[1:FMW編]http://blog.livedoor.jp/zubunuretiwawa/archives/662612.html
[3:みちプロ編]http://blog.livedoor.jp/zubunuretiwawa/archives/662616.html
[4:UWF編]http://blog.livedoor.jp/zubunuretiwawa/archives/662621.html



 ハイハイ、第二回です。

 今回はバブルが産んだ怪物、SWSの系譜をザッと書いてみます。
 90年当時はまだ全日本プロレス・新日本プロレス・UWFのメジャー三団体時代(前年に旗揚げしたFMWはまだデスマッチを行っておらず、波に乗ってなかった)でしたが、そこへ! 金を持て余したメガネスーパーが、有名選手を引き抜いて新団体を作っちゃうんですね~。
 後で考えると、選手のギャラだけでなくケガの保障なども含めて、SWSはかなり先進的な取り組みをしていたのですけど、当時はプロレスファンの多くを敵に回してしまい、結果として離合集散の引き金を引いてしまうんですね。

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■  SWSによる系譜 ■

 90年のバブル絶頂期、メガネスーパー(の田中社長)が巨額を投じ、主に全日本プロレスから選手をゴッソリ引き抜いて設立したのが【SWS】。
 しかし週刊プロレス誌上でのネガティブキャンペーン(馬場全日本のシンパであるターザン山本が「金権プロレス」とまで評した)や選手間の軋轢により2年 で崩壊。92年以降、主に二つに分派。
 なお、このSWS騒動により看板選手の天龍と多くの中堅選手を失い、窮地に陥った全日プロを支えたのが、三沢・川田・小橋・菊地の結成した「超世代軍」 ブームです。
(この時、天龍だけは契約の終了を馬場さんに確認していたため、キチンと筋を通した格好ですが、それ以外の中堅選手達は本当に契約途中で移籍したため、これが余計にイメージを悪化させました)

 SWS非主流派の高野兄弟とケンドーナガサキが興したのが【NOW】。
 しかし高野兄弟はプレ旗揚げ戦のみで離脱し、翌93年に【PWC】を旗揚げ。どちらもあまりインパクトを残せないまま休止。

 ここに参加していた谷津が94年に興したのが北関東を拠点にした、社会人プロレスリング連盟【SPWF】。
 学生プロレス出身者や社会人レスラーなどにも門戸を開いてユニークな選手を発掘しますが、やはり目玉が少なく、谷津は新日プロに出戻り参戦する様にな り、不協和音からスタッフや選手が離脱します(後述の夢ファク)。 また未成年の女子大生レスラーが所属選手とデキ婚どころか、妊娠を知りながらリングに上がっていた問題などでファン離れを起こして下降。
 03年に谷津が離脱し、長州の【WJプロレス】に参加してからはほぼ活動休止状態。

 そのSPWFから離脱した選手達が95年に興したのが【レッスル夢ファクトリー】。
 円谷プロ公認で仮面天使ロゼッタをリングデビューさせたりしました。しかしスポンサー撤退や大型新人の福田雅一の新日プロ移籍(00年4月、ヤングライ オン杯で柴田との試合中の事故で他界)で01年に休止、【プロレスリングナイトメア】にリニューアルしますが、これもすぐ活動休止。

 話はSWS崩壊時の92年に戻ります。
 SWS天龍派(主流派)が旗揚げした事実上のSWS後継団体が【WAR】…そう、レスリング・アンド・ロマンス!
(SWS→WARの流れは当時は「インディー」ではなく「メジャー」とされていましたが、後年になって全日に復帰した天龍は「インディーをバカにする な!」と言っていました)

 最大手の新日本プロレスとの「死に場所を求めた」全面対抗戦や、早過ぎたエンタメ路線の導入(冬木が報道陣を呼び出し、社長室から出てきた天龍にバケツ の水を浴びせて逃げる。天龍の義弟である武井社長をリングに上げて試合させる、など)で人気を博しながらも、プロレス団体乱立の中で経営悪化。98年に全選手を解雇し、道場も閉鎖してプロレス「団体」から「興行会社」にシフトチェンジ。それも00年中に休止。
 しかし余力(人気)のある内に終了させた事で、「WAR」はブランドイメージを残す事に成功します。

