January 11, 2008
8-2 Disinfectant
平日の午後と云うこともあり酒場は空いている。
エールを注文し、テーブル席に着いた。
ウエイトレスが実に厭そうな顔で瓶を持って来たので、振り向きざまにデカい尻の割れ目に指を這わせたところ、金属製の盆を縦に振り降ろされ、頭頂部が裂けた。
「あったかい尻だな」
「浮浪者。お掘に落ちて死んだらいいのに」
女はキャップすら剥がさずに立ち去ってしまった。
仕方がないので前歯でこじ開け、一気に七分目ほどあおってから、小さな羊皮紙のメモを広げる。
血が顔に垂れてきて止まらない。
フードをかぶり、頭をグリグリと擦った。
レシピは、異常な読み辛さの金釘文字で記されている。
『素材その一 ピクシーの燐粉』
俺はゲラゲラと笑った。
バーテンとウエイトレスと二名ほど居た労務者らしき客が、一斉にギョッとした顔で俺を見、すぐに顔を逸らす。
意味が分からない。
そんなものを、一体どこに使うと云うのか。
間違いない。細工師は俺をハメるつもりなのだ。
「何がピクシーだあの野郎。コテンパンに惨殺してやる」
俺は席を立つ。
「ギッタギタにしてやる。主に、生殖器官を」
小銭を出そうとローブの内ポケットに手を突っ込んだところ、バーテンがカウンターの向うで空き瓶を逆手に持ち身構えた。
俺はギクリと強張る。
「な、何。何をする気だ、客に」
「――物騒だよ。ここは蛇島じゃない。ガードに目を付けられたいのかい」
労務者の一人が首を振る。
聞き馴染んだ声である。
よく見るとタイジだった。
「うわっ。お前、どうしてここに居るんだ。俺のストーキングか?」
「勘弁してよ。あんたが後から入って来たんじゃないか」
「全然気がつかなかった。店に溶け込みすぎだ、ビックリするだろうが」
「マスターすみません。これは変態ですが、八割方は口だけの男です」
「な、何だと」
何だよお客さんの知り合いかい、などとバーテンが軟化し、瓶を下ろす。
ウエイトレスは盆を握り締めたまま、警戒を解かない。
「タイジ、お前、この店の馴染みだったのか」
「いや。さっき初めて入った」
城の掘に向かって長々と放尿しながら、俺は十回ばかり舌打ちを連打した。
「むかつく店だ。数年来、ブリに来るたび通ってやってるのに。常連を狂人扱いしやがって」
「自分で常連とか云うのはやめなさい。それに、あんたにはTPOってものがないから仕方ない」
「TOP? そう云やTOPってギルドが昔あったんだぜ。今もあるのかな」
「ふむ。耳糞が外耳の中で円筒状に硬化してるんだね」
「お前は何を云っているんだ」
「それで、ピクシーがどうしたの」
「ピクシー。そうだ、ピクシーの燐粉だとか、あの野郎……、クソ……」
小便のキレが物凄く悪い。
陰茎を振るたびにジョビジョビと出る。
病気だろうか。
タイジは呆れ顔でこちらを見ながら、煙草に火をつける。
「……まあ、確かに消毒が必要かも知れないね」
「だッ、誰が汚物だこの野郎!!!」
「いや、案外良いらしいよ。病気になる前に試してみたらいいよ」
「何をだ、お前、畜生、止まらん」
「だから、燐粉だよ。消毒剤」
イルシェナーへのゲートをくぐるたびに、酷い目眩がする。
船酔いに近い感覚だが、何故なのかは分からない。
吐きそうになり、鈍色に輝くアンクのたもとへうずくまる俺の背中を、タイジがゴシゴシと撫でる。
「大丈夫? こりゃ本当に病気かね」
「うんこ。いつものことだ。俺はビョーキじゃない」
「まあ、キレが悪いのは歳のせいだと思うよ」
「誰が中年だこの野郎!!!」
「いや、中年でしょそろそろ。そこは否定できないよ……」
俺はタイジの手を振り払い、荒々しく立ち上がる。
「気が悪い。俺が、まだまだ若いってところを見せてやる」
「大丈夫かね」
「行くぞ。案内しろ」
ピクシーの燐粉とやらが消毒剤として使えるのなら、それは確かに、俺の求めるものに必要な素材かも知れない。
細工師に担がれている可能性はまだ拭えないが、一応のところ採取してみても損はないだろう。
実際、ヘンな病気に罹る事が俺は何よりも怖い。
陰茎は、常に清潔に保ちたい。
そう考え、俺はタイジを連れて昼尚暗い、ピクシーの群生すると云う原生林に侵入した。
zudah at 02:20|Permalink│
January 10, 2008
8-1 Wonderful invention
「――ぼく、ブリテインは初めてなのできんちょうします」
「じきに馴れる」
「すごい、みんな、きれいな服を着ています」
「ケッ。恥ずかしげもなく着飾ってるのは全部田舎者だ」
「――あの、アウツさん、どこへ行くのですか」
「うるせえな。ちょっと用があるんだよ」
「ぼくは、どうすればよいですか? ここで、待っていてもいいですか?」
「いや。一人で裁縫屋でもどこでも行って、一人で帰れ」
「あの、でもぼく、帰り方がわからないのです」
「なるほど。じゃあ連れてきてもらっただけでも感謝しろ」
「――あの、静かにしていますから、一緒に行ってもいいですか?」
「おい!! 俺は一人で帰れと云ってるんだ」
「はい、ごめんなさい」
雑踏の目を盗むように裏路地へ入り、誰かが昨晩ブチまけたゲロ溜まりだのガラクタの詰まった木箱だのをよけながら目当ての店の裏口を目指す。
泥色の壁に張り付いた、ひと一人分の幅もない隙間だらけの木戸である。
二度ノックをしたが返答がないのでもう二度ノックし、二秒待っても物音がしなかったため更に二十回ノックをしたところで中から悲鳴がした。
「わッ、わかったわかった壊れる! 待ってくれ!」
ドアが二インチ程開き、青ちょびたウラナリが顔を覗かせた。
小さなドングリ眼が、小汚い眼鏡の奥でビクついている。
「ああ、アンタか……。半年も来ないから、もう忘れたのかと」
「頼んでおいたものは出来たか」
「いや、それが実は――」
俺は戸口から腕を差し入れ、薄汚いエプロンの裾を引っ掴んだ。
「実はさっき野糞をしたんだが尻を拭いてない。これを貸せ」
「わかったすまない。中へ入ってくれ」
細工師の仕事場は悪趣味なモザイクのように様々の部品が隙間なく積み重ねられ、辛うじて飛び石のようにどうにか人の歩けるスペースが点在しているもののそれも床の上ではなく単に埋もれてしまったと云うだけの扁平型をした部品類らしい。
俺は案内を待たずに奥のデスクへ向かってぴょんぴょんと跳ねた。
「どれだ。どこにある」
「いや、待ってくれ。実はその」
「俺の注文した品はどれだ?」
「その、云い難いんだが、すまない。……まだ、出来てない」
「ああああああああああああああああ!!」
俺は咆哮を上げながらローブの裾を捲くった。
「さっきの糞の続きが今にも」
「違うんだちょっと聞いてくれ、頼むよ!!」
俺は苛立ちを隠そうともせず煙草を吸う。
真っ白になった黒板に更に訳の分からない図を書き込みながら、細工師は講釈を垂れる。
「――ここで生まれた回転運動がここのバルブを緩める。すると内部気圧の減少により外殻が収縮する、ここまではいい。ここまではいいんだ」
「何もよくない。俺はそんな話を聞きに来たんじゃない」
「いや、これがアンタの案なんだよ。図示するとこうなるんだ」
「そんな事は知ったこっちゃない。俺が欲しいのはそんな絵じゃない」
