久しぶりに戻ったかぶき町に近づくにつれ、
あちらこちらから上がる活気の良い声と金槌で釘を叩く音が耳に入ってくる。
屋根に飛び上がって見下ろすと、漸く終わった戦いで修復不可能かと思うほど大きな傷跡を残していたこの町も 
あの戦を経てより一層固くなった町の人達の団結もあってか、 
想像以上に早く元に戻りつつあるのが目に入る。 
この分では、あの戦いなど初めからなかったかのように修復するのも時間の問題だった。 
 
見上げた空は雲一つなく、どこまでも高い。
茹だるように暑かった夏も、もうすぐ終わりだと感じる。
春が来て、秋が来て、いつの間にか季節は廻っていく。
どれほどのものをなくしたとしても、
世界の理は残酷な程に何も変わらず、ただ前に進んでいってしまう。

たくさんのことがあって、たくさんのものをなくした。
それが人の世といってしまえばそれだけのことだけれど、
あったことを消すことはできないし、
なくしたものを取り戻すこともできない。
ただ時間は止まることなく進み、進んだ分だけ記憶を薄めていく。

いつかこの痛みが、消えて無くなってしまう日がくるんだろうか…

そんなことを考えていたら、いつの間にか涙が頬を伝っていた。
この頃はほんの少しのことでも簡単に涙が出てきて困る。
慌てて眼鏡を上げて掌で頬を拭っていると、視界の端によく知っている銀髪が入った。

一瞬、躊躇って。けれど思い切って口を開いてみる。

「銀さああああああん」

自分でも思っていた以上に大きな声が出て、少しだけ安心する。
叫びながら屋根を飛び降りて、その勢いのまま銀さんの腰に抱きついたら、
「よォさっちゃん久しぶり」と優しい声が返ってきた。
そして、まるで労わる様な手がぽんと頭に乗せられる。

銀さんは、優しい。
戦いが終わって生き延びた皆が喜びを噛み締める中、
黙って姿を消して以来なのに、理由も聞かず、ただ黙って受け入れてくれる。 
その優しさが染みて、体中を伝っていくから、 
拭ったはずの涙が、また頬を伝わってぽたぽたと地面に落ちる。
肩を震わせて静かに泣く私の頭を、銀さんは暫くの間ずっと撫でてくれた。
慰めの言葉を口にするわけでもなく、ただそっと撫でてくれた。

「突然ごめんね、銀さん。ありがと」 

名残惜しかったけれど、そうお礼を言いながら腰に回していた手を離す。 

「突然なんてのはお前の代名詞だろ?ストーカーさんよ。
それよりさっちゃんさ、後でで構わねェからちゃんと万事屋に寄れよ? 
 じゃねェと、なんで引っ張ってこなかっだんだって銀さんが神楽や新八に怒鳴られちまうからな。 
 いいか?文句言われんのは俺だからな。頼むぜ」 

頭を掻きながら銀さんはやる気のなさそうな、 
だけど漸く止まった涙が再び溢れるほど優しい声でそう言って、万事屋の方に戻って行った。 
その背中を見送ったあと、久しぶりにあの場所を目指す。 

無駄に大きな門構えに服部の文字。
門をくぐればすぐに立派な母屋が見え、鍵のかかっていないその扉を開けると広い玄関がある。
靴を脱いで上がると、何度も通っているから勝手知ったる廊下を渡り、
アイツが家に居る時は大抵そこで寝転がってジャンプを読んでいる筈の部屋に向かった。

襖を開けると、綺麗に整理整頓されたその懐かしい風景に胸が詰まる。

発売日順に綺麗にジャンプがそろえてある棚。
輪をこちらに向けて几帳面に積んである座布団。
リモコンが並んで揃えて置かれているテレビ台。

だけどやっぱり私が見知った部屋とどうしたって違うのは、住んでいるはずの人間の気配がしないからだった。

将軍様が暗殺された後、ここに来たのは今回が二回目で、思い返せば最初にここに来た時にはもうこんな風に整頓されていたから、違いといえばありとあらゆるところに埃が薄く積もっていることくらいで、あの時から既に一切の気配は消し去られていた。

勿論、冷蔵庫の中には何もなかったし、ゴミもすべて捨ててあった。 
元々綺麗好きな男ではあったけれど、
どの部屋も本当にここに直前まで人が住んでいたことがあるか疑わしくなるほどの整頓具合で、
帰ることなどできないのだとわかっていたであろう、その覚悟が見て取れた。

どんな気持ちで今まで住んでいた家を片付けたのか、私にはわからない。
わからないから、ただ悔いるしかない。
幼い頃から共に過ごしたあの男の覚悟をまったく予見することができずに、私はアイツを一人で行かせてしまったのだ。

唇を噛むと同時に、また涙が溢れた。

この家に来るのは辛い。
否応なしにあの男を失った事実を突きつけられるし、淡々とした覚悟が突き刺さる。

けれど、来ずにはいられなかった。
記憶は薄れ、薄れるに連れて痛みが消える。
それが、今は一番恐ろしい。
忘れたくなんてなかった。痛くても苦しくても、覚えていたかった。

