らにも、何かを感じて欲しいし、自分たちのやってきたことを伝えたい、そういう思いがあったんだと思う。
それから上原平、7年前はまだジムに入りたてだったんじゃないかな。それでも付いてきて当時の釜石を見て、人と触れて、何かを感じたからこのタイミングでまた来たくなったのかな。資料館を出たあと何も言えなくなりましたねっていう言葉がアイツらしかったな。
それから壮吉。
壮吉は岩手出身でさ、9年前に釜石のグラアカで俺らがセミナーやったときは岩手側からセミナーに参加してたんだ。そこから交流するようになって、いつの間にか横浜に住みついて、格闘技でプロになって、今回はグランドスラムとして、関東から一緒に行くっていう壮吉にしかできない人生。

そんな感じの7人で、陸前高田をあとにして釜石に到着。
片桐さんの美容室VIVAへ。(片桐さんのことは昔どっかで書いてるから読んでね)
片桐さん、平野くん、片山先生と合流。
「おかえり」と言ってくれる仲間がいるってありがたいな。
平野くんに言われて昼飯を食べて気分転換。
また時間があるからと、鵜住居の「いのちをつなぐ未来館」へ連れていかれ、また食らう。。。
釜石祈りのパークで片桐さんの奥さんに手を合わせる。
トモスのところで片山先生が話していた青年は、震災当時小学校1年生で裏の山をみんなで登って津波から逃げた体験をしているんだって。ゆっくり話を聞けたら良かったな。俺らは年に何回もボランティア兼ねて行ってた頃はたくさん話を聞いてきたけど、今回初めて行ったメンバーはわけわからないところもあっただろうから、次行くときはまた当時の話を聞ける場を作りたいな。

そして砂辺光久が寄付した遊具が置いてある公園へ。
もう何年も前だけど、自分のファイトマネーやスポンサーさんから集めたお金でこんなことをするファイターもいるんだ。そんな仲間がいることも俺の自慢。
そして長旅の疲れと食らいまくったダメージでホテルでのんびりしたいところを有無を言わさずジムに連れて行くのが釜石流。
数年ぶりのグラアカへ。

何も変わっていないのが嬉しくもあり懐かしくもあり、久しぶりに会う顔もあれば、はじめましての顔もあり、誰とでもすぐに仲良くなれるのが格闘技のいいところだよね。マーシャルアーツコミュニケーション。


セミナーというか練習会というかみんなで汗を流す。

10年ぶりにグラアカでニンジャチョークをレクチャー。
はい。私これしかできません。

平野くんの言葉「俺と勝村さんの関係が、下の世代の繋がりになってどんどん広がっていけばいい」
ホントそうだよね。なんとなく出会って仲良くなった俺たちだから、みんなもなんとなく繋がっていけばいい。格闘技なんて最高のコミュニケーションツールがあるんだから。
と、言いつつ、俺は大人のチカラを見せつけるために小学生2人とスパーリング。

2人同時三角絞めという必殺技を見舞おうとするも
2人同時腕十字という技を受けてしまい敢え無く敗北。。。

と思いきや、写真で知ったけど、後ろから手伝ってるヤツがいるじゃねーか!許さねえ。

こんな笑顔見せやがって!
つーわけで、無事に練習会終了。楽しくやれるのが一番だね。

盛一郎とか壮吉がインスタで昔の集合写真とか上げてるから見てみてよ。
ひさしぶりにたくさん文章書いたら疲れちゃった。
あとは飲んでくだらない話しただけ。




この絵懐かしいね。松井先生ありがとね。
というわけで9月くらいにまた行こうと思います!
次回はちゃんと食らうために当時の話をできる人に話してもらったりするのと、ニコニコもねセミナーじゃなくて試合しましょう。
日程は未定だけど、今から行きたい人はアピールしといてください。
俺は続けるよ。繋げる。
うんこ。





