「わかってる。わかってるから、ちょっと聞いてくれ」
細工師の顔面に、プフーッ、と煙を吹きかけた。
ウラナリはゲホゲホとえずき、慌てて身を引きながら尚も説明する。
「このプランは素晴らしい。認める。このブリタニア全土で未だかつて考案された試しのない、画期的発明になる。俺はアンタの鬼才を、現実の形にすべく、協力したいんだよ」
「何が協力だ。取引だろうが。向かいの酒場のウエイトレスの下着七枚に対する正当な報酬だろうが」
「あああッ、あッ、アッ」
細工師の両手の細い指がワキワキと宙を掻き、俺の口を押さえようと伸びて来た。
腹が立ったので、今度はカハーッ、と息を吐きかけてやった。
「――ひッ、えッ? ……ギャッ」
細工師は瞬時キョトンとした顔を浮かべ、続いてその針金めいた体を痙攣と共に硬直させると、横ざまにブッ倒れた。
近くに積み上げられたガラクタが盛大な音を立て、崩れる。
ゼンマイだのバネ板だのがびょんびょん飛ぶ。
「ば、莫迦。そんなに臭くはねえだろ……」
俺は計らずも、またひとつ、心に傷を負う。
「……あのな、俺はついこの間生き返ったばかりで気が立ってるんだ。去年注文した品が未だに出来てない理由を簡潔に、七面倒な絵は抜きで説明しろ。さもなくば今から向かいの店に行って、あのウエイトレスに下着のありかを教える」
「ゲフン。わかった、黒板はやめるよ。落ち着いてくれ。ゲフッ」
しつこく咳き込みながら、青瓢箪はうなづく。
机の上にあった、いつ淹れたものやら定かではないコーヒーをひと口含むと、深呼吸をした。
「……オーケイ。簡潔にまとめる。アンタのアイデアを実現する為には、パーツが必要だ。そしてそれは、とてもじゃないが俺なんかの力でどうこう出来る代物じゃない」
「パーツ?」
「俺なりに最適と思えるもののリストを、まとめておいた。これらが手に入れば、お望みのものはすぐにでも完成する」
細工師はエプロンのポケットを漁る。
螺子だのペンチだの鉛筆だの折り畳んだ似姿絵だのをボロボロと床に落とし、ようやく九つ目のポケットから一枚の羊皮紙を取り出した。
「――お前、あの娘がそんなに好きなのか?」
「アッ、まッ、ううッ」
ウラナリが俺の手から似姿絵を引ったくる。
真っ赤になっている。
「ほっ、ほっといてくれ。彼女は関係ないだろう」
「お前、純情なんだな。気持ち悪いな」
「とにかく、そのレシピを集めてくれ! 細工はそれからだ!」
貧相な腕がグイグイと俺を押す。
散乱するいくつかの部品を踏み壊しながら、戸口に追い立てられた。
「何だ? つまりクエストって事か? 気持ち悪い顔して」
「必要な品は三つだ、精々頑張ってくれ! じゃあな!」
バタン、と鼻先で、小汚いドアが閉まった。
zudah at 21:08|Permalink│
January 09, 2008
7-2 Mongbat
そうですか――。
どうもありがとう。
初めて会った相手を眠るまで隣に置くなんて、普段の彼からは想像がつきません。
きっと父は、喜んでいたのだと思います。
父の眼鏡に適う人は、そう多くありません。
ギルドの中にも数名、いるかいないかと云ったところです。
本当に、君に頼んで良かった。
僕はあまり、音楽に明るくなくてね。
ハハハ。
事務長とは云えバードギルドの役職にある者がこんな事を云っては、問題ですね。
勿論音楽は大好きなのですが専門的な事は何も分かりません。
こう云う所が、父に叱られる部分なのかも知れませんね。
彼は、ギルドの質的向上に、とても熱心な人ですから。
ああ、いいのです。
どうぞ召し上がって下さい。
事前に、あなたの分も予約してあったのです。
お口に合うかどうか分かりませんが、せめてものお礼です。
乾杯を。
「天上の音楽」に。
それにしても、あの迷子の少年は、君の弟さんか何かだったのですか?
ブリテインは初めてだったのでしょうね。
いやあ何、最初は驚きましたが、可愛いものです。
大通りで、ずっと後をついて来るものですから、どうしたのかと訊ねたら
「その服はどこで買ったのですか、それと、ムーンゲートはどこですか」
なんて。ハハハ。
実は僕には、ふたりの兄が居たんです。
どちらも優れたリュート奏者でした。
ですが僕がまだ幼い頃、彼等の母共々、オーク軍の侵攻に巻き込まれて……。
父は、兄達の死に打ちのめされて、しばらくは食事も取れなかったようです。
そのくらい、兄達を大切に思っていたのでしょう。
本当に家族思いな人なのです。
ええ、実は僕は、妾腹の子なんです。
意外ですか。ギルドでは、皆何も云いませんが、周知のところでしてね。
兄達の死から数年後、父は僕の母を後添えとして迎えてくれて、僕を正式に息子として認知してくれました。
それまでも充分な生活は保障してくれていたのです。
母は随分と固辞したそうですが、父がどうしてもと。
ええ。父にはとても、恩を感じています。
実は未だに、十年も前に亡くなった兄達の事を、悪し様に罵るギルドメンバーもいます。
酷い風評だと思いますし、嫉妬なのかも知れませんが、聞くに耐えません。
悲しい事です。
そして父の評判も、どういう訳かあまり、芳しくないのです。
父はギルドの長老として、マスター達の任命責任を負って居ますから、それはきっと大変な重圧であろうと思うのです。
到底私などには想像できません。
あのように重大な職務を忠実に執り行っているだけで、それはもう敬服せざるを得ません。
息子の私が云うのもおこがましい事ですが、ええ。
父は、比肩する者のない人格者であると、誇りに思っています。
父の病は、不治のものです。
どうする事も出来ません。
無念でなりません。
加減が悪くなるにつれ、段々人にも会わなくなってしまって。
今ではシェリルくらいしか――、いや、メイドの女性です。
お会いになりましたか。彼女くらいしか傍には置かないようです。
いえ、以前……その、親交がありましたので。
信頼できる女性です。
どうでしょう。
ゲストにこんな事をお願いするのも失礼ですが、一曲、私にもあの曲を聞かせてもらえませんか。
申し訳無い。少し酔っているのかも知れません。
ありがとう。
ああ、君。店のリュートを貸してくれないか。
そう、こちらの女性に。
本当に素晴らしい。
――失礼。色々と思い出してしまって。
シェリルは、元気でしたか。
ええ。そうです。
君に隠し事は出来ませんね。
一時は結婚を誓い合った仲だったのです。
ですが突然、彼女の方から別れを。
いくら問うても理由を告げず。
――いや、どうにも、今日は悪い酒です。
本当に申し訳ない。
ハハハ。
やめましょう。
今日は嬉しい日だ。
父に、君の曲を喜んでもらえた。
それだけで僕は満足なのです。
ハハハ。
実は父もね、昔、リュートを弾いていたのですよ。
とてもそんな風には見えなかったでしょう。
幼い頃、何度か聞いた覚えがあります。
いやあ、それが残念な事に。
ハハハハ。
あの立派な父でも、リュートの腕だけはまるで、その。
モンバットの鳴き声か何かのような――
zudah at 03:38|Permalink│
│07 Her melody
January 08, 2008
7-1 Stones
もうよい。
報酬はメイドから受け取りなさい。
好い曲だった。
下がっていい。
何だね。
――話?
