南相馬

仙台から仮復旧工事を終えた仙台東部道路を走った。前日は雪が降っていて、高速道路から一面の白い平野が臨める。津波で流されて何もなくなった白い平野。助手席からも運転席の向こうにも、何もない景観。自然の行った真実にこうして圧倒されている。今年に入って、いまだに瓦礫処理のまったく始まっていない東北の町を取材したNHKの番組を見たときに、心底衝撃を覚えた。崩れた家、さらわれた壁が連なるその無常感。交通の便の良さを優先して、報道も復興も進む。「わたしたちは、何も知らされていない」。

知らされていない地域にいる人たちの孤独、恐怖、寒さはいかほどか

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特別な許可を得て、福島第一原発半径20キロ圏内が指定された警戒区域に入った。浪江町から南下する道は、当たり前だが人も車もまったくない。数台すれ違うのは、たぶん第一原発へと向かう車。家もない。木もない。いや、傾いた木と傾いた電信柱となぎ倒されたガードレールが遠くに見えた。誰も通らない道なのに、私達のためだけに、信号が黄色く点滅している。浪江の中心市街地では、印刷所が倒壊し、大きな看板がなぎたおされたまま。被害が大きかった請戸漁港には道路際まで何隻もの漁船が打ち上げられ、船底が腐らないように土のうのようなものに載せてある。小高い山の中腹に車がごろんと転がっている。家も転がっている。転がっているという言葉が、残酷なほどしっくりくる倒れ方だった。その中を、雁が大きな羽音を立てて何連も飛んでいく。白鳥がフロントガラスをゆっくり、ゆっくりと、優美に遮って飛んでいく。崩れたままの防波堤から高い波がこちらに向かって打ち寄せ、高くしぶきをあげているのが見えた。その高さに、遠く離れた道路の車に座っているはずの私の足がすくんだ。

誰もいない警戒区域を端から端まで走る。「半径20キロ圏内」。幾度となく聞いているこの距離が、単なる数字から時間的なるもの、そして狂おしい面積となって私に迫る。半径20キロ圏内とは、こんなにも広大かと。

東日本大震災を契機に、暮らし方、防災のあり方を皆さん考えていらっしゃると思います。今回、このような機会をいただいたことで、東日本大震災はやはり原発を抜きには語れないと改めて思いました。関東大震災のとき、日本は世界の国から温かい支援をいただいて、米不足のときには船で運ばれてきたアメリカ米で飢えをしのいだ。「長年の努力で築き上げた美しい町が一瞬でなくなった」と当時の兵庫県知事に言わしめた阪神淡路大震災も、どうにか復興しつつある。東日本大震災も、きっと日本の精神力で必ず、時間がかかっても乗り越えられると信じているけれど、音も香りも色もない町を見て、理屈抜きで恐ろしいと思った。自然が起こしたものは自然が癒してくれる。けれど原発が起こしたものは元に戻らない。そんな身体の内側に鳥肌がたつようなものを感じた折、お会いした避難区域の方から、「原発はなくせない」と真っ向から言われて驚いた。「東京の人たちは、電気こんなに福島から送られていたのになぜ他人事なの?」「こんなに電気を使っているのに、原発なくせるはずないでしょ」。なくせるか、なくせないか、数をもっと減らせるか、自然エネルギーの開発にもっと予算を拠出させるのか。その議論が日本に起こらないことが、いまそれこそが真に恐ろしい。半径20キロの広さ。今度ぜひ想像しながら車を走らせてください。入ってはいけないそんな広い空間が日本にあるということを風化させずに、どうか思い続けていてください。