“グランドスラム”勝村周一朗 official BLOG

2009年09月

福祉とか 2

また長くなります。パスの人はパスで。

最初に僕は自分のことなんてできた人間だと思ってないし、偉そうに言ってるつもりではありません。

仕事をしてた頃も言ってたけど(テレビのインタビューでは毎回使われなかったけど)、自分が悪いことしてきたし、今も好き勝手やってる。たくさん迷惑かけてきたからせめてプラマイゼロくらいには戻したくて、偽善と言われても良いことをやってみようとしていた。

今だって仕事は手抜きだし、酔っ払ったのをいいことに無茶苦茶なこともしてる。

所詮そんな人間の言うことだから気を悪くしないで読んでほしい。




たくさんコメントがきててさらに考えさせられた。


昨日はある学校の先生からブログの内容を授業で紹介させて欲しいとメールがきた。

なんでも今は福祉関係の授業をしていて、目の見えない人のために何ができるかということをやってるらしい。


これもこないだの講演で話したことなのだが、最近は連絡も取ってないけど僕には目の見えない先輩がいる。

視覚障がい者の知り合いはその人だけなので、その人が特別なのかみんなそうなのかはわからないのだけれども、彼といて何度も驚かされたことがある。

例えば、駅やコンビニなどで小銭を出すときにポケットからじゃらじゃらと「はい、いくらね。」という感じでピッタリ出してしまうのだ。

重さと触った感覚なのか、いとも簡単にやってのけるので僕らは「ホントは見えてるんでしょ!?」と笑ってしまう。

他にも、初めてうちに遊びに来たときは飲んだ帰りだったのだが杖で確認しながら「ここは階段何段?」とか聞いたり、トイレの場所を確認したりしてただけど、二回目に来たときは「玄関の階段は3段でしょ。」と言いながらあっさり入ったり、「トイレ行く。」と言って一人で行けたり。俺なんか目が見えてても人んちのトイレの場所覚えられなかったりするのに・・・。

その人は10歳くらいで見えなくなったって言ったから、まあ人によって差はあるのだろうだけれど、見えない人はその分、というかどうしても必要な力が見える人とは違ってくるからいろんな感覚が研ぎ澄まされてくるんだろうなと感心したのを覚えてる。

例えば、ある日目が見えなくなったら困ることだらけなんだろうけど、生活していくうちに見に付けていくこともたくさんあるんだと思う。だから決してある日見えなくなったときの感覚が一生続くわけではない。


そんな話を例えに、いっときよくあった○○体験というものを批判させてもらった。車椅子体験だとか、錘をつけての老人体験、目隠ししての盲人体験、、、今言ったことがわかってもらえればいかに無駄なことかと。

目隠しして歩いたところで、それは見える人が目を隠して歩いただけにすぎない。そんなことをして見えない人の気持ちをわかりましょうなんて失礼甚だしいと思う。

それ自体が差別につながらないだろうか?

「自分たちは健康ですよ。健常者ですよ。かわいそうな人の気持ちをわかってあげましょう。みんな平等ですよ。」そんなことを言いたいのかと思ってしまう。(ひねくれすぎ?)

平等なら、それが差別でないなら、逆はあり得るのだろうか?

見えない人に『見える人体験』はできるのか?『健常者体験』はできるのだろうか?

できるわけがない。

違いは違いでいい。

そんなことしないで分かり合う方法はないのだろうか。

そういうことをするから余計に線引きをしてしまうのではないだろうか。



今書いたことも講演でしゃべった。

そのメールをくれた先生にもこの話をしようと思ってた。

そしたら、またタイムリーなことに、見事に今日も僕の行ってる小学校でアイマスクをして歩いて『見えない体験』をしているクラスがあった・・・。


その授業が明日以降どう繋がっていくのかはわからない。


そして、メールをくれた先生のクラスの生徒は「点字案内板やエレベーターが増えたらいい」「点字ブロックの上の自転車をどかしてあげたい」とそういう意見がでてきてるという。

やっぱり「目の不自由な人のためには便利な物や施設が大切だ」という流れにどうしてもなっていくという。

たぶんそうだろうと思う。

そうやって、『かわいそうな人たち』の気持ちがわかった気になって、便利であろう物や施設を作って安心する。


安心するのは誰?