話すことなど無い。
飲み残しのワインがゆっくりと腐るように死病に体を蝕まれて行く私が、君のような娘に何を話すと云うのだね。
もう下がりなさい。
金貨を受け取り、街へ戻って、もう少しマシな楽器を買うといい。
そのリュートは、君の腕につり合わない。
――何と。
君は息子の知り合いなのかね。
嗚呼、なるほど。そう云う事か。
屋敷の外であの曲を奏でたのは、息子の指示なのだな。
私が君を、この部屋まで呼ぶようにと。
相変わらず、要らぬ所で知恵の働く男だ。
全く下らん。
慰問など不要だ。
見舞いも要らぬ。
私は死を畏れてはいない。
市井の者共と一緒にされては不愉快だ。
――死を畏れる心は、欲望によって産み出される。
もっと良い暮らしに身を置きたかった。
もっと良い女を抱きたかった。
もっと良い食事を愉しみたかった。
もっと、人から尊敬されたかった。
下らぬ。
全ては敗者の断末魔だ。
真実に到達したものは。即ち勝者は。
決して、そのような魔境に陥りはしない。
――君には分かるまい。
私は、一介の楽師から一代で今の地位まで登りつめた。
ブラックソーン閣下の恩寵を賜り、幾多の障壁や謀略の嵐に打たれ、ここまで来た。
風評を操り、世論の支持を得た。
商人の真似事もした。女衒紛いの行いも辞さなかった。
ドレッドスパイダーの巣のように絡み合う楽師達の思惑、美しい調べの背後に身を隠す、不潔で醜い欲望を全て、サンドウォームの如くに呑み込み生きて来たのだ。
政治だ。
全ての場は政治だ。
見よ。今や、バードギルドは私の手中にある。
全てのバードギルドマスターは、この私が任命する。
最早欲しいものなど無い。
私は、望むもの全てを手にして来たからだ。
――おかしいかね。
この手の話をすると、息子も、丁度今の君のように微笑んで見せる。
心中穏やかならぬ時こそ、人はそうやって薄ら笑いを浮かべる。
愛想笑い。
もう厭と云うほど目にしてきた。
勿論、端から同意など得られる訳が無いのは承知だ。
誰も、私と同じ地位にはいないからだ。
その微笑は、湧き上がる嫉妬と憐憫を塗り込める為の仮面なのだよ。
先手を打っておくが、私を孤独な老人であると感じているならそれは誤りだ。
私の権力により、私は私の孤独すら自在に支配できる。
事実何も要らないから、私は、何も要らないと云っているのだ。
――どうあっても帰らぬつもりのようだね。
面白い。
見たところ、フェルッカの生まれのようだ。顔に険がある。
天上の音を奏でる下賤の民。毛色の変わった趣向だ。
君は、バードギルドのメンバーでは無いのだろう。
調べに、都では耳に出来ぬ野趣があった。
息子は一体どこで君と知り合ったのだろうな。
まあよい。
気が済むまで、そこに座っているがいい。
手持ち無沙汰であるのなら、もう一曲、弾いて聞かせなさい。
次は、得意の曲でよい。
――嗚呼。
今日は殊更に息子の事を思う日のようだ。
あの愚かな男は君のリュートを聞き、何を感じたのだろう。
あれは本当に不出来で、政治の才覚が無く、潮流に呑まれ確固たる己を持つ事も出来ぬ落伍者だ。
あのような者に私の財を継がせるのも不本意極まりないが、長男次男が戦火の露と消えてしまった今では、最早詮無い事。
私に似ず優男であるし人あたりだけは良いから、器以上の人望を得てはいるがそんなものは身に付かない。
何れ、何もかも失われるだろう。
私の財と共に。
――決して、あれが憎い訳では無い。
あれは、あれを産んだふたり目の妻に似ている。
息子である事に違いは無い。
だがあの、己の立場をわきまえぬ、人を見透かしたような微笑だけは我慢ならん。
私は、私の息子が私を超える事は許さない。
そう云うものなのだ。
男とは、産まれながらにそう云う生き物なのだ――。
あれの職も、地位も、住み処も、妻も、全て私が選び、与えた。
元よりあれには才が無い。
私が与える以上のものは、己の力で一生涯掛かっても得られはしない。
一度、分不相応に器量の良い娘を妻に迎えようとした事があったが、許さなかった。
私が、私の妾にした。
きっと恨んでいる事だろう。
恨まぬ訳が無い。
だが、それもどうでも良い。
幾ら恨んだところで、あれに何が出来る訳でもない。
あれは、あれの母親と同様、生まれながらにして喰われる立場の者なのだ。
――しかし息子は、君の調べを理解し雇おうと思える程度には、音楽を知っているようだ。
凡百の楽師などと云うものは、その辺の森で泣き喚くモンバットと大差無い。
須らく技術とは無価値だ。
ひいては楽器の鍛錬なども無意味なものだ。
港で錆びてゆく釘と等価であるものだ。
何故と云うに、音楽とは、奏者の魂であるからに他ならない。
生まれながらにして楽師たる少数のものだけが真実の音楽を奏でる。
君のように。
もう一度、最初の曲を聞かせなさい。
――まだ私が、名も金も無い楽師だった頃。
その曲を弾いて、酒場を回ったものだった。
地位を得、あれの母親を妾に迎えてからも、時折手慰みにリュートを持った。
きっとあれも、乳母車の中で聞いた私の音色を、覚えていたのだろう。
懐かしい。
こんなに喋ったのは何年ぶりか。
疲れた。少し、眠るとしよう。
私が眠るまで、その曲を続けてくれ。
私の曲は――、私の、魂は。
あれには、どう聞こえていたのだろう。
チェルシーと云ったか。
どうも、ありがとう。
zudah at 01:03|Permalink│
│07 Her melody
April 09, 2007
6-4 "a Llama"
ムーングロウのうらぶれた墓地で不幸な女の墓前に手を合わせた。
不貞不徳の因果と批難することは容易であるが、彼女の愛した男が彼女を救える男ではないと彼女自身が見限った事に直接の要因がある。
自らの分をわきまえた末、香を焚き込めた腰帯一本で己の因業に決着を付ける事を選択したのだ。
是非もないだろう。
好色な蛇島の男はそれでも彼女を赦さないに違いない。
急いて俺の口から伝える必要はない。いずれは耳に入る。
