人間、一生勉強です。



昨日の笑福会in愛知、参加者は、下は0歳児から、上は60歳まで(爆)←誰がとか書きません。



ゆりかごから生涯学習は始まるのです(爆)



(写真は、とりあえず、ブログやHPで顔出ししている方だけ顔を出しました♪)
BlogPaint








昨日の「笑福会in愛知」は、またまたすごかったです。


参加された皆さんのパワーがすごい。


去年の鎌倉も驚きの発表内容でしたが、今回もすごかったです。



介護の専門性あり、介護技術あり、認知症ケアあり、小児の嚥下障害あり、臨床美術あり、ホームヘルパーの話あり、ペットボトルの有効利用あり、リンパについての知識あり、ハッピーホルモンオキシトシンの話あり、川崎麻世体操あり、あああ、書きだしたら止まんない、、、



久しぶりに、後ほど、笑福会のHPにアップしますね。(ちょいとお待ちください、明日、書きますー)



私はと言えば、なんと、英語でプレゼンをおこないました。



最初に、「この中で英語の得意な人いますか?」と質問をして、いない事を確かめてから(爆)



でもいい発表になったと思います。(と自分で言っちまうところがいいでしょ?)



内容は「誰が、BPSDの引き金を知っているのか?」



えへへ。この前の前の日記に書いた、あの老年学、認知症ケア実践の「最後の宿題」です。



日本の介護職員が認知症のBPSDをどんな風に習っているのかをまとめたつもりです。



気がついた方はいらっしゃるでしょうか?後半にあるBPSDの引き金になる要因をまとめたページはひもときシートの研修で使用されていたものです。(下に引用としてHimotoki-Sheet」と小さく紹介しています)


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今朝、ロンダ先生の英会話レッスンは、名古屋で受けました。



普段、世間話から入る英会話教室ですが、何故か「北海道のやまとくん」の話から始まり、「アメリカでも発見時、CNNが朝、速報出したんですってね。」と言うと、ロンダも「毎朝、起きるとやまとくんが見つかったかニュースを確認したわ」と(笑)



どこも同じなんですね。いなくなった子どもを我が子のように感じてしまう。みんな心配していたんですものね。



「昨日、研修で認知症のBPSDについての発表をしたの。」という私の話で、内容は認知症ケアの話に移りました。



昨日、受けた質問について相談をしたんですね。



私「日本人はBPSD」とか「DM」(糖尿病)とか、言葉を省略することが多いんだけれど」


ロンダ「そうねえ、日本人はエコ・ライフとかエコロジーさえ略しちゃうわよね。」


私「BPSDってアメリカで聴いたことないんですけれど、アメリカはBPSDって言葉を使っているんでしょうか?」


ロンダ「そうねえ、私は聴いたことないけれど。フィールドが違うからね。」


ということで、これはアメリカでもう一回聴いてみるしかないですね。



それから、こんな質問もしてみました。



「日本は医療保険があり貧富問わず医療にかかることが出来る。老衰で亡くなりそうな状態の人に胃ろうを増設することも多い。アメリカ(ロンダが住むのはオレゴン州)は安楽死が州で認められているところもあり、無理な延命についてはしないように思っている。これは夏にインターンシップで確認してみたいなと思っている。胃ろうを造っているいる人がいるのか、どのようなターミナルケアが行われているのか。



アメリカはキリスト教の人が多いと思う。日本は無宗教が多い。宗教観も関係するのだろうか。死んでも天国に行けると考える人たちと、死んだらそれでおしまいと考える人たちとでは、ターミナルに対しての考え方が違うのだろうか。



デカルトは「我、考える、故に我、あり」と言った。(英語では、I think, therefore, I am)



私は、たとえ、寝たきりになって植物状態になっていても、認知症が重度になって考えることが出来なくなっても、ベッドの上でその人が微笑んだり、呼吸をしたり、手を握り返したりするのを感じて、その人には生きている意味があると思い、介護を続けたいと思う。



「考えなくなった人」は生きていても可哀そうだ、自分でなくなってしまっているのに生きながらえるのは可哀そうだという人もいるけれど、私はそんな風に思わないの。もちろん、理解力のあるうちに「延命治療の有無」は確認しておくべきだと思うけれど。



ロンダは答えました。



「アメリカでは、やはり理解力のあるうちに延命治療の有無は確認するわよね。臓器提供の意思も運転免許に提示している。


ただ、JUNKO、アメリカも、『天国へ行けるように」ってお祈りをするような敬虔なクリスチャンは昔に比べて少なくなっているのよ。60代以下は、おそらく日本と同じだと思う。



オレゴン州は安楽死を法律で合法にしているけれど、それはクリスチャンとかそういうことと関係がない。



寝たきりでも長生きさせてあげたいと願う家族もいるし、植物状態でも回復する人もいるしね。



むしろ、安楽死で問題にするのは「苦痛」についてよね。(sufferという言葉を使っていた)



痛みによって奪われるQuality of Lifeは、耐えがたいものがある。



そっちの方なのよ。



胃ろうをつけて、穏やかに死ねるのなら、それはそれでいい。たとえ考えることが出来なくなっていたとしても。



経済的な理由はあるわよ。もちろん医療費が無ければ延命治療さえ出来ないわよね。



でも、基本的な考えはアメリカも日本も同じだと思うわよ。



安楽死は「痛み」からの解放よね。」




って感じで話してくれました。




人の考え方や価値観はどこの国も変わってきているのですね。日本だけでなく。




そんなことも、7月にはアメリカで学んでこれるといいなと思います。