黒龍さんからの質問です。

「はじめまして、特老で介護員をしている
黒龍と申します。いつも楽しく読まして頂いています。JUNKOさんは、認知症についていろいろ勉強されておられるようですので、質問をさせてください。わたしは、認知症と認知症でない方との間で対応を変えません。今まで、それで困ったこともなく過ごしていましたが、周りの認知症を勉強方とのギャップで悩んでいます。なぜ、対応を変えなければならないのでしょうか?受容することを一環すればいいと考えるているのですが。くだらない質問ですが、返事をいただけたらうれしいです。」

ええと。
認知症と言うのは正常であった知的能力が低下し、様々な心の症状や行動の障害が起こり、生活に支障を来たしてしまい身体の機能までも奪っていく恐ろしい病気です。
極端な表現ですが、私も認知症棟に4年いて、元気に入所されてきたのが、見る見る内に歩けなくなり明るさを失い、話す言葉がおかしくなりさらに嚥下困難になり、身体が固まりおかしな動きをするようになり、最終的に寝たきりになられた利用者さんを何人も見て来ました。
「認知症は怖い」と言うのが正直な気持ちです。

私がこのブログで「認知症ケア」について学んだ知識を発信し始めた理由として、「知らないで行う認知症ケア」と「知っていて行う認知症ケア」、この二つの差が介護職員の質(働き)、そして何よりも認知症対応の施設入所の利用者のQOL(Quality of life)にとって大きな影響を及ぼすことを経験上感じてきたからです。

一番いけないのは「知っていてそれでも行う間違ったケア」だと思っています。
次にいけないのは「知ろうとしないで(或いは教えようとしないで)行う間違ったケア」だと思います。
現在、本屋に行けばどこにでも認知症ケアの本は売っていますし、情報も入りやすい。
黒龍さんの場合、認知症の利用者さんの方に対する受容の意味がわかっていらっしゃるようなので、実は下手な認知症ケアの資格を持って「中核症状云々、周辺症状云々」とわかった気でいる介護職員より(ちょっと自虐的?(笑))よっぽどいいケアをしているのかもしれません。
実は認知症ケアと言うのは専門用語云々より「本人を知る」が一番大事なんだと思います。
それを知りもせず「脳の血流が」とかそんなもん意味ないわとさえ思います。
ただ、私たちが知らなくてはならないのは、認知症で混乱している初期中期において、認知症の利用者さんに対し間違ったケアが行われることにより、確実に認知症を進ませ、さらに混乱に追いやっている場合がある、と言う事です。
それを「知らなかったから」で済ますとは、人生の重みを軽視しすぎると思ってしまったのです。
私も自分自身の認知症ケアに自信を持っているわけではありません。
試行錯誤しながら、「昨日はうまく行ったのに今日はうまく行かなかった」などがっかりする事も多いです。
私は頭でっかちですので、果たして上手に黒龍さんに説明できるかわからないのですが、頑張って回答してみたいと思います。
認知症に「必ずつきもの」の中核症状というものがあります。
これは脳の器質的な変化等で失われた機能がもたらす障害で、よく見られるのが「何度言ってもわからない」「さっき食べたのにご飯まだ?と聞く」等繰り返し訴えの多い「短期記憶障害」です。5分前のことを忘れてしまいます。
そして見当識障害というものが起こると「私は20歳です」「昨日子供を産んだ」等昔の自分に戻ってしまうことがあります。亡くなった旦那を迎えに行くと本気で仰る方も。
こういうものは受容が必要ですよね。
「ご飯、まだなんですか。じゃああと少しで用意しますから、それまでこのお饅頭で我慢して」
「生まれた赤ちゃんね、元気ですよ。今お医者さんのところで診てもらっているから、もうちょっと待っていて。」
認知症の方の内的世界を理解し、その中に自分が入り込んで行きます。