彼の怒りは既に行き場を失っている事になるが、あえてそうした。
彼は彼自身のみを責めてしかるべきであり、全ての荷を彼一人で背負う義務があるからだ。
暴力による誤魔化しは不義理である。
精々泣き暮れるがいい。
どうせ、後を追い枝ぶりのよい桜の木にぶら下がってやる誠実さなど持ち合わせてはいまい。
墓地を出てしばらく歩くと、苔むした倒木の上に女の死体があった。
全裸に剥かれている。
肉厚の刃物で肩口から胸郭の中程までを断たれている。
流出した大量の血液はヒーターシールドほどの大きさの血溜まりを作ったようだが既に殆ど乾いており、多少土色を濃くする程度にしか残っていない。
左腕と左脚が本来関節のない部位から奇妙な角度に捻じ曲がっているのは、襲われ落馬した際に複雑骨折したものと思われる。
少し離れたところに鞍を付けたラマの死骸が見える。
短い赤毛の頭髪と下腹部の薄い茂みが、ムーングロウの地平を渡る生暖かい風にさわさわと靡いた。
少人数の野盗に襲撃されたのであろうと思われた。
バックパックの中身は周囲に散乱し、一通り漁られていた。
死にゆきながら手荒な扱いを受けたと思われる痕跡も残っていた。
誤って鋏を入れてしまった書類を打ち捨ててあるかのような印象を受けた。
ひとけの無いフェルッカの地で、死体などに興味を示すものは誰も居ない。
烏や野犬の姿すらない。
この世界は、嗜虐的な悦びを活力として運行している。
最早滅びの日が迫っているのは誰の目にも明らかなことだろう。
先程から俺の背後に佇んでいるこの女の魂も、自らの屍にそれを見ている。
「――何か云いたい事があるのか」
背中を向けたまま訊ねた。
〈――私が見えるの?〉
「ここは、お前にとって相応しい世界ではなかった」
〈――痛い、痛い。私の体、痛い〉
「それは幻だ。お前にもう痛みはない」
〈痛い、痛い……。哀しい、私、死んだ。私の可愛いラマも死んだ〉
「そうだ。もう死んでいる。この世界では、命など煙のように軽く儚い」
〈死んだ。殺された。怖い……〉
歳のころは十六か十七、まだ幼さの残る面影に暗い絶望を湛え、俯いている。
「お前はもう、ここにいても何も得られない。生まれ変わらなければならない」
〈死んだ。哀しい。怖い。殺された〉
「お前がお前自身の意思で、その灰色の世界から抜け出さなければ、永遠にそのままだ」
〈厭、助けて、私、死んだ〉
俺は北を指さした。
「陽の当たる場所に生まれ変わりたいと願うのなら、森の向こうにあるゲートを潜って、こことは異なる太陽を浴するアンクに参拝しなければならない」
〈ゲート……、わからない、怖い。助けて、怖い〉
「……ついて来い」
俺は歩き出した。
〈待って、私の、可愛いラマが〉
「ラマの魂は、もうここに無い。生まれ変わることはできない」
〈厭、助けて、私の可愛いラマが〉
女の魂は既に腐敗の始まったラマの死体の前に留まり、透けた手で血に濡れた白い毛並みを撫でようとしたが、当然触れることも叶わず、ただ困惑した。
表情の無い獣の口の中から、蝿が一匹飛んで行った。
「ラマはもう生き返らない。諦めろ」
〈厭、私の……。ああ、どうしよう、死んじゃったの?〉
「このラマは、生き返りたいと思っていない。だから、ここに魂がないんだ」
〈厭、お願い、助けて、お願い、お願い……〉
「行くぞ」
〈厭、どうして? どうして助けてくれないの? お願い、私のラマが……〉
俺はため息を吐いた。
色彩を欠いた枯木の森を抜けたところで、“ラマ”の首にくくりつけた荒縄を引いた。
ぐずぐずに膿んだ鱗混じりの皮がベロリと剥ける。
肺の中に残っていた酸性臭のするガスを吐き散らしつつ、“ラマ”は苛立たしげに首を振り、歩みを止めた。
女の魂は、どうどう、などと云いながら変わり果てた獣の鼻先に顔を近づける。
円を描く石積みの中央に、ムーンゲートが鈍い光を放っている。
「この、青い光をくぐれ。トランメルと云う、ここより少しはマシな世界を目指すんだ」
〈怖い〉
「何も怖くはない。早く行け」
〈一緒にきて〉
「駄目だ」
〈どうして?〉
「俺の世界は、ここだからだ」
女は黙った。
しばらく俺の表情を伺い、ゲートと周りの景色を見比べたあと、怯えながら一歩踏み出す。
〈……どうもありがとう〉
「礼には及ばない」
〈ラマちゃん、行こう〉
「この“ラマ”とも、ここでお別れだ」
〈えっ、……厭、どうして〉
「これは魂がない。もう崩れる」
〈嘘、動いてる、怪我してるけど、生きてる〉
「これは怪我じゃない。腐ってるんだ」
騎乗生物の背中から、大量の腐肉と共に鞍が滑り落ちた。
既に、頭部も白骨化している。
歪な四肢が痙攣を始めた。
〈厭だ、行こう、ラマちゃん、行こう〉
女の涙声が、ストーンサークルの中で虚ろに響く。
俺は念仏を唱える。
どこかで烏が鳴いた。
同時に、騎乗生物に込められていた冥界の呪縛が解けた。
全身から強い臭気を立てつつ、肉と骨と皮が乖離し、その体躯は腐汁を撒き散らしながら完全に崩壊した。
肉塊と化すその一瞬、青白く濁った“ラマ”の瞳が、己の主人であった女の姿を捉えた。
否――、そう見えた。
〈いやああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!〉
俺の経文をかき消すように、女の魂が慟哭する。
zudah at 12:11|Permalink│
│06 Deadman's prayers
April 06, 2007
6-3 Punishment
「せやからね、云うたったんですわ。『ワレ舐めとったら承知せえへんどコルァッ、こんな青臭い鶏肉喰えるわけ無いやろがいッ』云うてね。思いっきり怒鳴ったったんですわ。そらぁ店員、もうめっさビビッとりましたで。ひゃひゃ。
僕、マジンシア出身ですやん。向こうでは、その、バジルっちゅうんですか、香草焼きみたいなもん、そんなんね、喰うたことあらしまへん。絶対、調味料間違ごうたか、腐っとるか、何かそんなんやと思いましたんや。