 WARのエンタメ路線の主役でもあった冬木は96年にWARから離脱し、子分の邪道・外道らと【冬木軍プロモーション】として自主興行を打ったりしなが ら、後に新生FMWに合流しますが、99年には冬木を追って天龍がFMWに(ハヤブサの兄として)登場し、かつて袂を分かった冬木との遺恨マッチを行いま す。00年には天龍VS冬木の決着戦を阿修羅原がレフェリーを務めるという「WAR再会マッチ」も行いました。
 さらに天龍は同00年、三沢派の離脱で窮地に陥った全日本プロレスに再入団しますが、01年に残党選手を呼び込んで「WAR軍」を結成し、低迷続く全日プロ内部に喝!を入れます。武道館での「全日本プロレス vs WAR軍 5対5シングルマッチ」、サイコーでした…。
(ブッチャー様が国内シングル戦で敗北したのは、この日の安生さん戦が最後だったと思う…)

 そしてWARは06年、約6年ぶりにワンナイトで一回だけ復活し、「WARファイナル」を宣言して正式なエンディングを迎えます。(ドラゴンゲート協力で)
 消滅はしましたが、早目に全選手解雇や活動休止をしたため、大事には至らず、多くのファンのメモリーに良いイメージで残す事ができた…と言えます。
(なおメガネスーパーはSWS崩壊時にプロレス界から撤退を始めており、上記のWARとNOWの2団体にはあくまで「期限付き援助」が行われていた)
現在でもWARが作ったIJジュニアヘビー王座やWAR6人タッグ王座が復活したり、還暦を迎えた天龍による【天龍プロジェクト】大会でも、WARブラ ンドを想起させる試合が組まれています。



 さて時間を遡って、94年にWARを離脱したグレート子鹿(全日からSWSに引き抜かれていた流れ)が興したのが【大日本プロレス】。
 貧乏を隠さず、道場も寮も最低限(最底辺?)しか揃えず、しかしW☆INGやFMWから離脱したミスターポーゴ、松永光弘、中牧昭二らを加入させ、オリ ジナリティあるデスマッチ(蛍光灯デスマッチ・サボテンデスマッチ・ピラニアデスマッチなど)を連発し、企画力で現在もしぶとく生き残っております。
  90年代に超メジャー団体の新日プロと対抗戦をして、潰されずに生き残った団体は大日本だけです。…規模が小さ過ぎて、潰す対象にならなかったんじゃないかって気もしますが。
 そして昨年の東スポ「プロレス大賞ベストバウト部門」には、ついに大日本から「葛西VS伊東 カミソリ十字架ボード+αデスマッチ」が選出されたのも記憶に新しいですね。

 また同じく94年、WARから離脱した石川敬士と相撲軍団(初代の嵐=大黒坊弁慶など)が興したのが【東京プロレス】(猪木が60年代に興した東京プロ レスとは全く別)。ブッチャーを全日から引き抜いたり、時価3億円のベルトを創設したりで話題を振りまきました。

 この東京プロレスに冬木軍やターザン後藤一派(旧FMWからの離脱)を加え、「インディー統一機構」としてスタートする予定だったのが【FFF】。しか し、旗揚げ会見やパーティまで行っておきながら大会直前で空中分解。なんと1試合もせず旗揚げ前に崩壊するという、前代未聞の珍事を起こします。

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 前回のFMW編など、多くのインディー団体ってのは「カネ」「人間関係」で離合集散を繰り返す傾向があるのですけど、このSWS系はさらに大掛かりに 「スポンサー」「派閥抗争」で離合集散してますね。やっぱ元メジャー団体の人達の感覚なんでしょうね。本当に理念での旗揚げや分裂をしていたのは、一部のUWF系だけだと思います。
 あと、WARが続かなかった理由の1つは天龍以降の次世代エースが育たなかった事なんだけど、それはつまり、荒谷をエース候補にしちゃったのが間違いだったって事だよなぁ(笑)

 なるべく短くまとめようと思いつつ、やっぱり思い入れも含めて超長文になってしまいました。