April 09, 2007

6-4 "a Llama"

 
ムーングロウのうらぶれた墓地で不幸な女の墓前に手を合わせた。
不貞不徳の因果と批難することは容易であるが、彼女の愛した男が彼女を救える男ではないと彼女自身が見限った事に直接の要因がある。
自らの分をわきまえた末、香を焚き込めた腰帯一本で己の因業に決着を付ける事を選択したのだ。
是非もないだろう。


好色な蛇島の男はそれでも彼女を赦さないに違いない。
急いて俺の口から伝える必要はない。いずれは耳に入る。
彼の怒りは既に行き場を失っている事になるが、あえてそうした。
彼は彼自身のみを責めてしかるべきであり、全ての荷を彼一人で背負う義務があるからだ。
暴力による誤魔化しは不義理である。
精々泣き暮れるがいい。
どうせ、後を追い枝ぶりのよい桜の木にぶら下がってやる誠実さなど持ち合わせてはいまい。



墓地を出てしばらく歩くと、苔むした倒木の上に女の死体があった。

全裸に剥かれている。
肉厚の刃物で肩口から胸郭の中程までを断たれている。
流出した大量の血液はヒーターシールドほどの大きさの血溜まりを作ったようだが既に殆ど乾いており、多少土色を濃くする程度にしか残っていない。
左腕と左脚が本来関節のない部位から奇妙な角度に捻じ曲がっているのは、襲われ落馬した際に複雑骨折したものと思われる。
少し離れたところに鞍を付けたラマの死骸が見える。

短い赤毛の頭髪と下腹部の薄い茂みが、ムーングロウの地平を渡る生暖かい風にさわさわと靡いた。
少人数の野盗に襲撃されたのであろうと思われた。
バックパックの中身は周囲に散乱し、一通り漁られていた。
死にゆきながら手荒な扱いを受けたと思われる痕跡も残っていた。

誤って鋏を入れてしまった書類を打ち捨ててあるかのような印象を受けた。
ひとけの無いフェルッカの地で、死体などに興味を示すものは誰も居ない。
烏や野犬の姿すらない。

この世界は、嗜虐的な悦びを活力として運行している。
最早滅びの日が迫っているのは誰の目にも明らかなことだろう。
先程から俺の背後に佇んでいるこの女の魂も、自らの屍にそれを見ている。


「――何か云いたい事があるのか」

背中を向けたまま訊ねた。

〈――私が見えるの?〉
「ここは、お前にとって相応しい世界ではなかった」
〈――痛い、痛い。私の体、痛い〉
「それは幻だ。お前にもう痛みはない」
〈痛い、痛い……。哀しい、私、死んだ。私の可愛いラマも死んだ〉
「そうだ。もう死んでいる。この世界では、命など煙のように軽く儚い」
〈死んだ。殺された。怖い……〉

歳のころは十六か十七、まだ幼さの残る面影に暗い絶望を湛え、俯いている。

「お前はもう、ここにいても何も得られない。生まれ変わらなければならない」
〈死んだ。哀しい。怖い。殺された〉
「お前がお前自身の意思で、その灰色の世界から抜け出さなければ、永遠にそのままだ」
〈厭、助けて、私、死んだ〉

俺は北を指さした。

「陽の当たる場所に生まれ変わりたいと願うのなら、森の向こうにあるゲートを潜って、こことは異なる太陽を浴するアンクに参拝しなければならない」
〈ゲート……、わからない、怖い。助けて、怖い〉
「……ついて来い」

俺は歩き出した。

〈待って、私の、可愛いラマが〉
「ラマの魂は、もうここに無い。生まれ変わることはできない」
〈厭、助けて、私の可愛いラマが〉

女の魂は既に腐敗の始まったラマの死体の前に留まり、透けた手で血に濡れた白い毛並みを撫でようとしたが、当然触れることも叶わず、ただ困惑した。
表情の無い獣の口の中から、蝿が一匹飛んで行った。

「ラマはもう生き返らない。諦めろ」
〈厭、私の……。ああ、どうしよう、死んじゃったの?〉
「このラマは、生き返りたいと思っていない。だから、ここに魂がないんだ」
〈厭、お願い、助けて、お願い、お願い……〉
「行くぞ」
〈厭、どうして? どうして助けてくれないの? お願い、私のラマが……〉

俺はため息を吐いた。




色彩を欠いた枯木の森を抜けたところで、“ラマ”の首にくくりつけた荒縄を引いた。
ぐずぐずに膿んだ鱗混じりの皮がベロリと剥ける。
肺の中に残っていた酸性臭のするガスを吐き散らしつつ、“ラマ”は苛立たしげに首を振り、歩みを止めた。
女の魂は、どうどう、などと云いながら変わり果てた獣の鼻先に顔を近づける。

円を描く石積みの中央に、ムーンゲートが鈍い光を放っている。

「この、青い光をくぐれ。トランメルと云う、ここより少しはマシな世界を目指すんだ」
〈怖い〉
「何も怖くはない。早く行け」
〈一緒にきて〉
「駄目だ」
〈どうして?〉
「俺の世界は、ここだからだ」

女は黙った。
しばらく俺の表情を伺い、ゲートと周りの景色を見比べたあと、怯えながら一歩踏み出す。

〈……どうもありがとう〉
「礼には及ばない」
〈ラマちゃん、行こう〉
「この“ラマ”とも、ここでお別れだ」
〈えっ、……厭、どうして〉
「これは魂がない。もう崩れる」
〈嘘、動いてる、怪我してるけど、生きてる〉
「これは怪我じゃない。腐ってるんだ」

騎乗生物の背中から、大量の腐肉と共に鞍が滑り落ちた。
既に、頭部も白骨化している。
歪な四肢が痙攣を始めた。

〈厭だ、行こう、ラマちゃん、行こう〉

女の涙声が、ストーンサークルの中で虚ろに響く。
俺は念仏を唱える。

どこかで烏が鳴いた。
同時に、騎乗生物に込められていた冥界の呪縛が解けた。
全身から強い臭気を立てつつ、肉と骨と皮が乖離し、その体躯は腐汁を撒き散らしながら完全に崩壊した。

肉塊と化すその一瞬、青白く濁った“ラマ”の瞳が、己の主人であった女の姿を捉えた。
否――、そう見えた。










〈いやああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!〉

俺の経文をかき消すように、女の魂が慟哭する。


zudah at 12:11│ 06 Deadman's prayers