だってね、焼き鳥云うたらフツーに、塩焼きが出てくる思いますやん。僕、こっちではそんな香草焼きみたようなもんが普通やいうん、全ッ然知りまへんでしたさかいに。
まぁ僕も上京したてで、そん時まだちょっと若かったさかいね、店員の胸倉ひっ掴んで『ワレェこんなド臭いもん、喰えるんやったら喰うてみいッ』云うてね。
そしたら店員、ションベン漏らしながらハイ、云うて、かぶりつきよったんですわ。僕、ビックリしてしもうて。わはは、わははははははは。
まぁ酒代払わんと出てきたりましたけどね、そん時は。腹立ったんで。
おい姐ちゃん、酒や。酒が無いで。
まあまあ、お侍さんも一杯。ええ。
あーこれは。えらいすんまへん。頂きます。はい。はい。
あー。しかしまぁ、さっきの話に戻りますけど、実際しんどいもんでっせ。動物園の職員なんちゅうんは。
ホンマね、僕も最初はブリテインで、文官やってましたんや。お掘の中で。
はぁー、それが何の因果やらこんな閑職に回されて、たまりまへんで実際。
田舎帰ったろか思いますで。
相手が畜生ですやろ。何云うたかて。
もうそら、臭いしね。汚いしね。頭悪いしね。
ブチ殺したろか思いまっせ。毎日。
せやから多少のええ思いさせてもらわんと、やってられへん。ホンマに。
ええ。そうです。今僕が呑んでる酒、餌代ですねん。
内緒でっせ。内緒でっせ。ひゃひゃひゃ。
かましまへんねや、あいつらどうせ畜生ですさかいに、腹が減ったら己のババでも喰らいよるんですわ。いやこれホンマでっせ、あいつらね、己のババ喰らいよるんです。腹が減ったら。
まあ、餌のリサイクルちゅうやつですわ。ひゃひゃひゃひゃひゃ。
え、はい。
あ、ホンマでっか。アイツ知ってはりますのんか。
何、ちょっと知ってはるだけ。そうでっか。ええ。
親しぃは無いんでっか。あぁ、親しぃは無い。あぁ、全然。そうですか。
引越しましたやろ、最近。ええ、引越しましたんやアイツ。
ユーの実家帰る云うとったかな。
仕事やめて。ええ、もう動物園では働きよりません。
アイツねえ、こんなん云うたら何ですけど、陰気な、カタブツのね、パッとせん奴でしたわ。
僕、ああいうタイプ嫌いですねん。マジメ腐って。
ちょっと上の覚えがええから云うて、調子に乗り腐ってから。
同期のクセに、僕のことね、アゴで使いよりましたんや。
ホンマせいせいしたわ。おらんようなって。
あっ、おおきに。はい。頂きます。
……あーぅ。
……お侍さん、アイツの嫁、見た事ありまっか。
こんなん云うたら何ですけどね、正直アイツには、勿体無い嫁でしたんや。
別嬪のね。乳のでかい。まあ男好きするタイプでしたわ。
せやからかなぁ、浮気をね。
しとりましたんや、嫁が。
何や、サーペンツホールドに住んどる男だったみたいですわ。
それが、旦那にバレてね。
……まあ、バラしたん、僕なんですけどね。
わはははははははははは。
面白いですやろ。わはははははははははははは。
ちゃいまんねん。ちゃいまんねん。
あのね、僕ね、ホンマにアイツ嫌いでしたんや。
せやからね、腹いせに、アイツの嫁はんヤッてもたろう思てね、わはははは。
アイツの嫁はん、何や手荷物持って出かけよるから後つけたったんですわ。
丁度うまい具合にフェルッカ行きよるから、丁度ええわ思て。
わはははははははははは。
内緒でっせこんなん。首が飛びますさかい。わははははははは。
あーおもろ。
え、ああ、ハイ。
ええそら、ヤリましたで。
サーペンツホールドの、茂みん中でヤッたりました。
どうせ男と浮気してきた帰りやさかい、丁度良かったんちゃいますか。
最初僕の顔見て、旦那には黙っといて下さい云うからね、黙っといたるさかいに一発させ云うたら、ね、血相変えよって逃げ出そうとしよったんですわ。
『待たんかいコルァ』云うて、2・3発しばいたって。
ええ乳しとりましたわ。
思いッきりヤッったった。
まぁ、仕舞いではひぃひぃ云うとりましたしね。
わははははははははは。
売女でっせあんなん。
ちょっと別嬪や思うたら、調子に乗り腐って。
なんぼ取り繕うたって、浮気するような女、突っ込まれて当然ですわ。
そうでっしゃろ。ちゃいまっか。
僕ね、云うたったんですわ。『これから毎週、さしてもらうさかい』て。
当然サーペンツホールド行く前でっせ、今度は。
他の男のでぬるぬるしとったら、ちょっと気色悪いですやん。
いや、気色悪かったんです、突っ込んだ時。
せやから『次からはワシが先や、ええな』云うてね。
わははははははははははははは。
あーおもろ。
アホやでホンマ。
そんでまあ、次の週にね、さしてもらお思て家に行ったら、中におるのに出てきよらんからねあのアマ、腹立って旦那に浮気の事バラしたったんです。
そんで離婚ですわ。
ははは。
えっ。
首吊り。
誰が。
えっ。
あの女がでっか。
はは、そらまた、ははは。
えっ。洗いざらい喋って首括ったんでっか。
ホンマでっかそれ。
菓子を焼いて。
手紙を置いて。
森ん中で首括ったんでっか。
……何や、ほなアイツ、離婚したんやのうて、えっ。
ほなアイツ、ワシが嫁はんヤッたん知ってて、えっ。
ちょ、お侍さん。
何だんねん、急に立ち上がって。
お、お侍さん、だいたい何でそんなこと知ってはりますねん。
うわ。
な、何やその棒、気色の悪い。
うわッ、な、何や、こ、この浪人モンが。
何やねん。何やねん。オウ。
何やねんコラ。コルァ。
な、何や。
うわッ。
ちょちょちょっと待っとくんなはれ。
何やこれ。どないなってんねん。
ちょ。
な、何云うてはりますの。
う、唄てはりますのんか。
何唄てはりますのや、気色の悪い。
やめとくんなはれ。
や、や、や、やめとくんなはれ 」
zudah at 06:56|Permalink│
│06 Deadman's prayers
April 03, 2007
5-2 (6-2) Dream of chiffon cake.