でも、まるでそれを拒むように、この家には痕跡が残されていないのだ。 
今はもういない後ろ姿が「早く忘れろバーカ」と言っているような気がして、
涙がぽろぽろと顎を伝って畳に落ちた。


彼が死んでしまった世界を生きる彼女の話 


全蔵は、アイツの目論んでいた「将軍を暗殺した天下の大罪人」としてではなく、「御庭番衆の頭として将軍を守るために」命を落とした。つまりそれは、全蔵の当初の思惑である、茂茂様の死を偽装することが失敗したということだから、きっと後の歴史書には名誉の死なんて残ることになるだろうけれど、全蔵自身はそんなものを望んでいないに違いなかった。

伊賀での戦を生き延びた将軍様は京に赴くこととなり、比較的怪我の浅かった私は松平公と共に護衛として同行した。
けれど結局私は全蔵の命を賭した願いすら、継いであげることができなかった。

その後、かぶき町に集結した宇宙の三大傭兵部隊との闘いに、
本来であれば頭として参戦したであろう全蔵の代わりに御庭番を率いた。
江戸は辛くも歴史上最大の危機を乗り越え、
それを見届けてから私は伊賀に向い、百地の元に身を寄せた。
生き延びたかぶき町の熱と明るさに、耐えることができないような気がしたから。

三大上忍の一つである百地は快く私を置いてくれた。
三大上忍といっても、残ったのはもう百地だけだけれど。

百地は彼女が知る限りの、春雨が伊賀の里にやってきてコンタクトを取り始めてから一人で将軍暗殺を計画を実行するまでの、私が知らなかった全蔵の話を聞かせてくれた。
百地の語る全蔵は新鮮で、そんなに前から明確に死を覚悟していたのかと思ったら、余計に胸が詰まった。

百地と話したのは、勿論過去のことだけではない。これから戦う能力が必要のない世界がくるにあたってどう生きるべきかを話し合いもした。
例えば先祖代々伝わる薬の知識を活かすことや、
火薬の知識を用いてからくりの動力を開発するなど、
流石に伊賀の里を纏めてきた党首だけあって、
柔軟で、かつ決して浮ついていない百地の言葉に、私も素直に耳を傾けることができた。 

ただ一つ、百地の提言に首を振ったことがあった。
それは、頭を失い最後の血筋をなくした服部家に代わり、江戸の御庭番衆を率いる筆頭を務めたらどうかと言われた時だった。
もしそれがあの男の遺言なら、それに縛られるのも悪くないとは思うけれど、全蔵はそんなことを望んでいないと思った。
首を振った私に、百地はそれ以上何も言わなかった。


あれから好きとは言い難い掃除をなんとか終え、全蔵の家の埃を綺麗に拭き取った後、万事屋に寄って久しぶりに神楽ちゃんや新八君と話した。
泊まってもいいと言ってくれた神楽ちゃんと、後ろから「ここ俺んちだから」「お前ナニ勝手に決めちゃってくれてるわけ?」なんて茶々を入れながら、それでも断りはしないでくれた銀さんにお礼を言って、一応かぶき町にまだ残していた自宅に帰ってきた。

思い返せば、いつの間にか銀さんを追いかけることもやめてしまっていた。
面と向かっては何も言わなかったけれど、銀さんは多分色々と察してくれていたのだろうと思う。

今日久しぶりに会って、いつも通りの優しい銀さんで本当に嬉しかったけれど、でもやっぱり、もう昔みたいに追いかけたいとは思えなかった。
ただ、あの頃の幸せな日々を懐かしく思い出す。

伊賀での戦いの中で生きて帰りたいと願った日常に、たった一人の男がいないだけなのに。
そのたった一人がこんなにも大切だったのだと、どうしてあの時の私はわからなかったのだろう。

暫くぶりの少し埃っぽい布団に潜り込んで、カーテンのない窓を見上げたら、見事な満月が視界に入る。

その途端。
ここ最近感じることのなかった眠気に襲われた。

全蔵を失ってからずっと、夜は私にとって苦痛な時間だった。眠ろうと目を瞑ったところで、全蔵が四方八方から刀を突き立てられ、ゆっくりと倒れる場面が脳裏で何度も再生されるだけ。届かなかった私の手が漸く全蔵を抱き上げた時には、既に穏やかな顔で絶命した後だった。

どうしてあの時、もっと全力で走らなかったんだろう。
あと数秒早ければ、もしかしたら間に合っていたかもしれないのに。
後悔して懺悔して、泣いて泣いて、そして気を失うようにいつの間にか朝を迎えるということをずっと繰り返していた。

それなのに、この深い眠気はいったいなんだろう。
もしかしたらこの月のせいかもしれないと、ふと思う。

生きた全蔵と最後に会った日が、思い返せばこんな風に明るい満月の夜だった気がする。

段々と霞んでゆく意識の中で。
体がまるで沈んでいくように、ゆっくりと落ちていくのを感じる。 
このままずっとずっと落ちていったら。
もしかしてアンタのところに行けるかしら… 



感覚にして、意識を失ってから僅か数秒。

目が覚めると。
視界に入ったのは、見たこともない部屋の風景だった。