便利な物があれば、安心できるのは自分なのじゃないだろうか。

『かわいそうな人たち』と関わらなくてすむから。

こんな言い方は極端すぎるけど、そういう便利な物があれば困っている人はそれがあるから大丈夫でしょ、と無関心な人は無関心なまま何も知らないで何もしないですむ。


もちろん便利な物を作るなと言いたいわけじゃなくて、順序が逆なんじゃないかと思っている。


生活の中にいろんな人がいるのが当たり前になって、みんなが困っている人のことを自然に助け合えるような『心のバリアフリー』ができてから、それでも足りない物質的なバリアフリーができていくべきだと思う。




長い?


勢いでもうちょい書いちゃうよ。



やっぱり日本では障がい者は特別視されてしまっている。

俺も街で困ってそうな人をみても、「どうしよう、声掛けてなんか手伝おうかな」とか思っても「でも、大丈夫だろう、きっと」とか言い訳探してその時間を過ぎやることがある。

須藤さんも言ってたけど、小さい子が例えば足のない人を見ても親が「見ちゃいけません」「指さしちゃいけません」と言うでしょ。

そんなこと言わないで聞きに行かせりゃいいんだって。どうしたんですかって。

もしかしたら嫌な顔する人もいるかもしれないけど、「これは生まれつきなんだよ」とか「事故でね」とか言って説明したら納得するでしょ。

それを、かわいそうな人扱いするから、「見ちゃいけない」から「関わらなくていい」に変わって無関心が増えちゃうんじゃないかな。

だから逆に障がい者もどんどん街にでれば良い、街に出やすいようにするのが須藤さんの仕事なわけで。。。NEXTIDEVOLUTION


やっぱ無関心じゃいけない。


だから福祉に興味がない人も読んでるであろうこのブログでこういうこと書くのも少しは意味があるのかなと勝手に思ってます。


もうちょっと書きたいことあるけど疲れたからまた今度。。。

明日はきっと楽しいこと書きます。





はた

4fc45ec9.jpg昨日は真面目なこと書いちゃったんで今日はいつも通り。。。



あ、コメントはちゃんと考えてから返すんでちょっと待ってください。




で、今日は酔っ払いなんで。


来週、所さんの試合です。


そんで、出合さんプレゼンツで旗にみんなでメッセージ書いたんですけど、BJが書きました。



「金借せ!」






僕は言いました。



「BJ、貸せって字ちがうよ。」






BJ言いました。




「かえせですよ。」








僕「かえせだったらもっと違うよ。」






BJ「あ…。」










こんなblogも好きですか?

福祉とか

真面目な話をダラダラ書くんで、面倒な人は飛ばしてください。

昨日はいい経験をした。

俺は福祉の現場から離れて久しい。まあクビみたいなもんだったんだけど。

働きながらいろいろなことに失望してた。

当時のブログでも自分の思いを書いていたけど、ブログを再開してからはそういったこととか、ホントの本音とかは書かないことにしてた。


でも昨日ちょっとだけ気持ちが変わったかも。


東京福祉専門学校に行って、学生たちを見たり話したり、講演したりして。

まだ、俺にもできることはあるんじゃねーかって思った。



あ、関係ないけど、昨日の講演の最後に言おうか迷って言わなかったこと。

福祉、福祉ってあんまり勉強ばっかしないでください。結局人間相手の仕事だから、勉強することも必要だけど人間の幅を広げたり深めたりすることがよっぽど大切なんじゃないかって思います。いろんな角度や視野で物事を捉えられるように、勉強疎かにしてもいろんな経験をしてみてください。

先生もいっぱいいたから勉強するなとは言えなかったんだけど。





それから、俺ともう一人講演してたNextidevolution須藤シンジさんの話を聞いて感動した。

久しぶりに、スゲー!って思う人に会った。


簡単に須藤さんのことを俺なりの解釈で話すと(俺なりの解釈だからね・・・)

14年前に生まれた次男が脳性麻痺だったことで福祉の当事者となった。

障がい者は世間からは区別されてるし、福祉というものはダサいというイメージを感じる。

それをファッションを通じて変えていきたい、というのが須藤さんの考え。

ファッションを通じれば福祉に興味のない若者を巻き込むことができる。

足の不自由な人のために開発された靴がカッコ良すぎれば、一般の人も欲しくなる、それを買うことがその人の入り口になるかもしれない。そんな発想でNEXTIDEってブランドの作った洋服やグッズを福祉用品としてじゃなく、ファッション用品としてアローズやBEAMSなんかに卸しちゃって世間にアピールしてる人。

