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シーボルトは長崎出島のオランダ商館付き医師鳴滝塾という蘭学塾を開いて、広く優秀な生徒を育て上げた。

そんな日本に貢献してくれたはずのシーボルトなのだが、時代は江戸時代。ことに蘭学を幕府は嫌い、蘭学者の立場は低かった
そんななか、シーボルトは、帰国することになる。日本を大層気に入ったシーボルトは、帰国の際、国禁となっている日本地図などの禁制品をひそかに持ち帰ろうとしてしまった。シーボルトとしてはあくまでも日本に対する愛着と学問的好奇心による行動と言われるが、当然幕府はシーボルトをスパイ扱いして取調べをした

そもそもこの事件、なんで発覚したのかといえば、シーボルトの乗った船が嵐で難破したからであり、この天災がなければ、シーボルトの人生はもっと違ったものになっていたかもしれない。

シーボルトは、長期間にわたって尋問を受けたが、無罪を主張し続け、ついに幕府もシーボルトを国外追放、渡航禁止の刑にすることで落ち着いた

しかし、処罰を受けたのはシーボルトだけではない。シーボルトに地図を譲った幕府天文方の高橋景保なども捕らえられ、やがて獄死している

シーボルトは、実は日本人女性と結婚しており、その女性との間に娘もいる。ちなみにこの娘はイネといって、日本発の女性産婦人科医になる女性である。



(その他の10月10日の出来事)

●土御門上皇が土佐に配流となる 承久3年(1221)
⇒承久の乱の際の処罰による。たしか土御門上皇はほとんど無関係だったのに流された…んだったと思う。

●日蓮が佐渡に流される 文永8年(1271)
⇒日蓮は、日蓮宗の開祖であるが、あまりにも他宗攻撃が激しく、幕府から度々咎めを受けている。そして、このときはついに佐渡に流されてしまったのである。

●松永久秀が東大寺大仏殿に放火 永禄10年(1567)
⇒こんなことができるのは、このじいさんくらいのもんですよ。

●松永久秀爆死 天正5年(1577)
⇒松永久秀は戦国きっての梟雄。名器・平蜘蛛を抱いて爆死自害した。



まあちょっとシーボルトもやりすぎてしまったということなんですかねえ。
でも、シーボルトを尊敬する蘭学者は日本に大勢おりまして、尚歯会という蘭学勉強会などを開いていたそうです。私の好きな高野長英なんかもシーボルトの門下生ですな。


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