或いはバリデーションと言う手法を使い
「そう、旦那さんをお迎えに、、素敵な旦那さんだったんでしょうね。今日は汽車が出ちゃったからお迎えは無理だから明日行きましょうよ。ねえ、どんな旦那様だったのか聞かせて」こんな具合に「相手の思い」を引き出している内に「・・・3年前亡くなったのよ」と利用者さん自身からリアルタイムに戻っていらっしゃる場合もあります。
これは介護職員が自分から「3年前に亡くなったのよ」と言ってしまうのではなく、相手を受容することによって相手が順を追って現実を受け止める、落ち着いて現在に戻ってくるよう導く例で、私も施設で何度かバリデーションを使ってみました。
(資格は持っていないので講座を受けたのみの知識ですが、確かに利用者さんが落ち着いて現実を取り戻す様子を何度も見てきたので受講して良かったと思いました。)

上に書いたものは全て「受容」です。

記憶障害によって記憶を失い見当識障害により自分のいる時間場所がわからなくなれば、「リアルタイム」が非常に不安なものになります。
私は認知症棟にいらっしゃる利用者さんが常に不安を抱いているのをずっと見てきています。
なので、私は「健常の高齢者」より「認知症の利用者」に対し、しつこいほどの
インフォメーションを提示することにしています。
普通の高齢者なら「そんなもんわかるわ」と仰るような事でも、わざわざ声掛けを増やします。
「朝なんですよ。ほらいいお天気。」「娘さんの貴子さんは明日いらっしゃるから」
見ればわかる時間(朝、昼、夜)季節の話題、馴染みの深い家族の名前を出すことによって「安心」を感じて頂きたいから。

これは私は一般棟ではやりません。不安で不安で仕方の無い認知症の方にだけしつこいほど提示します。「いつも何かを探している」「心ここにあらず」がわかるからです。

さて認知症の中核症状は他に「高次脳機能障害」とも呼ばれる
「失語、失認、失行」と言うものがあります。

これも認知症の方と認知症でない方とで対応を分けます。

例えば、「トイレの使い方はわかるが、廃用性症候群で体の機能を使おうとしない利用者さんには『頑張って○○して下さい」と声掛けをします。

認知症の前段階である状態の方(軽度認知障害「MCI」の方)には特に、例えばお風呂場でも何も手伝わずご自分で洗身洗髪するのを見守ります。
「ええと、次は・・・」と考える意欲を引き出すようにしています。
着衣も順番にパンツ、下着シャツ、上着シャツ、ズボン、靴下、靴と言った具合に並べて手伝わないようにします。
「この順番で着て下さいね」と声掛けをしています。

完全に着衣失行(服を変てこに着てしまう)方にはそばについて、「次はこれを着ましょうねー」と手渡します。「並べた順番に」と言う事も理解出来ない方もいらっしゃるからです。
認知症で「服を着るには順番がある」と言う常識がわからなくなってしまった方に「教えて」もそれは相手に自信を失わせる機会にしかならないからです。

介護者にとって、認知症の方が「どうしてこういう行動に出るのか」を考えることはそれ自体が「的を得たケア」を行う最良の方法になるように思います。

病気によって「わからない」「出来ない」「わかろうとする意欲がない」「やろうとする意欲がない」
を見極めることが必要で、

同時に

病気であるけれど「わかっている」「本当は出来る」「チャレンジする意欲がある」「偶然出来て自信を取り戻した」

を引き出すことが出来るから、出来たから、

私は、その人の
「わかる、わからない」「出来る、出来ない」を見極めたいと思うようになったのです。

その為には十把一絡げではなくその人その人に応じた情報収集、観察、テストが必要です。

試す為にテストをするのではなく、この人の残りの人生に何を残せるか、を見極めるための材料なんだと思うんです。

中には認知症でないのに認知症と判断される人もいます。
脳の萎縮がわかっても知的能力が低下しない方もいます。
個人を見極めるのが認知症ケアの出発地点です。
認知症でも本人が穏やかに暮らし周囲も穏やかならそれでいいんだと思います。

でも「環境」が大きく左右することは私たち介護職員は忘れてはならないと思う。

ボケた人を余計ボケさせる要因を環境、介護職員が握っているんです。
なので、私は認知症で混乱している方とそうでない方を区別してケアするようにしています。