その日は朝から、ちょっぴり、いやなかんじがしましたのです。
ぼくがいつものように階段のおどり場のベンチに腰かけて、あみ物をしていますと、ふんわりと甘いような、わかい木をいぶしたようなにおいがしました。
あ、これはお菓子のお姉さんだと思いました。
お菓子のお姉さんの髪や、洋服からは、いつもこの甘いにおいがします。
そしていつも、オレンジ味のクッキーですとか、林檎のケーキですとか、洋梨のパイですとかを、小紋柄のかわいらしい布に包んで持って来て、ぼくにくれます。
春のおわりごろに咲くお花のような、やさしい笑顔のお姉さんです。
ぼくはうれしくなって、ぴょんと立ちますと、一階の玄関が見えるくずれた壁に走りました。
でも、そこにはお姉さんはおりませんでした。
なにやら見たことのない、ふきげんそうな顔のお兄さんが立っておりました。
みがるな仕立てのよい服装をしておりまして、たぶんムーングロウの仕立て屋さんのものだとおもい、近くで見てみたいと思いましたけれど、腰にはひとごろしの武器が吊ってありましたので、ぼくは首すじがひやひやとしました。
お兄さんはすぐ、ぼくが上から見ていることに気づいて、
「ぼうず、アウトって野郎はいるか」と、ぼくの方を見もしないで訊きました。
ひどく冷たい、狼のうなるような声でした。
ぼくは、「いいえ、アウトさんはおりません」といいました。
「茶色い髪の女はいないか」と、つづけて訊きました。
ぼくは、「いいえ、お菓子のお姉さんは来ておりません」とこたえました。
お兄さんの眉がひくりと動いて、そしてやっと、ぼくの方に顔を向けました。
ぼくは思わず、あっといいそうになりました。
お兄さんは、泣いておりました。
なみだを流していたのではありません。
でも、泣いているのだというのが、ぼくにはわかりましたのです。
「ぼうず、マスクをとれ」と、お兄さんはいいました。
ぼくは困りました。
とんがり頭の、左目に穴がひとつだけ開いているこの頭巾は、ぼくが生まれたときからかぶっているものだからです。
どうしようと思って、少し壁に引っ込んでもじもじしていると、お兄さんが手を腰にまわすのが見えました。
あっ、もしかしてぼくは、ころされるのだろうかと思いました。
くちからかってに、ひぃ、と声がでました。
ぼくが頭巾をおさえて震えておりますと、「ぼうず」とお兄さんが呼びました。
「これが、さいごのお菓子だ」
ぽすん、と、何かを置く音がしました。
えっ、と思いまして、ぼくが顔をだしますと、お兄さんは建物に背中をむけて、聖書をめくっておりました。
きらきらっと、お兄さんの体がまたたきました。
ぼくは慌てて、一階へおりて、玄関へ走りました。
もう、だれもおりませんでした。
お兄さんが立っていたところには、さくら色の小紋柄の、小さな包みがのこされておりました。
こうばしいお菓子のにおいと、甘い、お姉さんのにおいがしました。
ぼくはチェルシーのようにまほうを使えませんので、あたまで思っただけでしたが、ほんとうに、ほんとうに、あのふきげんそうなお兄さんが、泣かないですむようになってほしいと思いました。
そして、お菓子のお姉さんが、たとえぼくにお菓子をくれなくてもよいので、どこかでにこにこと笑いながら、お菓子を焼いていてほしいと思いました。
包みのなかみは、ココアのシフォンケーキと、オレンジのスライスでした。
ぼくは、少しだけ食べて、のこりをたいせつに包みなおしまして、ベンチでお昼寝をしました。
お兄さんとお姉さんとぼくと、3にんで、お菓子を食べているゆめを見ました。
ぼくがいつものように階段のおどり場のベンチに腰かけて、あみ物をしていますと、ふんわりと甘いような、わかい木をいぶしたようなにおいがしました。
あ、これはお菓子のお姉さんだと思いました。
お菓子のお姉さんの髪や、洋服からは、いつもこの甘いにおいがします。
そしていつも、オレンジ味のクッキーですとか、林檎のケーキですとか、洋梨のパイですとかを、小紋柄のかわいらしい布に包んで持って来て、ぼくにくれます。
春のおわりごろに咲くお花のような、やさしい笑顔のお姉さんです。
ぼくはうれしくなって、ぴょんと立ちますと、一階の玄関が見えるくずれた壁に走りました。
でも、そこにはお姉さんはおりませんでした。
なにやら見たことのない、ふきげんそうな顔のお兄さんが立っておりました。
みがるな仕立てのよい服装をしておりまして、たぶんムーングロウの仕立て屋さんのものだとおもい、近くで見てみたいと思いましたけれど、腰にはひとごろしの武器が吊ってありましたので、ぼくは首すじがひやひやとしました。
お兄さんはすぐ、ぼくが上から見ていることに気づいて、
「ぼうず、アウトって野郎はいるか」と、ぼくの方を見もしないで訊きました。
ひどく冷たい、狼のうなるような声でした。
ぼくは、「いいえ、アウトさんはおりません」といいました。
「茶色い髪の女はいないか」と、つづけて訊きました。
ぼくは、「いいえ、お菓子のお姉さんは来ておりません」とこたえました。
お兄さんの眉がひくりと動いて、そしてやっと、ぼくの方に顔を向けました。
ぼくは思わず、あっといいそうになりました。
お兄さんは、泣いておりました。
なみだを流していたのではありません。
でも、泣いているのだというのが、ぼくにはわかりましたのです。
「ぼうず、マスクをとれ」と、お兄さんはいいました。
ぼくは困りました。
とんがり頭の、左目に穴がひとつだけ開いているこの頭巾は、ぼくが生まれたときからかぶっているものだからです。
どうしようと思って、少し壁に引っ込んでもじもじしていると、お兄さんが手を腰にまわすのが見えました。
あっ、もしかしてぼくは、ころされるのだろうかと思いました。
くちからかってに、ひぃ、と声がでました。
ぼくが頭巾をおさえて震えておりますと、「ぼうず」とお兄さんが呼びました。
「これが、さいごのお菓子だ」
ぽすん、と、何かを置く音がしました。
えっ、と思いまして、ぼくが顔をだしますと、お兄さんは建物に背中をむけて、聖書をめくっておりました。
きらきらっと、お兄さんの体がまたたきました。
ぼくは慌てて、一階へおりて、玄関へ走りました。
もう、だれもおりませんでした。
お兄さんが立っていたところには、さくら色の小紋柄の、小さな包みがのこされておりました。
こうばしいお菓子のにおいと、甘い、お姉さんのにおいがしました。
ぼくはチェルシーのようにまほうを使えませんので、あたまで思っただけでしたが、ほんとうに、ほんとうに、あのふきげんそうなお兄さんが、泣かないですむようになってほしいと思いました。
そして、お菓子のお姉さんが、たとえぼくにお菓子をくれなくてもよいので、どこかでにこにこと笑いながら、お菓子を焼いていてほしいと思いました。
包みのなかみは、ココアのシフォンケーキと、オレンジのスライスでした。
ぼくは、少しだけ食べて、のこりをたいせつに包みなおしまして、ベンチでお昼寝をしました。
お兄さんとお姉さんとぼくと、3にんで、お菓子を食べているゆめを見ました。