あってるかな? うまく言えてなかったらごめんなさい。

須藤さんの話ですっごい共感ができたのが、よく駅の階段で車椅子の人がみんなに注目される中、駅員さんに囲まれて大掛かりな装置でピコーンピコーンって運ばれてるじゃん? 俺アレが見ててなんか嫌でさ。 したら、須藤さんもあれは特別扱いってか「区別」だから嫌だって言ってて。

あんな扱いされたら余計に車椅子の人は出かけにくくなるんじゃないかって。

福祉の進んでるヨーロッパのどっかの国に行ったときは車椅子のおばあちゃんが、一人で出かけててさ、福祉が進んでるっつっても道はデコボコだし、バスもなんとかステップバスとかじゃないんだって。でもバスに乗るときとか普通に居合わせた乗客が降りてきて当たり前のようにその車椅子のおばあちゃんを持ち上げて乗せちゃうんだって。バリアフリーなんて設備がなくても、「心のバリアフリー」があればそんなの簡単だよねって話してた。


そんで、これは俺が講演で話した話なんだけど、車椅子のヤツが階段の横にスロープを設置するのを反対してたんだ。スロープ作ろうとしてるヤツからしたら「お前ら便利になるからいいじゃねーか」って話だよね。でもその反対してる変わった車椅子の言い分は「健常者は階段、障害者はスロープってはじかれてるみたいだ。この階段は時間がかかっても持ち上げてくれる人がいれば上れる。そうやていろんな人とふれあう機会をなくさないでくれ」って。


よかれと思ってやってることでも、一方ではさらなる差別とか隔離を生んじゃってるってことって結構あるんじゃないかな。。。



なんか俺はそういうことを、これから真面目に福祉に取り組む人たちに言ってみたかったんだ。そしたら同じようなことを言ってる人がいてちょっと安心した。

他にもいろいろ話したし、今もここに書きたいこともあるんだけどめんどくさくなってきたんでまた今度。


そんなきっかけをもらって、俺もまたできることをやってみようかなって考えてたんだ。





なんだけど、今日仕事で学校行ったらさ、6年生の授業で『ユニバーサルデザインを考えよう』ってのをやってて、街の中のバリアフリーなところを探しに行って、他にもなにかみんなの生活がより便利になるように作れるところはないか考えてみよう、って感じで。

ああ、日本はなかなか変わんないのかなって思っちゃったとこでした。


須藤さんの「心のバリアフリー」って言葉が響いてます。


わくわく

b25e7dd4.jpgわくわく福祉フェアに行ったらオバマさんがいて写真撮ってもらいました。




わくわく





講演もしました。



途中までは下書きしてあったんで無事でしたが、最後はグダグダになっちゃいました。


難しいですな。


次はニコニコ格闘技セミナーでお願いします。



あ、横浜から冷やかしに来てくれたら岩田てっちゃんありがとう。。。

極悪コンビ

56528430.jpg左・中村まーや
なんかこないだのゼストのジェネシスなんとかトーナメントで優勝してました。

最近調子に乗ってるので懲らしめてやろうかと思っていたら今日ギロチンで落とされました。

こわいです。

最近は口癖のように「エメルソンとやりたい、エメルソンとやりたい」と言ってます。

がんばってください。





右・稲津航

今日もさんざん蹴られまくりました。

ひどいです。

なんかの雑誌に草食系って書かれてました。

ウソですね。

完全に肉食です。生肉しか食わないんじゃないでしょうか。

こないだのZSTのとき、稲津くんのセコンドする会場入り前にちょっとビール飲んだだけでとても怒ってました。

「こないだの試合で勝てなかったのは2割は減量失敗ですけど、8割は勝村さんのセコンドのせいです。」って言ってます。

・・・。

絶対に次の僕の試合のセコンドは稲津くんにやってもらおうと思います。



稲津くんがセコンドについてくれたら勝てるんだろうなぁ。








勝村周一朗
SHUICHIRO KATSUMURA
第6代 修斗世界フェザー級王者

出身:神奈川県横浜市出身   
身長体重:172cm/62kg
生年月日:1976年6月17日生
所属:リバーサルジム横浜グランドスラム



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