February 01, 2007
5-1 Secret story
お裁縫をするのは楽しいです。
アウツさんやチェルシーに頼まれるお洋服は、いつもダークネス布を使ったものばかりだけど、たまに、ぼくが自分で着る服をつくるときには、好きな色の布を使います。
でも、きらきらして綺麗な布は、とても高いので、買ってもらえません。
「おまえが自分ではたらいて買えばいいだろう、ばか」と、アウツさんにいわれました。
ぼくはどうやってはたらいていいのか、どうやったらはたらいたことになるのか、わからなかったので、きらきらする布をあきらめました。
おとなりに裁縫屋さんがありますので、そこへ走って行って、おにびさんにもらったおこづかいで、布をそめる絵の具を買いました。
走って行かないと、大きな蛇がきて、ぼくを食べます。
桶に水をといて、くふうして、ちょっと灰色をまぜた青とか、ちょっと白をまぜた紫色とか、ちょっと茶色をまぜた白とかの、絵の具をつくって、布をそめました。
好きな色の布になりましたので、それで自分の服をつくりました。
とても気にいっています。
縫い物をしていると、いつの間にかすごく時間が経っていて、じぶんのお腹のぐうぐう鳴る音にびっくりします。
そういうときは下に降りて、バナナを食べます。
3本ぐらい食べます。
箱の中には、20000本ぐらいのバナナが入っています。
うそではありません。
アウツさんは「好きなだけ食べてもいいよ」といっていました。
それを思い出すと、いつもうれしくなります。
でも、3本ぐらい食べるとお腹がいっぱいになるので、損な気持ちがします。
バナナを食べたあとは、少しお腹がゆるくなります。
ぴりぴりした味のバナナにあたると、もっとゆるくなります。
そのことをアウツさんにいうと、「あははばーか、うんこたれ」といって笑いました。
お腹がゆるいからといって、ばかではないと思うので、これは冗談だと思って、僕も笑いました。
そしたら、チェルシーが、アウツさんの頭に、アンビルを投げました。
それで、アウツさんの頭がへこみましたので、ぼくはびっくりしてしまいました。
チェルシーはあぶない。
ぼくはいつも、おどり場にあるベンチにすわって、お裁縫をします。
石のかべにつたがいっぱい生えていて、そこにあみぶくろを吊るしたり、裁縫手帳をひっかけたりします。
ゆかとか、階段とかは、崩れていて、すこし危ないです。
ことしはとてもさむいけど、ほんとうは、蛇島はあたたかいところなので、ひなたぼっこをしながら編み物をすると、とてもきもちがよいです。
まえに、チェルシーの冬もののセーターのお腹のフレンチナッツステッチをしているときに、綺麗なお姉さんがきて、「こんなところに住んでいて、寂しくないの?」といいました。
ぼくはここで生まれたので、寂しくありませんと、答えました。
それに、ここはざっそうがいっぱいだけど、よく探したら小さな白いお花が咲いていると、おにびさんに教えてもらいましたといいました。
お姉さんは、お砂糖のように にっこり笑って、「じゃあ、いっしょに探しましょう」といいました。
ぼくは、はい、といって、お姉さんといっしょに屋上でお花を探しました。
ほんとうは、どこにお花があるのか、ぼくは知っていたのです。
でもなぜだか、宝探しのように、とてもどきどきした気持ちだったので、ぼくはだまっていました。
お姉さんと、屋上をいっぱい探して、とてもたのしかったです。
白いお花は、お姉さんにあげました。
お姉さんは、「どうもありがとう」といいました。
ぼくもつい、ありがとうございますといってしまいましたので、お姉さんは笑いました。
そのときに、どこまで編んだのかわからなくなったから、今チェルシーが着ているセーターの背中のバックステッチが、いち段ずれているのです。
だから、これはないしょのことです。
しー。
アウツさんやチェルシーに頼まれるお洋服は、いつもダークネス布を使ったものばかりだけど、たまに、ぼくが自分で着る服をつくるときには、好きな色の布を使います。
でも、きらきらして綺麗な布は、とても高いので、買ってもらえません。
「おまえが自分ではたらいて買えばいいだろう、ばか」と、アウツさんにいわれました。
ぼくはどうやってはたらいていいのか、どうやったらはたらいたことになるのか、わからなかったので、きらきらする布をあきらめました。
おとなりに裁縫屋さんがありますので、そこへ走って行って、おにびさんにもらったおこづかいで、布をそめる絵の具を買いました。
走って行かないと、大きな蛇がきて、ぼくを食べます。
桶に水をといて、くふうして、ちょっと灰色をまぜた青とか、ちょっと白をまぜた紫色とか、ちょっと茶色をまぜた白とかの、絵の具をつくって、布をそめました。
好きな色の布になりましたので、それで自分の服をつくりました。
とても気にいっています。
縫い物をしていると、いつの間にかすごく時間が経っていて、じぶんのお腹のぐうぐう鳴る音にびっくりします。
そういうときは下に降りて、バナナを食べます。
3本ぐらい食べます。
箱の中には、20000本ぐらいのバナナが入っています。
うそではありません。
アウツさんは「好きなだけ食べてもいいよ」といっていました。
それを思い出すと、いつもうれしくなります。
でも、3本ぐらい食べるとお腹がいっぱいになるので、損な気持ちがします。
バナナを食べたあとは、少しお腹がゆるくなります。
ぴりぴりした味のバナナにあたると、もっとゆるくなります。
そのことをアウツさんにいうと、「あははばーか、うんこたれ」といって笑いました。
お腹がゆるいからといって、ばかではないと思うので、これは冗談だと思って、僕も笑いました。
そしたら、チェルシーが、アウツさんの頭に、アンビルを投げました。
それで、アウツさんの頭がへこみましたので、ぼくはびっくりしてしまいました。
チェルシーはあぶない。
ぼくはいつも、おどり場にあるベンチにすわって、お裁縫をします。
石のかべにつたがいっぱい生えていて、そこにあみぶくろを吊るしたり、裁縫手帳をひっかけたりします。
ゆかとか、階段とかは、崩れていて、すこし危ないです。
ことしはとてもさむいけど、ほんとうは、蛇島はあたたかいところなので、ひなたぼっこをしながら編み物をすると、とてもきもちがよいです。
まえに、チェルシーの冬もののセーターのお腹のフレンチナッツステッチをしているときに、綺麗なお姉さんがきて、「こんなところに住んでいて、寂しくないの?」といいました。
ぼくはここで生まれたので、寂しくありませんと、答えました。
それに、ここはざっそうがいっぱいだけど、よく探したら小さな白いお花が咲いていると、おにびさんに教えてもらいましたといいました。
お姉さんは、お砂糖のように にっこり笑って、「じゃあ、いっしょに探しましょう」といいました。
ぼくは、はい、といって、お姉さんといっしょに屋上でお花を探しました。
ほんとうは、どこにお花があるのか、ぼくは知っていたのです。
でもなぜだか、宝探しのように、とてもどきどきした気持ちだったので、ぼくはだまっていました。
お姉さんと、屋上をいっぱい探して、とてもたのしかったです。
白いお花は、お姉さんにあげました。
お姉さんは、「どうもありがとう」といいました。
ぼくもつい、ありがとうございますといってしまいましたので、お姉さんは笑いました。
そのときに、どこまで編んだのかわからなくなったから、今チェルシーが着ているセーターの背中のバックステッチが、いち段ずれているのです。
だから、これはないしょのことです。
しー。
zudah at 21:14|Permalink│
│05 Rend's diary notebook
January 28, 2007
6-1 Prayer
他人ではなく身内でもない一組の男女が、熱い血にまみれて交接する姿を夢に見た。
安堵と諦観が綯い交ぜとなった二人は、それを決着として受け入れた。
是非もないだろう。
俺は、半ば朽ちた椅子の上で、静かに眼を覚ます。
ぬるい風の吹き抜ける屋上である。
本来ならば三階の位置でありここが廃墟となる以前には更に上階が存在していた事は間違いないが、どこまでの高さの建造物だったのかはわからない。
土台の規模から目算するに精々が五、六階層程度ではないかと思われる。
それらは既に失われて久しい。
眼前の石畳はそこかしこで崩落しており迂闊に歩けば階下へと転落する。
雑草群が己の身に咲いた白い花を天へ捧げようと懸命に躯を伸ばしている。
生憎、曇天だ。
俺以外の誰もここに花のあることを知らない。
席を立つ。
壁の無い南南西の隅で、墓標の如きギルドスタチューが忘れ去られたように佇立している。
それが飛び降り自殺を企んでいる可能性は零ではない。
一瞥を投げ、階段を下りた。
家主の居住空間である半地下の土間は静まり返っていた。
俺は自身に割り当てられたクロゼットの引き出しから真新しい包帯を一束取り出し全身に巻く。
壊死した皮膚が常時剥離し続けており、腐敗臭を放つ体液と共に歩いた後を汚すからである。
かつて家主はその事が不愉快で我慢ならないと俺に宣言したが、直後にチェルシーの膝蹴りによって股間へ致命的な打撃を浴びていた。
大変に、哀れに感じた事を覚えている。
墨で染めた一重を羽織り、忌まわしい唸り声を漏らし続ける捻じ曲がった木刀を帯に差して、冷え切ったベッドの横を抜け土間の出口へ向かった。
蛇島の大地を踏んだ瞬間、耳元で鋭い擦過音がした。
ピットへ落ちるように身を沈め、腰を半転させながら木刀を抜く。
大蛇の巨大な顎が、俺の喉笛のあった位置でガチンと音を立て、毒液を飛び散らせた。
鎌首の側面へ回る。
柄を握り、絞る。
地摺りの位置から切先を走らせた。
女の胴回りとさほど変わらぬ太さの白い腹、その真芯へ、木刀が突き刺さる。
節くれだった刀身から、腐臭を伴った瘴気が噴出した。
大蛇の体が雷に打たれたように硬直する。
俺は地を滑り、背面へ回り込んで、距離を取った。
急所を打たれ、身動きの取れぬ蛇。
怒りに満ちた呼気と共に、その牙から致死毒の飛沫を撒く。
何とかこちらへ振り向こうとしているようだが、その身は痙攣するばかり。
尾の先が苛立たしげに踊っている。
俺はゆっくりと正眼に構えた。
――縛りに勝る恐怖はない。
包帯の裏で念仏を唱える。
速やかに、蛇の命を絶った。
安堵と諦観が綯い交ぜとなった二人は、それを決着として受け入れた。
是非もないだろう。
俺は、半ば朽ちた椅子の上で、静かに眼を覚ます。
ぬるい風の吹き抜ける屋上である。
本来ならば三階の位置でありここが廃墟となる以前には更に上階が存在していた事は間違いないが、どこまでの高さの建造物だったのかはわからない。
土台の規模から目算するに精々が五、六階層程度ではないかと思われる。
それらは既に失われて久しい。
眼前の石畳はそこかしこで崩落しており迂闊に歩けば階下へと転落する。
雑草群が己の身に咲いた白い花を天へ捧げようと懸命に躯を伸ばしている。
生憎、曇天だ。
俺以外の誰もここに花のあることを知らない。
席を立つ。
壁の無い南南西の隅で、墓標の如きギルドスタチューが忘れ去られたように佇立している。
それが飛び降り自殺を企んでいる可能性は零ではない。
一瞥を投げ、階段を下りた。
家主の居住空間である半地下の土間は静まり返っていた。
俺は自身に割り当てられたクロゼットの引き出しから真新しい包帯を一束取り出し全身に巻く。
壊死した皮膚が常時剥離し続けており、腐敗臭を放つ体液と共に歩いた後を汚すからである。
かつて家主はその事が不愉快で我慢ならないと俺に宣言したが、直後にチェルシーの膝蹴りによって股間へ致命的な打撃を浴びていた。
大変に、哀れに感じた事を覚えている。
墨で染めた一重を羽織り、忌まわしい唸り声を漏らし続ける捻じ曲がった木刀を帯に差して、冷え切ったベッドの横を抜け土間の出口へ向かった。
蛇島の大地を踏んだ瞬間、耳元で鋭い擦過音がした。
ピットへ落ちるように身を沈め、腰を半転させながら木刀を抜く。
大蛇の巨大な顎が、俺の喉笛のあった位置でガチンと音を立て、毒液を飛び散らせた。
鎌首の側面へ回る。
柄を握り、絞る。
地摺りの位置から切先を走らせた。
女の胴回りとさほど変わらぬ太さの白い腹、その真芯へ、木刀が突き刺さる。
節くれだった刀身から、腐臭を伴った瘴気が噴出した。
大蛇の体が雷に打たれたように硬直する。
俺は地を滑り、背面へ回り込んで、距離を取った。
急所を打たれ、身動きの取れぬ蛇。
怒りに満ちた呼気と共に、その牙から致死毒の飛沫を撒く。
何とかこちらへ振り向こうとしているようだが、その身は痙攣するばかり。
尾の先が苛立たしげに踊っている。
俺はゆっくりと正眼に構えた。
――縛りに勝る恐怖はない。
包帯の裏で念仏を唱える。
速やかに、蛇の命を絶った。
zudah at 21:15|Permalink│
│06 Deadman's prayers
January 26, 2007
夢時間-5
――痛いのは、もうこりごりでしょう?
ああ。痛いのは、厭だな。
――あぶないことをするのは、もうやめて、ね?
ああ。危ないのは、厭だな。
細く柔らかな腕が俺の頭をそっと包む。
小さなふくらみに顔をうずめると全身のこわばりが少しづつ解けていく。
甘く幼い匂いが頭を痺れさせる。
淡い色をした乳首を軽く口にふくみ俺の思考は停止する。
――ここなら、あんぜんでしょう?
ああ。ここは、安全だな。
――あたしたち、ずっといっしょにいたんだよ。
ああ。俺達は、ずっと一緒だった。
――あなたが痛いと、あたしも痛いの。
ああ。俺の痛みは、お前の痛みだった。
――あなたがしんだら、あたしもしんじゃうのよ。
突如として俺の顔面に熱い鮮血が降り注いだ。
怒張した男根の上に生暖かい臓物が次から次へと落ちてくる。
桃色の乳首はいつのまにか噛み千切られ俺の舌の上にある。
自分の両腕は少女の脇腹へ刺し入れられ胎内で子宮を握り潰そうとしている。
硬く丸いそれはぬるぬると手の内を滑り俺は。
俺は。
――いたい、アウツ、いたい。いたい。やめて。やめて。
俺は絶叫した。